「イラク」カテゴリーの記事一覧

2019年1月18日

イラク/現在の政治体制・制度

現在のイラクの政治体制は、2005年10月に国民投票で承認された新憲法によると、「共和制、代議制(議会制)、民主制」(第1条)と定義されている。世俗主義を党是としていたバアス党が2003年に倒れた後、宗教政党が大きく躍進したが、イラン型の「法学者の統治」は受け入れられておらず、宗教法学者は最高政治権力者である首相の座にはつかないことが暗黙の了解となっている。

新憲法は、大統領の役割を「国家の長、国家統一のシンボルであり、国家の主権を体現する」(第67条)と定める一方、首相は「国家の政策を遂行する責任者、軍の指揮官」(第78条)であるとしている。首相の選出は大統領の指名によって行われるが、その人選は、与党となる議会の最大政党が行うとされており(第76条第1項)、首相が閣僚を指名した後、議会の絶対過半数の賛成を経て内閣が発足する。従って、大統領は存在するが、制度としては議院内閣制に近い。国民議会は大統領・首相を罷免できるが、大統領・首相に国民議会の解散権はない。議会自体が解散を決定することは可能だが、2003年以降解散したことはなく、毎回4年の任期満了に伴って選挙が実施されている。

移行措置として、憲法制定後の最初の国民議会の任期(2006年からの4年間)に限って、大統領と副大統領2名で構成される「大統領評議会」が設けられ、議会を通過した法案に対する拒否権が付与されるなど大統領に一定の権限が存在した。しかし、これは当初から事前措置であり、現在はこうした権限はなくなっている。大統領は名誉職であるため、仮に法案に反対して署名せずとも、法律としては有効となる。

イラク戦争後に占領統治を行っていたCPA(連合国暫定当局)が設立した統治評議会(2003年7月発足)や暫定政府(2004年6月発足)が民族・宗派別の数合わせによる構成であったことや、2005年の議会選挙結果において、宗派・民族ごとのエスニック政党(特定のエスニック集団を基盤として形成され、かつその特定のエスニック集団からの支持に全面的に依存する政党)の躍進が顕著なものとなったことから、2006年に発足した初の正式政府である第一次マーリキ政権においては、挙国一致内閣との建前のもと、主要政党がほぼすべて与党に入り、議席数に応じてポストを分け合うクオータ・システムに依ることとなった。その後の政権に構成においても、首相はシーア派、国会議長はスンナ派、大統領はクルドから選出され、大臣ポストを分け合うことが慣例的に続いてきた。

2018年5月に行われた国民議会選挙では、一部のシーア派政党からスンナ派政治家が立候補し、スンナ派住民からの票を獲得するなど、宗派横断的な現象も見られた。しかしその背景には、2014~2018年の対IS掃討作戦で中心となったシーア派政党の勢力が増す一方で、分裂傾向が激しいスンナ派政党は特定の選挙区(県)に依存したごく狭い支持基盤でしか集票できなくなっているという現実があり、上記の宗派横断的な現象は、イラク全土を代表する政党が出現したことを意味していない。また、北部のクルド人自治区では、イラク国民議会選挙であっても非クルド政党はほとんど得票できず、クルド政党間の争いとなっている。

参考文献

  • イラク憲法 (http://www.parliament.iq/)
  • 移行期間のためのイラク国家施政法
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2019年1月18日

イラク/最近の政治変化

イラクの民主化は、2003年3月のイラク戦争による旧フセイン政権の崩壊という劇的な形でもたらされた。しかし、戦後の占領統治を主導した米国が明確な統治プランを持っていなかったことから、戦後統治は迷走を極めた。CPA(連合国暫定当局)は、2003年7月にイラク人の代表組織として、亡命政治家を中心に25名からなる統治評議会を発足させたものの、正統性の確保に失敗し、また反米武装勢力の攻撃も次第に増加していったことから、2003年11月に、従来の政策を変更して占領統治体制終了を前倒しすることを統治評議会と合意した。 この合意に基づき、2004年3月8日に、イラク暫定政府に主権が移譲されてから恒久憲法の公布を経て正式政権の樹立に至るまでの政治プロセスを定めた「移行期間のためのイラク国家施政法」(基本法)が成立した。このスケジュールに従って、2005年に新憲法の起草や国民投票、二度の国民議会選挙が執り行われ、2006年5月の正式政権の発足をもって「民主化」プロセスは終了した。

