「選挙」カテゴリーの記事一覧
リビア/選挙
国民議会選挙(2012年7月)
2011年10月20日のムアンマル・カッザーフィー(カダフィ)殺害後、反体制派勢力である国民暫定評議会のムスタファー・アブドルジャリール議長は10月23日に「リビア全土の解放」を宣言した。「憲法宣言」第30条には、リビアの解放(カッザーフィー政権の崩壊)宣言後、国民暫定評議会は移行政府として再編成され、3ヶ月以内に①国民議会(GNC)選挙のための法案整備、②高等選挙委員会の任命、③GNC選挙への呼びかけを行うことが定められていた。また、リビアの解放後8ヶ月以内に国政選挙を行い、それから1年以内に議会と大統領選挙を実施すると定められていた。
2012年7月7日、GNC選挙が実施された。定数の200議席のうち80議席が政党別に選出される比例代表方式、残りの120議席が個人選出方式に割り当てられた。人口比などに基づき、国内主要3地域の議席配分は、首都トリポリを含めた西部100、東部60、南部40と定められた。女性や少数民族向けの議席割り当て(クォータ)はなかった。
選挙では、142の政党から合計で約3,700人(個人候補者約2,500人、比例代表候補者約1,200人)が立候補し、女性候補者も600人を超えた。選挙委員会の発表によれば、投票率は約60%(投票者170万人/登録有権者約280万人)という結果となった。
しかし、議席配分に不満をもつ東部地域では、連邦化や東部の自治権向上を主張する勢力がボイコットを呼びかけた。放火されたり、脅迫により閉鎖されたりした投票所もあった。
議席を獲得した政党は以下の通りである。
- 国民勢力連合:39 議席(得票率 48.8%)
- 公正発展党(ムスリム同胞団系):17 議席(21.3%)
- 国民戦線党:3 議席(3.8%)
- 民主主義と開発のための Wadi Al-Hayah 党:2 議席(2.5%)
- 祖国のための連盟:2 議席(2.5%)
- 国民中道潮流:2 議席(2.5%)
- その他:15 議席(18.8%)
「憲法起草委員会」選挙(2014年2月)
2014年2月20日、憲法起草委員会(Constitutional Drafting Assembly)の選挙が実施された。「憲法宣言」ではGNCが60人の憲法起草委員を任命すると定められていたが、2012年7月の国民会議選挙の直前に、国民暫定評議会が同宣言を修正し、憲法起草委員会を国民投票によって選出すると決定した。そして、2013年4月にGNCが同委員会の選挙の実施を決議した。
「60人委員会」とも呼ばれる憲法起草委員会の60議席は西部、東部、南部の3地域に各20席に振り分けられ、そのうち女性に6議席、少数民族(ベルベル、トゥアレグ、トゥーブ)に2議席ずつが割り当てられた。GNC議員、国民暫定評議会議員、カッザーフィー政権の幹部、軍人、過去に有罪判決を受けた者には立候補資格は与えられなかった。すべての議席は個人選出方式に割り当てられた。
定員60名に対して立候補は649人(うち女性64人、少数民族20人)であった。選挙日が公式に発表されたのは2014年1月下旬(選挙日の約3週間)であり、有権者が候補者に関する情報を得る機会は限定的であったとの指摘もある。さらに、ベルベル(アマージグ)とトゥーブの人々が、少数民族向けの議席割当(2席ずつ)は過小であり、憲法にマイノリティの権利が反映されないとして本選挙をボイコットした。治安の悪化や地元住民の反発により、1,496の投票所のうち115か所では投票が実施されなかった(このうち一部では再選挙が実施された模様である)。
結果として、有権者登録は約110万人、そのうちの投票率は約46%(投票者約50万人/登録有権者約110万人)にとどまった。60議席のうち13議席は空席となった。
代表議会選挙(2014年6月)
2014年6月25日、代表議会(HOR)選挙が実施された。GNC選挙とは異なり、定数の200議席のすべてが個人選出方式に割り当てられた。これは、選挙運動が暴力化や政党間の抗争を防ぐためだとされる。32議席は女性に割り当てられた。
選挙では、1,714人(男性1,562人、女性152人)が立候補した。ただし、カッザーフィー政権の元職員が公職に就くことを禁止する「政治的隔離法」にもとづき、41人の候補者は資格をはく奪された。
GNCの機能不全やリビア全土での治安悪化などを受けて、政治に対する国民の信頼は低下しており、有権者登録数は約151万人、投票率は42%(投票者63万人/登録有権者約151万人)という結果となった。2012年のGNC選挙と比較すると、投票者は約110万人、登録有権者は約130万人減少した。投票所の閉鎖や候補者の不在といった理由から12の議席は埋まらなかったが、再選挙は実施されなかった。
あくまで暫定的立法府であったGNCとは異なり、GNCは正式な立法府と位置付けられた。しかし、GNCの発足をもって解散する予定であったGNCの一部の議員が、GNCの設立手続きが違法であるとしてGNCの存続を主張し、独自の内閣である「国民救済政府(National Salvation Government)」を形成した。ここにおいて、リビアの東西に2つの政府が並存する事態が発生した。GNC(在トリポリ)とGNC(在トブルク)の対立は全国に拡大し、リビア国内の治安悪化やジハード主義組織の伸長につながった。
次期大統領・議会選挙に向けて
暫定政権である国民統一政府(GNU)は2021年12月24日の選挙実施を最大のマンデートとしているが、HORやHCS(GNCを母体とする政府諮問機関)は政治的利権の維持など独自の思惑を持って動いており、選挙プロセスは難航している。HORは選挙法案の決議を先延ばしし続けているほか、選挙によって既得権益を失うことを恐れる政治勢力を中心に、国政選挙に先駆けて、時間がかかる国民投票を通じた憲法制定を行うべきとの主張が繰り返されている。また、国民の間では、大統領に強大な権力が付与されることによる独裁体制の復活や国内対立の激化を恐れる意見も根強い。
次期選挙の準備は過去の選挙と同様に、高等国家選挙委員会(High National Electoral Commission: HNEC)が進めている。2011年に設立されたHNECは国政選挙の運営・実施を任務とする独立機関であり、2012年から2014年にかけて2度の国政選挙を実施してきた。特定の省庁には属さず、議会(HOR)のみに報告義務を負う。2021年8月現在、25の地方事務所と約350人の職員を擁している。対立の激しい情勢下においても、中立で信頼できる独立機関としての立場を確立しており、HNECの現地事務所は東西双方の勢力から支援を受けていた。また、UNDPがPromoting Elections for the People of Libya (PEPOL)という事業を通じてHNECに対する技術支援を行っている。
次期の大統領・議会選挙に向けて、2021年7月4日から8月17日にかけて追加の有権者登録が行われ、HNECは登録者合計を286万人(有権者全体の約63%)と発表した。新規登録者は52万人であり、紛争の影響を受けて退避した2万5千人は不在者投票という扱いになる。これに若干の在外投票登録者が加算される見込みもある。
9月9日にはサーリフHORが承認・署名した大統領選挙法(後述)がHNECおよびUNSMILに送付され、直後にクビシュUNSMIL代表は同法を承認する声明を発出した。ただし、9月中旬時点では議会選挙法が未承認である。また、大統領選挙法はHORの承認決議を経たわけではなく、サーリフHOR議長が一方的に発表したものであるため、これをUNSMILが「承認」したことは反発を呼ぶ可能性がある。また、高等国家評議会(HCS)は選挙法の発効には同機関の承認が必要だと主張しており、今後拒絶すると見られている。そうなれば、HCSが影響力を持つリビア西部の勢力が選挙妨害に動く恐れもあり、依然として選挙プロセスは流動的である。
2021年8月時点で大統領選への出馬を表明している者は少数である。2018年3月、元UAE大使のアーリフ・ナイードが、大統領選への立候補を表明した。ナイードは1990年代後半からリビア通信公社に勤務し、現在はヨルダンに拠点を置くテレビ局を経営している。彼はエジプトとUAEから支援を受けているとされ、ハフタル支持を公言している。また、2021年7月末にはカッザーフィー前指導者の次男であるサイフ・イスラームが2011年の内戦終結後約10年ぶりに欧米メディアに登場し、大統領選への出馬や政界への再復帰を示唆した。ただし、サイフ・イスラームは国内および国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状を発行されており、出馬には多くの制限があると考えられている。
国際社会は一致して次期選挙を支援しているものの、その内実は多様である。米国は「リビア・トラップ(政府や議会の任期が切れ、正統性が失われた状態が継続すること)」による政治の不安定化を回避するために、スケジュールに沿った確実な選挙実施を最優先としており、リビア国内の主要アクター及び関連する諸外国に圧力をかけながら、積極的な働きかけを行っている。大統領選挙法が発表された直後には、米・英・仏・独・伊の在リビア大使館が合同で、期日通りの選挙実施を支援する共同声明を発出した。この背景には、トルコがGNAと結んだ安全保障協力を盾に自国軍の撤退を拒絶していることから、新政府の設立によってトルコとの合意を破棄し、リビア国内からの外国軍・傭兵の撤退を進めたい思惑がある。一方で、トルコやロシアは新政府の設立による自国の影響力低減を防ぐべく、選挙日程の後ろ倒しに向けて水面下で様々な働きかけを行っているとされる。また、上述の通り選挙実施に向けた法的な正統性が不十分であったり、大統領選における政治的暴力のリスクがあることから、国連や欧米諸国からも性急な選挙実施への懸念が指摘されている。
大統領選挙法(2021年9月9日発表)
選挙概要
(第5条)国家元首(大統領)の地位をめぐる選挙戦は、国全体を対象とした単一の小選挙区制に基づいて行われる。大統領候補者が有効投票総数の50%+1票を獲得した場合、当選者とみなされる。投票日に有効投票総数の50%+1票を獲得した候補者がいない場合は、最大の有効投票数を獲得した候補者が第2回投票に参加し、第2回投票で最大の得票数を獲得した候補者を当選者とする(注:決選投票に参加可能な候補者の人数は明示されていない)。
(第16条)大統領選出のための手続きの開始日、選挙日、決選投票日は、HNECの提案に基づいてHORによって決定される。
(第17条)立候補登録は、HNECが指定する期間内(登録開始日から10以上30日以内)に、指定された様式でHNECに提出する必要がある。この際、必要な資料を別添する必要がある。
(第19条)HNECは立候補者の申請を審査し、憲法宣言や選挙関連法で定められた条件の充足について確認し、登録期限の終了後5日以内に立候補可否を決定する。
(第34条)投票期間は特定の日の朝8時から夜8時までとし、投票センターの代表が同センター内で投票手続き終了を宣言する。ただしセンター内に未投票の投票者がいる場合は、所定期間後も投票手続きを継続するものとする。投票手続きの終了が宣言された後、投票センター代表及びスタッフ、オブザーバー、候補者代理人の立ち会いのもと、投票所内で直ちに票の選別および集計が開始される。
(第37条)投票手続きの終了後、HNECは10日以内に結果速報を発表する。
大統領の権限(第15条)
- 国の外交関係を代表する。
- 首相の選出、組閣の指示、解任。副大統領の選出。ただし副大統領と首相は、大統領の出身地域以外の出身であり、それぞれが異なる地域出身であること。
- リビア軍の最高司令官としての職務。
- HORの承認後、総合情報局長官(Head of the General Intelligence Service)の任命・解任。
- 内閣が提出した外務大臣の提案に基づく、大使及び国際機関への代表の任命。
- 外国及び国際機関の代表者の認定。
- HORで承認された法律の1か月以内の発行。法案は指定された期間内に議会に差し戻されない限り、法的に発行されたとみなされる。
- 国際協定や条約の締結。ただしHORで批准されるまで効力を持たない。
- 国家安全保障会議(National Security Council)の承認及びその後10日以内のHORの承認を経た、緊急事態の宣言。戒厳令はHORの承認が得られるまで宣言されない。
- 閣僚会議(内閣)に出席する際にはその議長を務める。
- 憲法宣言および法律に規定されたその他の権限。
候補者の要件(第9条)
- リビア人のムスリムであり、リビア人ムスリムの両親を持つこと。
- 立候補の時点で他国の国籍を有していないこと。
- 配偶者がリビア人であること。
- 出馬登録日において40歳以上(西暦)であること。
- 認定された大学における学士号またはそれに相当する学位を取得していること。
- リビアの市民権を得ていること。
- 裁判所の最終判決において、重罪または道徳的に不適切な軽犯罪に関する有罪判決を受けていないこと。
- 大統領の職務遂行に十分な健康状態であること。
- リビア国内外の本人、妻、未成年の子供の固定資産及び動産の申告書を提出すること。
- HNECや関連委員会の職員、または投票センターの委員でないこと。
- その他、法律で定められた要件を満たしていること。
- (第12条)候補者は民間人、軍人を問わず、選挙日の3か月前に職務を停止すること。選出されなかった場合は以前の仕事に戻り、職務停止中の全ての給与が支払われる。
副大統領(第14条)
選出された大統領は、在任中に辞任、死亡、永続的に職務遂行が不可能になった等の理由で大統領の地位が空席になった場合に職務を遂行する、副大統領を任命する。(大統領の退任後)新しい大統領は3か月以内に選出される。副大統領の任命に際しては、大統領の選出と同じ条件(第9条)が適用される。
選挙監視・取材(第55条)
市民社会、関連する地域・国際機関、候補者の代理人は、HNECの承認を経て選挙手続きの監視に参加することができる。またメディアの代表者は、本法及び関連規則に従って、選挙を取材することができる。
アルメニア/選挙
1.選挙制度
中央選管の統轄の下、アルメニア共和国の11の行政区、さらには有権者数に応じて等分された各選挙区それぞれに支部が配置される三層構造である。選挙権は18歳以上のすべてのアルメニア共和国国民が有しているが、兵役中ないし軍務に服している場合には、議会選挙の選挙区ならびに自治体選挙では投票できない一方で、国外在住市民の在外投票は認められている。
共和国議会選挙には、憲法裁判所のメンバー、裁判官、警察治安関係者、税務・税関職員、刑務官ならびに軍関係者を除く、25歳以上のアルメニア共和国国民が立候補することが可能である。(ただし、二重国籍者は不可。)1999年選挙より議会の定員が131名となり、2007年選挙では41名が選挙区制、90名が政党名簿式比例代表制で選出された。なお、比例代表制での議席獲得には「5パーセント条項」が課せられているが、近年、少数政党が選挙連合を組むことが多く、その場合は「7パーセント条項」が適用される。
また、2015年の憲法改正までは、アルメニア共和国は直接選挙による大統領制を採用していたが、その大統領選挙には、アルメニア共和国に10年以上居住する35歳以上のアルメニア共和国国民が立候補できた。(共和国議会同様、二重国籍者は不可。大統領の三選条項あり。)
共和国議会選および大統領選には、共和国選挙管理委員会だけでなく、OSCE(欧州安全保障協力機構)の選挙監視団も入り、おおむね公正な選挙だと認定されている。しかし、95年の議会選挙のようにダシュナク党の候補者受付を妨害したうえで選挙を行ったため、その正統性が当のOSCEからも疑問視されたうえ、大統領選では毎回のように投票用紙の不正操作が取り沙汰され、敗北した候補者の陣営が不正選挙を主張してデモを組織するなど、アルメニアに自由選挙が定着するには課題が多い。
2.共和国議会選挙
アルメニアの独立後、共和国最高ソヴィエトは共和国議会にそのまま移行していたが、議事の定足数が全議員の半数の124であるのに対し、法案を可決するための有効な票数が単純過半数の125と規定されていたばかりでなく、定員260名のうち160名以上の議員がしばしば欠席したため、議事運営が滞った。1995年4月にアルメニア共和国の選挙法が採択されたのに伴い、その年の7月に議会選挙が行われた。
・1995年7月5日実施の選挙結果
投票総数:1,217,531 (投票率55.6%)
政党または会派 | 比例得票率(%) | 獲得議席 | うち選挙区分 |
---|---|---|---|
共和ブロック(アルメニア全国民運動系) | 42.66 | 119 | 99 |
シャミラム女性党 | 16.88 | 8 | 0 |
共産党 | 12.10 | 6 | 1 |
国民民主連合 | 7.51 | 3 | 2 |
国民自決連合 | 5.57 | 3 | 0 |
アルメニア民主自由党(ラムカヴァル党) | 2.52 | 0 | 1 |
科学産業市民連合 | 1.29 | 0 | 1 |
ダシュナク党 | – | 0 | 1 |
独立諸派 | – | 45 | 45 |
合計 | ‐ | 190 | 150 |
・1999年5月30日実施の選挙結果
