(1)現況概観

「アラブの春」の動きとして2011年3月から始まったシリアにおける反体制運動は当初、現体制の枠内での「改革」による「民主化」を要求し、平和的手段による目的達成を目指していた。しかしながら、アサド政権が「民主化」要求にある程度は応えつつも、デモ行進や集会に対する強硬的な態度を取ったことから、反体制側は次第に「体制転換」を求めるようになり、政権側の弾圧措置を招く一方、反政府武装闘争がシリア各地に広がっていくことになった。

それでは、バアス党政権が1963年以来続き、また1971年以降はアサド父子が大統領職を独占して「世襲支配」を行ってきているシリアにおいて、「民主化」とは具体的に何を意味するのであろうか。ここで、既述のダールによる政治体制の類型化を思い起こすと、シリアの事例は「包括的抑圧体制」に当てはまることから、この体制から「ポリアーキー」に至る民主化プロセスは必然的に「市民的・政治的自由」の拡大を伴うことになる。

だが、反体制運動が開始されてからのアサド政権による「市民的・政治的自由」の拡大措置は、反体制側を満足させることが出来なかった。例えば、B・アサド大統領は内閣の決定に基づき、1963年以来施行されてきた「国家非常事態」の解除と、「最高国家治安裁判所」の廃止を命令する大統領令に2011年4月21日に署名した1。しかしながら同時に、治安部隊メンバーの行動に対して免責特権を与える大統領令や、スンナ派のイスラーム組織「ムスリム同胞団」に所属することは死罪に値するとの同令が新たに公布された2。また、2012年2月26日には、現憲法が国民投票によって承認され、憲法改正が実現した3

アサド政権はこのように、国家非常事態の解除や最高国家治安裁判所の廃止、さらには現憲法における「政治的多元主義」の導入(第8条)といったように、一方ではシリアにおける「市民的・政治的自由」を漸進させてきた。特に、「バアス党が国家、社会の指導的党である」と旧憲法では規定されていた(第8条)ことから、シリアの政党制の実態がジョヴァンニ・サルトーリの言うところの「ヘゲモニー政党制」に分類可能な状況において4、「政治的多元主義」が現憲法で保障されたことは「民主化」への第一歩と見なされるものであった。

しかしながら、反体制側に対する治安部隊の強硬措置を大統領令で認めたうえに、アラブ世界で影響力を増していたムスリム同胞団を敵視し続けたことは、アサド政権の「民主化」努力が茶番に過ぎないものであるとの印象を、反体制側並びに多くのアラブ・欧米諸国に植え付けることになった。さらに、「包括的抑圧体制」から「ポリアーキー」に至る径路が、「少数の比較的同質的なエリートの間ではなく、社会諸階層と、政治思想をたとえ全部ではなくともほとんど反映する広範な代表者間で、相互安全保障の体系を創出することを必要としている」5との指摘があるなかで、アサド政権は基本的に反体制側との対話を拒否してきた。

以上のようなアサド政権の対応により、シリアにおける反政府武装闘争は2011年後半以降、激しさを増した。アサド政権は一時期、軍事的にかなり追い詰められたものの、2015年9月以降のロシア軍による大規模な軍事支援で態勢を立て直し、シリア各地を武力で次々と平定していった結果、現在はシリア領土のおよそ3分の2を支配下に置いている。他方、シリア領土の残り3分の1に関しては、その大半をクルド勢力が支配下に収めており、それ以外は反体制勢力や「イスラーム国」(IS)などの支配領域となっている。なお、ISの支配領域は現在、大幅に縮小しており、ISはシリオ沙漠地帯の狭い領域(「ポケット」)で孤立している(各勢力の支配領域は以下の地図6が示す通りである)。

(2)諸外国の介入

上述した4つの国内主要アクター(アサド政権、クルド勢力、反体制勢力、そしてIS)のなかで、アサド政権に対しては、政治・軍事・経済面では主にロシアやイランが支援し、政治・経済面では中国も支援している。また、クルド勢力に対しては、米主導の有志連合が軍事支援をしてきたが、ドナルド・トランプ大統領は一昨(2018)年12月19日に、米軍のシリア完全撤退に関して言及し、さらに昨(2019)年10月6日に、米軍(1000人規模)のシリア北東部からの撤退宣言を行った。その結果、米軍のプレゼンスはシリア北東部のクルド勢力支配地域において大幅に縮小し、上記の地図が示すように、タナク油田やオマール油田にごくわずかの兵力を残すまでとなっている。他方、反体制勢力に関しては、様々な武装組織が存在し、「穏健勢力」と「過激勢力」に大別される。「穏健勢力」の代表例がシリア国民軍(SNA:旧自由シリア軍)系諸組織であり、後者の代表例がシャーム解放委員会(HTS:旧ヌスラ戦線)である。シリア北西部のイドリブ地域並びにアフリーン地区、及びシリア北東部のユーフラテス北東岸地域におけるSNA系諸組織に対しては、トルコが軍事支援を与えており、さらにはトルコ軍がこれら地域に駐留して作戦も共にしている。また、シリア南東部のタンフ地域におけるSNA系諸組織に対しては、米軍基地の縮小が報じられたこともあり、米軍による軍事支援は減少傾向にあると見られている。