しかし、こうした一連の民主化プロセスは、イラクに安定的な民主主義をもたらさなかった。理由の一つは、2005年1月 の制憲国民議会選挙の際、スンナ派住民が多い中部では極端に投票率が低かったことで、憲法にスンナ派政治勢力の意見が反映されなかった点にある。その後予定されていた憲法改正も棚上げ状態となり、イラク国家のあり方に対し、国内における合意の形成ができていない。さらに、2003年夏から反米武装闘争が活発化したことに加えて、2005年頃からは宗派間対立も顕著になった。米軍やイラク政府に協力する一般市民・政治家らを狙うスンナ派の武装勢力・過激派と、主として警察組織に浸透したシーア派民兵との間で報復攻撃がじわじわと拡大し、特に2006年以降、内乱状態に陥ったことは、イラク政界における政党・政治家間の協調を極めて難しくしたことが指摘できる。

他方、そうした内乱状況は結果的に勝者を生み出さなかった。過激派と地元の武装勢力間の亀裂、米軍の増派戦略、民兵間の停戦合意などを経て、治安状況は2007年後半から徐々に回復に向かった。イラク政府や議会はしばしば機能不全に陥りながらも完全には崩壊せず、国民議会は4年の任期を満了して2010年3月、さらに2014年4月は再度、国民議会選挙が実施された。しかしながら、2013年初頃から、マーリキ首相の強権統治に反発したスンナ派住民が中部で反政府デモを度々組織するようになり、市民の不満を利用する形で過激な武装勢力が再び力をつけ始め、隣国シリアの内戦の影響もあり、ついに2014年6月にはモスルなど中部の複数の主要都市が陥落するに至った。混乱の中で2014年9月にハイダル・アバーディを首相とする新政権が発足し、イラク政府は隣国イランや米国政府からの軍事支援を得て、その後3年以降をかけてようやくISをイラク国内から掃討した。

この過程で、敗退したイラク軍・警察に変わってシーア派民兵が国内外からの支援を得て軍事的に活躍し、人民動員部隊として半公的な立場を確保するに至った。また、北部クルド地域のクルド兵士ペシュメルガも、欧米からの支援を得てISの駆逐と同時に支配領域を拡張させた他、自警団的なスンナ派組織も形成されている。このように、ISの掃討は実現したものの、半公的な様々な武装集団の間で指揮命令系統が極めて複雑化するという状況が生まれている。

また、2003年以降のイラクが宗派・民族間でポストを分け合うクオータ・システムを採用した背景には、挙国一致という体裁をとることで少数派を決定的に排除することを防ぐという理由があった。しかしながら、野党不在の総与党体制となったことで政権へのチェック機能が働かなくなるという問題が生じている。その最たる問題とみられているのは汚職問題である。イラク戦争から10年以上が経ち、2010年代半ばまで原油価格が高い水準で推移したにもかかわらず、イラク全土の復興ペースが極めて遅く、市民が満足できるレベルの公共サービスが提供されていないことに極めて大きな不満が募っている。クオータ・システムの結果として、政界では、仮に汚職疑惑で大臣が離任しても後任はその大臣ポスト枠を持つ同じ政党から選出されるなど、説明責任の問われていない。加えて、汚職の追及自体が政争化する傾向にある。こうしたことから新たな政治システムが必要だとの認識が広まっている。しかし、選挙の時点で各党はスローガン以上の詳細な政策を戦わせているわけでもなく、一定の政策を軸に政党が形成されているわけでもないことから、機能的な政府のあり方について合意ができているとは言えない状況が続いている。