投票総数:1,137,133 (52 %)
政党または会派 | 比例得票率(%) | 獲得議席 | うち選挙区分 | 改選による増減 |
---|---|---|---|---|
「統一」ブロック(アルメニア共和党、アルメニア人民党) | 41.45 | 62 | 33 | +61 |
共産党 | 12.04 | 10 | 2 | 0 |
「権利と統一」ブロック | 7.93 | 7 | 1 | 初当選 |
ダシュナク党 | 7.79 | 8 | 3 | +7 |
法治国家 | 5.25 | 6 | 2 | 初当選 |
国民民主連合 | 5.14 | 6 | 2 | -3 |
独立諸派 | 20.40 | 32 | 32 | -61 |
合計 | – | 131 | 75 | -59 |
・2003年5月25日実施の選挙結果
投票総数:1,234,925(51.5 %)
政党または会派 | 比例得票率(%) | 獲得議席 | うち選挙区分 | 改選による増減 |
---|---|---|---|---|
アルメニア共和党 | 23.37 | 33 | 10 | +2 |
正義 | 13.60 | 14 | 0 | 初当選 |
法治国家 | 12.33 | 19 | 7 | +17 |
ダシュナク党 | 11.36 | 11 | 0 | +3 |
国民の統一 | 8.79 | 9 | 0 | 初当選 |
統一労働党 | 5.63 | 6 | 0 | 初当選 |
全アルメニア労働党 | – | 1 | 1 | 初当選 |
アルメニア共産党 | 2.08 | 0 | 0 | -10 |
共和国党 | – | 1 | 1 | 初当選 |
独立諸派 | – | 37 | 37 | +5 |
(6月14、15日再選挙分) | (3) | |||
合計 | – | 131 | 56 | 0 |
・2007年5月12日実施の選挙結果
投票総数:1,375,733 (59.35%)
政党または会派 | 比例得票率(%) | 獲得議席 | うち選挙区分 | 改選による増減 |
---|---|---|---|---|
アルメニア共和党 | 33.91 | 64 | 18 | +33 |
「繁栄のアルメニア」党 | 15.13 | 18 | 7 | +18 |
ダシュナク党 | 13.16 | 16 | 0 | +5 |
法治国家 | 7.05 | 9 | 2 | –10 |
遺産 | 6.00 | 7 | 0 | +7 |
統一労働党 | 4.39 | 0 | 0 | –6 |
国民の統一 | 3.58 | 0 | 0 | –9 |
共和国党 | 1.65 | – | 0 | -1 |
独立諸派 | – | 13 | 13 | –24 |
合計 | – | 131 | 41 | 0 |
・2012年5月6日実施の選挙結果
投票総数1,559,939 (61.83%)
政党または会派 | 比例得票率(%) | 獲得議席 | うち選挙区分 | 改選による増減 |
---|---|---|---|---|
アルメニア共和党 | 44.12 | 62 | 22 | +3 |
「繁栄のアルメニア」党 | 30.19 | 35 | 7 | +10 |
アルメニア国民会議 | 7.10 | 7 | 0 | +7 |
遺産 | 5.78 | 5 | 0 | -2 |
ダシュナク党 | 5.68 | 5 | 0 | -11 |
法治国家 | 5.52 | 6 | 1 | -4 |
共和国党 | 4.23 | 2 | 2 | +2 |
アルメニア全国民運動 | 3.77 | 1 | 1 | +1 |
独立諸派 | – | 8 | 8 | -5 |
合計 | – | 131 | 41 | 0 |
・2017 年4月2日実施の選挙結果
投票総数:1,575,382 (60.86%)
政党または会派 | 得票率(%) | 獲得議席 | 改選による増減 |
---|---|---|---|
アルメニア共和党 | 49.17 | 58 | -11 |
ツァルキアン連合(「繁栄のアルメニア」党、連合党、伝道党) | 27.35 | 31 | -2 |
出口連合(「輝けるアルメニア」、共和国党、市民協約) | 7.78 | 9 | 初当選 |
ダシュナク党 | 6.58 | 7 | +2 |
アルメニアのルネサンス(法治国家、「団結されたるアルメニア人」党) | 3.72 | 0 | -6 |
ORO連合(遺産、統一党)* | 2.07 | 0 | -5 |
アルメニア国民会議・アルメニア人民党連合 | 1.66 | 0 | -7 |
合計 | – | 105 | -26 |
*選挙連合名の由来は、2016年のナゴルノ・カラバフでのアルメニア軍とアゼルバイジャン軍との軍事衝突の責任を取らされ、国防大臣を更迭されたセイラン・オハニアンを、「遺産」の党首ラフィ・ホヴァニスィアン元外相と統一党の党首ヴァルタン・オスカニアン元外相が引き込んだことから、この3名の名前または苗字の頭文字を取って付けたことにある。
・2018 年12月9日実施の出直し選挙結果
投票総数:1,260,847 (48.62%)
政党または会派 | 得票率(%) | 獲得議席 | 改選による増減 |
---|---|---|---|
「我が一歩」連合(市民協約、伝導党、諸派) | 70.44 | 88 | +83 |
繁栄のアルメニア | 8.26 | 26 | -5 |
輝けるアルメニア | 6.37 | 18 | +15 |
アルメニア共和党 | 4.70 | 0 | -58 |
ダシュナク党 | 3.89 | 0 | -7 |
「我ら」連合(共和国党、自由民主主義者) | 2.00 | 0 | -1 |
合計 | – | 132 | +27 |
・2021 年6月20日実施の出直し選挙結果
投票総数:1,276,693 (49.37%)
政党または会派 | 得票率(%) | 獲得議席 | 改選による増減 |
---|---|---|---|
市民協約 | 53.95 | 71 | -17 |
アルメニア連合(ダシュナク党、「再生アルメニア」)* | 21.11 | 29 | 初当選(ダシュナク党は議会復帰) |
「我に誉れあり」連合(アルメニア共和党、祖国党) | 5.22 | 7 | 初当選(共和党は議会復帰) |
繁栄のアルメニア | 3.95 | 0 | -26 |
輝けるアルメニア | 1.22 | 0 | -18 |
合計 | – | 107 | -25 |
*代表は、ロベルト・コチャリアン元大統領
3.大統領選挙
ソ連末期の1991年に大統領に選出されたテル=ペトロスィアン大統領は、アルメニアの独立後もその職に留まり、96年には大統領に再選されたが、二期目の途中98年に辞任した。ついで、その年の出直し選挙で当選したコチャリアンは、2003年の選挙で再選され、二期目を全うした。この独立後3回の選挙に共通するのは、有力な対抗馬が出現して、96年選挙はテル=ペトロスィアンが過半数をわずか2ポイント弱上回って辛勝、98年、03年選挙はともにコチャリアンが第一回投票で過半数に達せず、決選投票に持ち込まれたことである。候補者登録の手続きや投票制度に問題があることが指摘されているとはいえ、政権に対する批判がある程度選挙で反映されることが分かる。なお、08年選挙では、03年選挙に続いて最有力対抗馬であるアルメニア系アメリカ人ホヴァニスィアンの帰化が拒否されて立候補できず、再出馬したテル=ペトロスィアン前大統領に対する国民の不信感が十分払拭されていなかったこともあり、サルキスィアンがテル=ペトロスィアンにダブルスコアで勝利した。もっとも、サルキスィアンも、アルメニア共和国の首相まで務め、コチャリアンの後継者として大々的に宣伝された割には、過半数を3ポイント弱上回っただけである。コチャリアンに引き続き、ナゴルノ・カラバフという、形式的にはアゼルバイジャンから独立した「外国」出身者だと野党側が批判していたことも、有権者の投票行動にある程度影響したと考えられる。コチャリアン路線を引き継いだサルキスィアンは、議会の最大会派アルメニア共和党の党首も務めたことで政権が安定し、以後10年に亘って政権を担当することになる。
なお、2015年の憲法改正で議院内閣制に移行し、大統領は国民議会が選出することが決定した。これにより、2018年3月2日の国民議会内の選挙で、アルメニア共和党が推挙したアルメン・サルキスィアン元駐英大使が大統領に当選した。
・1991年10月17日実施の選挙結果
投票総数:1,260,433 (70%)
候補者と所属政党 | 得票数 | 得票率(%) |
---|---|---|
レヴォン・テルペトロスィアン(アルメニア全国民運動) | 1,046,159 | 83.0 |
パルイル・ハイリキアン(国民自決同盟) | 90,751 | 7.2 |
ソス・サルキスィアン(ダシュナク党) | 54,198 | 4.3 |
アショト・ナヴァサルディアン(アルメニア共和党) | ||
ラファエル・ガザリアン(無所属) | ||
ゾリ・バラヤン(無所属) |
・1996年9月22日実施の選挙結果
投票総数:1,308,548 (60.3%)
候補者と所属政党 | 得票数 | 得票率(%) |
---|---|---|
レヴォン・テル=ペトロスィアン(アルメニア全国民運動) | 646,888 | 51.75 |
ヴァズゲン・マヌキアン(国民民主連合) | 516.129 | 41.29 |
セルゲイ・バダリアン(共産党) | 79.347 | 6.34 |
アショト・マヌチャリアン(無所属) | 7.529 | 0.6 |
・1998年3月19日、30日実施の選挙結果
投票総数:1,456,109 (63.48%)(第1回投票)、1,567,702 (68.14%)(第2回投票)
候補者と所属政党 | 第一回投票での得票数 | 得票率(%) | 第二回投票での得票数 | 得票率(%) |
---|---|---|---|---|
ロベルト・コチャリアン(無所属) | 545,938 | 38.50 | 908,613 | 58.91 |
カレン・デミルチアン(元共産党) | 431,967 | 30.46 | 618,764 | 40.12 |
ヴァズゲン・マヌキアン(国民民主連合) | 172,449 | 12.16 | ||
セルゲイ・バダリアン(共産党) | 155,023 | 10.93 | ||
パルイル・ハイリキアン(国民自決連合) | 76,212 | 5.37 | ||
その他諸候補(諸派) | 26,434 | 1.86 |
・2003年2月19日、3月5日実施の選挙結果
投票総数:1,463,499 (63.21%)(第1回投票)、1,563,071 (67.04%)(第2回投票)
候補者と所属政党 | 第一回投票での得票数 | 得票率(%) | 第二回投票での得票数 | 得票率(%) |
---|---|---|---|---|
ロベルト・コチャリアン(無所属) | 710,674 | 49.48 | 1,044,591 | 67.45 |
ステパン・デミルチアン(アルメニア人民党) | 399,757 | 28.22 | 504,011 | 32.55 |
アルタシェス・ゲガミアン(国民の統一) | 250,145 | 17.66 | ||
アラム・カラぺティアン(無所属) | 41,795 | 2.95 | ||
ヴァズゲン・マヌキアン(国民民主連合) | 12,904 | 0.91 | ||
ルベン・アヴァギアン(統一アルメニア人党) | 5,788 | 0.41 | ||
アラム・サルキスィアン(アルメニア民主党) | 3,034 | 0.21% | ||
ガルニク・マルカリアン(祖国と尊厳) | 1,272 | 0.09 | ||
アラム・ハルテュニアン(国民協調党) | 854 | 0.06 |
・2008年2月19日実施の選挙結果
投票総数:1,668,464 (72.14%)
候補者と所属政党 | 得票数 | 得票率(%) |
---|---|---|
セルジュ・サルキスィアン(アルメニア共和党) | 862,369 | 52.82 |
レヴォン・テル=ペトロスィアン(無所属) | 351,222 | 21.50 |
アルトゥル・バグダサリアン(法治国家) | 272,427 | 17.70 |
ヴァハン・ホヴァニスィアン(ダシュナク党) | 100,966 | 6.20 |
ヴァズゲン・マヌキアン(国民民主連合) | 21,075 | 1.30 |
ティグラン・カラぺティアン(人民党) | 9,792 | 0.60 |
アルタシェス・ゲガミアン(国民の統一) | 7,524 | 0.46 |
アルマン・メリキアン(無所属) | 4,399 | 0.27 |
アラム・ハルテュニアン(国民協調党) | 2,892 | 0.17 |
・2013年2月18日選挙
投票総数:1,519,603 (60.09%)
候補者と所属政党 | 得票数 | 得票率(%) |
---|---|---|
セルジュ・サルキスィアン(アルメニア共和党) | 861,160 | 58.64 |
ラフィ・ホヴァニスィアン(遺産) | 539,672 | 36.75 |
フラント・バグラティアン(自由党) | 31,643 | 2.15 |
パルイル・ハイリキアン(国民自決同盟) | 18,093 | 1.23 |
アンドリアス・グカスィアン(無所属) | 8,328 | 0.57 |
ヴァルタン・セドラキアン(無所属) | 6,203 | 0.42 |
アルマン・ミカエリアン(無所属) | 3,516 | 0.24 |
参照
- G.E.Curtis ed., Armenia, Azerbaijan, and Georgia: country studies, Washington D.C., 1995
- http://www.parliament.am/
- http://www.elections.am/Default.aspx
- http://www.ipu.org/parline-e/reports/2013_arc.htmhttp://www.electionguide.org/
レバノン/選挙
上述のようにレバノンでは宗派主義制度に基づく特殊な形態の議会制民主主義が採用されており、立法府たる国民議会は一院制で総議席数は128(内戦以前は99)、議席配分は宗派ごとに予め設定されている(表を参照)。任期は4年である。内戦終結以降、これまでに6度の国政選挙が行われた(1992年、1996年、2000年、2005年、2009年、2018年)。
選挙制度については宗派主義に基づく特殊な形態の大選挙区制(定数は2~10)が採用されており、議席は宗派ごとの定数内で相対多数を獲得した候補者に与えられる。有権者は候補者個人に投票し、定数の上限まで投票することができる。選挙区割りに関しては、「選挙区は県を単位とする」と明確に規定されているにもかかわらず、実際には有力者たち――シリア軍・治安部隊による実効支配期(1986~2005年)においてはシリア当局、それ以降はレバノン政界における有力政治家たち(派閥の領袖クラス)――にとって有利になるよう選挙ごとに恣意的に操作されてきた。特に2000年の第16期国民議会選挙における選挙法は「ガーズィー・カナアーン1の法」としばしば呼ばれ、これは操作次第では親シリアの政治家にとって極端に有利となり得る仕組みであった。
有権者(21歳以上)は各選挙区において、自らが属する宗派以外の候補者(25歳以上)を含む定数分の候補者に投票する権利を有している。例えば2009年選挙においては、ベイルート県第三区の定数は10(スンナ派5、シーア派1、ドルーズ派1、ギリシャ正教1、福音派1、マイノリティ1)であり、有権者は割当議席数分の投票権(同選挙区では10票)を持つ。なお有権者は、定数分の投票権を有するも、それに満たない数の票を投じることも可能となっている(例えば、どうしても他宗派の事情は分からないという有権者は、自宗派分の票のみを投ずるだけでも良い)。
投票の結果、各宗派内で相対多数の票を獲得した候補者が当選を果たす。これは換言すれば、候補者にとってライバルは他宗派にではなく自宗派内に存在することを意味する。こうしたことから、各候補者は当選を確実にするために自らの宗派を超え、同一選挙区で他宗派に属する有権者からの票をあまねく獲得する必要性が生じてくる。それゆえに各政治主体は、他宗派からの得票を目指し、しばしば政策やイデオロギーを無視したかたちで宗派横断的な選挙協力――ないしは「選挙前談合」――を企てるのである。この帰結が、選挙公示後に各選挙区で作成される選挙リストである。
選挙リストとは、各選挙区に割り当てられた総議席数分を、議席が配分されている各宗派の候補者を網羅するかたちである種の大連合を形成した、「セットメニュー」のようなものだと考えればよいだろう。
