1957年の独立から61年間続いた連盟/BN体制下でのマレーシアの政党システムは、民族別および地域別に組織された政党が連合を組む形態が基本となってきた。2018年総選挙で政権交代が起こって連盟/BN体制が崩壊したが、その後も民族や地域に沿った政党が連合を組む形態は基本的には変わっていない。ただし、多民族政党を自称し、複数の民族が党員となっている政党も存在する。2018年総選挙の後、政党(連合)間の連立や政党連合の組み換えが起こっており、本稿執筆時の2021年8月でもそうした政党システムの変動はいつでもおこりうる。2018年以降のマレーシアの政党および政党システムは流動化したといえる。

(1) 政党連合・国民連盟(PN)の主要構成政党

 PH政権の崩壊に至った2020年2月の政変によって成立したムヒディン政権を支える与党連合が国民連盟(PN)だった。PNを構成する政党はムヒディン首相が総裁のマレーシア統一プリブミ党(Bersatu)、汎マレーシア・イスラーム党、祖国連帯党(STAR)とサバ進歩党(SAPP)というサバ州を基盤とする2党の小規模地方政党、マレーシア人民運動である。これらの構成政党のうち、2021年8月時点で連邦下院に議席を有しているのは、Bersatu(31議席)、PAS(18議席)、STAR(1議席)であり、その他の2党は議席を有していない。

①マレーシア統一プリブミ党(Parti Pribumi Bersatu Malaysia: Bersatu)

マハティールやムヒディン・ヤシン元副首相(後の第8代首相)ら主にUMNOからの離党組によって2016年に結成された政党。Bersatuが設立された背景として、2014年から2015年にかけて当時のナジブ首相にマハティール前首相が批判を強めていたことがある。マハティール首相が批判をしたのは、最初は財務省傘下の国営投資会社のワン・マレーシア開発公社(1MDB)の巨額債務問題だった。さらに、2015年7月に『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙が26億リンギ(日本円で780億円)の巨額資金が1MDBからナジブ首相の個人口座に流れたとの報道をした後は、マハティールの批判はさらに強まった。1MDB関連のスキャンダルの追及から逃れるために、ナジブ首相は閣内で自らに批判的なムヒディン副首相を解任した。その後はマハティール、ムヒディンやマハティールの息子のムクリズ・マハティール前クダ州首相らはUMNO党内でナジブの追い落としを図ったが果たせず、彼らはUMNOから離党し、Bersatu結党に至った。

結成間もないBersatuが政党連合のPHに公式加入したのは2017年に入ってからである。結党後最初の総選挙となった2018年総選挙でBersatuはマハティールの生誕地で長年の選挙区であるクダ州や、ムヒディンが過去に州首相を務めたことがあるジョホール州で勢力を拡大した。2018年から2020年に連邦でPHが政権を担当している間、この両州とペラ州ではBersatuが州首相のポストを確保した。しかし、2020年2月の「シェラトンの策謀」に始まる政変でPH政権が崩壊し、Bersatu総裁のムヒディンを首相とする政権が発足すると、ジョホール州ではUMNOがクダ州ではPASが州首相ポストを担当するようになった。ペラ州では連邦で与党を構成していたUMNOとBersatuの地方組織の対立が2020年12月に表面化し、州首相ポストはBersatuからUMNOへと移った。PNが経験した初めての大規模な選挙である2020年9月のサバ州選挙の結果、Bersatuはサバ州の州首相ポストを確保した。

2020年2月の「シェラトンの策謀」によってBersatu内ではムヒディン総裁派とマハティール議長派が対立したが、その後は2020年3月1日に首相となったムヒディンがBersatuを掌握した。2020年5月にマハティールは自分の息子のムクリズ・マハティールら4人の連邦下院議員とともにBersatuの党員資格を停止されたことでBersatuと袂を分かって祖国闘士党(PEJUANG)を結成することとなった。2018年総選挙でのBersatuの連邦下院議会での獲得議席は13議席だったが、その後は他党の離党者を受け入れることで本稿を執筆した2021年8月時点では31議席にまで議席を増やしている。

