既述のように、現憲法はバアス党の指導的立場を規定していないが、2012年以降に3回実施された国会議員選挙結果に見られたように、同党がサルトーリの言うところの「支配政党」である実態は変化していない。

バアス党は、ミシェル・アフラク(ギリシャ正教徒)及びサラーフッディーン・アル=ビタール(スンナ派ムスリム)らが1940年代初期に、ダマスカスで活動を開始したアラブ民族主義の勉強会を母体とする1。その後、1947年には結党大会が開かれ、バアス党が政党として正式に発足し、その党綱領である「統一、自由、社会主義」は下位中産階級に広くアピールした2。バアス党結党時に16歳であったH・アサドは学生党員として加わり、党内で以後めきめきと頭角を現していき、1963年のシリアにおける「バアス革命」に際しては、ダマスカス当方のドゥマイル空軍基地攻略作戦を主導し、革命の成功に大きな役割を果たした3。この結果、シリアでは現在に至るまで58年間バアス党政権が続いているが、「バアス革命」後しばらくの間は党内で熾烈な権力闘争が発生した。そうしたなかで、H・アサドが最終的に勝ち残り、1970年のクーデタでバアス党内における実権を掌握した。以後、バアス党内での権力闘争は影を潜め、H・アサド大統領、さらにはB・アサド大統領の権威に対する目立った挑戦は、H・アサドの入院に伴い、実弟リフアト・アル=アサドが実権掌握を試みた結果生じた「兄弟間の対立」(1983年秋~1984年春)以外に、バアス党内からは発生していないのである。

脚注

  1. Patrick Seale, Asad: The Struggle for the Middle East, Berkeley, Los Angeles, and London: University of California Press, 1988, pp. 29–34.
  2. Hinnebusch, Syria, pp. 30–31.
  3. 小副川琢「半世紀に及ぶシリアのバアス党体制」(黒木英充編著『シリア・レバノンを知るための64章』明石書店、2013年)、173頁。