<イラク戦争後の政治プロセス>
  • 2004年3月:基本法制定
  • 2004年6月:暫定政府組閣、主権移譲
  • 2004年8月:国民大会議開催、諮問評議会議員選出
  • 2005年1月:制憲議会選挙
  • 2005年5月:移行政府組閣
  • 2005年8月:憲法草案を議会承認
  • 2005年10月:憲法草案の国民投票
  • 2005年12月:国民議会選挙
  • 2006年5月:本格政権(第一次マーリキ政権)発足
  • 2010年3月:国民議会選挙
  • 2010年12月:第二次マーリキ政権発足
  • 2014年4月:国民議会選挙
  • 2014年9月:アバーディ政権発足
  • 2018年5月:国民議会選挙

参考文献

  • 移行期間のためのイラク国家施政法
  • 中東経済研究所『イラク 中東諸国の政府機構と人脈等に関する調査』2005年3月
  • 吉岡明子「イラク-戦後統治体制をめぐる迷路」『中東の新たな秩序』(松尾昌樹・岡野内正・吉川卓郎編著)ミネルヴァ書房、2016年
  • 吉岡明子「2018年イラク国民議会選挙分析-低投票率と不正疑惑からみる民主化の課題-」『中東動向分析』日本エネルギー経済研究所中東研究センター、2018年6月
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2019年1月18日

イラク/選挙

イラク戦争後、イラク暫定政府に主権が移譲されてから恒久憲法の公布を経て正式政権の樹立に至るまでの政治プロセスを定めた「移行期間のためのイラク国家施政法」(基本法、2004年3月8日成立)に則り、2005年1月30日と、2005年12月15日に国民議会選挙が行われた。最初の選挙は、憲法起草のための制憲議会選挙であり、2度目は通常の議会選挙となっているため、議会の役割は必ずしも同じではなく、その正式名称も最初の制憲議会がal-Jam’iya al-Wataniya、2度目の通常議会がMajlis al-Nuwwabと区別されている。しかし、2度の議会選挙はその参加政党や国民にとって連続性のあるものと捉えられていると言える。その後、議会任期満了を経て2010年3月、2014年4月、2018年5月に国民議会選挙が実施されている。

<選挙制度:2005年1月>

2005年1月までの選挙実施のために、2004年3月から5月にかけて、国連スタッフがイラク国内で選挙管理委員会や政治家、宗教関係者らと会合を行い、いくつかの選挙制度を提示した。2000万 以上の人口を抱える国で、人口統計も不備な中、半年強の準備期間で国政選挙を行わなければならないことから、選挙制度の選択にあたってはその実現可能性が もっとも考慮され、最終的にイラク選挙管理委員会が全国一区の比例代表制を採用することを決定した。その後、統治評議会の認可を得て、2004年6月のCPA Order第96号「選挙法」に盛り込まれた。議席数は275議 席。選挙に出馬する政党は、「政治団体」として選管に登録されなければならず、個人としての立候補も可能である。登録された政党は、単独あるいは 他政党と連合を組んで候補者リストを選管に提出するが、主要政党はいずれも政党連合を形成した。選挙はクローズド・リスト(拘束名簿式比例代表制)で行われ、有権者は政党にのみ投票する。政党が獲得した票数に応じて議席数が決定され、当選者は各政党が前もって作成した候補者リストの上位から掲載順に当選が決まる。選管への提出後に順位を変更することはできない。なお、憲法によって4分の1以上の女性議員比率を実現することを求められているため(第46条第4条)、リストの掲載順を決定する際、必ず3名ごとに最低1名の女性を含まなければならないとされた。

<選挙制度:2005年12月>

2005年1月の選挙で採用された、全国一区の比例代表制という選挙制度がもたらした問題は、2005年1月の選挙でスンナ派住民が多い中部の投票率が極めて低かった結果、シーア派とクルドの票が人口比以上に議席に反映されたことであった。シーア派宗教勢力を中心とする統一イラク連合(140議席)と、クルドの二大政党が中心となって形成したクルディスタン同盟(75議席)の上位2政党だけで議席の78%を占める結果となった。この問題への対応から、12月の選挙で採用された選挙法では、全国を一区とするのではなく18県をそれぞれ一選挙区して設定することになった。制度としては引き続き、クローズド・リスト(拘束名簿式比例代表制)で実施された。