②汎マレーシア・イスラーム党(Parti Islam SeMalaysia: PAS)

1956年に設立されたイスラーム主義政党。PASは伝統的にUMNOのライバルとしてマレー人票をめぐって争ってきた。PASの支持基盤はマレー半島の東海岸のクランタン州やトレンガヌ州であり、近年ではマレー半島北部のクダ州でも支持を拡大してきた。結党時からイスラームの擁護と促進がPASの党規約の基本的な項目として挙げられていたが、党のイスラーム主義へのシフトが一層本格化したのは80年代からである。これ以前の党指導者は、イスラームを重視するものの、マレー人の地位向上を目指すマレー・ナショナリズムを党の路線の中心に据えていた。だが、70年代のBNの一時加入とそれに伴う党の分裂で党勢が大きく後退し、PASが野党として再出発する際、中東留学によってイスラーム法学を修めたウラマーが1982年の党役員人事選挙で台頭し、文字通りイスラーム主義が党の基本路線となった。

PASの党機構でユニークなのは、党総裁が主催して日々の党運営を司る党中央運営員会(Jawatankuasa Kerja Pusat)の上位に選挙で非選出のウラマーからなるウラマー評議会(Majlis Syura Ulamak)が置かれ、党の最高意思決定機関としての地位を与えられている点である。ウラマー評議会を率いる議長はPASの精神的指導者(Mursyidul Am)と呼ばれて党の方針に大きな影響力を持つ。1991年から2015年まで精神的指導者としてPASだけでなくマレー人社会の中で広く敬意を受けていたのがニック・アジズであった。PASの指導体制は2000年代に入ってから2013年総選挙直後までは、ニック・アジズと2002年に総裁に就任したハディ・アワンの双方がPASをリードしていく体制であった。特にニック・アジズは当時の与党だったUMNOへの不信感を持ち、PASが野党として活動していくことを重視していた。

しかし、ニック・アジズが2015年に死去すると、PASは総裁のハディ・アワンの下で自党が政権を運営するクランタン州でのハッド刑の導入を図るため、連邦政府を握るUMNOに接近していった。ハッドとは飲酒、姦通、窃盗などコーランに処罰が記載された犯罪である。この犯罪に対する刑罰がハッド刑と呼ばれており、例えば、窃盗を行った者に対して四肢を切断する刑などが定められている。クランタン州で州法としてハッド刑を導入するためには、刑事罰の規定を定め、州法の上位にある連邦法を改正しなければならない。そのため、PASには当時連邦政府を担っていたUMNOに接近する動機があったのである。

PASがクランタン州でのハッド刑導入を進めようとUMNOに接近したことは、党内のみならず、当時PASが連合を組んでいたPRの構成パートナーとの間に対立を生み出した。PAS内部には伝統的に、イスラームの宗教教育を受けたウラマーを中心とするイスラーム主義を社会に厳格に適用していこうとする勢力と、非ウラマーで高度な世俗教育を受けたリーダーを中心としてムスリム以外とも妥協を図りながらイスラーム主義を段階的に適用していこうとする勢力との間の対立が長年存在していた。このウラマー勢力と非ウラマー勢力との対立は、2015年当時にはPASが所属していた野党連合のPR内でPKRやDAPと協力関係を維持するか、それとも連邦政府を担っていたUMNOと協力するか、という路線対立とも重なってPAS内の対立をさらに深めた。

ニック・アジズ死去後の2015年のPASの内紛は、非ウラマーを中心としたPR内でPKRやDAPと共闘を志向する勢力が6月の党内選挙で敗北し、彼らが離党して新たにAmanahを結成することで決着がついた。総裁のハディに率いられて勝者となったウラマー勢力が強くなったPASに対し、DAPがPRの政党連合を解消することを宣言し、PRは活動を停止した。

