クウェート/政党
概要
憲法では結社の自由が認められているものの、政党法は制定されておらず、法的規定はないが、ほぼ政党としての組織と活動実態をもつ政治団体が存在している。このような政治団体は社会事項省が所管する市民団体と同列の位置づけにあり、政治活動については、集会法や出版法に基づいて規制・監督されている。議員立法による政党法の提案は市民団体の後押しもあり繰り返されているが、政府の反対もあり未だ上程されていない。政府および首長家側には、政党法の制定によって党派主義による社会の分断が進むことへの懸念や、首長の権能を制限する議院内閣制への移行につながりかねないとの警戒がみられる。政治団体の側も、政党(アラビア語でhizb)とは名乗らない背景に、バアス党のような一党独裁と結びついたイメージへの忌避感や党派主義による国内社会の分断への懸念への配慮がある。実際に、議会内で政治団体に所属している議員は少数派であり、半数以上は無所属議員である。議員はそれぞれ自らに意思決定の裁量があることに重きを置いており、有権者も選挙では議員個人の資質を重視する傾向がある。しかし、議員たちが政府に対して連携する必要性を認め、議会内で一定の勢力を示すために、政治的志向性や政策目標に応じて会派を結成する場合もある。
現在活動する政治団体の多くは、1991年に国民議会の復活が決定されたことを受けて結成された。さらに、これらの団体の源流は、1989年に本格化した「立憲運動(Harakat al-Dusturiyah)」の経験にある。立憲運動は1985年議会の議長であったアフマド・サアドゥーンAhmad Abd al-Aziz al-Sadunを中心に元議員たちが憲法と議会の復活を要求し、国民的な民主化要求運動へと展開した。1991年以降、クウェートにおける政治文脈におけるイデオロギーや政治的目標、社会的亀裂に応じた政治団体が結成され、1999年議会から2009年議会では無所属議員も加わった会派(ブロック)という形で議員の組織化が進んでいた。2012年以降は野党の選挙ボイコットや投票方式の変更の影響もあり、議会内での議員の組織化は振り出しに戻っている。
世俗的・リベラル志向
クウェート民主フォーラムKuwait Democratic Forum(KDF)al-Minbar al-Dimuqrati
1991年に、議会参加を目指して結成された。アラブ・ナショナリズム・社会主義の影響が強い。前身は1962年議会に参加したアラブ・ナショナリズム運動(Arab Nationalist Movement/ Ḥarakat al-Qawmīyīn al-‘Arabī)および1971年に改組した民主進歩的クウェート人運動(Movement of Kuwaiti Democratic Progressives/ Ḥarakat al-Taqaddumiyīn al-Dimqurāṭiyīn al-Kuwaytiyīn) である。もともと、都市部住民や知識人層を支持基盤としていたが、バアス党に近いメンバーも加わっていたため、2002年に穏健派が離脱して、後述する国民民主同盟を結成した。
国民民主同盟National Democratic Alliance(NDA)al-Tahalf al-Watani al-Dimuqrati
KDFの左翼主義的傾向を嫌った、西欧型リベラル・デモクラシーを志向する都市部住民が2002年に結成した。伝統的な有力商人層が結成した護憲連合(下記参照)の流れをくんでおり、経済の自由化・市場化志向がみられる。
護憲連合Constitutional Alliance(CA)al-Tajammu al-Dusturi
クウェートの伝統的な有力商人層が中心となって1991年に結成した団体であり、議会発足以来の野党の伝統を受け継いでいる。前身は1980年代の国民会派(al-Kutlat al-Watani)であるが、商工会議所のメンバーが多いため、商人政党(ḥizb al-tijār)、ブルジョワ政党(ḥizb al-burjuwazīyah)とも称されていた。女性参政権の完全な実現や政党の公認化と議院内閣制(民選議員の首相任命)の実現を掲げていた。1996年選挙前に、所属のジャーセム・ハマド・サグルJasim Hamad al-Saqr議員が引退して以降は議席を持たず、組織や支持基盤は2002年に上述のNDAへ継承された。
国民行動会派National Action Bloc(NAB)Kutlat al-Amal al-Watani
1999年議会における議員連合「7+1」、および2003年議会における「リベラル会派」を経て、2006年議会において8名の議員が党議拘束を含む合意文書に署名して発足した会派。2008年選挙で当選したNDA所属議員が中心となり、2009年議会まで存続した。
民族主義的・ポピュリズム志向
代議員会派Bloc of Deputies(BD)al-Takattul al-Nuwwab
1989年の憲政運動に加わっていた1985年議会の元議員で、1992年選挙で再選を果たした議員が、アフマド・サアドゥーンを中心に1992年議会において結成した会派。政党内閣の実現を目指していた。1990-91年のイラクによる占領中のクウェート・ナショナリズムの高揚と、イラク侵攻時、真っ先に首長家一族と有力商人が脱出を図ったことへの批判から、主に都市部住民の新興中間層および下層や一部の部族住民の支持を獲得した。経済政策をめぐって政府や有力商人層と対立しており、分配政策や外資規制、資源ナショナリズムを主張した。
