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2019年1月18日

モロッコ/現在の政治体制・制度

現在の政治制度は立憲君主制である。現在の国王は、前国王ハサン二世の死去によって、1999年7月23日に即位したムハンマド六世である。

(1) 国王

モロッコの憲法第42条では、国王は「国家元首」であり、「国民統合の象徴」「国家の永続性を擁護する者」であると定められている。また、第41条では、「アミール・アル・ムーミニーン(信徒の指揮者)」と規定され、国民に対して精神的な面での権威も有している。

王位の継承については、憲法第43条で、原則として直系男子の長子相続が定められている。現在のハサン皇太子は、ムハンマド六世の長男である。

また皇太子が未成年で国王に即位するような事態が起こった場合は、国王が満18歳に達するまで、複数の構成員(議長を憲法裁判所裁判長がつとめ、首相、上下院議長、司法権高等評議会議長、ウラマー高等評議会事務局長、その他国王が任命した10名で構成)からなる摂政評議会が憲法改正を除いて、憲法で定められている国王の諸権利・諸権力を行使する(憲法第44条)。

国王は不可侵で神聖である(憲法第46条)と定められている。

国王は首相の任命権を持つ(憲法第47条)。但し、2011年の新憲法では、首相として任命されるのは、下院選挙で第一党となった政党から任命すると明記されている。

閣議の議長は国王である(憲法第48条)。

国王は、法律が採択され政府に送られてから30日以内に法律を公布する(憲法50条)。また、国王は、憲法第96条、97条および98条に従って、勅令によって、上下院両方またはいずれかを解散させることができる(憲法第51条)。

国王は、国民と議会に向けてメッセージを発することができる。メッセージは上下院それぞれで読まれ、いかなる議論の対象にもすることはできない(憲法第52条)。

国王は、国軍の最高司令官である(憲法第53条)。

国王は外国および国際機関に駐劄する大使に信任状を渡して派遣する。また、モロッコに駐劄する外国または国際機関の大使を信任する。条約への署名と批准をおこなう。ただし、国境に関する条約、通商条約、および国家財政に関する条約は、法律によって事前に承認がなければ、批准することはできない。また憲法の条項に触れる恐れのある条約は、憲法改定の後でなければ条約の批准はできない。(憲法第55条)

国王は、高等司法評議会の議長をつとめる。(憲法第56条)

国王は、高等司法評議会の司法官を任命する。(憲法第57条)

国王は、恩赦の権利を行使する。(憲法第58条)

国土の一体性が脅かされたとき、または立憲体制の機能を阻害する恐れのある出来事が起こった場合、国王は、首相、上下院議長、憲法評議会議長と協議し、国民にメッセージを発した後、勅令によって非常事態を宣言することができる。その場合、国王は領土の一体性の擁護、立憲諸機関の機能回復、国事の遂行に必要な措置をとることができる。

非常事態は議会の解散を伴わない。非常事態の終了は、発令と同じ手続きでおこなわれる。(憲法第59条)

(2) 立法権:議会

1963年の国会開設以来、時期によって一院制と二院制両方の制度が採用された。現在は、二院制である。

1963年に、下院と上院からなる二院制の国会が開設された。(下院議員は、4年ごとの直接普通選挙で選出。上院議員は、6年ごとの間接普通選挙で選出。3分の2は、地方議会の代表から、3分の1は商工会議所および労働組合の代表から選出。)

この議会の会期は、20か月継続した。その後1965年から、新憲法が採択される1970年までの5年間にわたって非常事態が続き、国会不在の時期が続いた。

1970年7月31日に改正された憲法では二院制は廃止され、任期6年の一院制となった。1972年に再度改正された憲法でも一院制は維持された。1972年の改正憲法では、直接選挙で3分の1、間接選挙で3分の2を選出することを第43条に明記した。この割合は、1980年の43条改正によって、直接選挙で3分の2、間接選挙で3分の1と変更された。しかし、モロッコ国内外は不安定な時期を迎え、1971年末から1977年10月まで議会は停止されている。

1977、1984年から始まる会期、そして1992年に憲法が改正された後の1993年から始まる会期でも一院制が維持された。

1996年9月13日に改正された憲法では、二院制が再度採用された。この改正された憲法では、法案が両院それぞれで審議されることが定められた。両院間で異なる審議結果となった場合、内閣は両院から同数の代表からなる委員会を設置し、法案の採択に努めなければならない。同委員会の設置したのちも、調整がつかない場合は、下院の審議結果が優先される。

2011年7月29日に公布された新憲法でも、二院制は維持されている。

下院議員は直接選挙で選ばれ、任期は5年。人数は法律によって定められることになっている(憲法62条)。上院議員は、間接選挙で選ばれ、任期は6年である。人数は90名から120名までと定められている(憲法63条)

議会の権限は、立法と政府の行為の監視である(憲法70条)。法案の発議権は、首相と議員の両方にあり、法案はまず下院事務局に提出される。しかし、国土の一体性、地域開発、社会に関する事項については、最初に上院事務局に提出される(憲法78条)  

(3) 行政権:政府

首相は任命されたのち、両院で施政方針演説をおこなう。首相の説明した方針は両院で議論され、下院で採決される(憲法第88条)。

内閣不信任案について、下院が提出する場合は、議員の少なくとも5分の1の議員の賛成が必要である。不信任案の決議には、下院議員の絶対過半数が賛成する必要がある(憲法第105条)。上院が提出する場合は、議員の少なくとも5分の1の賛成が必要であり、決議には絶対過半数の議員の賛成が必要である(憲法第106条)。

(4) 司法権:裁判所

 モロッコの憲法は第107条で、司法権は立法権および行政権から独立していると定めている。2011年の憲法改定では、「国王は司法権独立を保障する」という一文が加えられている。また、裁判官は罷免されない(憲法第108条)。

 裁判官の昇進や懲罰を監督する司法高等評議会の議長は国王で、構成員は以下の通りである。(憲法第115条)

  • 最高裁判所長官(議長代理)
  • 最高裁判所付き国王代理検事
  • 最高裁判所第一法廷主席判事
  • 高等裁判所判事から4名
  • 第一級法廷判事から6名(高等裁判所判事からの4名と第一級法廷判事からの6名の計10名には必ず女性が含まれなければならないとしている。)
  • 調停者
  • 国立人権評議会議長
  • 「能力、不偏性、誠実さを兼ね備え、司法の独立と権利の優越に資する人物」として国王が任命した5名。この5名の中に、国王高等ウラマー評議会事務局長が提案した人物1名を含む。
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2019年1月18日

モロッコ/最近の政治変化

(1) ムハンマド五世:調停役としての国王

1956年独立を達成したモロッコ最初の国王は、ムハンマド五位であった。彼はアラウィ一朝第15代君主として1927年11月18日に即位したが、政治の実権を回復したのは、モロッコ独立後である。

彼は王制の「調停役」としての役割を強調した国王であった。保護領政府統治下のモロッコで、独立運動にとってムハンマド五世の王位回復は「独立の象徴」であった。保護領政府に対する抵抗スローガン”Thawra al-Malik wa as-Sha’b(王と国民の革命)にみられるように亡命中の王が王位に復帰することが、モロッコの独立を意味した。

