選挙
イラン
2021年8月30日

イラン/選挙

イランでは1979年2月に革命が達成されて以降、大統領(任期4年)、国会議員(同4年)、及び専門家会議メンバー(同8年)を選ぶ選挙が定期的に行われてきている。国民投票もこれまで3回実施されており、1度目の国民投票では革命後の新体制の名称が問われ、2度目と3度目の国民投票ではそれぞれ、新憲法と改正憲法の承認が問われた。1999年には初めて、地方評議会(任期4年)選挙も実施された。 

選挙権

今日のイランでは、選挙権は18歳以上の男女に与えられている。革命当初、選挙権は16歳以上の男女に与えられ、その後選挙権年齢は一時15歳まで引き下げられたが、2007年1月2日選挙権年齢は15歳から18歳に引き上げられた。

立候補資格審査

今日のイランで選挙に立候補するためには、立候補の資格審査を通過しなければならない。大統領選挙と専門家会議選挙については、立候補の資格審査は監督者評議会が行っている。国会選挙の立候補資格審査は、まず選挙区ごとに設置される選挙実行委員会(内務省傘下の選挙本部の下に設置)が実施し、次いで監督者評議会が任命する州選挙監督委員会が実施する。選挙実行委員会の審査結果に不服の者は州選挙監督委員会に、州選挙監督委員会の審査結果に不服の者は監督者評議会に対し異議を申し立て、再審査を申請することができる。監督者評議会が再審査の実施後に行う最終結果発表によって、全立候補者が確定する。 確定した立候補者の名簿は内務省が発表する。 

大統領選挙

イランではこれまでに、合計12回の大統領選挙が行われてきた。1980年の第1期大統領選挙で選出されたバニーサドルは、1981年6月に国会より弾劾決議を受け、罷免された。これを受けて翌7月には第2期大統領選挙が行われ、バニーサドル大統領の下で首相を務めていたラジャーイーが当選した。しかしラジャーイー大統領は1981年8月末、大統領に就任して2週間あまりでバーホナル首相とともに暗殺され、これを受けて同年10月に実施された第3期大統領選挙ではハーメネイー師が当選し、第3代大統領に就任した。これ以降、大統領選挙は定期的に4年ごとに実施され、現ロウハーニー師まで5名の大統領は皆連続2期8年を務めてきている。

有権者数投票総数投票率当選者得票数得票率
11980120,993,64314,152,88767.42アボルハサン・バニーサドル10,709,33075.67
21981722,687,01714,573,80364.24ムハンマド・アリー・ラジャーイー13,001,76189.21
319811022,687,01716,847,71774.26アリー・ハーメネイー16,003,24294.99
41985825,993,80214,238,58754.7812,203,87085.71
51989730,139,59816,452,67754.59ハーシェミー・ラフサンジャーニー15,550,52894.52
61993633,156,05516,796,78750.6610,566,49962.91
71997536,466,48729,145,75479.92モハンマド・ハータミー20,138,78469.10
82001642,170,23028,081,93066.5921,654,32077.11
9(第1回)2005646,786,41829,400,85762.84 (決着がつかず決選投票へ) - -
9(第2回)2005646,786,41827,958,93159.76マフムード・アフマディーネジャード17,248,78261.69
102009646,199,99739,371,21485.22〃 24,527,51662.30
 112013650,483,19236,821,53872.94 ハサン・ロウハーニー18,613,32950.55
122017556,410,23441,366,08573.33〃 23,636,65257.14

出所: Iran data portal (https://irandataportal.syr.edu/presidential-elections)をもとに作成 

第9期大統領選挙

2005年6月17日、第9期大統領選挙が行われた。この選挙における有権者は15歳以上の男女全てであり、有権者数は4678万6418人(2005年6月16日付IRNA報道)であった。

この選挙の立候補登録者は1014名(うち女性は89名)に上り(立候補登録期間:5月10~14日)、監督者評議会は5月15日から資格審査を開始し、5月22日、審査結果を発表した。監督者評議会により資格を認められたのは、アフマディーネジャード・テヘラン市長、ラーリージャーニー元国営放送総裁、レザーイー体制利益判別評議会書記(元革命防衛隊総司令官)、ガーリーバーフ前治安維持軍司令官、キャッルービー前国会議長と、ラフサンジャーニー体制利益判別評議会議長の6名であった。この時点で、改革派の有力候補とされていたモイーン前科学技術相は失格処分とされた。 

これに対してハーメネイー最高指導者は、監督者評議会にモイーン前科学技術相とメフル・アリーザーデ副大統領(兼イラン・スポーツ連盟総裁)の立候補資格を再審査することを要請した。5月25日、監督者評議会は再審査の結果、同2名の立候補を承認したと発表し、立候補の有資格者は8名となった。しかし6月15日、レザーイー体制利益判別評議会書記は立候補を撤回したため、立候補者数は最終的に7名となった。 

