ナゥワーフ首長の即位と議会の動向(2020年10月~)

2006年1月に即位したサバーフ・アフマド・ジャービル・サバーフSabah al-Ahmad al-Jabir al-Sabah首長が2020年9月29日、91歳で亡くなり、異母弟のナウワーフ・アフマド・ジャービル・サバーフNawwaf al-Ahmad al-Jabir al-Sabah皇太子が第16代当主・独立後6代目の首長に即位した。10月8日、ナゥワーフ首長は異母弟で国家警備隊副長官のミシュアル・アフマドMishal al-Ahmad al-Jabir al-Sabahを皇太子に指名し、翌8日に国民議会の承認を経て任命した。次の世代からの皇太子任命を期待する声もあったが、順当に第10代当主・アフマド・ジャービルAhmad al-Jabir al-Sabah首長の息子たちの間で継承された。首長と皇太子の年齢はともに80代であり、ミシュアル皇太子が存命中の兄弟では最年少となるため、世代交代の問題は依然として残っている。

2020年12月5日には第16回(無効化された選挙を含めれば18回目)となる国民議会選挙が実施された。2003年以来の任期満了に伴うものであったが、サバーフ首長の服喪期間もあり、当初の予定より約1カ月遅れての実施となった。選挙戦では、COVID-19感染予防のための外出禁止令によって打撃を受けた中小事業者の資金繰り支援や給与補填、家計負担増への対応といった直近の問題とともに、政府内での汚職問題が取り上げられた。選挙後の12月7日、当選した議員のうち36名(途中参加を含めて38名との報道もあり)がバドル・ダーフームBadr al-Dahum議員の呼びかけに応じて会合を持ち、政府の意向に従うマルズーク・ガーニムMarzuq al-Ghanimの議長再選を阻止すべく新議長の対立候補としてバドル・フマイディーBadr Humaidiを軸に調整を行った。しかし、新議会が招集された12月15日の議長選では、両名併記の無効票もあってバドル・フマイディーへの有効票は28票にとどまり、閣僚からの投票を含む34票を獲得したマルズーク・ガーニムが議長に再選された。バドル・フマイディーに投票した議員たちは野党として結束を強め、2021年1月5日の定例会で、バドル・ダーフーム議員ら3名の議員がサバーフ・ハーリド・ハマド・サバーフSabah al-Khalid al-Hamad al-Saba首相に対して不信任案提出の前段階となる問責質問を求める動議を提案すると、38名の議員が支持を表明した。首相に対する不信任案の提出が不可避の状況となり、サバーフ首相は1月13日にナウワーフ首長に辞表を提出し、新議会招集の前日の12月14日に発足した内閣は、わずか1カ月で総辞職した。

ナウワーフ首長は1月24日にサバーフ・ハーリド首相を再任し組閣を命じたが、組閣が長引いていたため憲法第106条を発動し、2月18日から1カ月間、議会の定例会を一時停止する首長令を発布した。同首相は野党からの批判が強かった4閣僚を交代させ、副首相にリベラル派のベテラン野党議員であったアブドゥッラー・ルーミーAbdullah Yusuf al-Rumi元議員を据える組閣を終え、首長による任命を受けて3月2日に新内閣を発足させた。しかし、議会再開直前の3月14日に、憲法裁判所がバドル・ダーフーム議員に対して、2013年にサバーフ前首長を侮辱して有罪判決を受けていたことを理由に憲法裁判所が議員資格を剥奪する決定を下し、マルズーク・ガーニム議長が議員資格審査の投票なしに議員資格の無効を宣言したことで、野党議員らは態度を硬化させた。野党議員らは、首相側が司法を通じて野党の中でも注目を集めていたバドル・ダーフーム議員を排除し、野党による絶対過半数確保の阻止と、本会議での首相に対する問責質問の阻止を狙ったものと受け止め、新内閣を認めない姿勢を示して内閣を退陣に追い込むべく、閣僚が議会で就任宣誓を行う本会議を定足数割れで流会に追い込もうと本会議のボイコットを宣言した。首相側は閣僚16名と民選議員18名でぎりぎりの過半数を確保し、3月30日に閣僚の就任宣誓を行った。また、同日の本会議でサバーフ・ハーリド首相は、コロナ対策や経済の立て直しなど懸案に取り組むために、本会議での問責質問の実施を2022年末まで延期することを提案し、出席議員34名のうち29名の賛成により承認された。本会議をボイコットした31名の野党議員は、2年近くの問責質問の延期を認めた投票は憲法が定めた要件を満たしておらず違憲で無効であると批判し、同日の本会議を「クウェート民主主義の暗黒日」と表現してサバーフ・ハーリド首相とマルズーク・ガーニム議長の解任を訴えた。