その後、PASはUMNOに接近しながらも野党として活動し、2018年総選挙に向けてBNとPHとは異なる第三極を目指してイスラーム系の政党と政党連合の平穏構想(Gagasan Sejahatera: GS)を結成した。ただし、PAS以外のGS構成政党は長年にわたり非常に小規模な活動しかしておらず、GSは事実上PASであるといってよかった。2018年総選挙でPASは、連邦下院議席を前回選挙よりも3議席減らして18議席となった。しかし、1991年から担当してきたクランタン州の州政権を維持したほか、新たにトレンガヌ州の州政権も確保してマレー半島の東海岸で確固たる地位を築いた。2018年総選挙後のPASは、野党となったUMNOと補選などの機会を通じて選挙協力を深め、「国民調和」(Muafakat Nasional)と呼ぶUMNOとの政党間の同盟関係に発展させた。

2020年月の「シェラトンの策謀」を経てムヒディン政権が成立すると、PASはPNを構成する与党の一角となり、BNを主導するUMNOとBersatuとの間でキャスティングボードを握る立場になった。

③マレーシア人民運動(Parti Gerakan Rakyat Malaysia: Gerakan) 

1968年設立、通称、Gerakan(グラカン)。設立当初は野党として活動していたが、後に新たに設立された政党連合のBNに加入し、2018年まで与党の構成政党となった。特定の民族に党員を限定しない多民族政党であるものの、実態は華人に主要な支持基盤を持つ。結党時からペナン州に強い支持基盤を持ち、歴代の州首相を輩出することで、ペナンの州政権を握っていた。しかし、2008年総選挙で大敗し、連邦下院議席の大幅減少だけでなく、ペナン州の州政権も野党に奪われた。2013年総選挙でも党勢を回復することはできず、連邦下院議席も僅か1議席と低迷した。さらに、2018年総選挙では1議席も取れなかった。2018年総選挙での大敗を受けて、6月にグラカンはBNから離脱した。Gerakanは2021年2月正式にPNに加入した。

(2)政党連合・国民戦線(BN)の主要構成政党

①統一マレー人国民組織(United Malays National Organization: UMNO) 

植民地統治下の1946年に宗主国イギリスが提出したマラヤ連合案に反対するマレー人組織が集まって結成される。結党時の党規約にも示されているとおり、マレー人の権利の擁護を目的に設立された政党であり、マレー人に党員が限定された民族政党である。2018年総選挙で敗れて下野するまで61年間政権を握り続けた政党連合BN(その前身の連盟)の中核政党で、歴代の内閣の総理、副総理は慣例的にそれぞれUMNOの総裁と副総裁が就任してきた。近年まで農村部や公務員の間に比較的強い支持基盤を持ち、長い与党経験の中で構築されてきた政府の統治機構と一体化した強力な選挙マシーンを有してきた。

NEPに伴って70年代から90年代にかけて政府主導でマレー人企業に手厚い保護が実施される中で、UMNOは与党としての立場を利用した与党ビジネスを本格化させていった。1980年代から1990年代にはUMNOの与党ビジネスは最盛期を迎え、UMNO系企業が建設、ホテル、メディア、不動産開発など様々な分野で大きな経済的影響力を持ち、巨大ビジネス・グループを形成し、党運営における豊富な資金源となる一方、こうしたビジネスとUMNOとのつながりは、党内の派閥闘争を深刻化させ、外部から金権政治や汚職体質を批判されるようになった。しかし、1990年代末のアジア経済危機によって与党ビジネスが深刻な打撃を被り、企業グループの整理や政府主導の再建が進む中で、UMNOが直接的に影響力を行使する企業はメディアなどの一部の分野に留まるようになった。