「調停者」としての国王を支えたのは、独立後に創設された軍と警察の、国王に対する絶対的忠誠であり、さらに省庁と軍の大臣・長官や高級官僚の人事権を首相ではなく、国王が一手に握ったことで、国王の権力はさらに強化された。

省庁のうちで、国王権力の強化に最も直接的に関与したのは内務省である。1956年3月20日発令の勅令で、「カーイド及び知事の任命、昇進、辞職、降格、懲戒、転勤はすべて勅令によって発令されることとする」と定め、内務省の官僚および内務省管轄の役人の人事は国王がおこなった。

さらにその内務省の活動を支えたのは、軍である。軍の活動は、内務省と連動して行われ、内務省の地方役人は、その地に駐屯する軍の分団を治安維持のために発動させることができた。軍の果たすべき役割は、防衛や治安維持だけにとどまらず、中央官僚や地方役人として行政に参加することも含まれていた。軍の編成実務の責任者は皇太子、そして国王が軍人事に関する最終的裁量権を持っている。

王制にとって潜在的な脅威であるイスラーム運動を監視することも重要な内務省の職務である。この監視は、内務省が宗教省や「公的なイスラーム」を代表するウラマー協会と協力しておこなった。

立憲君主制の準備段階として、モロッコ国家諮問会議(Le Conseil national consultatif marocain)が1956年8月3日の勅令によって設立されたが、この会議は三年間しか続かなかった。

なお、ムハンマド五世は宗教的な権威を示す「アミール・アル・ムーミニーン(信徒の指揮者)」の称号を、独立後も、破棄することはなかった。独立の可視的な象徴となったことで、彼は世俗と聖の両方を、つまり保護領統治以前から有していた「アミール・アル・ムーミニーン」と独立後の近代的な意味での国家の長という二つの機能を体現することとなった。後述するように、この聖俗両面での権威を、国王があわせもつ状況は、現在に至るまで続いており、イスラーム運動への対抗手段としても重要な役割を果たしている。

(2) ハサン二世:憲法改正と権力の分配

モロッコの政治的場を構成する諸集団の間の「調停役」としての役割を推進することで、聖・俗両方の最高権威者としての国王権力の強大化を進めたムハンマド五世の後を継いだハサン二世(1961-1999年)は、憲法改正という法的手段を利用した、権力の巧みな分配によって、国王権力の強化をはかった。

独立後のモロッコ最初の憲法は1962年に制定された。1962年のアブドゥッラー・イブラヒーム内閣解散後に誕生したこの憲法では、「権力分立」とはほど遠く、国王の手にあらゆる権力が集中していた。憲法の条文をみると、モロッコは民主社会的王制(第1条)であり、憲法にかなった方法で設立された機関を通して行使される主権を有するのは国民である(第2条)と明記されている。しかし、閣僚の人事権を有するのは国王(第24条)であった。

国王は「アミール・アル・ムーミニーン」、国民の最高代表者、国家統合の象徴、国家の存在と継続の守護者であった。また信仰の擁護者であり、憲法尊重の守護者でもあった。国王は市民・共同体・組織の権利と自由を守る責任を有し、国家独立を守り、国土防衛の保障者(第19条)でもあった。しかし、緊急事態の際、介入する権利が国王に保障されていた(第35条)。どのような状況が「非常事態」であるのか、いつまでが「非常事態」なのかを判断するのは国王であり、「憲法体制を正常に再び機能させるために(第35条)」国王は、事実上無期限に無制限の権力を発動することが可能であった。実際1965年、ハサン二世は、「このまま空虚な議論を続けさせれば、モロッコの民主主義、倫理的価値観、創造への意志が失われてしまう」ことを理由に、議会を停止している。

1962年憲法では、議会は二院制と定められた(第36条)。下院議員は普通選挙で、上院議員は農商工会議所や労働組合が選出した(第44、45条)。新法が国王によって発布される前には、議会の承認か国民投票による承認が必要とされ(第26、62、73、75条)、立法権は、憲法上は議会に属していたのだが、実際は国王が「助言」することが度々であった。この憲法の文言では、国王の手に行政権を委ね、国王の立法権は制限されていた。しかし、立法権に関しても「助言」という形で、国王が大きな影響力を有していたのである。

1970年の憲法改正によって、国王権力はさらに強化された。首相の行政権の行使は、例外的な場合に制限され、しかも国王のイニシアティブによるものとされた(第29条および第62条)。この改正で、国王の行政権が強化された。また二院制が一院制に改められた(第36条)。議員の任期は6年で、直接選挙によるものと、商工会議所や職能組合を通した間接選挙によるものという二種類の選出方法が定められたが、直接・間接選挙による選出の具体的な

割合は、憲法では定められていない(第43条)。この憲法改正の直後に議会選挙が実施されたが、再度憲法改正を実施することを理由に、1971年末には1970年に開始した会期の議会が停止されている。

1972年、二度目の憲法改正が行われた。この改正では「1962年憲法と1970年憲法に定められた中間的なところ」に議会を位置づけた。一院制のままであったが、3分の1の議員を直接選挙で、3分の2の議員を間接選挙で選出することを憲法に明記し(第43条、なおこの条文は1980年5月30日の国民投票で、3分の2を直接選挙で、3分の1を間接選挙での選出に変更)、二院制放棄を補完するものとした。行政権は国王と政府に与えられていたが、国王は立法案や政府計画について「新しい解釈」を要求することが可能であり(第66条)、この国王の要求を政府が拒否することは認められていなかった(第67条)。

首相を含む閣僚全員の人事権を国王が握っていることからも、議会が国王にコントロールされる機関であったことは明白である。さらに内閣不信任案の提出に必要な議員数は、1962年憲法では総議員の10分の1であったのが1972年憲法では4分の1に引き上げられた(第75条)。この改正で、政党が政府の政策に対して不信任案を提出することはほぼ不可能となった。

また1971年ラバト郊外のスヒラートの王宮で発生したクーデター、そして1972年に発生したウフキール将軍が首謀者とされるクーデターは、いずれも未遂に終わったものの、70年、72年の憲法改正への不信を象徴する事件であった。

1972年のクーデター未遂について、ウフキール将軍はハサン二世の乗る飛行機を襲撃した首謀者とされ、後に「自殺」したとされる。「反乱を企てた、あるいは反乱を起こす可能性のある」者の最期の近似例としては、1980年代サハラ問題で功績を挙げたアフマド・ドゥリーミー将軍が卓越した人気を得るようになった後、不可解な自動車事故で亡くなった事件がある。ドゥリーミー将軍の事件以後、軍の司令官級の人物は、国王のライバルとなる程に個人的に賞賛をうけることは事実上タブーとなった。

1970年代のモロッコは、二度のクーデター未遂を経験し、隣国アルジェリアとの関係も西サハラ問題をめぐって緊迫化した。また、大衆諸勢力全国連合(UNFP:Union nationale des forces populaires)内部の対立が1972年頃から表面化し、1975年にはUNFP から分裂した大衆諸勢力社会主義連合(USFP:Union socialistes des forces populaires)が党を結成したが、同年USFPの指導者の一人で、モロッコ全国学生連合(UNEM : l’Union nationale des étudiants du Maroc)、モロッコ労働組合(UMT: l’Union marocaine du travail)の指導的立場にもあったオマル・ベンジャルーンが暗殺されるなど、国内外の政治・社会状況は不安定なものとなった。

