イラン/政党
革命後のイランにおける政党は極めて脆弱である。王制下のイランでは「復興党」(前身「新イラン党」)と称する国王が設立した官製与党が存在し、与党政党員が行政から立法まで国家機構をほぼ独占していた。革命後のイランでは、「復興党」は解党されその党首(兼首相)が法廷で処刑された。さらに旧与党政党員は全ての選挙での立候補資格が法律で禁じられている(Abrahamian 1982)。旧与党を粛清した後、イスラーム共和制において新たに官製与党が設立されることはなかった。つまりイスラーム共和制下のイラでは大統領選挙で必ず勝利する、あるいは各種議会を独占するような覇権政党が存在しないのである(Brownlee 2007: 64)[1]。
このような政党の脆弱性はイランにおける政党の乱立に見て取れる。2011年までに200を超える政治組織が内務省によって政党の認可を受けてきた[2]。換言すれば政党申請をしている政党数は少なくとも200を超えるということである。これらの政治組織は、必ずしも「党」を名乗るものばかりではなく、「協会」、「結社」、「集団」、「同盟」、「組織」、「機構」など様々な名称を採用している。イランにおける政党の活動とは各種選挙における推薦候補の発表である。その意味で政党とは選挙において提示される公式のラベルによって識別され、選挙を通じて候補者を公職に就けることができる政治団体であるとする政党の最小限定義には当てはまる。しかし、イランの政党はいずれも単独で勝利(大統領選挙だと過半数を獲得)するだけの有権者の支持層が不在であり、短命に終わるか、分裂、結合を繰り返している。このような背景からイランの政党は名ばかりの政党にしか過ぎず、政党政治が定着していないという見方がイラン国内外の研究で示されている(Naqībzāde and Soleimānī 1388; Razavi 2010; 松永2002) 。
イラン・イスラーム共和国の憲法第26条は、「政党、協会、政治団体、職能団体、イスラーム協会、および認定された宗教少数派の協会」の結成を認めており、1981年8月には国会が、「政党・結社活動法」(正式名称は、「政党・協会・政治団体・職能団体・イスラーム協会・宗教少数派団体活動法」、以下、政党法)を可決している。
しかし1981年の政党法に基づき、初めて政党・結社に対する活動認可が出されたのは、1989年7月のことである。1980年代の前半、新体制の定着過程においては、革命実現のために1979年2月に設立されたイスラーム共和党(IRP)以外の政党は、徐々に解党処分に追い込まれるなど淘汰されていった。革命の過程では共に闘っていたイラン自由運動(党首は革命暫定政権首相のバーザルガーン)も、宗教指導者シャリーアトマダーリー師のムスリム人民共和党も、武装イスラーム組織モジャーヘディーネ・ハルク(MKO)も、トゥーデ党(共産党)も、1983年2月までには全て、段階的に排除された。その後1987年6月IRP幹部が「当初の目的(イスラーム共和制の確立)が達成された」と発表し、IRPは活動を停止した。 活動停止の一因には内部分裂があるとも指摘されている。
その後1989年7月には、1981年政党法に基づいて初めて、4団体(「闘う聖職者集団(MRM)」、「フェダーイーヤーネ・エスラーム協会」、「ムスリム作家芸術家協会」、「イラン・イスラーム共和国女性連盟」)が認可を受けた。これらの団体の設立申請書類の審査を行ったのは、1981年政党法の第10条に定められている、通称「第10条委員会」である。政党法第10条は、政党・結社の活動申請を審査し、またその活動を監督する委員会を内務省に設置すること、また、そのメンバーは、検察庁、司法最高評議会、内務省から1名ずつ、及び国会から2名の代表計5名で構成されることを定めている。
1989年7月に活動を開始して以降、第10条委員会は一貫して政党・結社の認可に関わっており、政党・結社の活動内容を不当と見なした場合には、当該政党に対し解党命令も下している。たとえば2010年4月、第10条委員会は、2009年6月の大統領選挙以降の混乱を「主導した」として、改革派の主要政党イスラーム・イラン参加戦線(IIPF)、及びイスラーム革命モジャーヘディーン機構(IRMO)を解党処分とした。旧IIPF、IRMO政党員は2016年第10期国会選挙前候補者を擁立するために「国民連合党」を設立し内務省の認可を受けたが、「国民連帯党」のほとんどの政党員が事前の立候補資格審査で失格になるなど政党として脆弱なままである。
以下、イランの主な政党を右派(保守派、原理派)、左派(改革派)、それらの間をとる中道派の三つに分けて紹介する。派閥毎に分ける理由は、イラン研究では政党政治よりも派閥政治(factional politics)が分析対象となる傾向(Dārabī 1397)があるからである。特にポスト・ホメイニー期において政治権力の分極化(decentralization)が進んだという議論(Buchta 2000; Moslem 2002; Almadari 2005)や、体制内エリート(保守派)の内部分裂(Bakhtiari 1993; Sarabi 1994; Wells 1999; Fairbanks 1998; Fazili 2010)、体制外エリート(改革派)の結束力・組織力の低下(Kadivar 2013; Bayat 2017; Rivetti 2019)によって派閥政治が選挙毎に多様化する過程が指摘されている。