5月24日から6月15日までの選挙運動期間を経て、6月17日の朝8時には、予定通り投票が開始された。第1回投票ではいずれの候補者も、「投票総数の過半数」の票を獲得することができず、上位2位を占めたラフサンジャーニー候補とアフマディーネジャード候補の2名が、6月24日の決選投票に臨むことになった。決選投票の結果、アフマディーネジャード候補が1724万8782票を獲得し(得票率61.69%)、ラフサンジャーニー師に700万票近い大差をつけて当選した。 

第10期大統領選挙

2009年6月12日、第10期大統領選挙が実施された。その日程は以下のとおり。 

イラン第10期大統領選挙日程

  • 5月5日~9日 立候補受付期間(今回よりインターネットで立候補登録を受付)
  • 5月9日夜~14日 監督者評議会による立候補資格審査
  • 5月15日~19日 監督者評議会による、立候補資格再審査
  • 5月20日・21日 国家選挙本部、立候補最終確定者を発表
  • 5月22日~6月10日 選挙運動期間(20日間)
  • 6月12日 投票日

5月10日、ダーネシュジュウ国家選挙本部長は、立候補の届出を行った者は合計で475名に上ると発表した。この発表によれば、インターネット上の選挙登録受付用サイトで登録を行った者は3,272名に上り、その14.5%にあたる475名が選挙本部に実際に出向き、立候補届出の手続きを完了させた。 

その後監督者評議会による立候補資格審査及び再審査を経て、5月20日、マフスーリー内務相は、アフマディーネジャード大統領、ムーサヴィー元首相、キャッルービー元国会議長、およびレザーイー体制利益判別評議会書記の4名が、大統領選挙の立候補資格を認められたと発表した。選挙当日、投票は、全国368の自治体に設置された合計4万8千ヶ所の投票所(うち1万4千ヶ所は「移動式」)で行われた。当初「朝8時から10時間」とされていた投票時間は、投票所によっては深夜12時まで延長された。

選挙の翌日である6月13日(土)の夕刻、マフスーリー内相は選挙結果を発表した。この発表によれば、今回の大統領選挙における投票総数は39,165,191票であり、投票率は85%に上った。マフスーリー内相が発表した開票結果は、以下のとおりである。ハーメネイー最高指導者は同13日、マフスーリー内相による選挙結果の発表を受けて直ちに声明を発表し、国民の選挙への広範な参加を讃え、アフマディーネジャード大統領の再選を祝福した。

立候補者得票数得票率
アフマディーネジャード大統領24,527,51662.63
ムーサヴィー元首相13,216,41133.75
レザーイー体制利益判別評議会書記678,2401.73
キャッルービー元国会議長333,6350.85
無効票409,3891.04

出所:イラン学生通信(ISNA)、2009.6.13/イラン内務省HP(6月14日付発表最終結果、6月13日(土)午後4時発表)

第11期大統領選挙

第11期大統領選挙は2013年6月14日に実施された。 内務省発表の公式選挙結果は以下のとおりである。ロウハーニー候補が総投票数の50.71%に相当する1861万3329票を獲得したことから、同師がイランの第7代大統領として就任することが決まった。内務省の発表によれば、投票率は72.7%に上った。

立候補者得票数得票率(%)
ハサン・ロウハーニー18,613,32950.71
モハンマド・バーゲル・ガーリーバーフ6,077,29216.56
サイード・ジャリーリー4,168,94611.36
モフセン・レザーイー 3,884,41210.58
 アリー・アクバル・ヴェラーヤティー2,268,753 6.18
モハンマド・ガラズィー446,0151.22

出所:イラン学生通信2013年6月15日、内務省発表の最終結果https://www.isna.ir/news/92032515237/(最終閲覧日2020年5月19日)

第12期大統領選挙

第12期大統領選挙は2017年5月19日に実施された。立候補登録者1,636人の中から、立候補資格を承認された候補者(立候補当時の肩書)は、モスタファー・ミールサリーム(元・文化・イスラーム指導相、1994-1997)、エスハーク・ジャハーンギーリー(現・第一副大統領、2013-)、ハサン・ロウハーニー(現・大統領、2013-)、エブラーヒーム・ライースィー(前・検事総長、2014-2016)、モハンマドバーゲル・ガーリーバーフ(現・テヘラン市長、2005-2017)モスタファー・ハーシェミータバー(元・副大統領、1994-2001)の6名であった。しかし、ガーリーバーフが5月15日にライースィー支持を、ジャハーンギーリーが5月16日にロウハーニー支持をそれぞれ表明し、撤退した。選挙の結果、ロウハーニーが23,636,652票で当選。2位のライースィーは15,835,794票であった。惜敗率66.99%という差でライースィーが2位落選となったが、下表のように州によってはライースィーの方が得票数が多い、僅差で敗戦となった州もあった。

