UAE建国の父であるザーイド・ビン・スルターン・アール・ナヒヤーン大統領が2004年11月に死去すると、息子のハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン・アブダビ皇太子が首長に就任し、連邦最高評議会で大統領に選出された。また2006年にはムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームが連邦副大統領兼首相に就任した。ハリーファ期には政治改革が漸進的に進められ、2006年にはFNC選挙が初めて実施された。またムハンマド・ビン・ラーシド首相の下で行政改革や政府の効率化が進められた。不定期に新内閣の立ち上げおよび内閣改造が行われており、首長国政府や政府系企業で頭角を現してきた人材がテクノクラートとして登用されるようになっている。2016年と2020年に省庁再編・政府機構改革が実施され、それに伴い新内閣の立ち上げも行われた。寛容・共生相や幸福担当国務相、青少年担当国務相など、国内の政治的・社会的課題に対応するためのポストも新設されている。
2010年末から翌年にかけて、中東で「アラブの春」が起こると、UAEでも政治改革を求める人々が声を上げた。2011年3月、UAE国内のリベラル派とイスラーム主義者から成る政治改革派が大統領および首長らに対して、包括的な政治改革を求める建白書を提出したのである。しかしながら、改革を求める声は体制に受け入れられず、建白書の取りまとめやインターネット上で政治活動を行っていた5人が逮捕された。当局による改革派への取り締まりは翌年以降も続き、ムスリム同胞団系組織「イスラーハ」のメンバーやその家族など200人以上が逮捕された。国民の多くは政治的関心が低く、また当局による厳しい言論監視も続いたため、改革派に対する支持は広がらなかった。
2014年頃から、国内政治にも新たな変化が見られた。同年、ハリーファ・ビン・ザーイド大統領が脳卒中で倒れ、政治の表舞台には顔を見せなくなった。その後、アブダビ皇太子であるムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンが、アブダビ首長国だけでなく連邦政府においても政治的影響力を行使するようになった。現在、ムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子がUAEの事実上の指導者であると見なされている。内政面では、ムハンマド・ビン・ラーシド首相は内閣改造の人事案についてムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子と相談するようになった。また両者は定期的に会談し、国家運営について意見交換を行っている。
ムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子の影響力は、外交・安全保障分野においても拡大している。UAEは近年、国際社会において外交的・経済的な存在感を強めており、ある種の大国意識を持つようになった。UAEの外交・安全保障戦略も、従来の国際協調路線から、次第に自国の戦略的利益を優先する拡張主義的なものへと変化している。その結果、UAEと域内諸国との対立も生じている。また、ムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子の「反イラン」「反イスラーム主義」という脅威認識も、安全保障戦略に色濃く反映されている。UAEは同盟国のサウジアラビアとともに、対イラン封じ込めやイエメン内戦への介入、対カタル断交などで連携した。また2020年のイスラエルとの国交正常化についても、ムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子のイニシアチブによって実現したと言えるだろう。
参考文献
- 堀拔功二 2011. 「アラブ首長国連邦」松本弘(編)『中東・イスラーム諸国民主化ハンドブック』明石書店, pp. 338-353.
- 堀拔功二 2012. 「UAEにおける政治改革運動と体制の危機認識――2011年の建白書事件を事例に――」アジア経済研究所機動研究報告『アラブの春とアラビア半島の将来』, pp. 1-14.
- 堀拔功二 2016. 「ポスト・ハリーファ期を見据えるアブダビ政治の動向――ムハンマド皇太子の研究――」『中東動向分析』15(4): 1-16.
- 堀拔功二 2018. 「MbZの外交:カタル危機をめぐるUAEの対米アプローチを事例に」『中東動向分析』16(11): 1-15.
- 堀拔功二 2020. 「アラブ首長国連邦」日本エネルギー経済研究所中東研究センター(編)『JIME中東基礎講座2020年版』, pp. 44-50.