このような状況の中で、72年の憲法改正後の1972年4月30日に予定されていた議会選挙は延期され、結局実施されたのは1977年6月3日で、1971年末に停止された議会は、1977年10月に再開されるまで空白の期間が続いた。

前述したように、省庁のなかでも内務省は王制の番人とでもいうべき存在であったが、特にその役割が強調されるようになったのは、1979年イドリース・バスリーが内務大臣に就任してからである。首相は頻繁に交代し、様々な政党の出身者が就任したのに対して、バスリーは、1999年に現国王ムハンマド六世によって解任されるまで20年間にわたって内相の職にあり、西サハラ問題など、必ずしも内務省の管轄ではない重要な政策決定にも関わった。

1992年の改正では、国王が任命した首相による他の閣僚人事の提案を受けて、国王が任命するよう変更され(第24条)、1993年の内閣組閣に際してラムラーニー新首相に国王が実際に閣僚リストの提出を求めた。ただこの内閣の閣僚には国会議員はまったく含まれておらず、主権者であるはずの国民の意思が「憲法で定められた諸機関(第2条)」の代表的機関である国会を通じて政策に反映されるような状況とは程遠かった。

また「非常事態においても国会は解散されない」と明記された(第35条)。しかし、この憲法改正により新たに設置された憲法評議会の議長、首相、国会議長に諮ったのち、非常事態を宣言し、あらゆる必要な措置を国王自身がとる権限は何ら制限されていない。

1996年、一院制を二院制に変更するための憲法改正が国民投票で承認された。

1997年11月の選挙に続いて、大衆諸勢力社会主義連合(USFP:Union socialistes des forces populaires)党首アブドゥルラフマーン・アルユースフィーの首相任命は、左翼に権力を分配することで、近い将来の皇太子(現国王ムハンマド六世)の王位継承を円滑にする布石の一つであったとも考えられよう。 

以上、これまで四度に渡った憲法改正のうち最初の二度の改正によって、行政・立法両方の権限を国王に集中させたうえで、後の二度の改正で憲法評議会の設置や非常事態での国会維持という「譲歩」、二院制の復活をおこない、そして長年国王と敵対関係にあった左翼政党党首を首相に任命して、国王権力の維持に「有益な」形で権力分配をおこなったといえよう。

(3) ムハンマド六世:経済的発展と「民主化」

1999年7月23日に、ハサン二世の死去により、皇太子がムハンマド六世として36歳で即位した。軍のコーディネーターであった皇太子時代、大衆は概ね彼に親しみやすい印象を抱いていた。

ムハンマド六世が強調しようとした国王像は「リベラルな改革者」である。スピーチで、「立憲君主制を堅持し、複数政党制、自由経済、地方分権化、法の支配、人権尊重、個人の自由を推進する」と明言した。また「父ハサン二世のすすめてきた教育改革計画と連動させて雇用問題の改善に尽くす」ど、モロッコで最も深刻な社会問題の一つである失業問題にも言及した。このスピーチは、ハサン二世即位時のものに比較するとはるかに具体性があった。ハサン二世のスピーチでは、イスラームの擁護と領土保全についての国王の決意が述べられた後、国民の義務についてのみ言及されている。当時の諸社会問題の解決などはまったく触れられることはなかった。

政治面では、バスリーに代わってアブマド・ミダーウィーが内務大臣に任命された。バスリーの内相退任を世論は非常に歓迎した。実際、前述したようにバスリーは1979年から20年間内相を務め、モロッコの「治安維持」に大きな影響力をふるった人物であり、この退任はモロッコの政治展開を民主化の方向にひきよせる契機となった。

モロッコ王制を今後揺るがしかねないほどの国民の不満を生む可能性が最も高い問題は、ムハンマド六位があえてスピーチでも言及した失業問題であろう。

失業問題は、都市部では特に深刻である。ハサン二世の死の直前、1999年7月初めにも、ラバトで大学を卒業して失業している若者たちが職を求めて抗議行動をおこした。また、大学あるいは大学院を卒業したが職のない、高学歴の失業者たちは「高学歴失業者組合(L’Association nationale des chômeurs diplomés)」を結成した。このラバトでの抗議デモは直接的には内務省を、間接的に王制に圧力を与えることとなり、ハサン二世は遅まきながら、失業問題を領土問題に次いで重要視することになった。前述したようにハサン二世は、イスラーム運動の対抗を視野に入れ、王制の宗教的正当性として「アミール・アル・ムーミニーン」としての側面の強調につとめた。ムハンマド六世もラマダーン期間中に、イスラーム世界各地から招聘された学者らが国王の前で講義をする「ドゥルース・ハサニーヤ」(その様子はテレビ中継される)を継承するなど、宗教的指導者として自己を演出する場はハサン二世のときと同様に維持している。しかし、イスラーム運動が社会的弱者の救済を担う限り、「アミール・アル・ムーミニーン」であることを強調するだけでは、有効なイスラーム運動対策とはなり得ない。ハサン二世の宗教的正当性の強調という策の裏面は内務省と警察による「治安維持」であり、すでに1992年の憲法改正で国際社会を意識して「人権の擁護」が前文に掲げられたように、人権問題を無視できる時代は過ぎた。ムハンマド六世は社会的弱者救済、具体的にはまず失業問題の解決を図ることなしには、イスラーム運動が王制の宗教的正当性を脅かす存在であり続けるだろう。即位後すぐのスピーチで国王自ら述べたように、社会・経済分野で国民に満足を与えうる「リベラルな改革者」という新たなる正当性を確立することがムハンマド六世の今後の課題となろう。

(4) イスラーム主義の挑戦

イスラーム運動は、ムハンマド六世の改革にとって障害となる可能性のある存在である。モロッコ最大のイスラーム運動である「公正と慈善の集団(Jama’ al-‘Adlwal Ikhsan)」の指導者アブドゥッサラーム・ヤースィーンは、モロッコの大衆がイスラームの教えに忠実になり、徳を備えた指導者を戴くことができれば、モロッコの諸問題は解決されると考えている。彼は欧米流の「民主主義」や「近代化」には批判的で、同時に国内の社会的不正義や汚職、政治的腐敗について、ムハンマド六世の父、ハサン二世に対して公開書簡を送って自宅軟禁となるなど体制批判を繰り返している。ただ、ヤースィーンにとって、指導者一人の手に権力が集中していても、その指導者が宗教的倫理を尊重している限り、その存在は受容できるものである。欧米流の「近代化」については、「『近代化』のイスラーム化」を目指している。ムスリムはイスラームの倫理的枠組みと社会秩序を維持する限りにおいて、欧米の科学技術や思想を借りることができる、とヤースィーンは考えている。宗教を私的空間に限定し、公的空間では法の支配を強化しようとする近代化・民主化推進に対するこのようなイスラーム運動の抵抗は、ムハンマド六世が、保護領化される以前のモロッコに比べればかなり形式的になったとはいえ、預言者ムハンマドの子孫であるシャリーフとしての側面、そして「信徒の指揮者」としての側面といった宗教的正当性を維持している限りは、王制にとって決定的な脅威とはなり得ないだろう。