このように、主に米国、ロシア、トルコ、そしてイランがシリア国内の各勢力に様々な対外支援を行っていることから、同国はこれら諸国によるパワー・ポリティックスが展開される場となっている。シリアは、2011年3月までは地域政治の「主体」として対外的な影響力を行使してきたが、今や「客体」として諸外国による影響力の行使を受ける場となっているのである。

そこで、シリアにおける米露、米土、米イラン、露土、露イラン、そして土イランの各関係について概略する。米露関係に関しては、米国が反体制勢力を支援し、ロシアがアサド政権を支援していることから、両国は基本的には対立関係にある。だが、クルド勢力をめぐる米露関係は少々複雑である。なぜならば、米国がクルド勢力を見捨てた形になっていることから、クルド勢力はアサド政権、さらにはロシアとの関係を強化しているのである。しかしながら、シリア全土の完全掌握を目指しているアサド政権と、自治の維持さらには拡大を望んでいるクルド勢力との間では、双方の利害が一致していない状況である。そこで、アサド政権及びクルド勢力双方とのパイプを持つロシアによる調停の役割が期待されるところであるが、ロシアとアサド政権との長年に渡る親密な関係や、ロシアとトルコが近年その関係を強化していることに鑑みると、ロシアがクルド勢力の意向に沿った動きを取るのかは不明である。ゆえに、クルド勢力はアサド政権及びロシアに対するカウンターバランスとして、米国と完全に縁を切るわけにはいかないのである。

米土関係に関しては、両国共に反体制勢力に対する支援を対シリア政策の柱としてきた一方で、クルド勢力に対する両国の政策は相反しており、二面性を有していると言える。すなわち、トルコが「シリア民主軍」(SDF)や「シリア民主評議会」(SDC)といったクルド勢力を「テロ組織」と見なしてきたのに対して、米国はクルド勢力と同盟関係を築いてきた。だが、トランプ大統領が昨(2019)年10月に米軍のシリア北東部からの撤退宣言を行った直後に、トルコ軍及びSNA系勢力が対クルド勢力軍事作戦「平和の春」を発動した際には、米国はトルコの行動を強く非難する声明を発したものの、その行動を止めるための具体的な手立ては、限定的な経済制裁を例外として、殆ど講じなかった。これは、後述するような露土関係の緊密化といった事態を前にして、米国がトルコとの関係悪化を出来るだけ避けたいとする意思表示であったと言える。また、トルコ軍がこの作戦により、タッル・アブヤドからラス・アインに至る地域に「安全地帯」を確立するなかで、10月17日に出された米土共同宣言では、同地帯の治安がトルコ軍によって第一に担われることとされるなど、米土関係は「平和の春」作戦に伴いさらなる悪化が懸念されたものの、決定的な亀裂には至らなかったのである。

米イラン関係に関しては、トランプ政権がイランの核政策や対外政策などを問題視し、同国に敵対政策をとっているなかで、米国は反体制勢力を、そしてイランはアサド政権を、それぞれ支援している。そして、イランが「イラン革命防衛隊」(IRGC)やヒズブッラーなどの軍事プレゼンスを、アサド政権支配地区に維持していることに対して、米国は、イランがこうしたイラン系勢力を利用して、テヘランからバグダード及びダマスカスを経由してベイルートに至る「シーア派回廊」を構築して覇権を追求している、と見なしているのである。ただ、米国はシリアにおいてイラン系勢力に対する直接的な軍事行動を日常的にはとっておらず、米国の同盟国であるイスラエルがこうしたイラン系勢力に対する軍事行動を頻繁に起こしている。