 ロウハーニーライースィー惜敗率(%)
1コム219,443588,557
2南ホラーサーン159,433301,976
3ホラーサーン・ラザヴィー1,422,1101,885,838
4北ホラーサーン231,313272,697
5ザンジャーン259,981294,485
6セムナーン182,279200,658
7マルキャズィー376,905377,051
8コフギールーイェ・ヴァ・ボイラフマド183,941176,14095.76
9ハマダーン418,256383,28591.64
10ロレスターン455,277363,30079.80
11チャハールマハール・ヴァ・バフティヤーリー270,619213,60878.93
12フーゼスターン1,162,954896,18477.06
13ホルムズガーン480,743370,35977.04
14ガズヴィン395,911303,46976.65
15エスファハーン1,391,2331,038,53574.65
16イーラーム188,925133,02370.41
17ブーシェフル328,806223,27867.91
18ケルマーン242,540154,16363.56
19アルダビール412,735261,05663.25
20ファールス1,500,000900,00060.00
21ゴレスターン610,974358,10858.61
22マーザンダラーン1,256,362726,47857.82
23東アゼルバイジャン1,284,111661,62751.52
24ヤズド402,995206,51451.24
25アルボルズ832,050390,48846.93
26西アゼルバイジャン1,030,101473,78545.99
27ケルマーンシャー699,654313,89444.86
28テヘラン4,388,0121,918,11643.71
29ギーラーン1,043,285442,72842.44
30スィースターン・ヴァ・バローチェスターン878,398313,98535.75
31クルデスターン467,700155,03633.15

出所:『エッテラーアート』2017年5月24日

第13期大統領選挙

2021年6月イランでは第13期大統領選挙が実施された。今回の選挙前イラン国内メディアの時評で注目されたのは、①被選挙権の規則、②立候補資格審査であった。まず監督者評議会による被選挙権の制約追加から説明したい。立候補登録が始まる直前2021年5月1日、選挙監督を担う(実施は内務省)[1]監督者評議会が現行法よりも被選挙権を狭める決定を下した。資格の内容を述べる前に、この決定が今回の選挙限定であることに留意しておきたい。通常の法的手続きでは被選挙権を含むイランの大統領選挙法は、内閣提出法案(Lāyeḥe)または議会提出法案(Ṭarḥ)によって改正されることになっている。しかし、2021年選挙ではこれらの手続きを経て被選挙権に関する法律が改正されたわけではない。監督者評議会が大統領選挙の立候補資格に関する決定事項(Moṣavvabe)を内務省に通知し、立候補資格を決めたのであった。

前回までとの制度的違いは具体的に何であったのか。イラン国内メディアでは「実務者および管理職として有能であること」など現行法に定められた要件[2]の具体的な解釈に加えて、年齢制限(40歳~75歳)、公務員管理法71条[3]で定められた政府の要職、体制公益判別評議会、国家最高安全保障評議会、軍の少将以上などの職歴を合計4年以上有する者などが新たに追加されたことが取り上げられた[4]。「メフル通信」の論説によると、このような監督者評議会の決定によって革命防衛隊出身の政治家でも少将以上の経歴がないサイード・モハンマド[5]のような人物の出馬が阻まれたとされる[6]。また改革派の推薦候補の有力者の一人として選挙前に複数の国内メディアで出馬動向が着目された若手政治家モハンマド・ジャヴァード・アーザリージョフラミー(第二次ロウハーニー政権情報通信技術相)は合計4年という職歴に満たないため出馬が妨げられたとも報じられた[7]

次に立候補者登録である。2021年5月11日~15日の登録期間中、全国に設置された内務省の事務所において592人が登録した。登録者全員の詳細は不明であるが、資格審査結果を見ると保守派と改革派というイランの二大政治潮流から参加したようである。もっとも改革派から2名の候補が承認されているが、国外のペルシャ語メディアで改革派の政治活動家が選挙ボイコットを公言したことから、彼らの本命候補は失格になったか、そもそも立候補登録をボイコットしていたと考えられる[8]。以下の表は資格審査を通過した立候補者のリストである。イラン特有の役職もあるので立候補者の政治的バックグラウンドを簡単に紹介しておく。ライースィーの現職司法府長官とは最高指導者の任命ポストである。つまり最高指導者の最側近の候補であることが有権者に認知されていると言える。同様に最高指導者に近い役職はレザーイーの現職体制利益判別評議会書記である。体制公益判別評議会は立法過程における議会と監督者評議会の仲裁機関である。それに対してヘンマティーの現職ポスト中央銀行総裁とは大統領の任命ポストである。つまり現職大統領ロウハーニーに近い唯一の候補ということになる。