モロッコでは新たに国王が即位すると、バイアの儀式がおこなわれる。ただかつてはモロッコ各地の共同体の代表者たち、宗教学者、有力者たちがバイアをおこなったが、現在では多くが政府高官、政府に雇われている宗教学者たち、官僚、宮廷に勤めている人々で、彼らと国王との関係は平等ではないため、かつてのように君主に対する要求を盛り込む余地がほとんどなく、バイヤは儀礼的なものとなる。このような原則と現実の落差に、イスラーム運動が存在する場が生まれる。しかし共同体の成員と代表者はともに良いムスリムで、常に共同体の利益を考えて行動するといったイスラーム運動の考える政治的代表の概念もまたユートピア的である点で、現実との落差があることは否定できないだろう。

ムハンマド六世が即位してから約10年が経過した。その間、これまでのモロッコ政府内での汚職や弾圧などについて積極的に摘発をおこない、2004年に公正と和解委員会(L’Instance équité et réconciliation)を設置し、ハサン二世の時代に、国王に反対する人々に対して行われた人権侵害について調査を開始したことについて、モロッコのメディアは大きく報じ歓迎した。またモロッコ史上では初めて自らの妃の姿を公にし、最近は国内だけではなく、愛知万博訪問なども含め妃単独での海外公務も増えている。

現在、英国などの西欧諸国の立憲君主制とはかなり内容が異なるが、中東諸国のなかでモロッコとヨルダンのみが憲法と国会を伴った「立憲君主制」を有している。前述したように、モロッコの場合、独立後ムハンマド五世が、保護領期以前から君主たちが依拠してきた宗教的権威を基盤に、王制を諸政治勢力の「調停役」として位置づけることで国王の権力強化をはかった。続くハサン二世は憲法改正によって、国王-権力を集中させたのち、漸次的に諸政治勢力へ権力を分配し王制の安定化をはかった。この安定化のプロセスは、王制にとって「潜在的脅威」であるイスラーム運動の対抗策としての、1970年代なかばから宗教的正当性の強調と並行してすすむこととなった。

その結果、中東地域で共和制を採用する諸国と比較して、モロッコは「安定した」社会を維持している。しかし識字率は依然国民の6割程度にとどまり、失業問題は深刻である。経済・社会面での満足感が生まれる状況をつくりだせるか否か、という点が、今後社会が王制に正当性を認める交換材料となるだろう。

(5) 国家人間開発イニシアティブ(INDH: Initiative nationale pour le développement humain)

前述のように、モロッコにおける最大の課題は、失業問題と貧困である。失業問題は特に都市部で、そして貧困問題は特に地方村落部で深刻であり、1999年に即位した国王のムハンマド六世は、家族法を改正し女性の地位向上を推進するなど、積極的に自国の抱える社会・経済状況の改革に取り組んでいった。2005年には国家人間開発イニシアティブ(INDH)を発表し、貧困対策と地域間・社会的格差の是正を目標として取り組んでいる。このイニシアティブは当初2006年から2010年までの5カ年を目途に開始されたが、現在も継続している。(国家人間開発イニシアティブについては、中川[2010]を参照。)

(6) 「アラブの春」と憲法改定

2010年末に、チュニジアに端を発した「アラブの春」の影響は、モロッコでは限定的なものとなった。2011年2月20日と3月20日に若者を中心とした抗議運動が、モロッコでも行われ、彼らの運動は「2月20日運動」として継続することとなった。

国王は、2011年3月9日に、包括的改革として憲法改定を呼びかけた。提案には、

  1. 選挙で選ばれた議会に対する国王自らの権限の縮小: 現在、首相は国王の任命であるが、それを選挙結果に基づいて国会で選ぶようにし、国王の役割を、アミール・アル・ムーミニーン(信徒の指揮者)、そして「調停者」としての役割に限定する。
  2. 権力分立の強化、特に司法の独立の強化:司法に対する政治の介入をなくす。これまで公正と和解委員会を設置して人権擁護に取り組んできたがそれをさらに推し進め、政治、経済、社会、文化、環境と発展、すべての側面において、人権システムを改革することで、個人や集団単位での自由の拡大や国家権の安定化をはかる。
  3. 地方分権:これまで中央が任命していた地方の知事を地方議会が選び、地方行政の意思決定を各地域が行うようにする。
  4. 文化の多様性の尊重:アラビア語と並んでアマジグ語を公用語とする。

その他に、個人の自由と人権の尊重、両性の法的な平等などが盛り込こまれていた。  

この憲法改定案について、2011年7月1日に国民投票が実施された。国内での投票率は73%、有効投票(在外投票分を含む)1006万3423票の98.46%を占める990万9356票の賛成を得て可決され、新憲法は7月29日に公布された。  

モロッコの場合、「アラブの春」が発生した時点で、国王によるイニシアティブで、女性の地位向上、貧困撲滅、人権、権力分立の強化など、さまざまな改革がすでに進められていた。一連の改革は、チュニジアやエジプトのような大衆の力による改革要求から発した民主化ではないが、広く国民の支持を得ていたといえる。

つまり、モロッコでも、2011年2月以降、のちに「2月20日運動」と名付けられた若者を中心とした抗議運動があり、3月20日には、首都ラバトのほかに、カサブランカやその他の都市で、35000人が参加する規模となったものの、抗議の内容は、政府に対する批判であり、王制批判の声は、一部の極左を除いて、ほとんど出ていない。4月末にも抗議デモがあったが、そこでの主張は、一部の政府高官が持つ実業界への強い影響力の排除、汚職撲滅、失業問題の改善、司法改革などであり、国王が3月9日にスピーチした内容が実現されるまで「戦う」という形での抗議運動であった。

一般国民や政党の多くは、国王の提案した憲法改革の方向性を支持し、歓迎の意を表明した。昔の共産党系の人々の中には、国王の権限をより制限したものにして、国教としてのイスラームの記載を削除することを求めている人々もいるものの、非常に少数派である。

モロッコの場合、一度デモがモロッコで起こったタイミングで、国王が憲法改革についてスピーチを行ったことで、その後の「抗議運動」にとって、いわば議論のたたき台・枠組みを提供する形となったといえる。言い換えれば、抗議運動の要求の限界を定めたことにもなったといえる。また失業や汚職といった問題、社会の上の方の階層にいる人々の社会的流動性の低さといったモロッコの根本的な問題は、憲法改定だけでは解決することは難しく、それが憲法改定案発表後に、政府高官の退任を要求する声につながったと考えられる。

(7) 穏健イスラーム政党「公正発展党」の勝利

新憲法のもとでの初めての議会選挙が、2011年11月25日に実施された。結果は、「3.選挙(3)近年の選挙 ③2011年議会選挙」に記載した通りで、公正発展党(PJD) が、107議席(27.08%)を獲得して圧勝し、同党のベンキラン党首が首相に任命された。PJDは、獲得議席数第2位のイスティクラール党(PI:60議席、)第6位の大衆運動党(MP:32議席)、第8位の進歩社会主義党(PPS:18議席)と連立政権を組むに至った。この第一次ベンキーラン内閣では、首相を除く23の閣僚ポストのうち、10をPJD選出の議員が占めた。