選挙前談合によってリストを作成するに際しては、政策的・イデオロギー的親和性とは全く無関係の次元、すなわち選挙に出馬する各ザイームが動員可能な票の数と資金力、ならびにザイーム同士で選挙戦以前に行っていた非公式・水面下の「約束」が鍵となる。前節で確認したように、レバノンにおけるザイーム支配は伝統的かつ非常に強固であり、こうした支配構造の下、有権者はもっぱら「政策」ではなく「人物」に票を投じる(より正確には、投じざるを得ない)。それゆえ、各選挙区の登録有権者数と照らし合わせることで、選挙時に各々のザイームが動員可能な票の数は事前に概ね予想がつく。そこで、派閥の領袖であるアクタブは、各選挙区の事情とそれぞれのザイームの集票能力等を勘案し、選挙前談合によって他のアクタブと取引・調整を行ったり、選挙後のブロック形成や組閣作業といった政治過程に関する非公式な水面下の「約束」を取り決めたりすることで、リストを作成していく。またその際に、事実として立証することは非常に困難ではあるものの、買収や賄賂といった形で多額の不透明な資金が流れていることは、選挙戦を実際に観察していれば容易に想像がつく。
こうした過程によってリストが作成されるため、各立候補者の当落は選挙前にほぼ予想でき、実際に、たとえば2009年選挙ではおよそ128議席中110議席は選挙前に予め結果が予想できた。それゆえ有力政治家たちは自身の当選の正当性を高めるべく「高い投票率」と「盛り上がり」を国内外に演出するために、ただ挑発的な言動で有権者の「宗派対立」を煽ったり巨額の資金をばらまいたりすることで、投票所や街頭に人を集めるだけでよいことになる。
なお、2018年選挙では選挙制度が改正され、それまでの大選挙区制・複数記入制から15選挙区での比例制に変更された。これによって事前の予測通り、ヒズブッラーと同党と連携する諸派の議席が伸び、他方でムスタクバル運動の議席が減少する結果となった。ただし、レバノンでは、結局、個々の候補者が属する政党、選挙の際に組まれる選挙リスト、そして選挙後の議会で編成される会派がそれぞれまったくの別物であり、政策やイデオロギーなどとは関係なくその時々の政局次第でいくらでも呉越同舟が成立する。ゆえに、選挙の結果を見ただけではその後の政治過程を予測することはほとんど不可能であると言える。
パキスタン/選挙
1970年以降の下院選挙実施年と第1党は【表1】のとおり。1970年は、バングラデシュ独立前年にあたり、のちにバングラデシュとして独立する東パキスタンの最大政党アワーミー連盟が最大議席を獲得した。また1985年と2002年の選挙は、事実上軍事政権下で行われ、軍事政権支持の政党が第1党となった。PPPが与党となった4回の選挙では、ズルフィカル・アリー・ブットーとベーナズィール・ブットー父娘が政権を取り、1990年以降でPMLが与党となった3回の選挙ではナワーズ・シャリーフが首相となっている。大地主と大資本家である党首が率いる二大政党のみが長くパキスタンの民主化時代を担ったことがわかる。この二大政党には汚職と縁故主義が付きまとい、国民の間に民主政治への不信を生んできた。2018年に初めて与党の座についたPTIは、初めて地主でも資本家でもない人物が、パキスタン政治の刷新と公正を旗印に掲げたことに、多くの支持が集まった。
また、2018年9月には大統領が任期を終え、上下両院と州議会議員による大統領選挙が行われた。PTIのアリフ・アルヴィ、MMAのファズルル・ラフマーン、PPPのエーティザズ・アハサンの3人が立候補し、アリフ・アルヴィが53%の票を獲得して当選し、9日に宣誓式を行なって第13代大統領に就任した。
実施年 | 第1党 | |
---|---|---|
1 | 1970 | アワーミー連盟AL: Awami League |
2 | 1977 | パキスタン人民党PPP: Pakistan Peoples Party |
3 | 1985 | パキスタン・ムスリム連盟PML: Pakistan Muslim League |
4 | 1988 | パキスタン人民党PPP |
5 | 1990 | イスラーム民主同盟IJI: Islami Jamhoori Ittehad(中心はPML) |
6 | 1993 | パキスタン人民党PPP |
7 | 1997 | パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派PMLN: Pakistan Muslim League (Nawaz) |
8 | 2002 | パキスタン・ムスリム連盟カーエデアーザム派PML-Q: Pakistan Muslim League (Quaid-i-Azam) |
9 | 2008 | パキスタン人民党PPP |
10 | 2013 | パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派PMLN |
11 | 2018 | パキスタン正義運動党PTI: Pakistan Tehriq-e-Insaaf |
2006年 | 2009年 | 2012年 | 2015年 | 2018年 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
PTI | – | 0 | 6 | 17 | ||
PML-N | 21 | 16 | 26 | 30 | ||
PPP | 27 | 40 | 27 | 20 | ||
MMA | 9 | 6 | ||||
MQM-P | 6 | 7 | 8 | 5 | ||
ANP | 6 | 12 | 7 | 1 | ||
BAP | 11 | |||||
BNP-M | 2 | 11 | ||||
PMAP | 1 | 2 | ||||
NP | 1 | 5 | ||||
GDA | 1 | |||||
IND | 13 | 5 |
政党名 | 政治的立場 | 党首 | 2002年 | 2008年 | 2013年 | 2018年 |
---|---|---|---|---|---|---|
パキスタン正義運動党(PTI) | 中道 | Imran Khan | 1 | – | 28 | 156 |
パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N) | 中道右派 | Shehbaz Sharif | 19 | 89 | 166 | 82 |
パキスタン人民党(PPP) | 中道左派 | Bilawal Bhutto Zardari | 81 | 118 | 33 | 55 |
統一民族運動 (MQM) | 左派 | Altaf Husain | 13 | 25 | 24 | – |
統一民族運動パキスタン派(MQM-P) | 左派 | Khalid Maqbool Siddiqui | – | – | – | 7 |
パキスタン・ムスリム連盟(PML-Q) | 中道右派 | Shujaat Hussain | 142 | 60 | 2 | 5 |
統一行動評議会(MMA) | 極右 | Fazl-ur-Rehman | 63 | 8 | 14 | 16 |
パフトゥンハー大衆党(PMAP) | 左派 | Mahmood Khan Achakzai | 1 | 0 | 3 | 2 |
アワーミー国民党(ANP) | 左派 | Asfandyar Wali Khan | – | 13 | 2 | 1 |
バロチスタン民族党(BAP) | 中道 | Jam Kamal Khan | – | – | – | 5 |
バロチスタン国民党(メンガル派)(BNP-M) | 中道右派 | Akhtar Mengal | 0 | 1 | 0 | 4 |
アラブ首長国連邦/選挙
UAEでは、FNCでこれまでに4回(2006年、2011年、2015年、2019年)の選挙が実施されている。また地方レベルでは、シャルジャ諮問評議会(al-Majlis al-Istishārī al-Imāra al-Shārqa/Consultative Council of Sharjah)でも2015/16年と2019年に選挙が実施された。
FNC選挙制度
選挙はFNC40議席の半数にあたる20議席を対象に各首長国で実施される。2019年選挙時点において完全な普通選挙は実施されていない。それぞれの首長国で首長が選挙人団(al-Hay’a al-Intikhābīya/Electoral College)を選出し、リストに登録されたUAE国民だけが投票および立候補の資格を有することになる。選挙人団の数は、各首長国がもつ配分議席の300倍以上(2006年は100倍以上)と定められており、上限はない。現在のところ、各首長による選挙人団選出過程は、選挙権・被選挙権をめぐる事実上の事前審査となっている。
選挙人団に選出された者は、選挙への立候補が認められ、審査手続きを経て正式な出馬となる。被選挙権は憲法第70条によって定められており、①UAE国民であること、②25歳以上、③品行方正で犯罪歴がないこと、④読み書きのできる者、となっている。また議員就任中は閣僚を含む他の公的な役職との兼任が禁止されている。
選挙期間や活動規定などは、国家選挙委員会が別途定めている。国家選挙委員会は関係省庁大臣や事務次官、有識者などから構成されており、各首長国にも支部が設置される。同委員会は選挙の円滑な実施を管理するとともに、国民への選挙啓発キャンペーンなども行う。
有権者は1人1票を、選挙人団として登録されている首長国の候補者へ投票することができる(ただし、2006年選挙と2011年は1人4票まで投票することができた)。投票は秘密投票で、2006年および2011年選挙はコンピュータ上で候補者を選択して投票用紙に出力し、それを投票した。2015年選挙からは完全な電子投票に変更されている。投票所は各首長国に設置され、主要な公的施設やショッピングセンターなどが利用されている。即日開票され、同日中に当選者が明らかになる。当選者が発表されたあと、落選者は48時間以内に選挙管理委員会に異議申し立てを行うことができる。その後、異議の審査を経て最終的な当選確定リストが発表される。
第1回FNC選挙(2006年)
UAE史上初となるFNC選挙は、2006年12月に実施された。選挙実施に至る経緯を整理すると、連邦最高評議会が8月10日に決定2006年第4号を発布し、FNC議員の選出方法について改めた。これにより、各首長国に割り当てられた議員の半数は選挙人団から選出されることになり、また選挙人団の数は各首長国の割り当て議席の100倍以上とした。そして、残りの議席については、首長による勅撰とすることが定められた。8月15日には大統領決定2006年第3号が発布され、議員選出の手続きが定められ、国家選挙委員会が組織される。そして、10月1日に選挙人団が発表され、UAE人口(当時)の約0.8%にあたる6,595人(うち女性は1,162人)が選挙人団に選出された。
具体的な選挙プロセスは11月になって本格化した。11月19日から22日にかけて立候補者登録が行われ、資格審査を経て11月30日に最終的な候補者リストが発表された。その結果、456人(うち女性は65人)が選挙に立候補することになった。12月1日から2週間の選挙キャンペーンが行われ、各候補者はポスター、新聞広告、メディア、インターネットを使って選挙戦を展開した。また国家選挙委員会も、国民全体に選挙についての意義を伝えるべく、啓発活動を行った。なお、選挙キャンペーン中に18人が立候補を取りやめて選挙戦から撤退している。
投票は3日間にわたり行われた。12月16日にアブダビとフジャイラで、18日にドバイとラアアス・アル=ハイマで、20日にシャルジャ、アジュマーン、ウンム・アル=クワインで投票が行われた。選挙の結果、女性1名(アブダビ)を含む20人がFNC議員として当選した。投票率は、UAE全体で74%となっている。
第1回目の選挙は直接投票に参加できた人数が、国民人口に比してあまりに小さいため、政治参加を求める市民からは大きな不満が出た。また、FNCにはそもそも立法権が付与されていないので、選挙実施の意義についても問われた。最も大きな問題は、選挙への関心が一部の層に留まっていたことであり、国民全体の政治的関心の低さも指摘されている。
首長国 | 選挙議席数 | 選挙人団 (人) | 立候補者数 [女性](人) | 投票者数 (人) | 投票率 |
---|---|---|---|---|---|
アブダビ | 4 | 1,741 | 100[14] | 1,038 | 59.6% |
ドバイ | 4 | 1,520 | 82[15] | 1,080 | 71.1% |
シャルジャ | 3 | 1,017 | 101[29] | 836 | 82.2% |
ラアス・アル=ハイマ | 3 | 1,061 | 83[3] | 823 | 77.6% |
アジュマーン | 2 | 436 | 24[2] | 371 | 85.1% |
ウンム・アル=クワイン | 2 | 403 | 29[1] | 358 | 88.8% |
フジャイラ | 2 | 417 | 37[1] | 377 | 90.4% |
合計・平均 | 20 | 6,595 | 456[65] | 4,883 | 74.0% |
第2回FNC選挙(2011年)
2008年に憲法改正が行われ、FNC議員の任期がそれまでの2年から4年へ延長された。これにともない、第2回FNC選挙は2011年に行われた。この年、中東諸国は「アラブの春」による政治変動の影響を受けており、UAEでも政治改革を求める建白書が改革派から大統領と首長宛に提出された。建白書では包括的な政治改革の必要性を訴えており、とくに普通選挙の実施とFNCへの立法権の付与を求めていた。第2回選挙では、改革派が求めたいずれの主張についても受け入れられなかったものの、選挙人団については「各首長国の割り当て議席の300倍以上」へと大幅に引き上げられた。その結果、13万人近い国民が選挙人団として登録され、女性も46%を占めた。
2011年2月にFNC会期が終了すると、9月24日に第2回選挙の投票が行われることが発表された。国家選挙委員会は2011年7月10日、全国で129,274人の選挙人団が登録されたことを発表した。国家選挙委員会はその後、各地で選挙人団に対する説明会を実施し、8月中旬から立候補の受け付けが始まった。全国で469人(うち女性は85人)の立候補があったが、最終的に19人の立候補を取りやめている。9月4日から選挙戦が始まり、候補者は新聞広告やインターネット、SNSなどを駆使して選挙キャンペーンを行った。しかしながら、FNCの政治的権限が制限されていることもあり、候補者の公約は総花的で具体性に欠けるものであった。そのため、有権者である選挙人団の反応は芳しくなかった。投票直前の週には、ハリーファ大統領ら政府首脳が選挙人団に投票を促す異例の声明が発表されるほどであった。
9月24日に全国で投票が行われ、翌25日に女性1人を含む20人の当選が発表された。投票率は全国平均で27.8%と非常に低かった。また前回に続き、選挙議席数の数十倍もの立候補があったため、票が分散して大量の死票が発生した。その一方で、アブダビでは4議席中3議席をアーミリー部族の出身者が当選し、アジュマーンもシャームシー部族が2議席を獲得するなど、特定部族による議席の独占が見られた。このように、UAEでは「アラブの春」において政治改革を求める声は上がったものの、それらの意見は一部に留まっており、低い投票率からは一般国民の薄い政治的関心が示唆される。
首長国 | 選挙議席数 | 選挙人団 (人) | 立候補者数 [女性](人) | 投票者数 (人) | 投票率 |
---|---|---|---|---|---|
アブダビ | 4 | 47,444 | 117[22] | 10,109 | 21.3% |
ドバイ | 4 | 37,514 | 124[26] | 9,268 | 24.7% |
シャルジャ | 3 | 13,937 | 94[16] | 5,890 | 42.3% |
ラアス・アル=ハイマ | 3 | 16,850 | 60[9] | 5,085 | 30.2% |
アジュマーン | 2 | 3,920 | 34[5] | 1,562 | 39.8% |
ウンム・アル=クワイン | 2 | 3,285 | 19[4] | 1,796 | 54.7% |
フジャイラ | 2 | 6,324 | 21[3] | 2,167 | 34.3% |
合計・平均 | 20 | 129,274 | 469[85] | 35,877 | 27.8% |
第3回FNC選挙(2015年)
第3回FNC選挙の準備は、2015年2月頃から始まった。4月29日には同年10月3日に投票を実施することが発表され、また投票数も従来の1人4票から1票へと変更された。国家選挙委員会は、前回選挙時の投票率の低さを反省し、各地でセミナーを実施したりメディアやSNSを通じた広報活動が強化された。投票率の向上を目指すため、今回の選挙から在外投票と期日前投票も導入されている。
国家選挙委員会は7月5日、選挙人団の規模について前回より約10万人多い224,279人とすることを発表した。8月13日に公示が行われ、同16日から立候補者の登録が行われた。そして、8月31日に341人の立候補者(うち女性は76人)が発表された。本来であれば9月6日から選挙戦が始まる予定であったが、この直前にイエメンに駐留するUAE軍兵士45人がフーシー派の攻撃により戦死する出来事があったため、選挙戦の開始は8日に延期された。