候補者名現職前職政党(派閥)結果
エブラーヒーム・ライースィー司法府長官JRM(保守派)17926345票
モフセン・レザーイー・ミールガーエド体制公益判別評議会書記IRGC総司令官無(保守派)3412712票
アブドゥルナーセル・ヘッマティー中央銀行総裁KS(改革派)2427201票
アミールホセイン・ガーズィーザーデ・ハーシェミー国会第一副議長持続戦線(保守派)999718票
モフセン・メフル・アリーザーデハータミー政権副大統領無(改革派)辞退
サイード・ジャリーリーIRGC、アフマディーネジャード政権SNSC書記持続戦線(保守派)辞退
アリーレザー・ザッカーニー
国会議員IRGC無(保守派)辞退

最後に投票結果を見ていきたい。2021年6月18日に投票が行われた。イランの有権者59,310,307人のうち28,933,004人(48.8%)が参加した[9]。その結果、当選条件である有効投票数の過半数を上回る約70%の得票率でライースィーが初当選した。票から有効投票を投じた有権者の中ではライースィーが圧倒的に支持されていることが分かる。この結果は全ての落選候補によって認められ、選挙後にデモなどの混乱が生じることはなかった。もっとも4位落選ガーズィーザーデ・ハーシェミーは投票日の数日前にイラン国営放送が彼の辞退を誤報したことをフェイクニュース(選挙不正)だと抗議したが、ライースィーの当選結果そのものには抗議しなかった[10]

選挙後イラン国内メディアで少々話題になったのは無効票の多さであった。次点候補レザーイーの得票数3,412,712票に対して、無効票はそれよりも多い3,726,870票であった。イランの選挙における無効票の多さは常でありイラン国内の学術論文でも当選ラインを左右する一因として注目されている(Khosravī 1399: 92)。なぜ今回は落選候補の得票を上回るほど無効票が多かったのであろうか。内務省の発表によると大統領選挙法第25条、第26条、第28条に定められた無効票の規則に基づき対処したとされる。具体的には、白票、投票用紙への落書(体制や政府に対する皮肉など)、間違った投票箱(同時開催された他二つの選挙の投票箱)への投票が含まれる[11]。この点、改革派の政治活動家も同意している。元IIPF(強制解体された改革派政党)のメンバーであるアッバース・アブディーも投票所において3つの選挙の同時開催がマネージされていない問題を指摘している[12]

参考文献(第13期大統領選挙)

Khosravī, Ḥasan. 1399. “Taḥlīl-e Natāyej-e Entekhābāt-e Dowre-ye Yāzdahom-e Majles-e Showrā-ye Eslāmi dar Parto-e Qāʻede-ye Aksarīyat.” Faslnāme-ye Jāmeʻeshenāsī-ye Īrān 3(3): 86-111.

鈴木優子(2018)「選挙と部族社会-第 12 回大統領選挙におけるコフギルイエ・ヴァ・ボイ ラフマド州の動向」山岸智子編『現代イランの社会と政治-つながる人びとと国家の挑戦』明石書店、68-116.

松永泰行(2002)「イラン・イスラーム共和国における選挙制度と政党」『中東諸国の選挙制度と政党』日本国際問題研究所、4-20.

松永泰行(2016)「イランにおける制度的弾圧と一般国民-抑圧的体制下の争議政治として の競合的選挙」酒井啓子編『軍・政治権力・市民社会-21 世紀における「新しい」政軍関係』晃洋書房、262-279.


[1] イランの大統領選挙における選挙管理構造の詳細は鈴木(2018:74)を参照。

[2] 大統領の被選挙人資格は憲法第115条および大統領選挙法第35条に定められている。①宗教的・政治的な「男性」であること、②出自的にイラン人であること、③イラン国籍を所持すること、④実務者および管理職として有能であること、⑤経歴、誠実さ、怖神態度が真正であること、⑥敬虔でイラン・イスラーム共和国の諸原則と国家の公式宗派の信奉者であること、の6つである(松永2016: 264; 松永2002: 5)。

[3] 法律全文は以下を参照https://rkj.mcls.gov.ir/fa/moghararaat/ghavanin/ghanoonkeshvari-%D9%85%D8%AA%D9%86-%DA%A9%D8%A7%D9%85%D9%84-%D9%82%D8%A7%D9%86%D9%88%D9%86-%D9%85%D8%AF%DB%8C%D8%B1%DB%8C%D8%AA-%D8%AE%D8%AF%D9%85%D8%A7%D8%AA-%DA%A9%D8%B4%D9%88%D8%B1%DB%8C

[4] 監督者評議会の発表内容は2021年5月8日掲載のイラン国内オンラインニュース「メフル通信」(https://www.mehrnews.com/news/5207317/)を参照。