2013年7月に、連立政権からイスティクラール党が離脱し、第二次ベンキラン内閣が同年10月10日に発足する。第二次ベンキラン内閣には、2011年の議会選挙で第3位の議席数(52議席)を獲得した国民独立連合(RNI)が新たに連立政権に加わった。

(8) オトマーニー内閣の発足

2016年10月の議会選挙で公正発展党(PJD)は125議席を獲得し第1党となったが、その後5ヶ月間、他党との間で連立を組む合意に至らず、翌2017年3月17日、国王ムハンマド六世は、同じく公正発展党のサアードディーン・オトマーニー氏を首相として新たに任命した。

同月25日、公正発展党(PJD)、国民独立連合(RNI)、進歩社会主義党(PPS)、大衆運動(MP)、立憲連合(UC)、大衆諸勢力社会主義連合(USFP)の間で、連立を組む合意が成立し、4月5日オトマーニー内閣が発足し、現在に至っている。

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2019年1月18日

モロッコ/選挙

(1) 選挙制度

2011年憲法でもモロッコは二院制を維持している(憲法60条)。下院を構成する395名の議員は、直接普通選挙で選ばれ、任期は5年間である(旧憲法でも5年間)。上院議員は、間接選挙で選出され、任期は6年間である(旧憲法では9年間)。現在の上院は、旧憲法下での間接選挙によって選ばれた270名の議員で構成される。2011年憲法では、上院議員の定数が最低90名最高120名と改められた。そのうちの5分の3の議員は、地方議会議員で構成される集団によって、地域ごとに選出される。5分の2の議員は、職能組合(産業、農業、工芸、商業、サービス業、漁業)の代表の集団と給与所得者の代表で構成される集団によって、地域ごとに選出される。

国会の会期は通常2期(10月および4月の第2金曜日に開始)(憲法第65条)で、特別国会の開催には、勅令、下院の3分の1の議員の要請、上院の過半数の議員の要請のいずれかが必要である。(憲法第66条)。

国会は公開で、上下院とも内規を定めており、内規の合憲性については憲法評議会が監督している。下院議長は、会期の初めと3年目の4月会期に選出される。上院議長は、10月会期の初めと改選の際に選出される。

すべての法案は、上下院で審議される。下院は、内閣不信任動議を提出することができる。この動議の提出には、下院の少なくとも4分の1の議員による署名が必要である。またこの動議の可決には、下院議員全体の絶対多数の賛成が必要である。

(2) これまでの選挙・国民投票

モロッコで、独立以来実施された選挙・国民投票は30回で、詳細は次の通りである。

①国民投票(10回実施)
  • 1962年12月7日:憲法制定に関する国民投票
  • 1970年7月24日:1962年憲法改定に関する国民投票
  • 1972年3月1日:1970年憲法改定に関する国民投票
  • 1980年5月23日:1972年憲法第21条改定に関する国民投票
  • 1980年5月30日:1972年憲法第43条・95条改定に関する国民投票
  • 1984年8月31日:アラブ・アフリカ連合に関する国民投票
  • 1989年12月1日:議会議員の任期2年延長に関する国民投票(1984年からの会期は、本来1990年に終了だが2年延長)
  • 1992年9月4日:1972年憲法改定に関する国民投票
  • 1996年9月13日:1992年憲法改定に関する国民投票
  • 2011年7月1日:2011年憲法改定に関する国民投票
②地方選挙(10回実施)
  • 1960年5月29日
  • 1963年7月28日
  • 1969年10月3日
  • 1976年11月12日
  • 1983年6月10日
  • 1992年10月16日
  • 1997年6月13日
  • 2003年9月12日
  • 2009年6月12日
  • 2015年9月4日
③議会選挙(10回実施)
  • 1963年5月17日
  • 1970年8月28日
  • 1977年6月3日
  • 1984年9月14日
  • 1993年6月25日(3分の2の議員選出のための直接選挙)と1993年9月17日(3分の1選出のための間接選挙)
  • 1997年11月14日
  • 2002年9月27日
  • 2007年9月7日
  • 2011年11月25日(2011年憲法下での初めての選挙。2012年9月に予定されていたが、憲法が改定されたために、前倒しで実施された。)
  • 2016年10月6日