主要政党・政治団体
右派・保守派
闘う聖職者協会(JRM)
1977年、王制打倒を目指す聖職者たちにより結成。亡命中のホメイニー師の演説を、主にカセットテープなどを通じ、モスク、大学、バーザールなどに広め、様々なデモ・集会も組織し、革命の達成に重要な役割を果たす。結成時の中心的なメンバーは、組織の取りまとめに力を発揮したベヘシュティー師、および革命のイデオローグと呼ばれたモタッハリー師であり、他にもハーメネイー現最高指導者、ラフサンジャーニー師(元大統領、元体制利益判別評議会議長)、バーホナル師(ラジャーイー政権首相)、マフダヴィー・キャニー師、ナーテグヌーリー師などが結成メンバーに名を連ねた。JRMは今日、イスラーム連合協会、イスラーム・エンジニア協会、ゼイナブ協会などを「同傾向の」組織と位置づけ、これらの組織と密接な協力関係を維持しているが、内務省の認可は受けていない。事務総長(党首)はモヴァッヘディーケルマーニー師が2014年10月の死去まで務めていた。後継はメフダヴィーカーニー師である。新党首メフダヴィーカーニーは1992年から2005年まで最高指導者ハーメネイー師の革命防衛隊における名代を務めていた。
政党HP https://rohaniatmobarez.ir/
イスラーム連合協会
1960年代に結成され、バーザールを拠点としてホメイニーの反王制活動を支持するデモなどを組織した。1964年にホメイニーが逮捕・国外追放されて以降は地下活動を開始し、モタッハリー師らの支援を受けて、反王制活動を継続した。革命後はIRP内部で活動するが、87年のIRP解党後は独自の活動を継続し、今日も原理派勢力の重要な一角を成す。2019年2月にアサドッラー・バーダームチアーン(2期、8期国会議員)が新事務総長に選出された。機関紙『ショマー』を発行。
イスラーム・エンジニア協会
1988年結成。認可年1991年。事務局長はモハンマド・レザー・バーホナル(第8期国会副議長)が務め、アフマディーネジャード大統領もメンバーに名を連ねる。その他の有力メンバーは、モルテザー・ナバヴィー、アリー・ラーリージャーニー(第8、9、10期国会議長)、モハンマド・ジャヴァード・ラーリージャーニー、モフセン・ラフィークドゥースト、アリー・ナギー・ハームーシー(前イラン商工鉱会議所会頭)などがいる。今日では開発者連合の一角を構成している。
政党HP http://www.mohandesin.ir/
イスラーム革命献身者協会
2005年結成。その源流は、1979年月に結成されたイスラーム革命モジャーヘディーン機構の右派系勢力に求められると言われている。2017年9月事務局長ジャヴァード・アーメリーが務める。アフマディーネジャード元大統領と同じ「原理派」に属するが、2005年の第9期大統領選挙ではガーリーバーフ候補を支持しており、アフマディーネジャードに対しては批判的なスタンスを維持している。
イスラーム・イラン開発者連合
革命の理想に忠実で、かつ「イスラーム的イラン」の開発・繁栄を実現する実務能力を有することを掲げる、保守派系政治団体の連合体。2003年の第2期地方評議会選挙に際して結成され、第2期地方評議会選挙及び翌2004年の第7期国会選挙で勝利を収め、2005年のアフマディーネジャード大統領誕生の素地を作った。
イスラーム革命永続戦線
2011年7月に設立され2014年9月に内務省の認可を受ける。2009年に生じた大規模な不正選挙デモのような混乱を阻止し、革命の理想、イスラーム体制の安定を目指し設立されたとされる。モルテザー・アーガーテヘラーニーが現在まで事務局長を務める。2013年、2017年の大統領選挙ではそれぞれ現ロウハーニーの対抗候補を支持した。
政党HP:http://www.jebhepaydari.ir/main/
左派・改革派
闘う聖職者集団(MRM)
1988年に結成され、1989年7月に内務省の認可を受ける。JRMと袂を分かった「左派」系ウラマーたちにより結成された。ハータミー元大統領もメンバーの一人。初代事務総長は、2000年選出の第6期国会で議長を務めたキャッルービー師。その後2005年にキャッルービー師がMRMを脱退すると、同年6月、モハンマド・ムーサヴィー・ホイーニーハー師(1979年11月の在テヘラン米国大使館占拠事件を主導した学生達の精神的指導者)が新たな事務総長に選出された。
イラン・イスラーム革命モジャーヘディーン機構(IRMO)