[5] サイード・モハンマドはIRGC政治部門副官である。IRGC傘下の経済団体ハータム・アル・アンビアー司令官を立候補登録前に辞していたことから、立候補資格審査の担当側は彼の出馬を事前に予想できだと考えられる。なおIRGCの2021年大統領選挙の見通しに関する見解は2021年4月3日掲載「ファールス通信」(https://www.farsnews.ir/news/14000111000171/)を参照。結局サイード・モハンマドは出馬したが監督者評議会によって失格にされた。2021年5月27日掲載「ハバルオンライン」(https://www.khabaronline.ir/news/1519374/)を参照。

[6] 2021年5月5日掲載の報道(https://www.mehrnews.com/news/5205152/)を参照。

[7] なお、ロウハーニー政権最年少閣僚ジョフラミー(40歳)を改革派が擁立する可能性を否定する報道もなされている。改革派連合の選挙対策本部における推薦候補を決める投票でジョフラミーは10票(全46票)しか獲得できなかったためである。2021年5月10日の報道を参照(https://www.mashreghnews.ir/news/1215137/)。結局ジョフラミーは出馬しなかった。

[8] 2021年6月14日掲載BBC Persian(https://www.bbc.com/persian/iran-features-57469397)、2021年5月26日掲載「ゼイトゥーン」(https://www.zeitoons.com/87917)を参照。「ゼイトゥーン」はホメイニーとの対立で失脚した暫定政権首相バーザルガーン支持者によって運営されている。

[9] 投票数などはRadio Free Europeのペルシャ語版2021年6月21日掲載(https://www.radiofarda.com/a/31318891.html)を参照。

[10] 2021年6月16日掲載の「ハバルオンライン」(https://www.khabaronline.ir/news/1525981/)を参照。

[11] 例えば2021年6月28日掲載のBBC Persian(https://www.bbc.com/persian/iran-features-57603703)を参照。

[12] 改革派日刊紙「エッテマード」2021年6月22日p.1を参照

国会選挙

イランにおける国会選挙は、1980年3月に第1期国会選挙が行われて以降、定期的に4年ごとに実施されてきている。選挙区数は当初193であったものが1992年の第4期国会選挙で196に増えた。2000年に実施された第6期国会選挙で定数が270から290に引き上げられるのに伴い、選挙区数も196から207に増えた。選出議員の数は、選挙区の人口に応じて1から6議席が割り当てられている。イランの人口の約10%を占めるテヘラン選挙区では例外的に30議席が割り当てられている。なお全議席のうち5議席は宗教的少数派に割り当てられている。

イランの国会選挙の投票形式には優先順位付連記投票制度が採用されている。この制度では1回目の投票で有権者は各選挙区に割り当てられた議席数分の候補者名を記入する。第1回投票で当選ラインを上回る候補者が不在の選挙区では、第2回投票が行われる。各選挙区で第2回投票に進むのは第1回投票において多数票を獲得した候補者のうち残りの議席数の2倍に限られる。第2回投票では当選ラインは設けられておらず多数票を獲得した候補者が勝利する。第1回投票の当選ラインは1980年の国会選挙法では有効投票数の過半数と定められたが、その後の改正国会選挙法で33パーセント、1999年の改正国会選挙法で25パーセント、2016年の改正国会選挙法で20パーセントに変更された。

イランの国会選挙は必ずしも政党単位では戦われておらず、有権者は立候補者個人に投票することになっている。各政治団体はそれぞれが推薦候補者リストを作成し、有権者に配布するが、一人の候補者が複数の団体の推薦を受け、同一候補者の氏名が複数のリストに掲載される場合もある。このような理由から、選挙結果は政治団体ごとの得票数というよりは、革命初期からの大まかな対立軸である「右派」と「左派」の獲得議席数に、また、特に第6期国会選挙以降、「保守派(原理派)」系候補と「改革派」系候補の議席数を中心に、イラン国内外のメディアで報じられる傾向にある。 

第7期国会選挙

2004年2月20日に実施された第7期国会選挙では、監督者評議会が改革派系の有力議員を軒並み失格処分とし、その結果保守派勢力が圧勝した。 

2004年1月11日、監督者評議会は第7期国会議員立候補登録者8157名のうち、83名の現職議員を含む3605名を失格処分とした。これに先立つ1月3日には、内務省傘下の選挙実行委員会が、立候補登録者の「92.88%」の立候補資格を認めていたため、監督者評議会独自の判断に基づく大量失格処分には、非難の嵐が巻き起こった。 

これを受けてハーメネイー最高指導者は監督者評議会に立候補資格の再審査を命じ、その結果監督者評議会は、当初失格処分とした申請者のうち1160名の資格を承認した。しかし1回目の審査で失格とされた(改革派系)現職議員の大半は、結局立候補を認められなかった。