(3) 近年に実施された選挙

①2007年議会選挙
  • 日時:2007年9月7日午前8時~午後7時
  • 議席数:下院325議席(任期5年)
  • 選挙区:全国区=30議席分(女性割り当て) 95の地方区=295議席分
  • 候補者数:6,691名
  • 有権者数:15,510,505名(男性=51.3%、女性=48.7%)  
  • 投票率:37%
  • 投票所数:全国38,687箇所
選挙結果-獲得議席数
  • イスティクラール党(PI-Parti  Istiqlal):52議席
  • 公正発展党(PDJ-Parti de la justice et du développement):46議席
  • 大衆運動(MP-Mouvement populaire):41議席
  • 国民独立連合(RNI-Rassemblement national des indépendants):39議席
  • 大衆諸勢力社会主義連合(USFP-Union socialiste des forces populaires):38議席
  • 立憲連合(UC- Union constitutionnelle):27議席
  • 進歩社会主義党(PPS-Parti du progrès et du socialisme):17議席
  • 民主勢力前線(FFD-Front des forces démocratiques):9議席
  • 民主社会党(MDS-Mouvement démocratique et social):9議席
  • 国民民主連合党(PND)-盟約党:14議席(PND・盟約党連合:8議席、盟約党:3議席、PND:3議席)
  • 前衛民主社会党(PADS)-国民議会党(CNI)-社会主義統一党(PSU):6議席(PADS-CNI-PSU連合:5議席、CNI:1議席)
  • 労働党(PT-Parti travailliste):5議席
  • 環境発展党(PED-Parti de l’environnement et du développement):5議席
  • 再生平等党(PRE-Parti du renouveau et de l’Equité):4議席
  • 社会主義党(PS-Parti socialiste):2議席
  • モロッコ民主連合(UMD-Union marocaine pour la démocratie):2議席
  • 市民勢力(FC-Forces citoyennes)/自由連盟(ADL-Alliance des libertés)/発展・シチズンシップ・イニシアティブ(ICD-Initiative citoyenne pour le développement/復興善行党(PRV-Parti de la renaissance et de la vertu)=各々1議席
  • 無所属:5議席
②2009年地方選挙
  • 実施日:2009年6月12日
  • 議席数:27795議席
  • 選挙区数:1503 (都市部:221 、農村部:1282 )
  • 候補者数:130223名-人口35,000人以下の地区(1人区)の候補者数:55751名 
  • 人口35000人以上の地区(比例代表)の候補者数:59188名
  • 女性候補者向け名簿での候補者数:15284名
  • 有権者数:13,360,219名
  • 投票者数:7,005,050名
  • 投票率:52.4%
  • 投票所数:38285箇所
選挙結果・・・獲得議席数(得票率 %)
  • 正統近代党(PAM:Parti authencité et modernité): 6015(21.7%)
  • イスティクラール党(PI:Parti Istiqlal): 5292 (19,1 %).
  • 国民独立連合(RNI:Rassemblement national des indépendants) : 4112 (14,8 %).
  • 大衆諸勢力社会主義連合(USFP:Union socialiste des forces populaires): 3226 (11,6 %).
  • 大衆運動(MP:Mouvement populaire) : 2213 (8 %).
  • 公正発展党(PJD:Parti de la justice et du développement) : 1513 (5,5 %).
  • 立憲連合(UC:Union constitutionnelle) : 1307 (4,7 %).
  • 進歩社会主義党(PPS:Parti du progrès et du socialisme)  : 1102 (4 %).
  • 民主勢力前線(FFD :Front des forces démocratiques): 678 (2,4 %).
  • 前衛民主社会党・国民議会党・社会主義統一党連合(PADS-CNI-PSU:Parti de l’avant-garde démocratique et socialiste, Congrès nationale ittihadi, Parti socialiste unifié) : 475 (1,7 %).
  • 民主社会党(MDS:Mouvement démocratique et social): 319 (1,2 %).
  • 民主協約党(Parti Al-Ahd Addimocrati): 294 (1,1 %).
  • 労働党(PT :Parti travailliste): 288 (1 %).
  • 再生平等党(PRE:Parti du renouveau et de l’équité) : 181 (0,7 %).
  • 環境と持続可能な発展党(PEDD:Parti de l’environnement et du développement durable) : 106 (0,4 %).
  • モロッコ自由党(PML:Parti marocain libéral) : 90 (0,3 %).
  • 統一民主党(PUD :Parti de l’unité et de la démocratie): 84 (0,3 %).
  • 改革発展党(PRD:Parti de la réforme et du développement) : 82 (0,3 %).
  • 社会党(PS:Parti socialiste) : 81 (0,3 %).
  • •市民勢力党(PFC:Parti des forces citoyennes) : 47 (0,2 %).
  • 無所属(SAP:Sans appartenance politique): 47 (0,2 %).
  • 復興善行党(PRV:Parti de la renaissance et de la vertu) : 30 (0,1 %).
  • 国民行動党(PAN :Parti de l’action nationale): 23 (0,1 %).
  • 行動党(PA :Parti de l’action): 21 (0,1 %).
  • 希望党(PE :Parti de l’espoir): 14 (0,1 %).
  • 民主社会党(PSD:Parti de la société démocratique) : 12 (0,0 %).
  • 民主主義のためのモロッコ連合(UMD:Union marocaine pour la démocratie) : 7 (0,0 %).
  • 自由社会正義党(PLJS:Parti de la liberté et de la justice sociale) : 7 (0,0 %). 
③2011年議会選挙
  • 日時:2011年11月25日
  • 議席数:下院395議席(任期5年)
  • 方式:比例代表制・中選挙区制
  • 選挙区:
    • 全国区=比例代表制:90議席分(30議席分=若年候補者割り当て、60議席分=女性候補者割り当て)
    •  92の選挙区:305議席分
  • 投票率:45.40%
選挙結果-獲得議席数
  • 公正発展党Parti de la Justice et du Développement (PJD) : 107議席(27.08%) 
  • イスティクラール党Parti de l’Istiqlal (PI) : 60議席(15.19% ) 
  • 国民独立連合Rassemblement National des Indépendants (RNI) : 52議席(13.16% ) 
  • 正統近代党Parti Authenticité et Modernité (PAM) : 47議席(11.90%) 
  • 大衆諸勢力社会主義連合Union Socialiste des Forces Populaires (USFP) : 39議席(9.87%) 
  • 大衆運動Mouvement Populaire (MP) : 32議席(8.10%) 
  • 立憲連合Union Constitutionnelle (UC) : 23議席(5.32%) 
  • 進歩社会主義党Parti du Progrès et du Socialisme (PPS) : 18議席(4.55%) 
  • 労働党Parti Travailliste (PT) : 4議席(1%) 
  • 社会民主運動Mouvement Démocratique et Social (MDS) : 2議席(0.50%) 
  • 再生平等党Parti du Renouveau et de l’Equité (PRE) : 2議席(0.50%) 
  • 環境と持続可能な発展党Parti de l’Environnement et du Développement durable : 2議席(0.50%) 
  • 民主協約党 Parti Al Ahd Addimocrati : 2議席(0.50%) 
  • 左翼緑の党Parti de la Gauche Verte : 1議席(0.25%) 
  • 自由社会正義党Parti de la Liberté et de la Justice Sociale : 1議席(0.25%) 
  • 民主勢力前線 Front des Forces Démocratiques (FFD) : 1議席(0.25%) 
  • 行動党Parti de l’Action (PA) : 1議席(0.25%) 
  • 統一民主党Parti Unité et Démocratie : 1議席(0.25%) 
④2015年地方選挙 
〈地方議会〉
  • 実施日:2015年9月4日
  • 議席数:678議席
  • 選挙区数:12
  • 投票者数:8,096,132名
  • 投票率:53.67%

選挙結果・・・獲得議席数・獲得票数(得票率 %)

  1. 公正発展党(PJD: Parti de la justice et du développement)174 議席・1,672,178票  (25.6 % )
  2. 正統近代党(PAM :Parti authencité et modernité): 132議席・1,318,700票(19.4 %) 
  3. イスティクラール党(PI : Parti de l’Istiqlal) : 119議席・1,057,658票(17.55 %)
  4. 国民独立連合( RNI : Rassemblement national des indépendants) : 90議席・883.421票(13.27 %) 
  5. 大衆運動(MP : Mouvement populaire) : 58議席・631,817  票(8.55 %)
  6. 大衆諸勢力社会主義連合 Union socialiste des forces populaires : 48議席・546,472票 (7.08 %)
  7. 立憲連合 Union constitutionnelle :27 議席・493,277 票( 3.98 %)
  8. 進歩社会主義党 Parti du progrès et du socialisme : 23議席・413,238票(3.39 %)
  9. 民主社会運動 Mouvement démocratique et social : 2議席・65, 554票(0.29 %)
  10. 民主協約党 Parti Al Ahd Addimocrati : 2議席・29,798票(0.29%)
  11. 改革発展党 Parti de la réforme et du développement : 2議席・9 600票(0.29%) 
  12. 左派民主連盟 Fédération de la gauche démocratique :  1議席・90,998票(0.15%) 

※9,10,11,12の党は、7議席を協議の上配分したため、それぞれの議席数は得票数に比例していない。

〈市議会〉
  • 実施日:2015 年9月4日
  • 総議席数: 31443議席
  • 投票者数:8,096,132名
  • 投票率:53.67%

選挙結果(獲得議席数・%)