正確な有権者数が不明であったことから、各県への議席の配分は食糧配給名簿に基づいて行われ、合計230議席が18選挙区に割り当てられた。残る45議席については、補償議席として各選挙区で議席獲得に至らなかった小党に優先的に配分される(さらにその残りは、前回同様全国区比例代表制で各党に配分される)。しかし、実際にこの補償議席の仕組みによって議席を獲得することが可能となった政党は1つで、1議席のみであった。

<選挙制度:2010年3月>

およそ4年ぶりに国民議会選挙を実施するにあたって、選挙法にいくつかの変更がなされた。まず、クローズド・リスト方式(拘束名簿式比例代表制)からオープン・リスト方式(非拘束名簿式比例代表制)となり、有権者は、党とその党に所属する個人の両方に投票できるようになった。オープン・リスト方式は2009年1月 に行われた県議会選挙で初めて実施されたが、その際、比例名簿上位の候補者の落選が相次ぐ結果となった。そのため、多くの政党は国政選挙でのオープン・リスト採用に本音では 否定的だったが、透明性のある選挙を求める世論に押される形で採用が決まった。党が得た得票総数で獲得議席数が決まり、個々の立候補者の得票数に応じて当選者が決まる仕組みである。なお、憲法上4分の1以上の女性議員比率を実現する必要があるため、女性候補は獲得票数が少なくとも優先的に当選することなる。

また、「人口10万人につき1議席」との憲法上の規定に基づき、人口増加を反映して議席が拡大された。正確な人口統計が存在していないため、各県へ増加議席を分配するにあたって国民議会における議論は紛糾を極め、結局議席数は275議席から325議席まで膨らむこととなった。このうち、各県ごとの選挙区に310議席が割り当てられ、キリスト教徒などのマイノリティ枠として5県において計8議席が配分されることになった。補償議席は7議席設けられたが、この議席は各県ごとの選挙区で1議席以上獲得した政党間で、全国の得票数に応じて配分されることになっており、小党救済のための議席という位置付けではなくなっている。

<選挙制度:2014年4月>

引き続きオープン・リスト方式が採用されたが、議席配分方式がヘア式から修正サンラグ方式へと変更された。前年の2013年県議会選挙の際に、従来から使われていたヘア式が大政党に有利との批判から、より小党に有利なサンラグ方式へと変更されていた。しかし、この改正によって議席数減を余儀なくされた主要政党が国民議会選挙の選挙法改正時に巻き返しをはかり、その結果、修正サンラグ方式に変わった。

また、補償議席が撤廃され、かわりに北部3県を含む10県に1議席ずつ議席数が追加された。この背景には、クルディスタン地域の3県が他地域よりも総じて投票率が高いという事実を背景に、クルド政党が北部3県の議席増を求めたことがある。これにより総議席数は328議席となった。マイノリティ枠8議席は維持された。

なお、選挙連合、単独政党、個人など様々な資格で同等に選挙に出馬できる点は前回の選挙と同様だが、今回の選挙の特徴として、シーア派やクルド、スンナ派といった宗派民族ごとの大連合よりも、より細分化した小規模な政党連合ないしは単独政党が出馬する傾向にあり、その結果、議席獲得政党も倍以上に増加した。

<選挙制度:2018年5月>

前回同様、オープン・リスト方式、修正サンラグ方式が採用されたが、選挙法の制定にあたっては、修正サンラグ方式において議席計算に使用される除数の数値(大きいほど大政党有利となる)をめぐって激しい論争が続き、法案交渉が長引く要因となった。結局、2017年8月に成立した法案では、除数は1.7と前回の2014年と同じ数値が維持されることになった。議席数はマイノリティ枠の1議席増加して9議席となり、全体では329議席となった。