これに対してハーメネイー師は再び、監督者評議会に対し再審査を命じるが、最終的に立候補が認められたのは5625名であり、現職議員80名を含む約2500名は失格となった。これを受けて、12名の現職国会議員を含む888名の立候補登録者が、立候補は認められながら出馬を辞退し、選挙をボイコットすることを発表した。

2月20日の投票は、改革派の最大政党イスラーム・イラン参加戦線(IIPF)がボイコットを維持する中行われ、投票率はイラン全土で50.57%、首都テヘランでは25%と低迷した。第1回投票において投票総数の4分の1以上の獲得により確定した議席数は、保守派154議席、改革派39議席、無所属31議席であった。宗教少数派に割り当てられた5議席も確定した。 

5月7日に行われた第2回投票では、さらに57議席が確定した(第1回投票の結果を監督者評議会が承認しなかった4議席の投票は後日に持ち越された)。第2回投票では保守派が40議席、改革派が8議席を獲得し、(残りは無所属)、第7期国会において保守派勢力は「少なくとも」194議席を、改革派勢力は47議席を占めることになった。 

5月27日、第7期国会が召集された。第7期国会議長には、テヘラン選挙区で888,276票を獲得してトップ当選を果たしたハッダード・アーデルが選出された。 

第8期国会選挙

2008年3月14日、第8期国会選挙が実施された。選挙の立候補登録は1月5日に開始され、11日に締め切られた。3月9日の監督者評議会の発表によれば、立候補資格審査の結果、全7597名の立候補登録者のうち、4755人(約6割)が立候補を認められた。3月14日の投票は、朝8時に開始され、投票時間は夜11時まで延長された。 

4月6日に行われた内務省の発表によれば、第8期国会選挙の投票率は60%と、前回選挙時の51%に比べて上昇した。立候補者は合計3863名、うち308名は女性であったが、このうち第1回投票で当選が確定したのは209名(うち83名が現職、5名は女性)であった。第2回投票へは、残る81議席の2倍の人数である162名がコマを進め、4月25日には53の選挙区で、第2回投票が実施された。第2回投票の投票率は、「26%以上」と発表された。 

第8期国会選挙において、保守派(原理派)勢力は「統一戦線」なるグループを立ち上げ、ともに選挙戦を戦おうとした。しかし選挙直前になり、アフマディーネジャード大統領に対してより批判的な「包括連合」なるグループが統一戦線から離脱し、独自の候補者リストの作成をこころみた。しかし結局のところ、統一戦線リストと包括連合リストには重複も多く(第1回投票では統一戦線と包括連合の共通候補が40議席近くを獲得した)、また、包括連合と改革派のリストの間にも重複が見られた(包括連合と改革派の共通候補は第1回投票で7議席を獲得)。選挙結果の確定後、イラン国内メディアは、最終的には保守派が「200議席近く」、改革派が「45議席程度」を獲得、残りは無所属の候補が獲得したと報じた。

5月27日、第8期国会が召集され、翌28日、コムでトップ当選を果たした(239,436票を獲得)アリー・ラーリージャーニーが、国会議長に就任した。

第9期国会選挙

第9期国会選挙は、2012年3月2日に実施された。 政府の発表によれば、今回の選挙の有権者数は48,288,799名であり、全国47,665ヵ所に投票所が設置され、投票が行われた。立候補登録者数は5,395人であり、うち女性立候補者数は260人であった。現職議員290人のうち、再選を目指して立候補した議員の数は260人に上った。 

立候補登録を行った候補者のうち、内務省による立候補資格審査を通過した者は3,703人、監督者評議会による資格審査を通過した者は3,444人であった。選挙後に内務省が発表した今回の選挙の投票率は64.20%に上り、選挙区内の総投票数の4分の1以上の得票により第1回投票で確定した議席数は、全290議席中225議席に上った。 

5月4日に、3月2日に実施された第1回投票では確定しなかった65議席をめぐる決選投票が行われ、残り65議席が確定した。 

しかしその後5月28日、監督者評議会は第2回投票で確定した議席のうち2議席(イーラーム州とハマダーン州のそれぞれ1議席)に関し、選挙結果は無効であると判断した。監督者評議会は4月5日には、ラームサルとダマーヴァンド選挙区の結果を「無効」と判断しており、その結果第9期国会は、(定数の290議席より4議席少ない)286議席でスタートすることになった。 

第9期国会選挙においては、保守本流勢力により構成される「統一戦線」と、アフマディーネジャード大統領により近い(しかし大統領の腹心であるマシャーイー大統領執務室長には批判的な)「永続戦線」が別々のリストを作成し、選挙戦を戦った。選挙の結果、統一戦線リストからは126名が当選を果たし、 統一戦線が第9期国会の最大会派を構成することになった。 