  1. 正統近代党Parti authenticité et modernité (PAM) 6,655 議席(21.16 %),
  2. イスティクラール党Parti de l’Istiqlal (PI) 5,106 議席(16.23%)
  3. 公正発展党Parti de la justice et du développement (PJD) 5,021 議席(15.96 %).
  4. 国民独立連合Rassemblement national des indépendants (RNI)4,408 議席(14.01%)
  5. 大衆運動Mouvement populaire (MP) 3,007 議席(9.56%),
  6. 大衆諸勢力社会主義連合Union socialiste des forces populaires (USFP) 2,656 議席(8.44%),
  7. 進歩社会主義党Parti du progrès et du socialisme (PPS) 1,766 議席(5.61%)
  8. 立憲連合Union constitutionnelle (UC) 1,489 議席(4.73 %),
  9. 左派民主連盟 Fédération de la gauche démocratique (FGD) 333 議席(1.06%),
  10. 民主社会運動Mouvement démocratique et social (MDS) 297 議席(0.94 %),
  11. 民主勢力前線Front des forces démocratiques (FFD) 193 議席(0.61%)
  12. 民主協約党 Parti Al Ahd Addimocrati (PAA) 142 議席(0.45%)
    以下合計370議席(1.17%)
  13. Parti de l’Environnement et du Développement Durable (PEDD) 79議席
  14. Parti de l’Unicité et de la Démocratie (PUD) 65議席
  15. Parti de la Renaissance et de la Vertu (PRV) 54議席
  16. Parti de la Réforme et du Développement (PRD) 39議席
  17. Parti du Renouveau et de l’Equité (PRE) 25議席
  18. Parti de l’Union marocaine pour la Démocratie (UMD) 21議席
  19. Parti de l’Action (PA) 15議席
  20. Parti National Démocrate (PDN) 13議席
  21. Parti de la Liberté et de la Justice Sociale (PLJS) 12議席
  22. Parti du Centre Social (PCS)11議席
  23. Parti des Néo-démocrates 10議席
  24. Parti de l’Espoir (parti Al-Amal) 7議席
  25. Parti Démocratique et de l’Indépendance (PDI)6議席
  26. Parti Marocain Libéral (PML), 5議席
  27. Parti de la Gauche Verte Marocaine (PGVM) 5議席
  28. Parti d’Annahda, 3議席
⑤2016年議会選挙 
  • 実施日:2016年10月6日
  • 議席数:下院395議席(任期5年)
  • 方式:比例代表制・中選挙区制
  • 選挙区:
    • 全国区=比例代表制:90議席分
      • 30議席分=若年候補者割り当て
      • 60議席分=女性候補者割り当て
    • 92の選挙区:305議席分
  • 投票率:42.29%
選挙結果(獲得議席数・%)
  1. 公正発展党Parti de la justice et du développement (PJD) 125議席( 31.64%)
  2. 正統近代党Parti authenticité et modernité (PAM) 102議席( 25.82%)
  3. イスティクラール党Parti de l’Istiqlal (PI)46議席( 11.64 %)
  4. 国民独立連合Rassemblement national des indépendants (RNI) 37議席( 9.36 %)
  5. 大衆運動Mouvement populaire (MP) 27議席(6.83%)
  6. 大衆諸勢力社会主義連合Union socialiste des forces populaires (USFP) 20議席( 5.06%) 
  7. 立憲連合Union constitutionnelle (UC) 19議席( 4.81%)
  8. 進歩社会主義党Parti du progrès et du socialisme (PPS) 12議席( 3.03%)
  9. 民主社会運動Mouvement démocratique et social (MDS) 3議席( 0.75%)
  10. 左派民主連盟Fédération de la gauche démocratique (FGD) 2議席( 0.5%)
  11. 統一民主党Parti de l’unité et de la démocratie (PUD) 1議席( 0.25%)
  12. 左派緑の党Parti de la gauche verte (PGV) 1議席( 0.25%)
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2019年1月18日

モロッコ/政党

(1) 政党制度

2011年に改定された憲法では、第7条で、「政党は男女両方の市民の政治的枠組・組織であり、市民の国民生活への参加を促進し、公的な事項の運営をおこなう。また政党は、憲法の枠組に沿って、民主的な手段で、多元主義と政権交代を基盤として、有権者の意思の表明に協力し、権力の行使に参加する。政党の綱領と政党活動は、憲法と法律を尊重している限り、自由である」と定められている。また同じく第7条で、一党制は合法ではないと定めている。

2006年に公布された政党法では、「いかなる政党も、特定の宗教・言語・民族・地域を基盤にすることはできない。またあらゆる形態の差別に基づいたり、人権に反することはできない」(第4条)と定められている。特定の地域の利益擁護に偏った政党が誕生することを避けるために、政党法第8条では、創設時に必要とされる300名以上の党員の住所が、全国の半数以上の地域にあり、一つの地域における党員の割合が5%以上であることが、新党結成条件の一つとされている。政党法第57条では、武装してデモを行うこと、武装部門や民兵を組織すること、体制転覆やイスラーム、王制および領土の一体性への攻撃を目的とした場合は、内務省はラバトの行政裁判所に要請し、その政党を解党することができると定められている。

(2) 政党

現在モロッコには30を超える政党があり、様々な綱領をかかげている。以下、主要政党に関する情報をまとめておく。

イスティクラール党(Hizb al-Istiqlal, Parti Istiqlal ) 

政党HP: http://www.partistiqlal.org/ 

1944年に設立された民族主義政党。「イスティクラール」は「独立」の意。現在の政治路線は保守系で、1998年2月から党首はアッバース・エルファースィー。

1934年にモロッコ最初の政党として国民行動連合(Kutla al- ‘Amal al-Watani, Comité de l’Action Nationale)が誕生した。国民行動連合は、保護領政府が出したベルベル勅令に反対して、モロッコの独立運動を指導したアッラール・ファースィーやアフマド・バラフレージュらが結成した政党で、保護領政府に対して政治や社会改革案を提出したが、指導者らは弾圧され、党は非合法化された。アッラール・ファースィーらは、1937年に国民行動連合に代わって、国民改革党を結成し、これが後にイスティクラール党へと発展した。

2007年9月7日の議会選挙では、52議席を獲得し第一党となり、国王は同年9月19日にイスティクラール党党首であるアッバース・エルファースィーを首相に任命した。アッバース・エルファースィー首相は、ムハンマド六世が国王になってから任命した二人目の首相であるが、前任者であるイドリース・ジェットゥは過去に国務大臣をつとめ、政治的なキャリアもあるものの、どの党にも属していない実業家であり、首相任命の前に行われた2002年9月の議会選挙では、大衆社会主義勢力連合、イスティクラール党、公正発展党、国民独立連合の順で議席を獲得しており、ジェットゥ氏の首相任命は選挙結果を尊重したものとはいえなかった。

大衆諸勢力社会主義連合(al-Ittihad al-Ishtiraki lil-Qwat al-Sha‘biya, USFP:Union socialiste des forces populaires)  

政党HP:

  • http://www.usfp.ma/index_ar.php (アラビア語) 
  • http://www.usfp.ma/ (フランス語)

1975年にUNFP(Union Nationale des ForcesPopulaires)から分離して設立された左派政党。2008年11月、当時のアッバース・エルファースィー内閣で法相をつとめていたアブドゥルワヒド・ラーディーが党首に選出された。同党は、1998年から2002年まで、当時のアブドゥルラフマーン・アル・ユースフィー党首が首相をつとめ、政権を担当した。   

アブドゥルラフマーン・アル・ユースフィーは、もともとイスティクラール党のメンバーで、イスティクラール党の左派グループに属していたマフディ・ベン・バルカ、アブドゥルラヒーム・ブアビド、アブダッラー・イブラヒームらと共に1959年にUNFPを設立した。UNFP は王制にとっての反対勢力であったため、ユースフィーも逮捕され、その後釈放されたが、マフディ・ベン・バルカがパリで行方不明になった事件の裁判に参加するためパリを訪れたことをきっかけに、1965年から15年間パリで亡命生活を送る。1980年に恩赦を受けてモロッコに帰国。1992年からUSFPの党首となる。1997年の議会選挙で、USFPは第一党となり、1998年より首相をつとめた。当時の国王ハサン二世が、かつて敵対していたユースフィーを首相に任命したことは、大きな話題となった。