今回から導入された在外投票は、各国の在外公館で9月20日から21日にかけて実施された。また期日前投票は各首長国の主要投票所で、9月28日から30日まで行われている。そして10月3日の投票日には、全国39か所で投票が行われた。2015年選挙からIDカードを用いた電子投票システムが導入されたことにより、投票が締め切られてから30分程度で開票結果が発表された。ドバイでは現職議員2名が再選を果たすなど、議員活動の実績が評価されている様子が伺えた。また、第3回選挙でも女性の候補者は苦戦し、ラアス・アル=ハイマで1人の女性候補者が当選するに留まった。懸念されていた投票率は前回選挙に比べてわずかに上向いた。投票者の半数が在外投票や期日前投票を利用しており、新制度の導入が投票率の向上に有効であったと言える。
首長国 | 選挙議席数 | 選挙人団 (人) | 立候補者数 [女性](人) | 投票者数 (人) | 投票率 |
---|---|---|---|---|---|
アブダビ | 4 | 90,408 | 96[24] | 35,046 | 38.8% |
ドバイ | 4 | 53,568 | 62[22] | 11,760 | 22.0% |
シャルジャ | 3 | 31,766 | 61[11] | 9,585 | 30.2% |
ラアス・アル=ハイマ | 3 | 27,455 | 41[5] | 11,444 | 41.7% |
アジュマーン | 2 | 6,090 | 23[4] | 2,965 | 48.7% |
ウンム・アル=クワイン | 2 | 4,105 | 20[3] | 2,882 | 70.2% |
フジャイラ | 2 | 10,887 | 38[7] | 5,475 | 50.3% |
合計・平均 | 20 | 224,279 | 341[76] | 79,157 | 35.3% |
第4回FNC選挙(2019年)
第4回FNC選挙では、女性の政治参加が積極的に推進された。ハリーファ・ビン・ザーイド大統領は2019年6月22日に大統領決定2019年第1号を発布し、FNC議員の半数を女性にすることを義務付けたのである。選挙・勅選による女性議員の選出方法については各首長国に任せられ、アブダビ、ドバイ、アジュマーン、ウンム・アル=クワイン、フジャイラでは選挙議席の半数(2議席)を女性に割り当てた。またシャルジャとラアス・アル=ハイマでは、選挙での女性枠は設けず、もし選挙によって女性が当選しない場合は首長が任命することになった。
国家選挙委員会は6月30日、第4回FNC選挙の選挙人団を337,738人とすることを発表した。8月18日から22日にかけて立候補の受け付けが行われ、9月3日に495人の立候補(うち女性は180人)が発表された。女性議員増加の方針を受けて、女性立候補者の数も前回選挙の22%から36%へと増えた。例年通り、少ない議席数に対して多くの候補者が乱立したため、票が割れることが想定された。選挙キャンペーンは9月9日から10月4日まで行われ、今回からは投票日前日までの選挙活動が認められるようになった。
投票は在外投票から行われ、9月22日から23日にかけて世界118か所の在外公館などで投票が行われた。その後、10月1日から3日にかけて期日前投票が行われる。そして、10月5日に国内39か所で投票が行われた。投票者数は選挙人団の拡大により増加したものの、投票率は全国平均で34.8%と前回の35.3%より微減した。アブダビやドバイに比べると、北部首長国の投票率が全体的に高かったのが特徴である。投票の結果、ドバイとフジャイラでは現職議員がそれぞれ1人ずつ再選を果たした。また女性候補者は、アブダビ、ドバイ、アジュマーン、ウンム・アル=クワイン、フジャイラで7人誕生した。シャルジャおよびラアス・アル=ハイマにおいて女性の当選はなかった。その後、首長によって女性議員が3人ずつ任命されている。なお、シャルジャで首長により任命された女性議員は、選挙で敗れはしたものの得票数が上位の3人であったことから、結果として「民意」が反映されたことになる。
首長国 | 選挙議席数 | 選挙人団 (人) | 立候補者数 [女性*](人) | 投票者数 (人) | 投票率 |
---|---|---|---|---|---|
アブダビ | 4 | 101,549 | 133[47] | 35,790 | 35.2% |
ドバイ | 4 | 60,772 | 88[37] | 12,891 | 21.2% |
シャルジャ | 3 | 64,293 | 114[39] | 22,451 | 34.9% |
ラアス・アル=ハイマ | 3 | 55,289 | 61[20] | 22,172 | 40.1% |
アジュマーン | 2 | 10,165 | 26[5] | 4,393 | 43.2% |
ウンム・アル=クワイン | 2 | 6,653 | 20[8] | 3,778 | 56.8% |
フジャイラ | 2 | 39,017 | 53[20] | 16,117 | 41.3% |
合計・平均 | 20 | 337,738 | 495[176] | 117,592 | 34.8% |
第4回FNC選挙(2019年)
シャルジャ諮問評議会選挙
シャルジャ諮問評議会は、1999年に設置されたシャルジャ首長国に関する行政、社会、文化、経済開発に関して諮問する機関である。また首長国内で施行される法律を策定する立法権も有している。スルターン・カースィミー首長が2015年6月に選挙の実施を発表した。諮問評議会の議席の半分を選挙で選出し、残りの議席を首長の任命によって選出する。21歳以上のシャルジャ市民の男女が選挙人団として登録することができ、25歳以上が選挙に立候補することができる。議員の任期は4年で、これまでに2015/16年と2019年に選挙が実施されている。選挙区と議席の割り当ては、シャルジャ市(6議席)、アル=ザイド市(3議席)、ハウル・アル=ファカーン市(3議席)、カルバー市(3議席)、ディッバ・アル=ヒスン(2議席)、アル=マダーム(1議席)、アル=ハムリーヤ(1議席)、アル=バターイフ(1議席)、マライハ(1議席)となっている。なお、2019年選挙では定数が50議席に増やされ、これに伴いシャルジャ市(9議席)とアル=マダーム(2議席)の議席数が変更された。
第1回選挙(2015/16年)は、42議席の半分が選挙によって争われた。2015年12月6日から17日にかけて選挙人団の登録が行われ、21歳以上人口の78,457人のうち、31.8%にあたる24,952人(男性13,794人、女性11,158人)が登録された。その後12月27日から29日かけて立候補受付が行われた。そして、2016年1月12日に最終候補者リストが発表され、各選挙区から合計195人(うち女性は43人)が立候補した。1月17日から28日かけて選挙キャンペーンが行われ、1月30日と31日に投票が行われた。女性候補者はハムリーヤ選挙区で1人が当選したのみで、後日スルターン首長が6人の女性を勅撰議員として任命した。
選挙区 | 選挙議席数 | 選挙人団 (人) | 立候補者数 | 投票者数 (人) | 投票率 |
---|---|---|---|---|---|
シャルジャ市 | 6 | 9,937 | 92 | 5,742 | 57.8% |
アル=ザイド市 | 3 | 1,368 | 11 | 1,039 | 76.0% |
ハウル・アル=ファカーン市 | 3 | 4,944 | 30 | 3,488 | 70.6% |
カルバー市 | 3 | 3,759 | 23 | 2,717 | 72.3% |
ディッバ・アル=ヒスン市 | 2 | 1,862 | 10 | 1,359 | 73.0% |
アル=マダーム | 1 | 1,087 | 8 | 880 | 81.0% |
アル=バターイフ | 1 | 620 | 6 | 416 | 67.1% |
マライハ | 1 | 854 | 9 | 749 | 87.7% |
アル=ハムリーヤ | 1 | 521 | 6 | 406 | 77.9% |
合計・平均 | 21 | 24,952 | 195 | 16,796 | 67.3% |
合計・平均 | 21 | 24,952 | 195 | 16,796 | 67.3% |
第2回選挙(2019年)は諮問評議会の定数が50議席に増えたことにより、その半数の25議席が選挙で争われることになった。2019年9月1日から選挙人団の登録がオンライン上で始まり、同15日からは各地での登録も行われた。登録作業は9月30日まで続けられ、44,758人が選挙人団として登録された。10月9日に告示が行われ、10月20日から22日にかけて立候補者の受け付けが行われた。そして、10月31日に最終候補者リストが発表され、189人(うち女性は41人)が立候補した。選挙戦は11月3日から18日にかけて行われ、投票は11月20日から23日にかけて実施された。なお、今回の選挙から電子投票・集計システムが導入されている。投票終了後から開票作業が行われ、翌11月24日に当選結果が発表された。今回の選挙において女性議員は、シャルジャ市、バターイフ、ハムリーヤでそれぞれ1人ずつの当選があった。
選挙区 | 選挙議席数 | 選挙人団 (人) | 立候補者数 | 投票者数 (人) | 投票率 |
---|---|---|---|---|---|
シャルジャ市 | 9 | 19,074 | 69 | 9,613 | 50.4% |
アル=ザイド市 | 3 | 2,273 | 13 | 1,733 | 76.2% |
ハウル・アル=ファカーン市 | 3 | 8,401 | 36 | 5,634 | 67.1% |
カルバー市 | 3 | 7,117 | 21 | 4,090 | 57.5% |
ディッバ・アル=ヒスン市 | 2 | 3,659 | 17 | 2,567 | 70.2% |
アル=マダーム | 2 | 1,491 | 12 | 1,007 | 67.5% |
アル=バターイフ | 1 | 797 | 6 | 581 | 72.9% |
マライハ | 1 | 1,240 | 9 | 963 | 77.7% |
アル=ハムリーヤ | 1 | 706 | 6 | 412 | 58.4% |
合計・平均 | 25 | 44,758 | 189 | 26,600 | 59.4% |
参考文献
- 堀拔功二 2011. 「アラブ首長国連邦」松本弘(編)『中東・イスラーム諸国民主化ハンドブック』明石書店, pp. 338-353.
- 堀拔功二 2012. 「UAEにおける国民と政治参加―2011年連邦国民評議会選挙の分析を中心に―」『UAE』51: 14-17.
- 堀拔功二 2016. 「SNSとマジュリスの選挙戦――第3回連邦国民評議会選挙を振り返る」『UAE』59: 11-15.
- 堀拔功二 2018. 「第7次ムハンマド内閣の発足――2071年に向けた長期的布石――」『UAE』63: 1-5.
- 堀拔功二 2020. 「第4回連邦国民評議会選挙を読む」『UAE』67: 1-4.
- 堀拔功二 2020. 「アラブ首長国連邦」日本エネルギー経済研究所中東研究センター(編)『JIME中東基礎講座2020年版』, pp. 44-50.
- 堀拔功二 2021. 「UAEのポスト・コロナ時代を見据えた政府機構改革と第8 次ムハンマド内閣の発足」『UAE』69: 2-6.
- Consultative Council of Sharjah. 2016. Dhikrayāt Intikhābīya.<https://www.ccsharjah.gov.ae/Website/PDFView/get_pdf/Q291bmNpbFB1YmxpY2F0aW9ucw==1/Y2NzUHVibGljYXRpb25fMTkzMDEucGRm1>
- Consultative Council of Sharjah. 2019. Dhikrayāt Intikhābīya 2019. <https://www.ccsharjah.gov.ae/Website/PDFView/get_pdf/Q291bmNpbFB1YmxpY2F0aW9ucw==1/Y2NzUHVibGljYXRpb25fMTYzOTI5Mzk2MC5wZGY=1>
- Higher Committee for Sharjah Consultative Council Elections <https://eccs.shj.ae/shjElection/>
- Sharjah Consultative Council <https://www.ccsharjah.gov.ae/>
- UAE Cabinet “The Constitution” <https://uaecabinet.ae/en/the-constitution>
- UAE Ministry of Justice “Laws and Legislation Portal” <https://elaws.moj.gov.ae/engLEGI.aspx>
- UAE Ministry of State for Federal National Council Affairs <https://www.mfnca.gov.ae/en/>
- UAE National Election Committee <https://uaenec.ae/>
- UAE現地新聞各紙
クウェート/選挙
概要
クウェートでは1963年の第1回国民議会選挙から、直近の2020年12月選挙までに16回、憲法裁判所の違憲判断により無効となった2012年2月選挙と2012年12月選挙も含めると18回の国政選挙が実施されている。この他、議会解散・憲法停止中の1990年6月に立法権のない諮問評議会選挙が実施された。女性参政権は1999年に首長令によって付与されたものの議会で承認されず、その後、2005年に選挙法の改正が議会で承認されたことで認められ、2006年6月選挙で実現した。女性議員は2009年5月選挙で初めて4名選出されたが、2016年11月選挙では1名のみ、直近の2020年12月選挙では0となった。
選挙制度
国民議会の議員定数は憲法で50名と定められている。選挙法(法律1962年第35号)に基づく選挙制度は、10選挙区、各定数5の完全連記制であった。1980年に首長令により改正され、25選挙区、各定数2の完全連記制となり、1981年選挙から2006年選挙まで適用された。1980年の改正は、1981年に議会を再開するにあたって、あらかじめ政府側が安定的に過半数を維持できるよう、首長および首長家に忠誠を誓う部族代表の当選を容易にし、他方でイラン革命の影響を受けて政治的要求を強めるシーア派住民の代表の当選を抑えるべく、選挙区を街区単位で細分化したものであった。しかし、当選に必要な最低得票数が少ないため、票の買収が容易で横行する、議員の関心が街区への住民サービスや利益誘導に偏る、人口動態の変化で一票の格差が最大6倍を超えるなど弊害が目立ったことから、選挙法改正の議論が本格化し、2006年6月選挙の争点となった。
2006年選挙の結果、野党側が推す改正案が通り、5選挙区、各定数10、4名までの制限連記制となり、2008年5月選挙から2012年2月選挙まで適用された。選挙区の統合拡大により当選に必要な最低得票数が引き上げられ、1票の格差も約2倍に緩和された。選挙制度は野党有利に働き、議員の議会活動の活発化につながったが、それによって政府と議会の対立も深刻化した。2012年10月には緊急法令(首長令)により投票方法が4名までの制限連記制から1人1票の単記非移譲式に変更された。
選挙権は21歳以上のクウェート人にあり、毎年2月に有権者登録が行われる。被選挙権は憲法で30歳以上とされており、アラビア語の読み書き能力が十分にあることが必要である。軍人と警察官は選挙権・被選挙権とも行使できない。また、帰化による国籍取得者も国籍取得後20年間は選挙権・被選挙権とも行使できない。首長家一族は選挙権・被選挙権の行使を法的に制限されておらず、投票は行うが立候補はしないことが慣例となっている。女性参政権は上述の通り2006年6月選挙で実現した。期日前投票制度は無い。在外投票制度は2020年12月で実現した。
選挙管理に関しては、最高司法評議会により最高選挙管理委員会が設置され、各投票所では裁判官が選挙管理の責を担い、会場設営や有権者登録の確認などの手続きは内務省選挙局の職員が担当する。立候補の登録は2020年12月選挙から、それまでの50KD(クウェート・ディーナール)から500KDへと大幅に引き上げられた。予備選挙は禁止されているが、部族単位で、部族代表の選出と本投票における票割のために予備選挙が公然と行われている。選挙活動について、活動資金の規制や支出内訳報告義務は無い。屋外広告掲示については、交通の妨げにならない範囲で規制されているが、新聞広告やテレビのスポットCM出稿に規制はない。選挙活動は投票日前日の午後8時までとなっているが、実際は投票日当日にも投票所周辺で運動員や候補者本人が投票を呼びかける様子が見られる。
補欠選挙 2021年5月22日投開票
第5選挙区選出のバドル・ダーフーム議員が憲法裁判所により議員資格無効の決定を下され、マルズーク・ガーニム議長により議員資格喪失・失職を宣言されたことにより実施された。選挙は2021年4月13日に公示され、15名が立候補を届け出た。バドル・ダーフームの代理として、2012年2月議会の議員であったクウェート大学法学部教授のオベイド・ワスミーUbayd al-Wasmiが野党統一候補に推されて立候補した。野党側は、憲法と議会を弱体化させる試みに対し、民衆から拒否を突きつけようとキャンペーンを展開した。投票率が28%であったにもかかわらず、オベイド・ワスミーは投票者の約9割からクウェート議会選挙史上最多得票となる43801票を獲得して当選した。