第10期国会選挙

第10期国会選挙の第1回投票は2016年2月26日に実施された。有権者数は54,915,024人であり、投票率は61.64%であった。2016年4月29日に実施された第2回投票では残り68議席が136人によって競われた。第1回投票でテヘラン選挙区30人全員が決まったのは初めてである。30人全員「希望リスト」と呼ばれるロウハーニー大統領の政策、特に2015年の核合意を支持する改革派系リストから当選した。対して、第9期の現職議員(ハッダード・アーデルを筆頭)とする保守派系のリスト30人は全員落選する結果となった。国会議長選挙では「希望リスト」の筆頭候補であったアーレフが現職の保守穏健派ラリージャニー(コム選挙区から選出)に挑んだが、ラーリージャーニーの再選に終わった。

第11期国会選挙

第11期国会選挙の登録期間は2019年12月1日~8日であった。現国会議長のラーリージャーニー、第10期国会の改革派会派をまとめるアーレフなど有力者が登録しなかった。16,033人登録し、うち800人が立候補を取り下げ、1,300人が内務省管轄下の選挙実施委員会によって失格になった。2020年1月12日、監督者評議会の発表によると7,148人が承認された。290人中249人の現職議員が再選出馬したが90人が失格になった。監督者評議会キャドホダーイー報道官によると、現職議員の主な失格理由は汚職とされる。

第1回投票は2020年2月21日に実施された。テヘラン選挙区では元テヘラン市長で革命防衛隊の空軍司令官であったガーリーバーフを筆頭とする保守派系リストから30人全員が当選する結果となった。投票率は、内務省の発表ではテヘランではわずか25.4%、全国平均でも42.57%にとどまり、過去最低を記録した。第2回投票(残り11議席)はもともと2020年4月に予定されていたが、感染症の影響で2020年9月11日に延期された。

2020年5月28日に実施された国会議長選挙では、ガーリーバーフが267票中230票を獲得し、他2人の候補を寄せ付けず、圧勝した。第一副議長にアミールホセイン・ガーゼィーザーデ・ハーシェミー(9期議員)が208票、第二副議長にはアリー・ニクザード(アフマディーネジャード政権期の官僚)が196票で選ばれた。

地方評議会選挙

  地方評議会選挙は1999年2月に導入され、この選挙を通じ、4年ごとに全国の市町村の評議会メンバーが選出されている。大統領選挙や国会選挙とは異なり二回投票制ではなく一回投票制で多数決で選出される。

第3期地方評議会議選挙

2006年12月15日、第4期専門家会議選挙と同日に、第3期地方評議会選挙が実施された。この選挙ではアフマディーネジャード大統領を支持する勢力が独自の候補者リストを作成し、投票に臨んだが、思うように票を伸ばすことができなかった。たとえばテヘラン市評議会では、アフマディーネジャード大統領支持派は定数15議席のうち2議席しか確保できなかった。テヘラン市評議会では結局、「改革派」勢力が4議席を獲得し、残り8議席は「原理派大連合」(アフマディーネジャード大統領支持派以外の「保守派(原理派)」勢力)が獲得した(残り1名は無所属)。 

第4期地方評議会議選挙

地方評議会の任期は4年であり、第4期地方評議会選挙は予定では、2010年末から2011年初め頃に実施される予定であった。しかし選挙にかかる経費節減のため、第4期地方評議会選挙は第11期大統領選挙と同日に実施すべきであるという案が出され、2010年7月に、この「選挙統一法案」が承認された。これを受けて第4期地方評議会選挙は、2013年に予定される第11期大統領選挙と同時に、2013年6月14日に実施されることになった。 

結果、大統領選挙では改革派と伝統保守派の支持を受けたロウハーニーが当選した一方で、地方評議会選挙では保守派が全国的な議席の過半数以上を占めた。後者はメフディー・チャムラーン(テヘラン市議)が第4期州最高評議会(地方評議会の総会)議長選挙で70票中45票を獲得して選出された[1]ことから推測できる。


[1] 2014年1月21日掲載のISNA(https://www.isna.ir/photo/92110100841/)参照。

第5期地方評議会選挙

2017年5月第12期大統領選挙と同時開催された。全国的に改革派が保守派に対して多数議席を獲得したと見られる。そのように判断できる理由は2017年12月に開催された第5期州最高評議会の1年目の議長選挙である。この選挙ではテヘラン市議会議員でKS政党員モルテザー・アルヴィーリーが全75票のうち38票を獲得し初当選した。次点は(ファールス州)シーラーズ市議会議員で改革派系の教師協会シーラーズ支部の責任者アブドゥルラッザーグ・ムーサヴィーの33票であった[1]