なお、今回初めて自動集計システム(有権者が投票用紙にマーキングし、それをスキャナで読み込んで投票箱に入れる)が採用された。毎回、投票結果の集計に数週間を要していたことが理由であり、このシステムの導入で、投票から2日で開票率95~97%の暫定結果、1週間後には開票率100%の選挙結果の発表が可能になった。しかしながら、ハッキングによる選挙不正が行われたのではないかという疑惑が拡大し、判事が選管委員と交代したり、異議申し立てがあった投票箱の手作業による再集計が行われたり、その間にも放火とみられる火事で一部の投票箱が焼失したり、混乱が拡大する要因にもなった。諸々の混乱を経て選挙結果が確定したのは8月19日と、選挙から3ヶ月以上が経ってからだった。なお、再集計による議席変動は1議席にとどまり、組織的な不正やハッキングがあったのかどうかは定かではない。

選挙連合については、前回同様、シーア派、スンナ派、クルドのそれぞれの内部でより細分化する傾向が続いている。さらに新たなトレンドとして、宗派の枠を越えて、アバーディ首相率いるシーア派政党からスンナ派政治家が立候補し、モスルなどのスンナ派住民地域で大きな得票を得るというケースが見られたことが特筆される。これは、2014~2017年の対IS戦においてスンナ派政党が実質的な役割を果たせなかったとい失望の裏返しであると考えられるが、こうしたトレンドは今後も続くのかどうかが注目される。

<選挙結果:2005年1月>

以下は、2005年1月30日に実施された国民議会選挙の結果である。

投票総数は855万571票で、うち有効投票数は845万6266票であった。

政党グループ獲得議席得票
統一イラク連合シーア派140 4,075,295 
クルディスタン同盟クルド75 2,175,551 
イラク・リストアラブ世俗派40 1,168,943 
イラク人たちアラブ世俗派150,680 
イラク・トルコマン戦線トルコマン69,938 
独立国民エリート集団シーア派69,938 
人民連合アラブ世俗派69,920 
クルド・イスラーム集団クルド60,292 
イスラミック・アマルシーア派43,205 
民主国民同盟スンナ派36,795 
国民ラーフィダイン・リストアッシリア33,255 
和解解放団体スンナ派30,796 

<選挙結果:2005年12月>

以下は、2005年12月15日に実施された国民議会選挙の結果である。

投票総数は1239万6631票で、うち有効投票数は1219万1133票であった。

政党グループ獲得議席得票
統一イラク連合シーア派128 5,021,137 
クルディスタン同盟クルド53 2,642,172 
イラク合意戦線スンナ派44 1,840,216 
国民イラク・リストアラブ世俗派25 977,325 
国民対話イラク戦線スンナ派11 499,963 
クルド・イスラーム同盟クルド157,688 
和解解放団体スンナ派129,847 
リサーリーユーンシーア派145,028 
イラク・トルコマン戦線トルコマン87,993 
ラーフィダイン・リストアッシリア47,263 
イラク国家のためのミサール・アルーシーのリストスンナ派32,245 
改革・発展のためのヤジーディ運動ヤジーディ21,908 

<選挙結果:2010年3月>

以下は、2010年3月7日に実施された国民議会選挙の結果である。

有効投票数は1162万1998票であった。

政党獲得議席得票
イラーキーヤ912,849,803
法治国家連合892,794,038
INA(イラク国民連合)702,092,683
クルディスタン同盟431,686,344*
ゴラン8487,181*
イラク合意6303,057
イラク統一連合4314,823*
KIU(クルディスタン・イスラーム連盟)4247,366*
KIG(クルディスタン・イスラーム集団)2153,640*
マイノリティ枠8

注:*印については、バグダード県における再集計後の結果が発表されていないため、再集計前の暫定得票数である。

<選挙結果:2014年4月>

以下は、2014年4月30日に実施された国民議会選挙の結果である(3議席以上獲得した政党の一覧)。

有効投票数は1301万3765票であった。

政党獲得議席
法治国家連合95
サドル派34
市民連合31
ムッタヒドゥーン27
KDP25
PUK21
ワタニーヤ連合21
アラビーヤ連合11
ゴラン9
国民改革潮流6
ファディーラ党6
イラク連合5
市民民主連合4
KIU(クルディスタン・イスラーム連盟)4
KIG(クルディスタン・イスラーム集団)3
アンバール忠誠連合3
その他15
マイノリティ枠8
合計328