2018年総選挙の結果はUMNOにとって衝撃であった。UMNO結党の地であり長年にわたって地盤としてきたジョホール州や、1990年代から経済開発の実績と将来的な約束を通じて強固な地盤を築いているとみられていたサバ州のほか、これまで野党の州政権を経験したことがないムラカ州やヌグリスンビラン州などでもUMNOは議席を大きく減少させた。2018年総選挙によって連邦下院の議席数は前回総選挙よりも34議席を減らして54議席となり、州議会選挙でもクダ州、ペラ州、ムラカ州、ヌグリスンビラン州、ジョホール州の州政権を失った。サバ州の州政権も総選挙後に所属議員がUMNOからWARISANに寝返ったためにUMNOの確保できた州政権はプルリス州とパハン州の2州のみとなった。

2018年5月の総選挙で政権を失った後、UMNOは党役員人事選挙を6月に実施した。役員人事選挙では、UMNO副総裁で前副首相のアフマド・ザヒド・ハミディ、UMNO青年部長で前青年・スポーツ大臣のカイリ・ジャマルディン、元財務大臣のラザレイ・ハムザらが総裁職を争った。総裁選ではカイリがUMNOの党員をマレー人以外にも求める可能性も示唆したが、選挙結果はナジブ時代からの継続の色が強いザヒドが総裁に選出された。ザヒドは2021年2月時点で47 件(12件の背信容疑、8件の汚職容疑、27件の資金洗浄容疑) もの起訴に直面して裁判で争っている最中であることから政府の大臣職やその他の公職に就くことが困難である。

PH政権下ではUMNOはPASと「国民調和」と呼ぶ政党間同盟を結んで選挙協力を進めた。2020年2月の「シェラトンの策謀」によって起こった政変でPH政権が崩壊してムヒディン政権が成立したことで与党に復帰した。さらに2021年8月のムヒディン首相の辞任によってムヒディン内閣で副首相だったイスマイル・サブリ・ヤコブ防衛大臣(UMNO副総裁補)が首相に就任したことからUMNOは3年ぶりに首相ポストを奪回した。

②マレーシア華人協会(Malaysian Chinese Association: MCA) 

1949年に当時のイギリス植民地マラヤを代表する華人企業家のタン・チェンロックの主導により結成。華人に党員が限定された民族政党。設立以来、華人ビジネス界との関係を比較的強く有している一方、MCA自体もビジネスに直接関与している。最もよく知られたMCAのビジネスとして、マレーシア最大の英語紙『スター』の発行がある。独立から2018年まで与党の地位についてきたが、2008年総選挙で議席が半減しただけでなく、その後の党内を2分する派閥抗争によって党勢は大きく落ち込んだ。その後、2013年総選挙ではさらに議席数を7議席まで減らし、2018年総選挙では僅か1議席しか確保できずに、壊滅的な打撃を受けた。

MCAはBNに残留しているものの、2018年総選挙で唯一議席を確保できたウィー・カッションと2019年11月の連邦下院補選で当選したウィー・ジェックセンの2人しか連邦下院に議席を確保できず、2018年総選挙以前と比べると政界全体への政治的影響力のみならず、UMNOの主導するBN内での影響力も非常に小さいものとなっている。

③マレーシア・インド人会議(Malaysian Indian Congress: MIC) 

1946年結党。インド人に党員を限定した民族政党。UMNO、MCAと同様に連盟の時から続く与党連合の一角を占めてきた政党である。しかし、2008年総選挙で議席を大幅に減らしたことで大きな打撃を受けた。2013年総選挙では、ナジブ政権によって選挙前に発表されたインド人社会への支援策や、反政府的な立場に立っていた社会運動のヒンドゥー権利行動隊(Hindraf)のBNへの取り込みなどで4議席を確保することができた。しかし、2018年総選挙ではBNが政権を失うなかでMICも議席を減らし、1議席と低迷している。その後、PH政権の崩壊に伴い、与党に復帰するが、MCAと同じく政界全体への政治的影響力およびBN内での影響力は非常に小さいままとなっている。