2021年4月以降、政府および政府寄りの立場をとるマルズーク・ガーニム議長と野党議員の対立はより深刻化した。野党議員側は、首相の問責質問が行われない限り、通常会での審議を拒否することで合意し、マルズーク・ガーニム議長を解任すべく、議会内規に議長解任に関する条文を追加する改正を提案した。また、4月7日には、23名の野党議員が、クウェート議会史上初となる議長解任のための審議を要求する動議を発した(動議は賛成少数で却下)。対する政府側は野党議員抜きで審議を行う一方、野党側が提案する議題や緊急の議案審議、首相および新型コロナへの対応をめぐるバーセル・フムード・ハマド・サバーフBasil Humud al-Hamad al-Sabah保健相への問責質問の要求には応じなかった。対立に嫌気して議員本来の役割が果たせないという理由で政府側の議員1名が議員辞職を表明し、辞表を提出したものの、補欠選挙は失職したバドル・ダーフームが選出された第5選挙区のみ実施することが4月13日に公示された。補欠選挙では、2012年2月議会の議員であったクウェート大学法学部教授のオベイド・ワスミーUbayd al-Wasmiが野党統一候補として、バドル・ダーフームの代理として推されて立候補した。野党側は、憲法と議会を弱体化させる試みに対し、民衆から拒否を突きつけようとキャンペーンを展開した。5月22日に行われた投票では、投票率が28%であったにもかかわらず、オベイド・ワスミーは投票者の約9割からクウェート議会選挙史上最多得票となる43801票を獲得して当選し、野党側を勢いづけた。

議会通常会の焦点となる2021/22年度政府予算は、予算委員会を含めてほとんど議会で審議することができない状態であったため、マルズーク・ガーニム議長は野党側の対応を批判し、親政府議員による特別会の招集要求に応じるという体裁で、予算承認のための会合を招集した。野党側は度重なる違憲行為と説明責任を果たそうとしない政府の態度と議長の対応を批判する一方、沈黙を守るナウワーフ首長との面会を求めて、審議の前日となる6月20日に野党議員から代表の3名がミシュアル皇太子と会談した。会談の内容は明らかにされていないが、6月21日の審議当日、野党側は議場の大臣席を占拠して審議の阻止を図った。サバーフ・ハーリド首相を含む閣僚は議場出入口付近に立ったままであったが、マルズーク・ガーニム議長は特別会の成立を宣言し、予算案承認のための採決を強行した。親政府議員と野党議員が揉み合い怒号が飛び交う中、閣僚が着席しないまま点呼による投票を行う前例のない形で、閣僚と親政府議員の過半数の賛成により、予算案は承認された。野党議員30名は採決への参加を拒否した。異常事態のまま、議長が会期終了を宣言し、政府および議長と野党議員の対立は次の会期が始まる10月まで持ち越されることとなった。

サバーフ首長のもとでの民主化の深化と反動(2006年1月~2020年9月)

2006年1月29日、第5代首長(第15代当主)として、首相職にあったサバーフ・アフマド・ジャービル・サバーフSabah al-Ahmad al-Jabir al-Sabahが首長に即位した。2006年1月15日にジャービル・アフマド・ジャービル・サバーフJabir al-Ahmad al-Jabir al-Sabah首長が亡くなった後、皇太子であったサアド・アブドゥッラー・サーリム・サバーフSaad al-Abdullah al-Salim al-Sabahが首長に即位していたが、病状が執務に堪えられないとの判断から廃位し、議会の推戴による即位であった。サバーフ首長の即位期前半(2006年~2012年)は、女性参政権の実現や野党主導による選挙制度改革、集会法やメディア・出版の規制緩和等にみられる政治的自由の拡大期であった。議員活動が活発化し、議員が政治的な志向性に応じて会派を結成し、議会政治の活性化と議会への更なる権力移譲を目指すという展開もみられ、1992年の議会復活以来の「民主化」はピークに達した。しかし、議員活動の活発化によって政府と議会の対立は深刻化し、度重なる内閣総辞職と議会解散・選挙によって政治的な意思決定が停滞し、行政の麻痺や周辺の湾岸諸国に対して経済成長で後れをとる負の側面も顕在化した。