露土関係に関しては、アサド政権支援のロシアと、反体制勢力支援のトルコとは、本来は対立関係にある。だが、ロシア主導のシリア包括和平を目指す試みである「アスタナ会合」(後述)が2017年1月に開始されて以降、トルコは「三保障国」(ロシア、トルコ、そしてイラン)の一員として同会合を支持している。さらに、一昨(2018)年9月17日の露土首脳会談においては、イドリブ地域における大規模戦闘を回避するために「イドリブ合意」が成立した。その後、「イドリブ合意」は現在に至るまで殆ど実現されておらず、アサド政権がイドリブ地域再掌握に向けての大規模攻撃に着手し、ロシア軍がシリア政府軍(SAA)に対して主に空爆支援を行うなかで、トルコは同地域に対する増派を行い、SNA系勢力に対する支援を強化している。このように、ロシアとトルコはイドリブ地域において敵対的な軍事行動を行う一方で、ウラジミール・プーチン大統領とレジェップ・タイップ・エルドアン大統領はしばしば電話協議を行うなど、事態がエスカレーションしないように出来る限り協力する姿勢をも見せている。ロシアとトルコはS400ミサイルの購入や天然ガスの供給などでも関係を深めており、それゆえに両国共に米国との関係が決して手放しで良好であるとは言えないことから、シリアでは軍事的に対立する局面が存在する一方で、事態鎮静化に受けて協力可能な時はそのようにするなど、両国関係は二面性を持っているのである。

露イラン関係に関しては、両国共にアサド政権を政治・軍事・経済的に支援している意味では、同盟関係にある。また、イランは「アスタナ会合」における「三保障国」の一員であることから、ロシア主導の和平の試みにコミットしていると言える。だが、ロシアとイランの間には、シリア国家の在り方に関する根本的な相違があると言わざるを得ない。すなわち、ロシアは自軍が展開するラタキアの海軍基地やフマイミームの空軍基地が安泰であるように、「パックス・ロシアーナ」(ロシア主導の平和)のもとでシリア国内を可能な限り安定化させることにプライオリティを置いていると想定される。ゆえに、ロシアはシリア政府(具体的にはアサド政権)の統治能力回復、さらには強化を望ましいと考えていると推察され、SAAの再建を自らの利益と見なすであろう。他方、米国やイスラエルからの軍事攻撃の可能性に常に晒されているイランにとり、シリアは軍事作戦上の要衝であり、これら両国に対する反撃をフリーハンドで実施可能な状況が望ましい。イランがIRGCやヒズブッラーによるシリア領内でのある程度自由な軍事活動こそ望ましいと考えている、と想定されることから、イランはその制約要因となりかねないSAAの再建には消極的とならざるを得ないであろう。また、アサド政権が支配領域を再掌握し、復興計画の策定・実施に乗り出すなかで、ロシアの企業とイランの企業がライバル関係になることも想定可能であり、両国関係には悪化の種が隠れていると言えるのである。

土イラン関係に関しては、トルコが反体制勢力を、イランがアサド政権を、それぞれ支援していることから、両国は対シリア政策を異にしている。だが、イラン及びトルコは共に、「アスタナ会合」を「三保障国」の一員として支援しており、シリア情勢に関して協議する場を有している。また、イランはトルコとコンタクトを持つのみならず、アサド政権と緊密な関係にあることから、イドリブ情勢が国際的な注目を集める状況において、イラン外務省は本(2020)年2月8日に、同国がトルコとアサド政権との仲介役を担う意向であることを表明した7

(3)和平に向けた国際的な動き

上記のように、シリアに対する各国の思惑が異なることは、結果として紛争解決プロセスを機能不全にさせ、内戦が長引くことになった。それでは、シリアにおいてはこれまで、どのように国際的な和平の試みがなされてきているのであろうか。ここでは、国連主催の「ジュネーブ協議」及びロシア主導の「アスタナ会合」を軸に考察する。

シリアで戦闘が拡大する状況において、コフィ・アナン・シリア問題合同特使は2012年6月末に、安保理常任理事国やシリア周辺諸国の外相などをジュネーブに集め、事態打開に向けた協議を行った(「ジュネーブ1」)。その結果、アサド政権のメンバーを含む「移行政府」の樹立提案を含む「ジュネーブ・コミュニケ」が6月30日に成立した8が、B・アサド大統領の退陣を要求する反体制勢力の支持を得ることは出来なかった。加えて、米国が2012年11月に、反体制勢力の統括組織としての「シリア国民評議会」の後継組織として、「シリア国民連合」の樹立を強力に後押ししたことから、米露間の溝は開く一方であり、シリア情勢解決の見通しが立たない状態が続いた。

