総選挙に参加できる政党は全国規模の組織を有する必要がある。政党法に定められた要件を満たした法人として法務・人権省に登録した上で、2012年改正の政党法ではすべて州に支部を設置し、その州内の4分の3以上の県・市に支部を設置することなどが義務づけられている。2004年総選挙では24政党、2009年総選挙では38政党が参加した。2009年総選挙より、歴史的経緯からナングロ・アチェ・ダルサラーム州に限り地方政党の選挙参加が認められた。2014年総選挙では12政党が参加、10政党が議席獲得、直近の2019年総選挙では20政党が参加、9政党が議席を獲得した。得票率および議会占有率が2割を超える政党はない、多党化傾向が常態化している。
2008年の選挙法改正では代表阻止条項が規定する最低得票率が従来の1.5%から2.5%、2012年には3.5%に引き上げられ、小規模政党は一層不利になった。従来の制度では最低得票率に満たない政党は次回の総選挙への参加を禁じられていたが政党名を変えるだけで済み、多党化を防ぐ実質的な効果はなかった。2009年総選挙に際しては得票率2.5%以下の政党は議席も配分されなくなった。この結果、1999年総選挙から参加を続けていた月星党は国会で議席を失った。2019年総選挙では最低得票率が4%にまで引き上げられ、2009、14年選挙で議席を持っていたハヌラ党が国会から消えた。
インドネシアの政党は大きく世俗ナショナリスト系とイスラーム系に区分されてきた。1955年総選挙では国民党と共産党、マシュミ党とNU党が四大政党を形成した。こうした区分は依然として有効であるものの、両者の境界はかなり曖昧になっている。ナショナリスト系政党は敬虔さをアピールし、イスラーム系政党は国家や社会のイスラーム化よりも反汚職や大衆の福祉などを訴えるようになった。第一次ジョコ・ウィドド(以下ジョコウィ)政権では、闘争民主党、ゴルカル党、民族覚醒党、開発統一党、国民民主(ナスデム)党、ハヌラ党が与党連合、グリンドラ党、福祉正義党が野党連合を組んでいる。野党連合は在野のイスラーム急進派を取り込み、政権批判を強めたが、与党連合にもイスラーム系政党(民族覚醒党、開発統一党)が含まれる。
2019年総選挙は、大統領への支持をめぐる与野党の対立が、社会の「分極化」といわれるほど高まるなか、大統領選挙と初めて同日に行われた。ジョコウィ、プラボウォを担いだ闘争民主党とグリンドラ党がそれぞれ票を伸ばしたが、いずれも2割には届かなかった(グリンドラ党はゴルカル党に次ぐ第3党)。大統領選挙の結果が確定すると、両陣営は早々に和解し、グリンドラ党も第二次ジョコウィ政権の連立に加わった。明確な野党は福祉正義党のみになった。
2019年選挙の結果国会に議席を獲得したのは以下の9政党である。このうち民主主義者党は2004年、グリンドラ党は2009年、国民民主党は2014年に国政選挙に初参加した。
闘争民主党(Partai Demokrasi Indonesia Perjuangan, 略称PDI-P)
スハルト時代の野党インドネシア民主党(PDI)を前身とする。インドネシア民主党は1973年の「政党簡素化」によって、世俗ナショナリスト系やキリスト教系の諸政党が統合されたものである。1997年総選挙に際し、影響力を強めつつあったスカルノ初代大統領の娘メガワティが体制側の介入によって党首の座を解任された。闘争民主党はこのメガワティを中心とした分派によって結党された。1999年総選挙では第1党になり、2001年のワヒド大統領罷免を受けてメガワティが大統領に就任した。しかし、メガワティの大統領としての資質、同党の未熟な議員による汚職事件や私兵組織による廃退行為が失望や反発を生み、2004年総選挙では大幅に得票を減らした。メガワティは2004年、2009年の大統領選挙に出馬したが、いずれもユドヨノに敗れている。メガワティが後継者として期待する娘のプアン・マハラニは、2019年選出の国会で議長となった。
ジョコウィを大統領候補に戦った2014年総選挙では第1党に復帰、2019年選挙でも第1党を維持した。なお、ジョコウィは当初から党員ではなく、大統領と闘争民主党の間にはつねに緊張感がある。2024年の大統領選候補としては、プアンと中ジャワ州知事のガンジャル・プラノウォが争っている状況であるが、ジョコウィの3選論も根強い。
ゴルカル党(Partai Golongan Karya, 略称Golkar)