注:サドル派はアフラール連合、国民参加集団、エリート潮流の3リストの合計。市民民主連合には、独立民主連合の議席を含む。

注:選挙区によって相乗りしているケースがあるため、各党の全国レベルでの得票数の集計はできなくなっている。

<選挙結果:2018年5月>

以下は、2018年5月12日に実施された国民議会選挙の結果である(4議席以上獲得した政党の一覧)。

有効投票数は1034万3279票であった。

政党獲得議席
サーイルーン54
ファタハ連合48
勝利連合42
KDP25
ワタニーヤ21
ヒクマ潮流19
PUK 18
イラクの決定連合14
アンバールは我々のアイデンティティ6
ゴラン5
新世代4
その他24
マイノリティ枠9
合計329

注:選挙区によって相乗りしているケースがあるため、各党の全国レベルでの得票数の集計はできなくなっている。

参考文献

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2019年1月18日

イラク/政党

サーイルーン(54議席)

宗教法学者ムクタダ・サドルが率いる政治潮流サドル派は、これまでにも選挙に参加し、議会や政府の一角を占めてきたが、決して政界の主流派ではなく、野党に近い立場で政権の汚職などを批判してきた。そして、2015年から2016年にかけて市民の抗議デモが広がった際にはその動員力を駆使して大きな存在感を示し、一部の閣僚をテクノクラートと交代させるまでに至った。2018年の選挙でも改革を旗印に掲げたサドル派の政党連合「サーイルーン」を率いて躍進し、2014年の獲得議席である34議席 を大幅に上回る54議席を得た。

だが、2018年のサドル派の得票数を2014年と比較すると、それほど大きく伸びたわけではなく、全国的に投票率が低迷した結果、固い支持基盤を持ち支持者を動員することができたサドル派が相対的に立場を上昇させたと見られる。なお、抵投票率に表れているように、既存政治家に対する市民の不信感はかなり高い。そうした声に敏感なムクタダは、選挙を前にしてこれまでサドル派の主要政党だったアフラール党を解党し、新党「イスティカーマ党」を立ち上げたが、この時に新党に横滑りすることができたアフラール党の現職議員はわずか3名だった。そのうちの一人が、5万5184票を集めて全国8位、女性候補者としてはトップ当選だったマージダ・タミーミ議員である。このように、勝てる候補者を絞り込み、ほとんど新顔を擁立するという戦略があたったと言える。

サーイルーンはイスティカーマ党を中心としつつも、政治改革という理念を共有する共産党など世俗政党も参加している。ただし、サーイルーンが獲得した54議席のうち、51議席がイスティカーマ党の議席である。

ファタハ連合(48議席)

ファタハ連合の母体は、対IS戦において軍事面で活躍した義勇兵組織、人民動員部隊である。シーア派民兵の中でもイランとの関係が深いグループが多い。ファタハ連合には18政党が参加している。政党法では政党が武装組織を持つことは禁じられており、多くが武装組織とは異なる名称の政党名を冠しているが実態は同じと見られている。

ファタハ連合が得た48議席の内訳を見ると、まず、代表のハーディ・アーミリ司令官率いるバドル組織が21議席を占めて強さを見せた。ただし、2014年の選挙においても、バドル組織はマーリキ首相(当時)率いる法治国家連合に参加して22議席を得ていたため、それを比べると1議席減である。次に、AAH(アサーイブ・アフルルハック)の政治組織「サーディクーン」がバグダードと南部で幅広く得票して15議席を得た。2014年の選挙でのサーディクーンの議席が1であったことからすると、大きな躍進である。また、人民動員部隊の報道官だったアフマド・アサディ率いる「イマームの兵士旅団」が「イラクにおけるイスラーム潮流」の政党名で2議席を獲得した。

なお、これまでシーア派主要政党の一つであった「イラク・イスラーム最高評議会(ISCI)」は、党首のアンマール・ハキームが新党「ヒクマ潮流」を形成して離党したことで壊滅的な打撃を受け、今回の選挙ではわずか2議席の獲得にとどまった。ファタハ連合内では、この他、7党がそれぞれ1~2議席を得た。