このように、「ジュネーブ協議」は米露間の対立により、当初から暗礁に乗り上げた。だが、アフダル・ブラーヒーミー・シリア問題合同特使(アナンの後任として2012年9月に就任)が会議の実現に向けて積極的な外交を展開した結果、「ジュネーブ2」は2014年1月から2月にかけて2ラウンドに分けて開催されるに至った。しかしながら、B・アサドの処遇をめぐり、アサド政権と反体制勢力が真っ向から対立し、妥協点は見いだされなかった。

その後、「ジュネーブ3」は2016年2月になって開催されたものの、ステファン・デ・ミストゥーラ国連・アラブ連盟シリア問題合同特使(ブラーヒーミーの後任として2014年7月就任)は3日に、会議の一時的な延期及び25日の再開を発表した9。だが、これは実現せずに終わり、1年余りの中断の後に、2017年2月から3月にかけて開催された「ジュネーブ4」においても、アサド政権と反体制勢力の直接対話は行われなかった。同年3月に開催された「ジュネーブ5」も大きな成果なく終了し、「ジュネーブ6」(同年5月)では、「憲法および法律に関する技術的コンサルティブ・メカニズム」の設置が合意された。同メカニズムの設置に対する進展はその後見られず、「ジュネーブ7」(同年7月)、「ジュネーブ8」(同年11月~12月、2ラウンドに分けて開催)、そして「ジュネーブ9」(2018年1月、但しウィーンで開催)共に、実質的成果なく終了した。

このように、「ジュネーブ協議」が大きな成果を生み出すことなく、事実上休止状態に至っている背景には、アサド政権と反体制勢力との間にプライオリティの違いが存在することがある。すなわち、「ジュネーブ協議」における4つの主要議題(ガバナンス、憲法、選挙、テロとの戦い)の中で、政権側はテロ問題を優先すべきと考えているのに対し、反体制側は政権移行に繋がるような他のイシューに重きを置いているのである。また、「ジュネーブ8」においては、反体制勢力が合同代表団を形成10して参加したが、B・アサドの退陣に依然として拘ったことは政権側の不興を買った。さらに、後述する「アスタナ会合」の開催以降、とりわけロシアが「ジュネーブ協議」に関心を失っていることも、戦局で優位に立っているアサド政権に譲歩を促す方向に作用せず、反体制勢力との溝を広める結果となったのである。

ロシアは、「ジュネーブ2」終了後に「ジュネーブ3」の開催目途が立たないなかで、自らイニシアティブをとり、シリア情勢の打開に向けて動いた。ロシアは2015年1月及び4月に、アサド政権及び同政権によって許容されているシリア国内の反体制勢力が参加する和平協議をモスクワで開催したが、大きな成果なく終了した。その後、「ジュネーブ3」が中断されたままの状況において、プーチン大統領とエルドアン大統領は2016年12月16日に、カザフスタンの首都アスタナ(当時、現在のヌルスルタン)での、米国や国連が関与しない形での新たなシリア和平交渉の開催意向を表明した。そして、国連が12月31日に、安保理決議第2336号により、ロシア及びトルコ主導の停戦並びに和平会議開催支持を表明した結果、アスタナでの和平協議(通称「アスタナ会合」)は国際的なお墨付きを得ることになったのである。

「アスタナ会合」はこれまで、ロシア、トルコ、そしてイランを「三保障国」として14回にわたり開かれており、「アスタナ1」(2017年1月)、「アスタナ2」(同年2月)、「アスタナ3」(同年3月)においては、「アスタナ2」でアサド政権と反体制勢力の直接交渉が短時間行われた以外、大きな成果なく終了した。その後、「アスタナ4」(同年5月)において、ロシア、トルコ、及びイランを「保障国」とする「緊張緩和地帯」の設置が決まった。同地帯は、イドリブ地域、ホムス北部、ダマスカス郊外東グータ、シリア南部に設置され、イドリブ地域以外では同年7月から8月にかけて停戦が発効した。しかしながら、ホムス北部及びシリア南部では、露軍が展開してしばらくは停戦が概ね維持されたものの、最終的にはSAAが「テロ組織」と見なすHTSやISがこれら地区に拠点を構えていることを理由に攻撃を行い、他方で露軍が見て見ぬふりをすることで、掌握するに至った。また、東グータでは2018年春に、SAAに加えて露軍が、HTSが拠点を有していることを理由に空爆を中心とする猛爆撃を行い、人道危機が深刻化した。