[1] 投票結果は2017年12月31日掲載の「テジャーラトニュース」(https://tejaratnews.com/%D9%85%D8%B1%D8%AA%D8%B6%DB%8C-%D8%A7%D9%84%D9%88%DB%8C%D8%B1%DB%8C-%D8%B1%D8%A6%DB%8C%D8%B3-%D8%B4%D9%88%D8%B1%D8%A7%DB%8C-%D8%B9%D8%A7%D9%84%DB%8C-%D8%A7%D8%B3%D8%AA%D8%A7%D9%86%E2%80%8C%D9%87%D8%A7)参照。シーラーズ市議会議員ムーサヴイーの経歴は(http://www.kazeroonnema.ir/fa/news/14877/)を参照。

第6期地方評議会選挙

2021年6月第13期大統領選挙と同時開催された。2021年8月の本稿執筆時点で州最高評議会議長選挙が開催されていないため全国的な議席を占める派閥の割合を推定することはできない。ここではテヘラン市議会選挙の結果のみ紹介しておきたい。テヘラン市議会の全21議席は「連合評議会」と自称する保守派リストによって独占された。1位当選は現職候補チャムラーン486,282票であった。「共和国」と自称する改革派リストの中で最多票を獲得した現職候補アリー・エッターは得票数32,618、22位落選であった。保守派リストの21位当選候補が265,607票獲得していることを踏まえると、改革派は第6期テヘラン市議会選挙で保守派に大敗したと解すことができる[1]


[1] 2021年6月24日掲載「マシュレグニュース」(https://www.mashreghnews.ir/news/1236599/)参照

専門家会議選挙

最高指導者を選出し、また、最高指導者による任務遂行が不可能になった場合にそれを見極める任務を持つ専門家会議の選挙は、1982年の第1期から2006年の第4期まで8年ごとに実施されてきた。第5期は2016年の第10期国会選挙と同日開催になった。選挙制度上、先述した3つの選挙と大きく異なるのは立候補資格である。ムジュタヒド(イジュテハードとよばれるイスラーム法解釈などができる能力と資格を持つ者)レベルのイスラーム法学者に限定される(専門家会議選挙法第3条)。また大統領、官僚、国会議員、司法関係ポストに就く者の立候補規制もない。

 実施日有権者数投票総数投票率議席数
第1期1982.12.10232777811801306177.3882
第2期1990.10.8312800841160261337.0983
第3期1998.10.23385505971785786946.3286
第4期2006.12.154654924228,321,27060.8486
第5期2016.2.2654,915,02433,480,54860.9788

出所:イラン内務省 

第4期専門家会議選挙

2006年12月15日、第4期専門家会議選挙が実施された。この選挙には493名が立候補登録を行ったが、監督者評議会による、筆記試験(イスラーム法学)を含む資格審査の結果、最終的には166名が、立候補資格を認められた。 

この選挙の有権者数は4654万9242名であり、投票率は66%に上った。選挙の結果、「協会」リスト(テヘラン闘う聖職者協会とコム神学校教師協会の合同リスト)の推薦者が、全86議席中67議席を占めた。キャッルービー前国会議長が設立した国民信頼党の推薦を受けた候補は10名が当選し、「協会」と「国民信頼党」の双方から推薦を受けた候補は32名が当選した。

今回の選挙で最も多くの票を獲得したのは、2005年6月の大統領選挙ではアフマディーネジャード候補に大差で敗れたラフサンジャーニー体制利益判別評議会議長であった。ラフサンジャーニー師はテヘラン選挙区で156万票を獲得し、トップ当選を果たした(2位で当選したメシュキーニー師の得票数は84万票であった)。 

第5期専門家会議選挙

2016年2月26日、第10期国会選挙と同日に開催された。801人の立候補登録者の中から166人が承認された。過去の選挙でも競争倍率は定数に対して約2倍と低い。また、定数と同じ人数しか残らない選挙区(州)もあるので競争性は低い。2016年は、西アゼルバイジャン(3議席)、アルダビール(2議席)、ブーシェフル(1議席)、北ホラーサーン(1議席)、セムナーン(1議席)、ホルムズガーン(1議席)がそれに該当する。失格者の中には初代最高指導者ホメイニー師の孫アフマド・ホメイニーも含まれていた。選挙の結果、88議席中「テヘラン闘う聖職者協会」と「コム神学校教師協会」の合同リストの推薦者が64議席を占めた。

<注>

本稿は、坂梨祥「イラン・イスラーム共和国」松本弘編『中東・イスラーム諸国 民主化ハンドブック2014 第1巻 中東編』人間文化研究機構「イスラーム地域研究」東京大学拠点, 2015, pp. 37-54. を最新のデータに更新したものである。

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