人民動員部隊は、対IS戦を機に中西部も含めてシーア派住民地域以外にも展開するようになった。2018年の選挙では、彼らが傘下に置く部族ハシュドと呼ばれるスンナ派の自警団的な武装組織が、ファタハ連合の集票に寄与する可能性が注目されていたが、サラーハッディーン県で人民動員部隊の第51旅団を率いるヤズン・ジュブーリなど、主だったスンナ派民兵候補者は落選した。したがって、ファタハ連合の集票は総じて、バドル組織やAAHなどの中心勢力のシーア派コミュニティ内部での動員力に負っていると言える。

勝利連合(42議席)

アバーディ首相はダアワ党所属だが、党首のマーリキとの折り合いが悪く、2018年の選挙にはダアワ党は党として特定の政党連合に所属せず、党員は各々個別の政党連合に所属して出馬することになった。アバーディ首相が率いた政党連合が「勝利連合」である。過去4年間近く、イラク軍を率いて対IS戦の中心人物となってきたことから選挙での勝利が予想されていたが、選挙では投票率が低迷し、市民の支持を得票に繋げられなかった。特に票田であるはずのバグダードや南部において、組織力を持つサーイルーンやファタハ連合に水をあけられたことで伸び悩んだ。加えて、アバーディ首相が所属するダアワ党は前任のマーリキ、ジャァファリと合わせて、2005年以降常に首相を輩出しイラク政界の中心にいたことで、既存のエスタブリッシュメント政治への逆風を受けた。バスラ、マイサーン、ナジャフ、ディーカールの各県の勝利連合立候補者リストのトップはいずれもダアワ党現職議員が占めていたが、4名とも落選した。むしろ当選したのは、ジャッバール・ルアイビ石油相、アドナーン・ズルフィ元ナジャフ県知事、スハーム・アカイリ・マイサーン県議会議員など、非ダアワ党員の方だった。

他方、勝利連合はバグダード、南部9県、ディヤーラ県で合計約84万票を得票する一方、シーア派住民が少ないその他4県(アンバール、サラーハッディーン、キルクーク、ニナワ)でも約29万票を獲得している。この29万票という数字は、他のシーア派主要政党の中では抜きん出て多く、スンナ派の各党や世俗政党連合ワタニーヤも凌いだ。ニナワ県のトップ当選者は勝利連合から立候補したスンナ派のハーリド・オベイディ元国防相であり、サラーハッディーン県でもアンマール・ユースィフ元県議会議長が1万票を集めて当選した。

KDP(クルディスタン民主党、25議席)

クルド民族主義政党で、エルビルやドホークなどを地盤とする。KDPが主導して2017年10月に実施されたクルディスタン地域の独立を問う住民投票が、国内外からの反発を受けて結果的に失敗に終わったことで、マスード・バルザーニは自治政府大統領の職を辞したが、今もKDP党首の座にとどまっている。政界におけるKDPのライバルかつパートナーであるPUKが、2000年代半ばから党内の分裂を食い止められず党勢が衰退していることをうけて、KDPは自治政府の要職を独占するなど、事実上、自治区はKDPの一党支配体制になりつつある。

自治区内では、2010年代半ばから原油価格下落や対IS戦の影響、イラク政府との間の予算配分問題などによって経済状況が極めて悪化しており、独立住民投票の失敗もあって、2018年の選挙では、与党であるKDPは議席を減らす可能性が指摘されていた。しかし、結果は2014年と同じ25議席を維持し、安定的な力を見せた。その背景には、特にドホーク県とエルビル県ではバルザーニ家への支持者の忠誠心や、強固に張り巡らされた党のパトロン・ネットワークの存在があるとみられる。

ワタニーヤ(21議席)

アッラーウィ副大統領率いる世俗政党だが、2018年の選挙ではサリーム・ジュブーリ国会議長率いる「改革のための市民集会」、サーレハ・ムトゥラク元副首相率いる「国民対話戦線」など、複数のスンナ派政党を取り込んで参戦した。それでも、獲得議席数は21議席と2014年と変わらず、ジュブーリ国会議長も落選した。アッラーウィ自身の個人得票数も2014年の23万票から今回は2.8万票へと激減しており、影響力の低下は免れないだろう。