(3)政党連合・希望連盟(PH)の構成政党

政党連合の希望連盟(Pakatan Harapan: PH)は2018年総選挙でマレーシア史上初の政権交代を果たした。PHは2015年に前身の人民連盟(Pakatan Rakyat: PR)が活動停止状態になった後、以下で説明するPKR、DAP、Amanahの3党によって発足した。その後2017年に公式にBersatuが加入して4党体制となった。しかし、2020年2月の「シェラトンの策謀」による政変を経てBersatuがPHを離脱し、PKRからも離党者がでたことからPHは政権を失った。

PHの前身にあたるPRは2008年から2015年まで連邦下院での野党連合として活動し、スランゴール州、ペナン州、クダ州(2008-2013年)、ペラ州(2008-2009年)でPRが州政権も運営していた。しかし、後述するAmanahやPASの項で説明するように、構成政党間の対立によってPRは活動を停止してしまう。中でもイスラーム主義政党のPASと主に非ムスリムに支持基盤をおく世俗政党のDAPとの対立がPR瓦解の最大の要因である。

PASとDAPの対立はPRの前身にあたり、1999年総選挙に向けて野党が連合した政党連合の代替戦線(Barisan Alternatif: BA)でも起こり、BAが事実上活動を停止する原因となっている。

①人民公正党(Parti Keadilan Rakyat: PKR) 

1990年代末のレフォルマシ運動の時代にアンワル・イブラヒムの妻のワン・アジザを代表に結成された国民公正党(PKN)をベースに、1955年にマレー人左派を中心に結成され、社会主義を掲げたマレーシア人民党(PRM)が2003年に合併してできた政党。実質的にはマレー人が主導する政党だが、公式には多民族政党として組織されている。現在の総裁は2018年11月の党選挙において無投票で当選したアンワル・イブラヒムである。

2008年総選挙では連邦下院議席を31議席獲得して最も躍進した政党であったが、その後は離党者が続出し、2011年8月には下院24議席(協力関係にあるマレーシア社会主義者党の議員を除けば23議席)にまで減少した。しかし、2013年総選挙では30議席に回復し、2018年総選挙では47議席にまで議席を増やして新たに政権についたPH政権の中で最大の連邦下院議員を擁する政党となった。しかし、2020年2月の「シェラトンの策謀」に始まる政変によってPHが政権を失ったことで野党となった。「シェラトンの策謀」では当時のPKR副総裁のアズミン・アリと彼を支持するグループの連邦下院議員が離党した。2018年総選挙ではPKRは47議席を獲得していたが、離党者がでたことで本稿を執筆している2021年8月の時点で連邦下院議席は35議席にまで減少している。

PKRは2008年以降、首都で連邦直轄地のクアラルンプールを取り囲む、マレーシアで最も経済的に発展したスランゴール州の州政権の州首相を輩出してきた。PKRの支持者はマレー人、華人、インド人の全ての層にまたがっており、多民族政党を自称している。とはいえ、支持者や指導層の中核を占めるのはマレー人である。PKRの最も重要な支持基盤はスランゴール州にあり、その他にマレー半島の西海岸沿いの州の都市部を中心に支持を集めている。

②民主行動党(Democratic Action Party: DAP) 

1965年のシンガポールのマレーシア離脱に伴い、シンガポールを拠点に設立されていた人民行動党(People’s Action Party: PAP)の元党員がマレーシアで結党した。党の路線として社会民主主義を標榜する。マルチ・民族政党であり、党自体も「マレーシア人のマレーシア(a Malaysian Malaysia)」を主張し、BNの民族に基づく差別政策を批判してきたが、実態は非マレー人、特に華人に強い支持基盤を持ち、彼らの利益に基づく活動を行うことで、主に都市部の華人在住地域で議席を確保してきた。しかし、近年では華人の党であるとのイメージを刷新するため、マレー人の若手党員や指導者の育成に力を入れている。