サバーフ首長の即位期後半(2012年~2020年)は、一転して主要な野党議員と関係者の収監やSNSを中心としたメディア規制の強化といった反動化が進む一方、首長府主導による開発投資・インフラ整備が急速に進められた。反動化の予兆としては、2010年12月の野党議員の集会に対する警察の介入や、ナーセル・ムハンマド・アフマド・ジャービル・サバーフNasir al-Muhammad al-Ahmad al-Jabil al-Sabah首相の辞任を要求するデモ隊が2011年11月16日に議会議場に突入した事件など、政府と野党側双方に実力行使を厭わない不穏さがあった。転機は2012年2月の選挙において、野党側が閣僚を含む総議員数の過半数となる34議席を獲得し、新たに任命されたジャービル・ムバーラク・ハマド・サバーフJabir al-Mubarak al-Hamad al-Sabah首相に対して閣僚評議会の過半数となる9つの閣僚ポストを要求したことであった。首長および首相は野党側の要求を拒否したが、議会運営が野党側の手に握られ、政府提出法律案や予算案の成立が困難な状況にあった。事態を動かしたのは憲法裁判所であった。2012年6月20日に憲法裁判所が前年12月6日の議会解散手続きに不備があったとして、2012年2月2日の選挙およびその後の議会は無効であるとの判断を下した。以降、憲法裁判所が政府の意向に沿った判断を下す事案が増加した。政府および首長は2009年議会の議員を改めて招集しようとしたが、大半の議員が憲法裁判所の判断に抗議して招集を拒否したため定足数を満たすことができず、10月6日に改めて議会を解散した。野党側は抗議デモを展開して一連の対応を強く批判し、サバーフ首長に対して独裁化を警告する演説を行った野党指導者のムサッラム・バッラークMusallam al-Barrak前議員が首長侮辱罪で一時拘束された。政府および首長は緊急法令によって選挙法を改正し、12月1日に選挙を行った。野党側の選挙のボイコットをにより親政府議員が過半数を占めたが、選挙法の改正手続きに不備があったとして、2013年6月16日に憲法裁判所は再び選挙と議会の無効化を宣言した。同年7月23日に行われた選挙も引き続き野党側がボイコットしたため、同選挙後の議会も親政府議員が過半数を占めた。

政府は議会の安定的な運営を取り戻したかに見えたが、石油価格の低迷が政府予算を圧迫する状況が続いているため、国内のガソリン価格や行政手数料の引き上げ、補助金の削除を実施し、付加価値税の導入に手をつけたことが議員の反発を招いた。また、国民負担が増加する一方、首長府主導の積極的な開発投資・インフラ整備とともに、公金詐取やマネーロンダリングなどの汚職も深刻化し、政府に対する国民の不満も高まっていた。2015年6月のモスク爆破テロ事件以来、治安対策やSNS上での発言の取り締まり強化とともに、野党側の元議員や活動家に対する弾圧を強化した。先述のムサッラム・バッラークのほか、2009年議会における野党の中心的な会派であった「発展と改革会派Kutlat al-Tanmiya wa al-Islah」所属議員らが、2011年11月のデモ隊の議場突入事件で首長を批判する演説を行いデモ隊の若者たちを扇動したとして送検され、破棄院で有罪判決が確定したため、収監前にトルコへ亡命した。サバーフ首長は2016年10月16日に安全保障上の理由で議会を解散し、11月23日に選挙が行われた。野党側はボイコットを止めて選挙に参加したが、主だった元議員が被選挙権を停止されていたため、30-40代の新人議員が多数当選し、議員構成が大幅に若返った。