人民行動会派 Popular Action Bloc(PAB)Kutlat al-Amal al-Shabi
1999年議会において、アフマド・サアドゥーンを代表に結成された会派で、労働者・都市中間層に対する分配と政治的権利の拡大を求め、首長家による石油の富の独占や外資による資源開発に強く反発する。政府とは対立関係にあり、野党連合の中心となる存在である。上述の代議員会派の流れを汲み、シーア派を含む都市部住民の新興中間層および下層や部族住民など広範な支持基盤をもつ。2006年議会以降は最多得票により当選を重ねたムサッラム・バッラークMusarram al-Barrakが中心的な存在となった。2012年12月選挙と2013年7月選挙はボイコットした。2014年にムサッラム・バッラークが首長批判により逮捕・収監されるなど、政府による弾圧を受けた。同じ2014年には政治団体として立憲人民運動Constitutional Popular Movement/ Harakat al-Shabiyah al-Dusturiyahを結成し、2021年現在も活動中である。
イスラーム主義
イスラーム立憲運動Islamic Constitutional Movement(ICM)Harakat al-Dusturiyah al-Islamiyah
クウェートのムスリム同胞団である社会改革協会Social Reform Society/ Jamiyat al-Islah al-Ijtimaiの政治活動部門として1991年に結成。ムスリム同胞団出身の議員は1963年の第1期議会から存在していた。公務員、特に学校や医療福祉関係と、石油関連事業の労働組合が主要な支持基盤となっており、都市系住民を中心としつつ、全国区で支持を獲得している。湾岸戦争を機に本家であるエジプトのムスリム同砲団とは独立した立場を採っている。段階的な社会改革により、最終的にはイスラームのシャリーアに基づく統治を掲げているが、実際の議会活動は現実主義で、他の政治団体および会派との協力に積極的であり、シーア派との関係もおおむね良好であった。政府を批判する野党の立場にありながら、メンバーが大臣として政府に加わったこともあり、後述のサラフィー主義やPABからは野党としての一貫性のなさを批判されたこともあった。2012年12月と2013年7月の選挙はボイコットしたが、2016年選挙以降は復帰し、議席を獲得している。
サラフィー・イスラーム連合Salafi Islamic Alliance(SIA)al-Tajammu al-Islami al-Salafi
上述の社会改革協会に対抗する形で結成されたサラフ主義団体であるイスラーム遺産復興協会Islamic Heritage Revival Society/ Jamiyat Ihya al-Turath al-Islamiの政治活動部門として、1991年に結成された人民イスラーム連合Popular Islamic Alliance/ al-Tajammu al-Islami al-Shabiが1994年に改称した。サラフ主義を掲げ、伝統墨守・復古主義的立場から伝統的サラフィーとも称されている。上述のICMに対抗する形で議会選挙に参加し、議席を獲得していたが、2012年12月と2013年7月選挙への参加をめぐって所属議員の対応が分かれた。もともとサラフ主義は組織化や政治参加に積極的ではないこともあり、政党については反対の立場を採っている。
発展と改革会派Development and Reform Bloc (DRB)Kutlat al-Tammiyah wa al-Islah
イスラーム主義の議員による連携を組織化すべく、2008年から結成について検討が進められ、2010年に当時唯一のICM所属議員であったジャムアーン・ハルブシュJaman al-Harbush、サラフ主義の有力な無所属議員であるフィサル・ミスリムFaisal al-Mislim、ワリード・タブタバーイーWalid al-Tabtabaiらが結成した会派で、PABとともに野党の中心的な勢力となった。2012年議会選挙では9議席(ICM所属6名を含む)を獲得した。2012年12月と2013年7月の選挙をボイコットした。2013年以降の政府の弾圧により上記3名をはじめ多くの元議員がトルコに亡命している。ワリード・タブタバーイーは2019年11月、母親の葬儀のために帰国し、政治活動を行わないことを条件に恩赦を受けた。
国民イスラーム連合National Islamic Alliance(NIA) al-Tahalf al-Islami al-Watani
シーア派のイスラーム主義団体である社会文化協会Social Culture Society/ al-Jamaiya al-Thaqafiyah al-Ijtimaiyahの 政治活動部門として、1991年に結成された。1980年代はイラン・イスラーム革命の影響を受けて、シーア派イスラーム主義勢力は首長制の打倒を訴えていた時代もあったが、湾岸戦争後は穏健化した。女性参政権には賛成の立場を採り、スンナ派イスラーム主義勢力が主張する、シャリーアに基づく統治には反対の立場である。ICMとは連携することもあったが、サラフ主義者からはクウェート・ヒズブッラーと称され、忌避されていた。2008年議会までは所属議員がPABに合流していた。