2008年総選挙では、PASやPKRと連合を組んでペナン州で(連邦下院議席と州議会議席)の大量当選者を出し、当時BNを構成していたグラカンから州政権を奪った。2013年総選挙では、それまでBNの牙城だったジョホール州に、60年代から90年代末まで幹事長として名を馳せて、党の顔でもあるリム・キッシャンや若手の有力政治家を候補者として立てることで、BNの牙城の一部を崩すことに成功した。この成果により、DAPはPR構成政党の中でも2008年総選挙から唯一議席を増加させた政党となり、PRの第一党、連邦下院議会でもUMNOに次ぐ第2党に躍進した。2018年総選挙後は与党となったPH内で第二党として重要な位置を占めている。DAPの長年の支持基盤はペナン州などマレー半島西海岸の華人の多い都市部であったが、近年は東マレーシアのサラワク州などでも勢力を拡大している。2020年2月の政変によってPH政権が崩壊すると野党となった。

党役員では代表にあたる議長は、タン・コックワイ。しかし、党内では上述のリム・キッシャンが強い影響力を持つほか、実質的な指導者は党幹事長でリム・キッシャンの息子であるリム・グァンエンである。リム・グァンエンは2008年から2018年までペナン州の州首相を務めた後、2018年総選挙でPHが政権を獲得するとマハティール内閣の財務大臣に就任した。華人の財務大臣就任は1974年以来初めてのことである。DAPが州政権を運営するペナン州の現在の州首相は2018年5月に就任したチョウ・コンヨウである。

③国民信託党(Parti Amanah Negara: Amanah)

2015年にPASからの離党組が結成した政党。PASの項で後述するように2013年総選挙以降、PASはクランタン州でのハッド刑の導入を本格的に検討し始め、当時の野党連合のPRの内部で対立を生んでいた。この対立が高じて2015年にPRは政党連合の解消に至った。PAS内ではPKRやDAPとの協調路線をとろうとする非ウラマーの勢力が2015年の党内選挙で敗退したが、この勢力は同年6月にPASを離党して社会運動組織の新希望運動(Gerakan Harapan Baru: GHB)を結成した。GHBは当初から政党結成を目指して組織されていた。GHBは1970年代から休眠状態にあったマレーシア労働者党(Parti Pekerja-Pekerja Malaysia)の政党登録を利用し、党名を改名して現在のAmanahとなった。その後、AmanahはPKRやDAPと政党連合のPHを結成した。

2018年総選挙ではAmanahは11議席を獲得した。総選挙でAmanahはPASが強い勢力を保ってきたマレー半島の東海岸や北部に候補者を多く立てたが、実際に当選者を出すことができたのはマレー半島の西海岸だった。この選挙結果から示されるように、Amanahは現在でもマレー人有権者の比率が高いマレー半島の東海岸や北部でPASに対抗できるほどの支持基盤を築くことができていない。Amanahの支持者の多くはクアラルンプール周辺の都市部に住むマレー人である。

Amanahの総裁は、モハマド・サブ(通称、マット・サブ)である。モハマド・サブはPAS離党前にはPAS副総裁を務めていたこともある。PH政権下でモハマド・サブは防衛大臣を務めた。2020年2月のPH政権崩壊で野党となった。

(4)PHと同盟関係

サバ伝統党(Parti Warisan Sabah: WARISAN)

2016年に結成されたサバの地域政党である。現在、PHには加入していないものの、PHと同盟関係にあって2018年に発足したマハティール内閣にも3人の大臣を出している。WARISAN結成のきっかけは、2015年から1MDBスキャンダルの渦中でUMNOのナンバースリーの副総裁補で、農村・地域開発大臣でもあったシャフィ・アプダルが反ナジブの姿勢を見せて閣僚を解任され、その後、UMNOから離党したことによる。シャフィは自らを代表とするサバの地域政党を立ち上げて総選挙に備えた。