ヒクマ潮流(19議席)

ISCI(イラク・イスラーム最高評議会)党首のアンマール・ハキームが2017年7 月に立ち上げた新党。ハキームは新党を若者、女性のための党で、近代的で、イラク社会の全てに開かれた党だとしている。結成時に30名強のISCI 議員のうち、20 名が新党に移ったとみられている。

ISCI の前身のSCIRI(イラク・イスラーム革命最高評議会)は1982 年にイランで当時の反体制派を集めて、サイイド・ムハンマド・バーキル・ハキームの下で形成された(ムハ ンマド・バーキルは、1970 年に亡くなった大アーヤトッラ、ムフスィン・ハキームの息子)。 その後、分裂してSCIRI は反対派のグループの一つになり、イラク戦争後にイラクに帰国した。バーキル・ハキームは2003 年8 月のテロ事件で死亡し、兄弟のアブドゥル・アジーズ・ハキームが跡を継いだ後、ISCIに改称。2009 年にアブドゥル・アジーズ・ハキームが病死すると、その息子であり創設者の甥であるアンマール・ハキームが党首に就いた。アンマールは古参幹部よりも遥かに若く、さらに若手登用で幹部は不満を持つようになったと言われている。

2018年の総選挙ではISCIの獲得議席が2議席にとどまる一方、ヒクマ潮流は19議席を獲得した。ISCIがその支持の多くをハキーム家の威光に負っていたこと、アンマールがISCI のテレビ局や外郭団体などを連れて出たことなどが影響したとみられる。

PUK(クルディスタン愛国同盟、18議席)

スレイマニヤ県やキルクーク県を地盤とする。党の創設者であり長年党首を務めていたジャラール・タラバーニが2017年10月に死去したが、党内の分裂が激しく新党首を選出できていない。

2018年選挙では、幹部の一人バルハム・サーレハ元自治政府首相が離党し、新党CDJ(民主正義連合)を結成しており、他にもスレイマニヤを中心に新党が立ち上がっていたことや、経済危機に対する市民の不満が既存政党に向かう可能性から、2018年の選挙にあたっては、PUKはかなり議席を減らすことになるのではと憶測されていた。しかし、結果は18議席と3議席減にとどまった。

それに対してキルクーク県のアラブ政党やトルコマン政党、スレイマニヤ県のクルド政党が選挙不正の疑いを申し立て、選挙結果が紛糾する主要因となった。ただし、手作業による一部再集計を経ても、PUKの議席数は変わらなかった。仮に大規模な不正がなかったとするならば、PUKの善戦の理由として、タラバーニ家の威光を前面に押し出した選挙キャンペーン、投票率が低迷する中でのPUK支持者の動員、2006年にPUKから分裂して誕生した野党ゴランの失敗への市民の失望などが考えられる。

イラクの決定連合(14議席)

スンナ派政党は、スンナ派住民が多いバグダードと中部5県を中心に出馬しているものの、いずれも党としての歴史が浅く組織力も弱い。そのため、選挙のために県ごとに様々な政党連合が組まれ、入れ替わりも激しい。2018年選挙ではヌジャイフィ副大統領を代表として「イラクの決定連合」が形成され、政党連合としては14議席を得た。しかし、ヌジャイフィ自身が党首であるムッタヒドゥーンは、2014年の選挙では27議席を得てスンナ派政党の代表格となったものの、2018年は別の政党連合に参加して得た議席を合わせても3議席に過ぎず、大きく失速した。ニナワ県でのヌジャイフィの個人得票数も1万票強で、7万票以上を得たオベイディ元国防相(勝利連合から立候補)に大きく引き離された。

他のスンナ派政党についても、ジャマール・カルブーリ率いるハッル党、ハミース・ハンジャル率いるアラブ計画などが、複数の政党連合に参加して議席を得たが、いずれも一桁に留まっている。

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