- 有権者数 男性84,777名 女性81,445名 計165,222名
- 立候補者数 15名
- 投票率 28%
第16回選挙 2020年12月5日投開票
2003年以来、(1999年議会以来)の任期満了にともなう選挙となった。2020年9月にサバーフ首長が亡くなったことによる服喪期間のため、当初の予定より1カ月ほど遅れて実施された。19名が再選、7名の元職が復帰。ムスリム同胞団の政治団体であるイスラーム立憲運動(ICM)が3議席を獲得。シーア派議員は6名が当選。女性の当選は0。
- 有権者数 男性273,940名 女性293,754名 計567,694名
- 立候補者数 326名(うち女性33名)
- 投票率 69.4%
選挙の結果は、野党優位の議会構成となった。選挙後、政府の意向に従うマルズーク・ガーニムの議長再選を阻むべく、36名(途中参加を含めて38名との報道もあり)の議員が会合を持ち、新議長候補として元公共事業大臣のバドル・フマイディーBadr al-Humaidiに投票することに37名の議員が合意した。しかし、実際の議長選では両名併記の無効票が3票あり、バドル・フマイディーの得票は28票にとどまり、34票を獲得したマルズーク・ガーニムが議長に再選された。議長選でバドル・フマイディーに投票した議員は野党として結束を深めつつあり、大臣を含む総議員の絶対過半数には届かないものの、民選議員の過半数を占めているため、大臣に対する不信任決議案が提出された場合の対応で政府側が不利な状況となっている。
第15回選挙 2016年11月26日投開票
石油価格の下落に伴う緊縮財政の一環として、補助金削除とガソリン価格の引き上げを図る政府に対し、野党議員が批判を強め、財務大臣と司法大臣に辞任を求めて不信任決議案の前段階となる問責質問を求めたことで、サバーフ首長は2016年10月19日に議会を解散した(公式には安全保障上の理由として解散)。投票方式の変更(4人までの制限連記制から単記非移譲式への変更)とその手続きについて異議を唱え、2012年12月選挙と2013年7月選挙をボイコットしていた野党勢力が復帰参加したことにより、投票率が過去2回に比べ大きく上昇した。
- 有権者数 男性230,430名 女性252,756名 計483,136名
- 立候補者数 293名(うち女性14名)
- 投票率 70%
選挙結果について、野党側は24議席を獲得した。ムスリム同胞団の政治団体であるイスラーム立憲運動(ICM)が4議席を獲得した。議員全体では20名が再選を果たした。シーア派議員は6名が当選。女性の当選は1名であった。有力部族の代表が議席を減らす一方、30歳で歴代最年少議員となるナセール・ドゥサリーNasir al-Dawsariをはじめ若い世代からの選出が増えた。選挙後、野党側は議長候補の調整に苦慮し、マルズーク・ガーニムが48票を獲得して2013年議会に引き続き議長に選出された。
バハレーン/選挙
選挙制度
現在の選挙制度は、「政治的権利の行使に関する勅令」(法律2002年第14号)と「諮問院および代議院に関する勅令」(法律2002年第15号)に基づく。国政選挙は代議院(以下、下院と表記)のみ実施される。下院の定数は40議席であり、議員の任期は4年である。選挙権はバハレーン国籍を持つ21歳以上の男女にあるが、有権者登録が必要である。被選挙権は30歳以上のバハレーン国籍を持つ男女にある。下院選挙は小選挙区絶対多数制であり、1回目の投票で比較第1位の候補者の得票が有効投票数の過半数に満たない場合は、1週間後に上位2名による2次投票(決選投票)を行なう。立候補者が1名のみの場合は無投票当選となる。投票日は通常土曜日に設定されている。
選挙区は基本的に人口が集中する北部一帯に多くの選挙区が割り当てられている。2014年9月に地方行政区分の再編(中部県の廃止)とともに選挙区割りが再編されて、一票の格差は2倍以下となった。それ以前はムハッラク県の選挙区と南部県の選挙区で10倍以上の格差があったが、依然として南部の方が一票の価値が高い傾向にある。この南北の人口格差はバハレーンに固有の人口分布を背景とするが、南部に居住するスンナ派諸部族が最大の政府支持層で無投票当選者がいる一方、北部では人口で多数派を占めるシーア派が議席の獲得において不利となるような選挙区割りとなっている。野党側は政府によるゲリマンダー(意図的な選挙区操作)であると批判し、是正もしくは比例代表性の導入を要求している。
投開票については、各県ごとに選挙管理委員会が設置され、各投票所では裁判官が投開票を管理する。投票所は各選挙区に1箇所設けられ、会場は基本的に小学校が使用される。また、各選挙区内の投票所とは別に、「ゼネラル・センター」と呼ばれる選挙区外投票所が、空港やサウジアラビアとの連絡橋のサービス・エリア、ショッピング・モール、軍の病院など国内10箇所に設置されている。有権者登録がオンラインで照会できるため、どのセンターであっても、選挙人は自分の選挙区への投票ができる。在外公館での在外投票も可能である。各投票所内では、裁判官以外に立候補者が指定した代理人が1名のみ立ち会うことが可能であるが、ゼネラル・センターや在外投票所では、立候補者もしくは代理人が立ち会うことは認められていない。そのため、会場によっては外部からの監視の目が届きにくく、野党側は政府に都合の良い立候補者が当選するような得票・集計の操作がなされていると批判している。バハレーンでは、軍人や警察官も選挙権を行使でき、かつ多くがスンナ派の「政治的帰化」者であることから、野党の目が届かないゼネラル・センターでの、政府の動員による投票が疑われている。投票終了後は、裁判官の指揮の下に開票が行なわれ、各県の選挙管理委員会で集計結果が発表される。集計に対する異議申し立てなどはあるものの、いずれも却下されている。
第5回下院選挙2018年
一次投票 2018年11月24日 9議席確定 投票率(有権者登録ベース)67%
二次投票 2018年12月1日 31議席確定
最大野党のイスラーム国民協約協会Jamiyat al-Wifaq al-Watani al-Islamiyah(以下、通称であるウィファークと表記)をはじめ多くの野党の指導者が立候補を禁じられていたことを受け、野党は選挙のボイコットを呼びかけていた。立候補は無所属候補で、一次投票で過半数を獲得する有力候補が少なく、新人には大きな機会となった。女性候補は前回から倍の6名が当選し、ファウズィーア・ビント・アブドゥッラー・ザイナルFawzia bint Abdullah Zainalが初の女性議長に選出された。
第4回下院選挙2014年
一次投票 2014年11月22日 6議席確定 投票率(有権者登録ベース)54%
二次投票 2014年11月29日 34議席確定
アラブの春後初の下院選挙となった。告示前の2014年9月に地方行政区の再編とあわせて選挙区割りが大幅に変更され、1票の格差は2倍以内に緩和された。しかし、国民の多数派であるシーア派を支持基盤とする野党勢に不利な状況は変わらず、選挙手続きの透明性と公正さが確保されていないことを批判していたウィファークをはじめ野党は選挙のボイコットを呼びかけた。投票日当日は、北部県や首都県の一部で、治安部隊が厳重な警戒で投票所へのアクセスを遮断したり、逆にボイコットを呼びかける若者集団が投票所へ通じる道路を封鎖するといった光景がみられた。スンナ派イスラーム主義の政治団体は選挙に参加したものの結果はふるわず、ほぼ政府支持の無所属議員に占められた。女性は3名が当選した。
政治団体・会派名 | 獲得議席数 | 1次投票の得票率 |
---|---|---|
アサーラ(スンナ派) | 2 | |
ミンバル(スンナ派) | 1 | |
無所属(政府支持)* | 37 |
補欠選挙 2012年
現職議員のガーニム・ブアイナインGhanim al-Buainainが外務担当国務相に任命されたことにより空席になった議席の補欠選挙が2012年6月16日に実施された。
補欠選挙 2011年
一次投票 2011年9月24日 9議席確定(4議席は無投票当選)
二次投票 2011年10月1日 9議席確定
2011年2月27日に真珠広場でのデモに対する政府の暴力に抗議してウィファーク所属議員18名が辞職したことに伴う補欠選挙が行われた。立候補者はすべて無所蔵で、3名の女性が当選した。
第3回下院選挙2010年
一次投票 10月23日 31議席確定 投票率(有権者登録ベース) 67.7%
二次投票 10月30日 9議席確定
前回に続き野党も参加し、ウィファークはシーア派が多数を占める18の選挙区すべてに候補者を立て、すべての議席を獲得した。比較第一党であったが議長職は政府支持の無所属に譲り、副議長職を獲得した。
政治団体・会派名 | 獲得議席数 | 1次投票の得票率 |
---|---|---|
ウィファーク(シーア派) | 18 | 48.5% |
アサーラ(スンナ派) | 3 | 3.3% |
ミンバル(スンナ派) | 2 | 7.1% |
無所属(政府支持)* | 17 |
* ウィファークの得票総数は79313票(1選挙区で無投票当選あり・有効投票数の48.5%)
* 無所属は全てスンナ派
* 女性議員:1(ムスタクバル→無所属。南部州から選出、立候補者1名による無投票当選)
州 | スンナ派 | シーア派 | 計 |
---|---|---|---|
首都県(マナーマ) | 2 | 6 | 8 |
ムハッラク県 | 7 | 1 | 8 |
北部県 | 2 | 9 | 9 |
中部県 | 5 | 4 | 9 |
南部県 | 6 | 0 | 6 |
計 | 22 | 18 | 40 |
第2回下院選挙2006
一次投票 2006年11月25日 30議席確定 投票率(登録有権者ベース)73%
二次投票 2006年12月2日 10議席確定 投票率(同上)69%
前回ボイコットしていた反政府勢力は、2005年に制定された政治団体法に基づき野党として参加した。最大野党のウィファークはシーア派が多数をしめる18選挙区のうち17選挙区に所属候補を立て、1選挙区で協力する無所属候補を支援し、いずれも議席を獲得した。
政治団体・会派名 | 獲得議席数 | 1次投票の得票率 |
---|---|---|
ウィファーク(シーア派) | 17 | 61.8% |
ミンバル(スンナ派) | 7 | 11.0% |
アサーラ(スンナ派) | 5 | 7.4% |
無所属(与党系) ムスタクバル | 10 (4) | |
無所属(野党系) | 1 |
* ウィファークの得票総数は86405票(有効投票数の61.76%)。
* 与党系無所属はいずれもスンナ派。うち4名は2008年にムスタクバルを結成。
* 野党系無所属はワアド系のスンナ派だが、ウィファークの支援を受けた。
* 女性議員:1(無所属→ムスタクバル。南部州から選出、立候補者1名による無投票当選)
県 | スンナ派 | シーア派 | 計 |
---|---|---|---|
首都県(マナーマ) | 3 | 5 | 8 |
ムハッラク県 | 7 | 1 | 8 |
北部県 | 2 | 9 | 9 |
中部県 | 5 | 4 | 9 |
南部県 | 6 | 0 | 6 |
計 | 23 | 17 | 40 |
第1回下院選挙2002年
一次投票 2002年10月24日 19議席確定 投票率(登録有権者ベース)53.48%
二次投票 2002年10月31日 21議席確定 投票率(同上)43%
新憲法下での初めての選挙であった。反政府勢力は憲法の内容およびその制定手続きが国民行動憲章の精神から後退していると批判し、選挙への参加をボイコットした。
政治団体・会派名 | 獲得議席数 | 1次投票の得票率 |
---|---|---|
ミンバル(スンナ派) | 5 | 12.6% |
アサーラ(スンナ派) | 7 | 12.2% |
イスラーム会派 ラービタ(シーア派) シューラー協会(スンナ派) | 8 (3) (2) | 4.4% |
独立会派 エコノミスト | 8 (3) | 2.8% |
諸派(世俗リベラル) | 3 | 2.8% |
無所属 | 9 |
* ボイコット:ウィファーク、ワアド、アマル、タガンムウ
* 諸派(世俗リベラル)は旧共産系・民族主義のタカッドミーほか。2006年選挙前にワフダ(国民連合)として会派結成。
* 独立会派のうち3名が2006年選挙前にエコノミスト会派を結成。
* 女性議員:0
県 | スンナ派 | シーア派 | 計 |
---|---|---|---|
首都県(マナーマ) | 4 | 4 | 8 |
ムハッラク県 | 7 | 1 | 8 |
北部県 | 5 | 4 | 9 |
中部県 | 6 | 3 | 9 |
南部県 | 6 | 0 | 6 |
計 | 28 | 12 | 40 |
イラン/選挙
イランでは1979年2月に革命が達成されて以降、大統領(任期4年)、国会議員(同4年)、及び専門家会議メンバー(同8年)を選ぶ選挙が定期的に行われてきている。国民投票もこれまで3回実施されており、1度目の国民投票では革命後の新体制の名称が問われ、2度目と3度目の国民投票ではそれぞれ、新憲法と改正憲法の承認が問われた。1999年には初めて、地方評議会(任期4年)選挙も実施された。
選挙権
今日のイランでは、選挙権は18歳以上の男女に与えられている。革命当初、選挙権は16歳以上の男女に与えられ、その後選挙権年齢は一時15歳まで引き下げられたが、2007年1月2日選挙権年齢は15歳から18歳に引き上げられた。
立候補資格審査
今日のイランで選挙に立候補するためには、立候補の資格審査を通過しなければならない。大統領選挙と専門家会議選挙については、立候補の資格審査は監督者評議会が行っている。国会選挙の立候補資格審査は、まず選挙区ごとに設置される選挙実行委員会(内務省傘下の選挙本部の下に設置)が実施し、次いで監督者評議会が任命する州選挙監督委員会が実施する。選挙実行委員会の審査結果に不服の者は州選挙監督委員会に、州選挙監督委員会の審査結果に不服の者は監督者評議会に対し異議を申し立て、再審査を申請することができる。監督者評議会が再審査の実施後に行う最終結果発表によって、全立候補者が確定する。 確定した立候補者の名簿は内務省が発表する。
大統領選挙
イランではこれまでに、合計12回の大統領選挙が行われてきた。1980年の第1期大統領選挙で選出されたバニーサドルは、1981年6月に国会より弾劾決議を受け、罷免された。これを受けて翌7月には第2期大統領選挙が行われ、バニーサドル大統領の下で首相を務めていたラジャーイーが当選した。しかしラジャーイー大統領は1981年8月末、大統領に就任して2週間あまりでバーホナル首相とともに暗殺され、これを受けて同年10月に実施された第3期大統領選挙ではハーメネイー師が当選し、第3代大統領に就任した。これ以降、大統領選挙は定期的に4年ごとに実施され、現ロウハーニー師まで5名の大統領は皆連続2期8年を務めてきている。
期 | 年 | 月 | 有権者数 | 投票総数 | 投票率 | 当選者 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1980 | 1 | 20,993,643 | 14,152,887 | 67.42 | アボルハサン・バニーサドル | 10,709,330 | 75.67 |
2 | 1981 | 7 | 22,687,017 | 14,573,803 | 64.24 | ムハンマド・アリー・ラジャーイー | 13,001,761 | 89.21 |
3 | 1981 | 10 | 22,687,017 | 16,847,717 | 74.26 | アリー・ハーメネイー | 16,003,242 | 94.99 |
4 | 1985 | 8 | 25,993,802 | 14,238,587 | 54.78 | 〃 | 12,203,870 | 85.71 |
5 | 1989 | 7 | 30,139,598 | 16,452,677 | 54.59 | ハーシェミー・ラフサンジャーニー | 15,550,528 | 94.52 |
6 | 1993 | 6 | 33,156,055 | 16,796,787 | 50.66 | 〃 | 10,566,499 | 62.91 |
7 | 1997 | 5 | 36,466,487 | 29,145,754 | 79.92 | モハンマド・ハータミー | 20,138,784 | 69.10 |
8 | 2001 | 6 | 42,170,230 | 28,081,930 | 66.59 | 〃 | 21,654,320 | 77.11 |
9(第1回) | 2005 | 6 | 46,786,418 | 29,400,857 | 62.84 | (決着がつかず決選投票へ) | - | - |
9(第2回) | 2005 | 6 | 46,786,418 | 27,958,931 | 59.76 | マフムード・アフマディーネジャード | 17,248,782 | 61.69 |
10 | 2009 | 6 | 46,199,997 | 39,371,214 | 85.22 | 〃 | 24,527,516 | 62.30 |