1991年に設立され、同年認可を受ける。その源流は、王制打倒という目的のもと共闘していた7つのイスラーム主義組織が革命直後(1979年4月)に結成した、イスラーム革命モジャーヘディーン機構(86年解散)の左派系勢力に求められる。1994年から発行を開始した機関紙『アスレ・マー』は、MRMのホイーニーハー師が発行する日刊紙『サラーム』に並ぶ、左派(改革派)勢力のマウスピースとなった。第10期大統領選挙ではムーサヴィー元首相を支持したものの敗北し、選挙後にはベフザード・ナバヴィー及びモスタファー・タージザーデなどの主要メンバーが軒並み逮捕された。2010年4月、2009年6月の第9期大統領選挙後の混乱を扇動したとして、第10条委員会から解党命令が出された。
イスラーム・イラン参加戦線(IIPF)
1998年に、97年に大統領に選出されたハータミー師の選挙キャンペーンを支えた活動家たちにより設立される。その中心的なメンバーには、1979年11月の在イラン米国大使館占拠事件に関与した「イマームの路線を支持する学生たち」の元メンバーも含まれた。1999年認可。初代事務総長はハータミー前大統領の実弟であるモハンマド・レザー・ハータミーが務めた。2006年、第6期国会の外交・安全保障委員会委員長を務めたモフセン・ミールダーマーディが第2代事務局長に就任。しかしミールダーマーディは、2009年6月に実施された第10期大統領選挙後の混乱を扇動したとして、懲役6年(及び10年間政治活動禁止)の実刑判決を受け、IIPF自体に対しても、2010年4月、第10条委員会から解党命令が出された。
国民信頼党
2005年6月の第9期大統領選挙においてMRMの支持を得られず落選し、MRMと袂を分かったキャッルービー元国会議長により、同2005年に設立された。改革派を名乗りつつ、(IIPFなどの)「急進」改革派(「急進」とは、体制の枠組み自体を疑問視することを意味する)とは一線を画すと明言している。2008年の第8期国会選挙では改革派連合には加わらず、独自のリストを作成した。日刊紙『エッテマーデ・メッリー』紙を発行していたが、同紙は2009年8月、発行停止処分を受けた。
イスラーム労働党
1996年に、労働組合(「労働者の家」)の指導者たちにより設立。1999年認可。アリーレザー・マフジューブ(5、7-10期国会議員)が現在党首を務めている。ニュースサイトILNA(Iran Labor News Agency)を運営。
中道派・現実派
建設の奉仕者党
1996年1月、当時のラフサンジャーニー政権の閣僚ら16名が結成宣言を行った「建設に仕える者たち」を原型とする政党。この宣言では「建設に仕える者たち」が、同96年3月に予定される第5期国会選挙に積極的に関与していくことが明言された。その後、このグループの旗揚げに加わった現職大臣は身を引き、改めて「建設の奉仕者たち(カールゴザーラーン)」という名称が採用され、さらに、1999年8月に内務省の認可を受けるに際し、名称は「建設の奉仕者党」と改められた。建設の奉仕者党を構成するのはラフサンジャーニー政権時代の閣僚経験者を含むテクノクラートであり、党首は元テヘラン市長のゴラーム・ホセイン・キャルバースチーが務めている。 中央評議会メンバーの1人であるモハンマド・アトリヤーンファルは、2009年大統領選挙でムーサヴィー氏支持に回ったが、選挙後に「体制転覆を企てた」として逮捕された。
政党HP https://www.kargozaran.net/fa/
中庸発展党
1999年設立。党首はモハンマド・バーゲル・ノウバフト(ロウハーニー政権期副大統領)が務める。中心メンバーはノウバフトの他、アクバル・トルカーン元国防軍需相(第1期ラフサンジャーニー政権)、モルテザー・モハンマド・ハーン元経済財務相(第2期ラフサンジャーニー政権)など閣僚経験のあるテクノクラートが占める。
イスラーム・イラン公正発展党
レザー・タラーイーニーク元国会議員が党首を務める。タラーイーニークは2006年の国会選挙では「包括連合」の旗上げに関わり、テヘラン選挙区から出馬したが、落選した。タラーイーニークは現在、体制利益判別評議会司法・評議会担当書記を務める。
[1] ただし選挙で選ばれない最高指導者の任命機関(例:司法府、監督者評議会、軍・大学・メディアなどにおける最高指導者名代)はJRMとJMHEQの政党員が独占している。また民選機関であるが高位のイスラーム法学者のみ立候補を許される専門家会議(最高指導者の選出・諮問機関)もこれら二つの政党で占められている。
[2] 2011年10月14日イラン国内メティア「ハバルオンライン」による政党活動の分析(https://www.khabaronline.ir/photo/177829/)を参照。
参考文献
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松永泰行(2002)「イスラーム体制下における宗教と政党-イラン・イスラーム共和国の場合」日本比較政治学会編『現代宗教と政党-比較のなかのイスラーム』早稲田大学出版部、67-95.
<注>
本稿は、坂梨祥「イラン・イスラーム共和国」松本弘編『中東・イスラーム諸国 民主化ハンドブック2014 第1巻 中東編』人間文化研究機構「イスラーム地域研究」東京大学拠点, 2015, pp. 37-54. を最新のものに更新したものである。