2018年総選挙でWARISANはサバ州で連邦下院議席を8議席獲得する一方、サバ州の州議会で21議席を獲得した。サバ州議会選挙結果の内訳は、WARISANがPH構成政党のPKRおよびDAPが獲得した8議席と合わせて29議席を確保したが、UMNOが同じく29議席を獲得したため、PHと同盟したWARISANと、UMNOが同数となった。残りの州議会の議席はサバの地域政党の故郷連帯党(Parti Solidariti Tanah Airku: STAR)が2議席を獲得した。STARがUMNOに協力する意向を示したため、総選挙直後はUMNO主導の州政権が発足する見込みであった。しかし、UMNOからの6人の離党者がWARISANに入党したため、WARISAN総裁のシャフィを州首相とする州政権が発足した。

2020年2月の「シェラトンの策謀」に始まる政変によってPHが政権を失うと、WARISANも連邦レベルで野党となった。その後、WARISANは2020年7月までサバ州の州政権を維持したが、UMNOのムサ・アマン前州首相が新しい州政権を組織するのに十分な数の州議員の支持を得たと発表したことから、シャフィが州議会を解散して選挙に突入した。2020年9月のサバ州選挙の結果、WARISANは過半数の議席を確保することができず、連邦レベルで政権を担当するBersatuがUMNOと連立を組んでサバ州政権も獲得することになった。

(5)PN、BN、PH以外の独立系政党連合

サラワク政党連合(Gabungan Parti Sarawak: GPS)

2018年まで続いたBNの長期政権下で、サラワク州はマレーシアの全13州のうち唯一UMNOが進出していない州だった。しかし、サラワク州の4党の地域政党がBNに加入して、与党の地位を享受してきた。その4政党とは、サラワク統一ブミプトラ・プサカ党(Parti Pesaka Bumiputera Bersatu: PBB)、サラワク統一人民党(Sarawak United People’s Parti: SUPP)、進歩民主党(Progressive Democratic Party: PDP)、サラワク人民党(Parti Rakyat Sarawak: PRS)であった。

サラワク州では、PBB総裁だったタイブ・マフムドが1981年から33年間にわたって州首相を務めてきたが、長期政権に伴う深刻な汚職問題が長年取りざたされてきた。タイブは2014年に州首相とPBB総裁を辞任して、象徴的な地位にある州元首の地位についたが、依然としてサラワク州の政治に強い影響力をもっているとみられている。

タイブが2014年に州首相を退いた後、州首相とPBB総裁を引き継いだのはアデナン・サテムである。アデナンはサラワクの独自性を主張して時には連邦政府とも対立を招きかねないスタンスで政治に臨んだ。彼のスタンスはサラワクの人々から大きな支持を受け、2016年5月のサラワク州選挙ではサラワクのBN構成政党の4党は前回2011年の州議会選挙から17議席を増やす大勝を収めた。しかし、2017年にアデナンが死去し、その後の地位をアバン・ジョハリ・オペンが継ぐとBNの勢いは弱まり、2018年総選挙ではBN構成政党の4党はいずれも下院議席数を減少させた。2018年総選挙でBNが大敗し、連邦政府を失うと、サラワクの旧BN構成政党4党はBNから離脱し、6月に新たにサラワク政党連合(Gabungan Parti Sarawak: GPS)を結成した。GPSは連邦レベルでは野党となったものの、サラワク州では引き続き州政権を担っていくことになった。その後の2020年2月の「シェラトンの策謀」に始まる政変によってムヒディン政権が成立すると、GPSはムヒディン政権を支える与党となった。2021年8月のムヒディン政権退陣後に成立したイスマイル政権でもGPSは与党の一角を占めている。