この結果、イドリブ地域を除く「緊張緩和地帯」はアサド政権側によって掌握されることになったが、それでもトルコは「アスタナ会合」に参加し続けた。その背景には、ホムス北部、東グータ、そしてシリア南部のいずれにおいても、トルコが強力に支援していた反体制勢力が存在しなかったことがあった。その後、「アスタナ5」(2017年7月)、「アスタナ6」(同年9月)、「アスタナ7」(同年10月)、「アスタナ8」(同年12月)、「アスタナ9」(2018年5月)、そして「アスタナ10」(2018年7月、但しソチで開催)共に、大きな成果なく終了した。「アスタナ11」(2018年11月)においては、9月の露土首脳会談で設置が決まった、イドリブ地域における「非武装地帯」設置に関して協議が行われた。だが、協議終了後に具体的な進展は見られず、同地域でSAAと反体制勢力の間で戦闘が行われているのは既述の通りである。また、昨(2019)年には3回(4月の「アスタナ12」、8月の「アスタナ13」、そして12月の「アスタナ14」)開催されたものの、何れも成果は殆どなく終了した。

ロシアは他方で、アサド政権及び反体制勢力関係者を集めた「国民対話会議」を2018年1月にソチで主宰し、その結果として「憲法委員会」の設置が決まった。「憲法委員会」は、アサド政権側、反体制側、そして「独立系」のメンバー各50人から構成されることになっており、アサド政権及び「シリア交渉委員会」(SNC、旧「高等交渉員会」(HNC)であり、反体制勢力の統括政治組織)は各々、メンバーの候補者リストをデ・ミストゥーラに既に手渡した。だが、デ・ミストゥーラが同年9月11日に、「独立系」メンバー候補者リストのロシア、トルコ、そしてイラン政府関係者に提示したところ、ロシアとイランは事前に相談を受けていなかったことを理由に、そのリストを即座に拒否した。デ・ミストウーラは同年10月に辞任を表明し、後任にはゲイル・ペデルセンが就任した。

ペデルセンが「憲法委員会」の発足に向けた外交的努力を重ねた結果、昨(2019)年9月にようやく人選の完了と設置が宣言された。そして、同年10月末から第1ラウンドが翌11月上旬にかけて開催されたものの、同下旬の開幕が予定されていた第2ラウンドは実現しなかった。アサド政権側が「憲法委員会」を現憲法の改正のための協議の場と捉えているのに対して、SNC側は同委員会を新憲法の制定のための協議の場と見なしていることにより、議事次第に対する双方の同意が形成されなかったからであった。

脚注

  1. The Daily Star (Beirut), 22 April 2011.
  2. David W. Lesch, Syria: The Fall of the House of Assad, New Haven and London: Yale University Press, 2012, pp. 85–86.
  3. 憲法改正プロセスについては以下を参照。The Daily Star (Beirut), 27 February 2012; L’ Orient Le Jour (Beirut), 27 February 2012.
  4. サルトーリの政党制に関する議論に関しては以下を参照のこと。Giovanni Sartori, Parties and Party Systems: A Framework for Analysis, Cambridge: Cambridge University Press, 1976.
  5. ダール、前訳書、46頁。
  6. ‘Military Situation in Syria on August 9, 2020 (Map Update)’ <https://southfront.org/military-situation-in-syria-on-august-9-2020-map-update/> (2020年8月11日最終アクセス).
  7. ‘Iran Says It Is Ready to Mediate between Turkey and Syria’ <https://www.reuters.com/article/us-syria-security-iran-turkey/iran-says-it-is-ready-to-mediate-between-turkey-and-syria-idUSKBN2020HO> (2020年8月11日最終アクセス).
  8. 同コミュニケの全文は以下を参照。<https://peacemaker.un.org/sites/peacemaker.un.org/files/SY_120630_Final%20Communique%20of%20the%20Action%20Group%20for%20Syria.pdf>(2020年8月11日最終アクセス).
  9. ‘Syria Conflict: Sides Trade Blame over Talks’ Suspension’ <http://www.bbc.com/news/world-middle-east-35489237> (2020年8月11日最終アクセス).
  10. 反体制派が集まったリヤド会合(2017年11月22日開幕)において、「ジュネーブ8」に向けた50人の代表団が23日に選出された。リヤド、モスクワ、そしてカイロを拠点とする各反体制勢力が参加したこの会議の詳細に関しては、以下を参照。‘Syria Opposition Meeting in Riyadh Sees No Role for Assad in Transition’ <https://www.reuters.com/article/us-mideast-crisis-syria-opposition/syria-opposition-meeting-in-riyadh-sees-no-role-for-assad-in-transition-idUSKBN1DN1BB> (2020年8月11日最終アクセス).