11 | 2013 | 6 | 50,483,192 | 36,821,538 | 72.94 | ハサン・ロウハーニー | 18,613,329 | 50.55 |
12 | 2017 | 5 | 56,410,234 | 41,366,085 | 73.33 | 〃 | 23,636,652 | 57.14 |
出所: Iran data portal (https://irandataportal.syr.edu/presidential-elections)をもとに作成
第9期大統領選挙
2005年6月17日、第9期大統領選挙が行われた。この選挙における有権者は15歳以上の男女全てであり、有権者数は4678万6418人(2005年6月16日付IRNA報道)であった。
この選挙の立候補登録者は1014名(うち女性は89名)に上り(立候補登録期間:5月10~14日)、監督者評議会は5月15日から資格審査を開始し、5月22日、審査結果を発表した。監督者評議会により資格を認められたのは、アフマディーネジャード・テヘラン市長、ラーリージャーニー元国営放送総裁、レザーイー体制利益判別評議会書記(元革命防衛隊総司令官)、ガーリーバーフ前治安維持軍司令官、キャッルービー前国会議長と、ラフサンジャーニー体制利益判別評議会議長の6名であった。この時点で、改革派の有力候補とされていたモイーン前科学技術相は失格処分とされた。
これに対してハーメネイー最高指導者は、監督者評議会にモイーン前科学技術相とメフル・アリーザーデ副大統領(兼イラン・スポーツ連盟総裁)の立候補資格を再審査することを要請した。5月25日、監督者評議会は再審査の結果、同2名の立候補を承認したと発表し、立候補の有資格者は8名となった。しかし6月15日、レザーイー体制利益判別評議会書記は立候補を撤回したため、立候補者数は最終的に7名となった。
5月24日から6月15日までの選挙運動期間を経て、6月17日の朝8時には、予定通り投票が開始された。第1回投票ではいずれの候補者も、「投票総数の過半数」の票を獲得することができず、上位2位を占めたラフサンジャーニー候補とアフマディーネジャード候補の2名が、6月24日の決選投票に臨むことになった。決選投票の結果、アフマディーネジャード候補が1724万8782票を獲得し(得票率61.69%)、ラフサンジャーニー師に700万票近い大差をつけて当選した。
第10期大統領選挙
2009年6月12日、第10期大統領選挙が実施された。その日程は以下のとおり。
イラン第10期大統領選挙日程
- 5月5日~9日 立候補受付期間(今回よりインターネットで立候補登録を受付)
- 5月9日夜~14日 監督者評議会による立候補資格審査
- 5月15日~19日 監督者評議会による、立候補資格再審査
- 5月20日・21日 国家選挙本部、立候補最終確定者を発表
- 5月22日~6月10日 選挙運動期間(20日間)
- 6月12日 投票日
5月10日、ダーネシュジュウ国家選挙本部長は、立候補の届出を行った者は合計で475名に上ると発表した。この発表によれば、インターネット上の選挙登録受付用サイトで登録を行った者は3,272名に上り、その14.5%にあたる475名が選挙本部に実際に出向き、立候補届出の手続きを完了させた。
その後監督者評議会による立候補資格審査及び再審査を経て、5月20日、マフスーリー内務相は、アフマディーネジャード大統領、ムーサヴィー元首相、キャッルービー元国会議長、およびレザーイー体制利益判別評議会書記の4名が、大統領選挙の立候補資格を認められたと発表した。選挙当日、投票は、全国368の自治体に設置された合計4万8千ヶ所の投票所(うち1万4千ヶ所は「移動式」)で行われた。当初「朝8時から10時間」とされていた投票時間は、投票所によっては深夜12時まで延長された。
選挙の翌日である6月13日(土)の夕刻、マフスーリー内相は選挙結果を発表した。この発表によれば、今回の大統領選挙における投票総数は39,165,191票であり、投票率は85%に上った。マフスーリー内相が発表した開票結果は、以下のとおりである。ハーメネイー最高指導者は同13日、マフスーリー内相による選挙結果の発表を受けて直ちに声明を発表し、国民の選挙への広範な参加を讃え、アフマディーネジャード大統領の再選を祝福した。
立候補者 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|
アフマディーネジャード大統領 | 24,527,516 | 62.63 |
ムーサヴィー元首相 | 13,216,411 | 33.75 |
レザーイー体制利益判別評議会書記 | 678,240 | 1.73 |
キャッルービー元国会議長 | 333,635 | 0.85 |
無効票 | 409,389 | 1.04 |
出所:イラン学生通信(ISNA)、2009.6.13/イラン内務省HP(6月14日付発表最終結果、6月13日(土)午後4時発表)
第11期大統領選挙
第11期大統領選挙は2013年6月14日に実施された。 内務省発表の公式選挙結果は以下のとおりである。ロウハーニー候補が総投票数の50.71%に相当する1861万3329票を獲得したことから、同師がイランの第7代大統領として就任することが決まった。内務省の発表によれば、投票率は72.7%に上った。
立候補者 | 得票数 | 得票率(%) |
---|---|---|
ハサン・ロウハーニー | 18,613,329 | 50.71 |
モハンマド・バーゲル・ガーリーバーフ | 6,077,292 | 16.56 |
サイード・ジャリーリー | 4,168,946 | 11.36 |
モフセン・レザーイー | 3,884,412 | 10.58 |
アリー・アクバル・ヴェラーヤティー | 2,268,753 | 6.18 |
モハンマド・ガラズィー | 446,015 | 1.22 |
出所:イラン学生通信2013年6月15日、内務省発表の最終結果https://www.isna.ir/news/92032515237/(最終閲覧日2020年5月19日)
第12期大統領選挙
第12期大統領選挙は2017年5月19日に実施された。立候補登録者1,636人の中から、立候補資格を承認された候補者(立候補当時の肩書)は、モスタファー・ミールサリーム(元・文化・イスラーム指導相、1994-1997)、エスハーク・ジャハーンギーリー(現・第一副大統領、2013-)、ハサン・ロウハーニー(現・大統領、2013-)、エブラーヒーム・ライースィー(前・検事総長、2014-2016)、モハンマドバーゲル・ガーリーバーフ(現・テヘラン市長、2005-2017)モスタファー・ハーシェミータバー(元・副大統領、1994-2001)の6名であった。しかし、ガーリーバーフが5月15日にライースィー支持を、ジャハーンギーリーが5月16日にロウハーニー支持をそれぞれ表明し、撤退した。選挙の結果、ロウハーニーが23,636,652票で当選。2位のライースィーは15,835,794票であった。惜敗率66.99%という差でライースィーが2位落選となったが、下表のように州によってはライースィーの方が得票数が多い、僅差で敗戦となった州もあった。
州 | ロウハーニー | ライースィー | 惜敗率(%) | |
---|---|---|---|---|
1 | コム | 219,443 | 588,557 | |
2 | 南ホラーサーン | 159,433 | 301,976 | |
3 | ホラーサーン・ラザヴィー | 1,422,110 | 1,885,838 | |
4 | 北ホラーサーン | 231,313 | 272,697 | |
5 | ザンジャーン | 259,981 | 294,485 | |
6 | セムナーン | 182,279 | 200,658 | |
7 | マルキャズィー | 376,905 | 377,051 | |
8 | コフギールーイェ・ヴァ・ボイラフマド | 183,941 | 176,140 | 95.76 |
9 | ハマダーン | 418,256 | 383,285 | 91.64 |
10 | ロレスターン | 455,277 | 363,300 | 79.80 |
11 | チャハールマハール・ヴァ・バフティヤーリー | 270,619 | 213,608 | 78.93 |
12 | フーゼスターン | 1,162,954 | 896,184 | 77.06 |
13 | ホルムズガーン | 480,743 | 370,359 | 77.04 |
14 | ガズヴィン | 395,911 | 303,469 | 76.65 |
15 | エスファハーン | 1,391,233 | 1,038,535 | 74.65 |
16 | イーラーム | 188,925 | 133,023 | 70.41 |
17 | ブーシェフル | 328,806 | 223,278 | 67.91 |
18 | ケルマーン | 242,540 | 154,163 | 63.56 |
19 | アルダビール | 412,735 | 261,056 | 63.25 |
20 | ファールス | 1,500,000 | 900,000 | 60.00 |
21 | ゴレスターン | 610,974 | 358,108 | 58.61 |
22 | マーザンダラーン | 1,256,362 | 726,478 | 57.82 |
23 | 東アゼルバイジャン | 1,284,111 | 661,627 | 51.52 |
24 | ヤズド | 402,995 | 206,514 | 51.24 |
25 | アルボルズ | 832,050 | 390,488 | 46.93 |
26 | 西アゼルバイジャン | 1,030,101 | 473,785 | 45.99 |
27 | ケルマーンシャー | 699,654 | 313,894 | 44.86 |
28 | テヘラン | 4,388,012 | 1,918,116 | 43.71 |
29 | ギーラーン | 1,043,285 | 442,728 | 42.44 |
30 | スィースターン・ヴァ・バローチェスターン | 878,398 | 313,985 | 35.75 |
31 | クルデスターン | 467,700 | 155,036 | 33.15 |
出所:『エッテラーアート』2017年5月24日
第13期大統領選挙
2021年6月イランでは第13期大統領選挙が実施された。今回の選挙前イラン国内メディアの時評で注目されたのは、①被選挙権の規則、②立候補資格審査であった。まず監督者評議会による被選挙権の制約追加から説明したい。立候補登録が始まる直前2021年5月1日、選挙監督を担う(実施は内務省)[1]監督者評議会が現行法よりも被選挙権を狭める決定を下した。資格の内容を述べる前に、この決定が今回の選挙限定であることに留意しておきたい。通常の法的手続きでは被選挙権を含むイランの大統領選挙法は、内閣提出法案(Lāyeḥe)または議会提出法案(Ṭarḥ)によって改正されることになっている。しかし、2021年選挙ではこれらの手続きを経て被選挙権に関する法律が改正されたわけではない。監督者評議会が大統領選挙の立候補資格に関する決定事項(Moṣavvabe)を内務省に通知し、立候補資格を決めたのであった。
前回までとの制度的違いは具体的に何であったのか。イラン国内メディアでは「実務者および管理職として有能であること」など現行法に定められた要件[2]の具体的な解釈に加えて、年齢制限(40歳~75歳)、公務員管理法71条[3]で定められた政府の要職、体制公益判別評議会、国家最高安全保障評議会、軍の少将以上などの職歴を合計4年以上有する者などが新たに追加されたことが取り上げられた[4]。「メフル通信」の論説によると、このような監督者評議会の決定によって革命防衛隊出身の政治家でも少将以上の経歴がないサイード・モハンマド[5]のような人物の出馬が阻まれたとされる[6]。また改革派の推薦候補の有力者の一人として選挙前に複数の国内メディアで出馬動向が着目された若手政治家モハンマド・ジャヴァード・アーザリージョフラミー(第二次ロウハーニー政権情報通信技術相)は合計4年という職歴に満たないため出馬が妨げられたとも報じられた[7]。
次に立候補者登録である。2021年5月11日~15日の登録期間中、全国に設置された内務省の事務所において592人が登録した。登録者全員の詳細は不明であるが、資格審査結果を見ると保守派と改革派というイランの二大政治潮流から参加したようである。もっとも改革派から2名の候補が承認されているが、国外のペルシャ語メディアで改革派の政治活動家が選挙ボイコットを公言したことから、彼らの本命候補は失格になったか、そもそも立候補登録をボイコットしていたと考えられる[8]。以下の表は資格審査を通過した立候補者のリストである。イラン特有の役職もあるので立候補者の政治的バックグラウンドを簡単に紹介しておく。ライースィーの現職司法府長官とは最高指導者の任命ポストである。つまり最高指導者の最側近の候補であることが有権者に認知されていると言える。同様に最高指導者に近い役職はレザーイーの現職体制利益判別評議会書記である。体制公益判別評議会は立法過程における議会と監督者評議会の仲裁機関である。それに対してヘンマティーの現職ポスト中央銀行総裁とは大統領の任命ポストである。つまり現職大統領ロウハーニーに近い唯一の候補ということになる。
候補者名 | 現職 | 前職 | 政党(派閥) | 結果 |
---|---|---|---|---|
エブラーヒーム・ライースィー | 司法府長官 | JRM(保守派) | 17926345票 | |
モフセン・レザーイー・ミールガーエド | 体制公益判別評議会書記 | IRGC総司令官 | 無(保守派) | 3412712票 |
アブドゥルナーセル・ヘッマティー | 中央銀行総裁 | KS(改革派) | 2427201票 | |
アミールホセイン・ガーズィーザーデ・ハーシェミー | 国会第一副議長 | 持続戦線(保守派) | 999718票 | |
モフセン・メフル・アリーザーデ | ー | ハータミー政権副大統領 | 無(改革派) | 辞退 |
サイード・ジャリーリー | ー | IRGC、アフマディーネジャード政権SNSC書記 | 持続戦線(保守派) | 辞退 |
アリーレザー・ザッカーニー | 国会議員 | IRGC | 無(保守派) | 辞退 |
最後に投票結果を見ていきたい。2021年6月18日に投票が行われた。イランの有権者59,310,307人のうち28,933,004人(48.8%)が参加した[9]。その結果、当選条件である有効投票数の過半数を上回る約70%の得票率でライースィーが初当選した。票から有効投票を投じた有権者の中ではライースィーが圧倒的に支持されていることが分かる。この結果は全ての落選候補によって認められ、選挙後にデモなどの混乱が生じることはなかった。もっとも4位落選ガーズィーザーデ・ハーシェミーは投票日の数日前にイラン国営放送が彼の辞退を誤報したことをフェイクニュース(選挙不正)だと抗議したが、ライースィーの当選結果そのものには抗議しなかった[10]。
選挙後イラン国内メディアで少々話題になったのは無効票の多さであった。次点候補レザーイーの得票数3,412,712票に対して、無効票はそれよりも多い3,726,870票であった。イランの選挙における無効票の多さは常でありイラン国内の学術論文でも当選ラインを左右する一因として注目されている(Khosravī 1399: 92)。なぜ今回は落選候補の得票を上回るほど無効票が多かったのであろうか。内務省の発表によると大統領選挙法第25条、第26条、第28条に定められた無効票の規則に基づき対処したとされる。具体的には、白票、投票用紙への落書(体制や政府に対する皮肉など)、間違った投票箱(同時開催された他二つの選挙の投票箱)への投票が含まれる[11]。この点、改革派の政治活動家も同意している。元IIPF(強制解体された改革派政党)のメンバーであるアッバース・アブディーも投票所において3つの選挙の同時開催がマネージされていない問題を指摘している[12]。
参考文献(第13期大統領選挙)
Khosravī, Ḥasan. 1399. “Taḥlīl-e Natāyej-e Entekhābāt-e Dowre-ye Yāzdahom-e Majles-e Showrā-ye Eslāmi dar Parto-e Qāʻede-ye Aksarīyat.” Faslnāme-ye Jāmeʻeshenāsī-ye Īrān 3(3): 86-111.
鈴木優子(2018)「選挙と部族社会-第 12 回大統領選挙におけるコフギルイエ・ヴァ・ボイ ラフマド州の動向」山岸智子編『現代イランの社会と政治-つながる人びとと国家の挑戦』明石書店、68-116.
松永泰行(2002)「イラン・イスラーム共和国における選挙制度と政党」『中東諸国の選挙制度と政党』日本国際問題研究所、4-20.
松永泰行(2016)「イランにおける制度的弾圧と一般国民-抑圧的体制下の争議政治として の競合的選挙」酒井啓子編『軍・政治権力・市民社会-21 世紀における「新しい」政軍関係』晃洋書房、262-279.