2007年の議会選挙では、38議席を獲得するにとどまり、第5党となった。2011年の議会選挙でも、獲得議席数は39で、同じく第5党となった。

公正発展党(Hizb al-‘Adala wa at-Tanmiya , PJD:Parti de la justice et du développement)  

政党HP:http://www.pjd.ma/

1998年に設立されたイスラーム主義的傾向の政党。2007年より党首はアブディッラー・ベンキラン。1967年に設立された大衆立憲民主運動(MPCD:Mouvement populaire, constitutionnel et démocratique )を前身としている。

2007年の議会選挙では、46議席を獲得する躍進をみせ、イスティクラール党に次ぐ第2党となった。

2011年11月25日に実施された議会選挙では、107議席を獲得し、第1党となった。2011年に発布された新憲法で定められた通り、下院第一党となった同党の党首であるベンキランが首相に就任した。  

大衆運動党(Hizb al-Haraka al-Sha‘biya , MP:Mouvement populaire)  

政党HP:http://www.alharaka.ma/ 

1957年設立の中道左派政党。現在の党首は、モハンド・ラエンセル。

1958年の公的自由に関する勅令によって、1959年に合法な政党となった。立憲王制、領土の一体性を支持する。またモロッコ国王の一側面である「信徒の指揮者」としての役割は、モロッコ社会の安定に不可欠であるとするが、他宗教の共存はモロッコの伝統であるとし、あらゆる形での過激主義や宗教の政治利用に反対している。またアマジグ(ベルベル)文化は、モロッコの文化的な源であるとし、アマジグの言語も、モロッコの国語として憲法に明記されることを要求している。

2007年9月7日の議会選挙では、41議席を獲得し、第3党となったが、2011年の議会選挙では、32議席まで議席を減らし、第6党となった。

国民独立連合(Hizb al-Tajammu‘al-Watani  lil-Ahrar , RNI:Rassemblement national des indépendants)  

1978年(1979年)に設立した中道右派政党。党首は、経済財政大臣であるサラハッディーン・メズワール(2010年1月就任)が務めている。党の創設者であるアフマド・オスマンは、1972年~1979年まで首相をつとめた後、1984年~1992年まで国会議長をつとめた。

2007年9月7日の議会選挙では、39議席を獲得し、第4党となった。2011年の議会選挙では、獲得議席数を52に増やし、第3党となった。

立憲連合(al-Ittihad al-Dusturi, UC:Union constitutionnelle) 

1983年に設立された保守・リベラル政党。創設者のマアティ・ブアビドは、1979年から1983年まで首相をつとめた。現在の党首は、ムハンマド・アビド。2007年の議会選挙では、27議席、2011年の議会選挙では23議席を獲得した。

正統近代党(Hizb al-Asala wal-Mu‘asila , PAM:Parti authencité et modernité) 

政党HP:http://www.pam.ma/

2009年から党首は、ドリス・ジェットゥ内閣で保健大臣をつとめたムハンマド・シェイフ・ビアディッラー。

2008年に、アハド党(le Parti al ahd), 環境開発党(le Parti de l’environnement et du développement)、自由同盟(l’Alliance des libertés)、開発のための市民イニシアティブ(le Parti initiative citoyenne pour le développement)、国民民主党(PND: Le Parti national démocrate)の五つの政党を連合して設立された。設立には、現国王であるムハンマド六世の親しい友人であるフアド・アリー・アル・ヒンマが深くかかわっている。設立の翌年2009年に実施された地方選挙では、イスティクラール党や国民独立連合を抜いて、第一党となり、全議席の21.7%にあたる計6015議席を獲得した。初の議会選挙となった2011年の選挙では、47議席を獲得し、第4党となっている。

その他の諸政党

  • 進歩社会主義党(PPS: Parti du progrès et du socialisme )
  • モロッコ共産党(PCM:Parti communiste marocain)は1943年に設立されたが、1952年に非合法化され、1969年に解放社会主義党(PLS: Parti de la libération et du socialisme)として再結成され、1974年に進歩社会主義党(PPS: Parti du progrès et du socialisme )として合法化された。
  • 民主独立党(PDI:Parti démocratique et de l’independence)イスティクラール党から分離して、1946年に設立。
  • 行動党(PA: le Parti de l’action)1974年設立の社会主義政党。
  • 中央社会党(PCS: le Parti du centre social)1984年設立の社会主義政党。
  • 前衛民主社会党(PADS :le Parti de l’avant garde démocratique et social)1991年設立の社会主義政党。
  • 民主社会運動(MDS: le Mouvement démocrate social )1996年設立の社会主義政党。
  • 民主勢力前線(FFD:le Parti du front des forces démocratiques)1997年設立。
  • 希望党(PE :Parti de l’espoir)1999年設立。
  • 市民勢力党(PFC :le Parti des forces citoyennes)2001年設立。
  • 統一国民会議(CNI: le Congrès national ittihadi )2001年設立。
  • 改革発展党(PRD: le Parti de la réforme et du développement)2001年設立。
  • 再生平等党(PRE:le Parti du renouveau et de l’equité)2002年設立。
  • モロッコ自由党(PML: le Parti marocain libéral)2002年設立。
  • 労働党(PT :Parti travailliste) 2005年設立。
  • 復興善行党(PRV:Parti de la renaissance et de la vertu) 2005年設立。
  • 社会主義統一党連合(PSU:Parti socialiste unifié )2005年設立。2002年、民主大衆行動機構(OADP:l’Organisation de l’action démocratique et populaire)、民主独立運動(MDI:le Mouvement des démocrates indépendants)、民主運動(MPD:le Mouvement pour la démocratie)が連合して、統一左派社会主義党(PGSU:le Parti de la gauche socialiste unifiée)を創設。2005年にPGSUがPSUに発展解消。
  • 社会党(PS:Parti socialiste) 2006年設立。
  • 民主社会党(PSD:Parti de la société démocratique) 2007年設立
  • 環境と持続可能な発展党(PEDD:Parti de l’environnement et du développement durable) 2009年設立。

上記の政党と統合した諸政党

  • 国民民主党(PND: Le Parti national démocrate)1979年設立。後に正統近代党(PAM)に統合。
  • 国民大衆運動(MNP:le Mouvement national populaire)1991年に設立され、2002年の議会選挙で18議席を獲得したが、後に大衆運動党(MP)に統合。
  • 社会民主党(PSD: le Parti socialiste démocratique )1996年設立。後にUSFPに統合。
  • 民主連合(UD:l’Union démocratique)2001年に設立。後に大衆運動党(MP)に統合。
  • 自由同盟(ADL:l’Alliance des libertés)、開発のための市民イニシアティブ(ICD: Initiatives citoyennes pour le développement)、アハド党(le Parti Al Ahd)、環境開発党(PED :le Parti de l’environnement et du développement )はいずれも2002年設立され、後に正統近代党(PAM)に統合。
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