[1] イランの大統領選挙における選挙管理構造の詳細は鈴木(2018:74)を参照。
[2] 大統領の被選挙人資格は憲法第115条および大統領選挙法第35条に定められている。①宗教的・政治的な「男性」であること、②出自的にイラン人であること、③イラン国籍を所持すること、④実務者および管理職として有能であること、⑤経歴、誠実さ、怖神態度が真正であること、⑥敬虔でイラン・イスラーム共和国の諸原則と国家の公式宗派の信奉者であること、の6つである(松永2016: 264; 松永2002: 5)。
[3] 法律全文は以下を参照https://rkj.mcls.gov.ir/fa/moghararaat/ghavanin/ghanoonkeshvari-%D9%85%D8%AA%D9%86-%DA%A9%D8%A7%D9%85%D9%84-%D9%82%D8%A7%D9%86%D9%88%D9%86-%D9%85%D8%AF%DB%8C%D8%B1%DB%8C%D8%AA-%D8%AE%D8%AF%D9%85%D8%A7%D8%AA-%DA%A9%D8%B4%D9%88%D8%B1%DB%8C
[4] 監督者評議会の発表内容は2021年5月8日掲載のイラン国内オンラインニュース「メフル通信」(https://www.mehrnews.com/news/5207317/)を参照。
[5] サイード・モハンマドはIRGC政治部門副官である。IRGC傘下の経済団体ハータム・アル・アンビアー司令官を立候補登録前に辞していたことから、立候補資格審査の担当側は彼の出馬を事前に予想できだと考えられる。なおIRGCの2021年大統領選挙の見通しに関する見解は2021年4月3日掲載「ファールス通信」(https://www.farsnews.ir/news/14000111000171/)を参照。結局サイード・モハンマドは出馬したが監督者評議会によって失格にされた。2021年5月27日掲載「ハバルオンライン」(https://www.khabaronline.ir/news/1519374/)を参照。
[6] 2021年5月5日掲載の報道(https://www.mehrnews.com/news/5205152/)を参照。
[7] なお、ロウハーニー政権最年少閣僚ジョフラミー(40歳)を改革派が擁立する可能性を否定する報道もなされている。改革派連合の選挙対策本部における推薦候補を決める投票でジョフラミーは10票(全46票)しか獲得できなかったためである。2021年5月10日の報道を参照(https://www.mashreghnews.ir/news/1215137/)。結局ジョフラミーは出馬しなかった。
[8] 2021年6月14日掲載BBC Persian(https://www.bbc.com/persian/iran-features-57469397)、2021年5月26日掲載「ゼイトゥーン」(https://www.zeitoons.com/87917)を参照。「ゼイトゥーン」はホメイニーとの対立で失脚した暫定政権首相バーザルガーン支持者によって運営されている。
[9] 投票数などはRadio Free Europeのペルシャ語版2021年6月21日掲載(https://www.radiofarda.com/a/31318891.html)を参照。
[10] 2021年6月16日掲載の「ハバルオンライン」(https://www.khabaronline.ir/news/1525981/)を参照。
[11] 例えば2021年6月28日掲載のBBC Persian(https://www.bbc.com/persian/iran-features-57603703)を参照。
[12] 改革派日刊紙「エッテマード」2021年6月22日p.1を参照
国会選挙
イランにおける国会選挙は、1980年3月に第1期国会選挙が行われて以降、定期的に4年ごとに実施されてきている。選挙区数は当初193であったものが1992年の第4期国会選挙で196に増えた。2000年に実施された第6期国会選挙で定数が270から290に引き上げられるのに伴い、選挙区数も196から207に増えた。選出議員の数は、選挙区の人口に応じて1から6議席が割り当てられている。イランの人口の約10%を占めるテヘラン選挙区では例外的に30議席が割り当てられている。なお全議席のうち5議席は宗教的少数派に割り当てられている。
イランの国会選挙の投票形式には優先順位付連記投票制度が採用されている。この制度では1回目の投票で有権者は各選挙区に割り当てられた議席数分の候補者名を記入する。第1回投票で当選ラインを上回る候補者が不在の選挙区では、第2回投票が行われる。各選挙区で第2回投票に進むのは第1回投票において多数票を獲得した候補者のうち残りの議席数の2倍に限られる。第2回投票では当選ラインは設けられておらず多数票を獲得した候補者が勝利する。第1回投票の当選ラインは1980年の国会選挙法では有効投票数の過半数と定められたが、その後の改正国会選挙法で33パーセント、1999年の改正国会選挙法で25パーセント、2016年の改正国会選挙法で20パーセントに変更された。
イランの国会選挙は必ずしも政党単位では戦われておらず、有権者は立候補者個人に投票することになっている。各政治団体はそれぞれが推薦候補者リストを作成し、有権者に配布するが、一人の候補者が複数の団体の推薦を受け、同一候補者の氏名が複数のリストに掲載される場合もある。このような理由から、選挙結果は政治団体ごとの得票数というよりは、革命初期からの大まかな対立軸である「右派」と「左派」の獲得議席数に、また、特に第6期国会選挙以降、「保守派(原理派)」系候補と「改革派」系候補の議席数を中心に、イラン国内外のメディアで報じられる傾向にある。
第7期国会選挙
2004年2月20日に実施された第7期国会選挙では、監督者評議会が改革派系の有力議員を軒並み失格処分とし、その結果保守派勢力が圧勝した。
2004年1月11日、監督者評議会は第7期国会議員立候補登録者8157名のうち、83名の現職議員を含む3605名を失格処分とした。これに先立つ1月3日には、内務省傘下の選挙実行委員会が、立候補登録者の「92.88%」の立候補資格を認めていたため、監督者評議会独自の判断に基づく大量失格処分には、非難の嵐が巻き起こった。
これを受けてハーメネイー最高指導者は監督者評議会に立候補資格の再審査を命じ、その結果監督者評議会は、当初失格処分とした申請者のうち1160名の資格を承認した。しかし1回目の審査で失格とされた(改革派系)現職議員の大半は、結局立候補を認められなかった。
これに対してハーメネイー師は再び、監督者評議会に対し再審査を命じるが、最終的に立候補が認められたのは5625名であり、現職議員80名を含む約2500名は失格となった。これを受けて、12名の現職国会議員を含む888名の立候補登録者が、立候補は認められながら出馬を辞退し、選挙をボイコットすることを発表した。
2月20日の投票は、改革派の最大政党イスラーム・イラン参加戦線(IIPF)がボイコットを維持する中行われ、投票率はイラン全土で50.57%、首都テヘランでは25%と低迷した。第1回投票において投票総数の4分の1以上の獲得により確定した議席数は、保守派154議席、改革派39議席、無所属31議席であった。宗教少数派に割り当てられた5議席も確定した。
5月7日に行われた第2回投票では、さらに57議席が確定した(第1回投票の結果を監督者評議会が承認しなかった4議席の投票は後日に持ち越された)。第2回投票では保守派が40議席、改革派が8議席を獲得し、(残りは無所属)、第7期国会において保守派勢力は「少なくとも」194議席を、改革派勢力は47議席を占めることになった。
5月27日、第7期国会が召集された。第7期国会議長には、テヘラン選挙区で888,276票を獲得してトップ当選を果たしたハッダード・アーデルが選出された。
第8期国会選挙
2008年3月14日、第8期国会選挙が実施された。選挙の立候補登録は1月5日に開始され、11日に締め切られた。3月9日の監督者評議会の発表によれば、立候補資格審査の結果、全7597名の立候補登録者のうち、4755人(約6割)が立候補を認められた。3月14日の投票は、朝8時に開始され、投票時間は夜11時まで延長された。
4月6日に行われた内務省の発表によれば、第8期国会選挙の投票率は60%と、前回選挙時の51%に比べて上昇した。立候補者は合計3863名、うち308名は女性であったが、このうち第1回投票で当選が確定したのは209名(うち83名が現職、5名は女性)であった。第2回投票へは、残る81議席の2倍の人数である162名がコマを進め、4月25日には53の選挙区で、第2回投票が実施された。第2回投票の投票率は、「26%以上」と発表された。
第8期国会選挙において、保守派(原理派)勢力は「統一戦線」なるグループを立ち上げ、ともに選挙戦を戦おうとした。しかし選挙直前になり、アフマディーネジャード大統領に対してより批判的な「包括連合」なるグループが統一戦線から離脱し、独自の候補者リストの作成をこころみた。しかし結局のところ、統一戦線リストと包括連合リストには重複も多く(第1回投票では統一戦線と包括連合の共通候補が40議席近くを獲得した)、また、包括連合と改革派のリストの間にも重複が見られた(包括連合と改革派の共通候補は第1回投票で7議席を獲得)。選挙結果の確定後、イラン国内メディアは、最終的には保守派が「200議席近く」、改革派が「45議席程度」を獲得、残りは無所属の候補が獲得したと報じた。
5月27日、第8期国会が召集され、翌28日、コムでトップ当選を果たした(239,436票を獲得)アリー・ラーリージャーニーが、国会議長に就任した。
第9期国会選挙
第9期国会選挙は、2012年3月2日に実施された。 政府の発表によれば、今回の選挙の有権者数は48,288,799名であり、全国47,665ヵ所に投票所が設置され、投票が行われた。立候補登録者数は5,395人であり、うち女性立候補者数は260人であった。現職議員290人のうち、再選を目指して立候補した議員の数は260人に上った。
立候補登録を行った候補者のうち、内務省による立候補資格審査を通過した者は3,703人、監督者評議会による資格審査を通過した者は3,444人であった。選挙後に内務省が発表した今回の選挙の投票率は64.20%に上り、選挙区内の総投票数の4分の1以上の得票により第1回投票で確定した議席数は、全290議席中225議席に上った。
5月4日に、3月2日に実施された第1回投票では確定しなかった65議席をめぐる決選投票が行われ、残り65議席が確定した。
しかしその後5月28日、監督者評議会は第2回投票で確定した議席のうち2議席(イーラーム州とハマダーン州のそれぞれ1議席)に関し、選挙結果は無効であると判断した。監督者評議会は4月5日には、ラームサルとダマーヴァンド選挙区の結果を「無効」と判断しており、その結果第9期国会は、(定数の290議席より4議席少ない)286議席でスタートすることになった。
第9期国会選挙においては、保守本流勢力により構成される「統一戦線」と、アフマディーネジャード大統領により近い(しかし大統領の腹心であるマシャーイー大統領執務室長には批判的な)「永続戦線」が別々のリストを作成し、選挙戦を戦った。選挙の結果、統一戦線リストからは126名が当選を果たし、 統一戦線が第9期国会の最大会派を構成することになった。
第10期国会選挙
第10期国会選挙の第1回投票は2016年2月26日に実施された。有権者数は54,915,024人であり、投票率は61.64%であった。2016年4月29日に実施された第2回投票では残り68議席が136人によって競われた。第1回投票でテヘラン選挙区30人全員が決まったのは初めてである。30人全員「希望リスト」と呼ばれるロウハーニー大統領の政策、特に2015年の核合意を支持する改革派系リストから当選した。対して、第9期の現職議員(ハッダード・アーデルを筆頭)とする保守派系のリスト30人は全員落選する結果となった。国会議長選挙では「希望リスト」の筆頭候補であったアーレフが現職の保守穏健派ラリージャニー(コム選挙区から選出)に挑んだが、ラーリージャーニーの再選に終わった。
第11期国会選挙
第11期国会選挙の登録期間は2019年12月1日~8日であった。現国会議長のラーリージャーニー、第10期国会の改革派会派をまとめるアーレフなど有力者が登録しなかった。16,033人登録し、うち800人が立候補を取り下げ、1,300人が内務省管轄下の選挙実施委員会によって失格になった。2020年1月12日、監督者評議会の発表によると7,148人が承認された。290人中249人の現職議員が再選出馬したが90人が失格になった。監督者評議会キャドホダーイー報道官によると、現職議員の主な失格理由は汚職とされる。
第1回投票は2020年2月21日に実施された。テヘラン選挙区では元テヘラン市長で革命防衛隊の空軍司令官であったガーリーバーフを筆頭とする保守派系リストから30人全員が当選する結果となった。投票率は、内務省の発表ではテヘランではわずか25.4%、全国平均でも42.57%にとどまり、過去最低を記録した。第2回投票(残り11議席)はもともと2020年4月に予定されていたが、感染症の影響で2020年9月11日に延期された。
2020年5月28日に実施された国会議長選挙では、ガーリーバーフが267票中230票を獲得し、他2人の候補を寄せ付けず、圧勝した。第一副議長にアミールホセイン・ガーゼィーザーデ・ハーシェミー(9期議員)が208票、第二副議長にはアリー・ニクザード(アフマディーネジャード政権期の官僚)が196票で選ばれた。
地方評議会選挙
地方評議会選挙は1999年2月に導入され、この選挙を通じ、4年ごとに全国の市町村の評議会メンバーが選出されている。大統領選挙や国会選挙とは異なり二回投票制ではなく一回投票制で多数決で選出される。
第3期地方評議会議選挙
2006年12月15日、第4期専門家会議選挙と同日に、第3期地方評議会選挙が実施された。この選挙ではアフマディーネジャード大統領を支持する勢力が独自の候補者リストを作成し、投票に臨んだが、思うように票を伸ばすことができなかった。たとえばテヘラン市評議会では、アフマディーネジャード大統領支持派は定数15議席のうち2議席しか確保できなかった。テヘラン市評議会では結局、「改革派」勢力が4議席を獲得し、残り8議席は「原理派大連合」(アフマディーネジャード大統領支持派以外の「保守派(原理派)」勢力)が獲得した(残り1名は無所属)。
第4期地方評議会議選挙
地方評議会の任期は4年であり、第4期地方評議会選挙は予定では、2010年末から2011年初め頃に実施される予定であった。しかし選挙にかかる経費節減のため、第4期地方評議会選挙は第11期大統領選挙と同日に実施すべきであるという案が出され、2010年7月に、この「選挙統一法案」が承認された。これを受けて第4期地方評議会選挙は、2013年に予定される第11期大統領選挙と同時に、2013年6月14日に実施されることになった。
結果、大統領選挙では改革派と伝統保守派の支持を受けたロウハーニーが当選した一方で、地方評議会選挙では保守派が全国的な議席の過半数以上を占めた。後者はメフディー・チャムラーン(テヘラン市議)が第4期州最高評議会(地方評議会の総会)議長選挙で70票中45票を獲得して選出された[1]ことから推測できる。
[1] 2014年1月21日掲載のISNA(https://www.isna.ir/photo/92110100841/)参照。
第5期地方評議会選挙
2017年5月第12期大統領選挙と同時開催された。全国的に改革派が保守派に対して多数議席を獲得したと見られる。そのように判断できる理由は2017年12月に開催された第5期州最高評議会の1年目の議長選挙である。この選挙ではテヘラン市議会議員でKS政党員モルテザー・アルヴィーリーが全75票のうち38票を獲得し初当選した。次点は(ファールス州)シーラーズ市議会議員で改革派系の教師協会シーラーズ支部の責任者アブドゥルラッザーグ・ムーサヴィーの33票であった[1]。
[1] 投票結果は2017年12月31日掲載の「テジャーラトニュース」(https://tejaratnews.com/%D9%85%D8%B1%D8%AA%D8%B6%DB%8C-%D8%A7%D9%84%D9%88%DB%8C%D8%B1%DB%8C-%D8%B1%D8%A6%DB%8C%D8%B3-%D8%B4%D9%88%D8%B1%D8%A7%DB%8C-%D8%B9%D8%A7%D9%84%DB%8C-%D8%A7%D8%B3%D8%AA%D8%A7%D9%86%E2%80%8C%D9%87%D8%A7)参照。シーラーズ市議会議員ムーサヴイーの経歴は(http://www.kazeroonnema.ir/fa/news/14877/)を参照。
第6期地方評議会選挙
2021年6月第13期大統領選挙と同時開催された。2021年8月の本稿執筆時点で州最高評議会議長選挙が開催されていないため全国的な議席を占める派閥の割合を推定することはできない。ここではテヘラン市議会選挙の結果のみ紹介しておきたい。テヘラン市議会の全21議席は「連合評議会」と自称する保守派リストによって独占された。1位当選は現職候補チャムラーン486,282票であった。「共和国」と自称する改革派リストの中で最多票を獲得した現職候補アリー・エッターは得票数32,618、22位落選であった。保守派リストの21位当選候補が265,607票獲得していることを踏まえると、改革派は第6期テヘラン市議会選挙で保守派に大敗したと解すことができる[1]。
[1] 2021年6月24日掲載「マシュレグニュース」(https://www.mashreghnews.ir/news/1236599/)参照
専門家会議選挙
最高指導者を選出し、また、最高指導者による任務遂行が不可能になった場合にそれを見極める任務を持つ専門家会議の選挙は、1982年の第1期から2006年の第4期まで8年ごとに実施されてきた。第5期は2016年の第10期国会選挙と同日開催になった。選挙制度上、先述した3つの選挙と大きく異なるのは立候補資格である。ムジュタヒド(イジュテハードとよばれるイスラーム法解釈などができる能力と資格を持つ者)レベルのイスラーム法学者に限定される(専門家会議選挙法第3条)。また大統領、官僚、国会議員、司法関係ポストに就く者の立候補規制もない。
実施日 | 有権者数 | 投票総数 | 投票率 | 議席数 | |
---|---|---|---|---|---|
第1期 | 1982.12.10 | 23277781 | 18013061 | 77.38 | 82 |
第2期 | 1990.10.8 | 31280084 | 11602613 | 37.09 | 83 |
第3期 | 1998.10.23 | 38550597 | 17857869 | 46.32 | 86 |
第4期 | 2006.12.15 | 46549242 | 28,321,270 | 60.84 | 86 |
第5期 | 2016.2.26 | 54,915,024 | 33,480,548 | 60.97 | 88 |
出所:イラン内務省
第4期専門家会議選挙
2006年12月15日、第4期専門家会議選挙が実施された。この選挙には493名が立候補登録を行ったが、監督者評議会による、筆記試験(イスラーム法学)を含む資格審査の結果、最終的には166名が、立候補資格を認められた。
この選挙の有権者数は4654万9242名であり、投票率は66%に上った。選挙の結果、「協会」リスト(テヘラン闘う聖職者協会とコム神学校教師協会の合同リスト)の推薦者が、全86議席中67議席を占めた。キャッルービー前国会議長が設立した国民信頼党の推薦を受けた候補は10名が当選し、「協会」と「国民信頼党」の双方から推薦を受けた候補は32名が当選した。
今回の選挙で最も多くの票を獲得したのは、2005年6月の大統領選挙ではアフマディーネジャード候補に大差で敗れたラフサンジャーニー体制利益判別評議会議長であった。ラフサンジャーニー師はテヘラン選挙区で156万票を獲得し、トップ当選を果たした(2位で当選したメシュキーニー師の得票数は84万票であった)。
第5期専門家会議選挙
2016年2月26日、第10期国会選挙と同日に開催された。801人の立候補登録者の中から166人が承認された。過去の選挙でも競争倍率は定数に対して約2倍と低い。また、定数と同じ人数しか残らない選挙区(州)もあるので競争性は低い。2016年は、西アゼルバイジャン(3議席)、アルダビール(2議席)、ブーシェフル(1議席)、北ホラーサーン(1議席)、セムナーン(1議席)、ホルムズガーン(1議席)がそれに該当する。失格者の中には初代最高指導者ホメイニー師の孫アフマド・ホメイニーも含まれていた。選挙の結果、88議席中「テヘラン闘う聖職者協会」と「コム神学校教師協会」の合同リストの推薦者が64議席を占めた。
<注>
本稿は、坂梨祥「イラン・イスラーム共和国」松本弘編『中東・イスラーム諸国 民主化ハンドブック2014 第1巻 中東編』人間文化研究機構「イスラーム地域研究」東京大学拠点, 2015, pp. 37-54. を最新のデータに更新したものである。
シリア/選挙
(1)2014年大統領選挙
旧憲法のもとでは、シリアにおける内政と外交、さらには軍事を司っている大統領を選出するプロセスは、「バアス党シリア地域指導部」が推挙した候補者に対して国民が投票を行うというものであった。すなわち、バアス党員のみが大統領職への「パスポート」を有しており、「包括的抑圧体制」のもとで「市民的・政治的自由」に大幅な制約が加えられているなかでは、結果的に「信任投票」が行われてきたのである。
しかしながら、シリアにおける反体制運動の高揚には、こうしたバアス党の優越的地位に対する批判が重要な役割を果たしたことから、現憲法においては、第85条で大統領職に対する複数立候補制が導入された。また、大統領職における任期制限(最大2期14年)も第88条で規定された。他方、大統領職への立候補要件を定めている第84条には、年齢(40歳以上)や国籍(シリア国民)といった要件に加え、候補者として推挙される(第85条の規定により、少なくとも国会議員35名の支持を得る必要がある)時点までに、シリア国内に最低10年間継続して住み続けていなければならないとの要件(旧憲法には存在せず)も含まれていた。この居住要件は、反体制勢力の政治指導者の多くがシリアから国外に逃れているなかで、そうした指導者の立候補を阻止するために導入されたものである。したがって、有力な対立候補が存在せず、B・アサド大統領の再選が当初から確実視される状況にあっては、実質的にはこれまでの「信任投票」と大きく変わることがなかったことから、反体制勢力及びその後ろ盾である欧米・湾岸アラブ諸国は、大統領選挙そのものを「茶番」と見なし、同選挙の正当性を認めないとの立場をとった。
結局のところ、政権支配地域のみで実施された2014年6月3日の選挙においては、最高憲法裁判所による立候補者資格審査を経た結果、B・アサド以外に「泡沫候補」である2名が立候補した。公式発表によると、B・アサドは、88.7%の得票率(投票率は73.42%)でもって再選され1、7月16日から3期目の政権をスタートさせた。そして、B・アサドは自らの再選に勢いを得て、北のアレッポからホムス、ダマスカスを経て南のダラアーに至るシリア随一の基幹エリア「南北回廊」と、アサド家の本拠地である北西部ラタキアに焦点を当て、これら地域に位置する反体制勢力の拠点に対し、空爆を中心とした猛攻をSAAに指示した。この結果、大統領選挙は政治・軍事両面において、アサド政権と反体制勢力並びに欧米・湾岸アラブ諸国との溝を広げる方向に作用したのである。
(2)2021年大統領選挙
前回と同様に、政権支配地域のみで実施された本(2021)年5月26日の選挙においては、最高憲法裁判所による立候補者資格審査を経た結果、B・アサド以外に「泡沫候補」である2名が立候補した。公式発表によると、B・アサドは、95.1%の得票率(投票率は78.64%)でもって再選され2、7月17日から4期目の政権をスタートさせた。欧米諸国が大統領選挙を自由かつ公正ではないとして非難した一方で、ロシアはB・アサドの勝利を歓迎した3。
(3)2012年国会議員選挙
2012年の憲法改正により、「政治的多元主義」及び複数政党制が第8条(旧憲法ではバアス党の「指導的立場」が規定されていた)で規定され、同年5月7日には、現憲法下で初めての国会議員選挙が実施された。だが、SAA並びに治安部隊と反体制勢力との間で武力衝突が続く状況であり、ゆえにアサド政権の支配地区でのみ選挙が行われ、反体制勢力は選挙に参加しなかった。結局のところ、定数250に対して7195人が立候補するなかで、バアス党主体の与党連合「国民進歩戦線」が150議席を獲得する一方、バアス党寄りの人物が独立系候補として立候補し、90議席を獲得した。また、公式発表によると、投票率は51.26%であった4。
(3)2016年国会議員選挙
現憲法の第56条において、議員任期は通常4年と定められている。そこで、2016年4月13日に国会議員選挙が行われたものの、前回の2012年選挙と同様に、武力衝突が続いている状況であったことから、アサド政権の支配地区でのみ選挙が行われ、反体制勢力は選挙に参加しなかった。結局のところ、定数250に対して約3500人が立候補するなかで、バアス党主体の与党連合「国民進歩戦線」が200議席を獲得した。また、公式発表によると、投票率は57.56%であった5。
(4)2020年国会議員選挙
新型コロナウィルス感染症の拡大により、昨(2020)年4月以降2度にわたり延期されていた国会議員選挙は、同年7月19日に実施された。国土の7割程度を掌握していると見なされているアサド政権の支配地区でのみ選挙が行われ、反体制勢力は選挙に参加しなかった。結局のところ、定数250に対して1656人が立候補する6なかで、バアス党主体の与党連合「進歩国民戦線」が177議席を獲得した7。また、投票時間は午後11時まで4時間延長され8、公式発表によると、投票率は33.17%であった9。なお、ヒシャーム・シャアル法相は選挙後に、投票率の低さの要因として、新型コロナウィルス感染症の拡大及び同感染症の勃発に伴う国境並びに空港閉鎖による在外シリア人の投票権の行使不可能などを挙げた10。
ヨルダン/選挙
下院議員は18歳以上の男女による普通投票で選ばれる。下院は定数130議席、うち15議席は女性議席、12議席は宗派・マイノリティ議席(任期4年)からなる。被選挙権は30歳以上の国民であることが条件となる。2020年11月10日、コロナ禍にもかかわらず、第19期総選挙が実施された。投票率は過去最低の29%にとどまった。特徴としてはこれまでで最多の政党からの立候補と女性の立候補、さらに若者の参加率が高かった。しかし女性候補者は5議席減らし、最大野党IAFは5議席減らすことになった。
2011年以降、政治改革の要請にもとづき、政党指導者や法律家やジャーナリストによる包括的な検証を行うための国民対話委員会が設立された。委員会の提言に基づく2012年の選挙法は、SNTV方式の投票に部分的にメスを入れ、150議席中27議席に比例代表に基づく全国区の「政党枠」を導入したが、地方選挙区については1人区でSNTVによる投票が残されたので、SNTVの完全廃止を求める有権者からの評価は厳しかった。反対派からはせめて政党枠を全議席の50%にするべきであるとの声もあった。さらに、2016年の改正においては、SNTVが廃止され、1989年の選挙に近い形で、有権者は選挙区の候補者の数だけ投票することが可能になった。また、政党政治の観点からは、SNTVの場合には投票者が血縁や部族関係を優先して投票したのに対して、連記制への変更によって、2票目を支持する政党に投票することが可能になることで政党が有利になる。さらに、政党に所属する候補者も無所属の候補者も、選挙リストから立候補することが義務付けられた。そのため選挙リスト形成のプロセスで政治的議論が展開された。(EU選挙監視団の報告)
2016年の選挙法では、選挙区は2013年の45選挙区から23選挙区に縮小された。アンマン(5選挙区)、ザルカ(4選挙区)、イルビド(2選挙区)の都市部を除いて、すべての行政区で選挙区は1つになった。ただし、選挙区の再編(45から23への縮小および議席配分の変更)に関しては、人口・地理・発展状況などをめぐる具体的な根拠があいまいであり(EU選挙監視団の報告)、これまでも指摘されてきた都市部と地方の表の格差は依然として存在している(議員比率の偏り、参照)。概して都市部にはパレスチナ系住民の数が多く、またムスリム同胞団系の支持者が多いが、地方(特に南部)住民は保守系の体制派が多いとされる。このため、制度的に南部の地方への議席配分は体制側に有利なものになっているとの批判があった。この批判の論拠についてのさらに厳密な議論は必要であるが、都市部と地方の票の格差は依然として存在していることは事実である。
議員比率の偏り
2016年の選挙法では、人口440万人で国の42%を占めるアンマンには、28議席、人口150万で国の14.3%を占めるザルカには、12議席なのに対して、人口3万で国の1%のタフィーラには、4議席、人口35万で国の3.3%のカラクには、10議席が配分されている。このため、伝統的にアンマンやザルカの投票率が低くなっているものと考えられ、実際にこの2つの都市部では前回2016年の投票率よりさらに低い投票率となっている。アンマン第3選挙区においては、11.7%(2016年、19.2%)と低く、ザルカ第1選挙区では、14.3%(2016年、22.8%)と全国平均を下回っている。政府は新型コロナの影響を指摘するが、議会や政府に対する不信感の表れであるとの指摘もある。
政党の存在感
2020年の総選挙では1992年以来最も多い政党の参加があった。48政党中41政党が選挙に候補者を出し、全立候補者の23.2%にあたる389人が政党から立候補した。しかし12人の党員が当選し、6人の党との協力候補が当選したに過ぎなかった。もっとも有力な政治ブロックはイスラーム主義グループ主導の「改革のための国民連合」は2016年より5議席を減らし10議席にとどまった。左派・民族主義のブロックは1議席もとれなかった。このように、政党からの立候補者が少なく、当選者のほとんどは、実業家、部族基盤の候補者(20人の退役軍人を含む)であり、多くは「個人主義的であり、非政治的であり、サービス志向」(元閣僚の発言)であった。市民活動の立場からは、改革はあるものの、政党法は政党よりは部族基盤の候補者に有利な内容であり、投票行動も部族基盤の投票がつづいており、80%近くの当選者は政党と関与せず特定の政治的イデオロギーを持っていないと評されている(RASED指導者Amer Bani Amer)。制度的な限界に加え、市民から政党への不信感を払しょくするための政党側の対応が遅れていることも問題と考えられる。
女性当選者の減少
女性有権者は全国で464万人だが、多くは男性有権者と同じく、部族や家族への帰属感に基づいて投票しているとの指摘がある(Konrad-Adenauer-Stiftung e. V.)。女性の候補者は増加し、全1,674候補者中360候補者であったが、当選者は女性クオータ枠の15人にすぎなかった(2016年、20人)。全体的に女性の政治参加への関心が高まっているにも関わらず、同一選挙リストに有力な女性候補者が入ると自分が敗北する(2016年には実際に起きた)ことを恐れる男性候補者が他の男性候補者を推すことから、女性有権者の失望感を招いたことが指摘されている。
イスラーム系政党の動向
ムスリム同胞団の政党組織であるIAFは2016年の総選挙の15議席から5議席を減らして、10議席を獲得した。しかしその後、2名の女性議員が脱退したために、IAFのかかわる議会の改革リストのメンバーは8名になった。今回の選挙においては、IAFからの立候補者は14の選挙区で出馬し、全体の得票数の6.5%にあたる83,000票を獲得したが、これは2016年選挙における獲得票157,000票(全体の11.6%)に及ばなかった。伝統的にムスリム同胞団の影響力の強いアンマンやザルカにおいて、投票率は低かった。パレスチナ系住民の多い地域のため、一般的に投票は部族的基盤によるものではなかったが、今回はアンマンで投票率は15%(2016年、23%)にとどまった。ザルカにおいてはIAFの参加する「改革リスト」は1議席(2016年、2議席)しか獲得できなかった。この地域においては選挙結果はすでに概ね決まっているとの諦念や、議会そのものへの不信感がより強いものとみられる。他国や国際社会では同胞団がテロ組織認定を受ける中で、ムスリム同胞団の敗北は必ずしも予想外のことでもなかった。国内においても2016年にムスリム同胞団が非合法化され、さらに政府は同胞団が教員組合を支配し、2019年の教員ストを先導したと批判した(実際には、執行部10人中3人が同胞団員)。しかし同胞団は原則にこだわらず、組織の存続のために影響下のIAFが選挙をボイコットせず参加することを選択したのである。「同胞団は、プレーヤーであることを選びゲームを受け入れ、攻撃を避けるために敗北した」(Rami Adwan, Jordan Country Representative of the Netherlands Institute for Democracy)のである。
青年層の傾向
30歳以下の若者はヨルダンの63%をしめ、多数派である。選挙直前の世論調査で、40%の若者は、部族的要素が自分たちの投票行動に影響すると答えた。また、被選挙権を30歳から25歳まで下げるべきであるとの意見を持っている。若者の多くは主に就職、公正な機会、将来への不安の除去を望んでいるが、新コロナの影響で若者の経済環境は悪化し、ヨルダンの大学卒業生の45%が海外で働く希望を持っているような状況である(中東の中でも突出している)。これはヨルダンの政治改革への無関心や失望の背景になっている。
2020年第19期総選挙 選挙区と議席配分・候補者数
行政区など | 選挙区 | 一般議席 | チェルケス | クリスチャン | 女性枠 | 合計 | |
アンマン | 5 | 25 | 2 | 1 | 1 | 29 | |
イルビド | 4 | 18 | 0 | 1 | 1 | 20 | |
ザルカ | 2 | 10 | 1 | 1 | 1 | 13 | |
バルカ | 1 | 8 | 0 | 2 | 1 | 11 | |
カラク | 1 | 8 | 0 | 2 | 1 | 11 | |
マアン | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 5 | |
マフラク | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 5 | |
タフィーラ | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 5 | |
マダバ | 1 | 3 | 0 | 1 | 1 | 5 | |
ジェラシ | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 5 | |
アジュルン | 1 | 3 | 0 | 1 | 1 | 5 | |
アカバ | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 4 | |
北部ベドウィン | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 4 | |
中部ベドウィン | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 4 | |
南部ベドウィン | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 4 | |
合計 | 23 | 103 | 3 | 9 | 15 | 130 |
投票率
2003 | 2007 | 2010 | 2013 | 2016 | 2020 |
58.6% | 57.1% | 53% | 56.6% | 37% | 29% |
当選者の政治的傾向
議会 | 実施年 | 左派 | 保守 | イスラーム主義 | 合計 |
第2期 | 1950 | 14 | 26 | – | 40 |
第3期 | 1951 | 18 | 22 | – | 40 |
第4期 | 1954 | 3 | 32 | 5 | 40 |
第5期 | 1956 | 15 | 20 | 5 | 40 |
第11期 | 1989 | – | 58 | 22 | 80 |
第12期 | 1993 | 7 | 56 | 17 | 80 |
第13期 | 1997 | 7 | 69 | 4 | 80 |
第14期 | 2003 | 2 | 85 | 17 | 110 (6) |
第15期 | 2007 | 0 | 98 | 6 | 110(6) |
第16期 | 2010 | 1 | 103 | 1 | 120(12) |
第17期 | 2013 | 0 | 133 | 17 | 150(15) |
第18期 | 2016 | 2 | 96[18] | 22 | 130(15) |
第19期 | 2020 | 0 | 118[2] | 10(8*) | 130(15) |
注)合計の( )は女性枠、[ ]は保守系政党からの当選者。*その後、2名の女性議員が脱退。