1964年にインドネシア共産党に対抗して設立され、スハルト時代には翼賛組織として独占的な「与党」となったゴルカル(職能集団)は民主化後、「党(Partai)」を組織名に加えて再出発した。2009年総選挙まで毎回得票を減らしたが、地方まで浸透する最も安定的な党組織と支持層を維持している。非ムスリムの国会議員もつねに1~2割は存在するが、とりわけジャワ以外ではスハルト体制期の長年の支配によって、イスラーム組織関係者も党内に多く抱える。ユスフ・カラの大統領選敗北後、2009年10月に実業家で前国民福祉担当調整相のアブリザル・バクリが党首に選出された。2014年大統領選挙では、ジョコ・ウィドドの副大統領候補となったユスフ・カラではなく、プラボウォ組を支持、野党連合に加わった。ジョコウィ政権発足後、ゴルカル党は政権支持をめぐって分裂したが、結局与党連合に加わった。近年は闘争民主党への依存を減らしたいジョコウィとの接近が顕著である。前党首の汚職事件での逮捕を経て、2017年末から党首の座にあるアイルランガ・ハルタルトは、第一次ジョコウィ政権の途中から産業大臣に、第二次政権では経済部門の調整大臣の要職に就いている。
グリンドラ党(Partai Gerakan Indonesia Raya[大インドネシア運動党] , 略称Gerindra)
2007年結成の農民漁民党を前身とする。大統領選挙出馬を目指していたスハルトの娘婿で元陸軍戦略予備司令官のプラボウォが加わって、2008年4月に現在の党名に変更された。豊富な資金力を背景にテレビCMを大規模に展開して有権者への浸透を図った。そこで売り出したのは庶民の味方というポピュリスト的なイメージであり、かつてのプラボウォによる人権侵害への批判や強権的なイメージを払拭しようとした。プラボウォは2009年大統領選挙ではメガワティの副大統領候補として立候補したが、第1回投票で敗れた。2014年総選挙では、イメージ戦略に加え、前選挙で議席を得られなかった小政党を吸収して勢力を拡大、退役軍人のネットワークを活用、各地で地方有力者を取り込んで全選挙区で一議席を確保して第三党に躍進した。第一次ジョコウィ政権を通して、福祉正義党と共に野党連合として政権との対立姿勢を明確にしたが、2019年10月発足の第二次ジョコウィ政権では与党に加わり、プラボウォは国防相に就任した。
プラボウォが政権入りする一方で、副党首のファドリ・ゾンは政権批判を続けている。2024年大統領選では、プラボウォがまた出馬するのか否かが注目される。ジャカルタ州知事のアニス・バスウェダンも有力候補の一人である。
民主主義者党(Partai Demokrat, 略称PD)
2004年総選挙に際して、スシロ・バンバン・ユドヨノを大統領に擁立すべく設立された政党。ユドヨノの人気によって2009年には第1党に成長したが、既存の大政党に比較して党組織は脆弱でとりわけ地方の人材が不足しているといわれる。2009年選挙のスローガンは「宗教的ナショナリズム」であり、ユドヨノ大統領自身とともに、「穏健だが、宗教的」なイメージを売り込んだ。2009年選挙で当選した同党国会議員の6割以上が経済界出身者であった。2014年総選挙では、次世代のリーダーと目された指導者たちの汚職容疑による逮捕、ユドヨノの人気凋落とともに党勢を半減させた。2019年総選挙でもさらに支持を減らしている。なお2019年大統領選では最終的にプラボウォ側に付いたものの、選挙後はすぐにジョコウィ政権と連立交渉を行なった。しかし、ユドヨノが自身の後継者として期待を寄せる息子のアグス・ユドヨノの入閣は叶わなかった。
2021年3月には、ジョコウィ政権の大統領首席補佐官であるムルドコ元国軍司令官がクーデターを仕掛け、党首就任を宣言した。この策謀は失敗に終わったが、アグスのリーダーシップと党組織の脆弱性を印象付けた。
民族覚醒党(Partai Kebangkitan Bangsa, 略称PKB)
最大のイスラーム団体ナフダトゥル・ウラマー(NU)を支持母体とする政党。NUの元議長で2000年に大統領となったアブドゥルラフマン・ワヒドのイニシアティブによって結党された。イスラーム団体を基盤としながらも、「民族」を掲げて国民政党を目指した。「覚醒」(kebangkitan)はNUの「ナフダトゥル」(アラビア語で覚醒)を想起させるインドネシア語、ロゴマークもNUに類似している。NUのプサントレン(イスラーム寄宿学校)指導者の影響力が強い東ジャワ州と中ジャワ州に支持者が多い。「改革派」として期待された1999年総選挙では12.6%を獲得したが、内紛を繰り返し、勢力を弱めた。2009年総選挙に際しては、ワヒド派とムハイミン・イスカンダール(現党首)派との分裂が法廷闘争に持ち込まれ、正当性を認められなかったワヒド派は選挙をボイコットするに至った。2014年総選挙では分裂状態を解消して党勢を回復、2019年総選挙でも票を伸ばしたが、得票率10%に届いていない。2014、2019年大統領選挙ではジョコウィを支持し、連立与党の一角を占めている。とくに2019年はジョコウィが、副大統領候補にNU総裁のマアルフ・アミンを立てたため、民族覚醒党もジョコウィの当選に尽力した。
2005年から党首を務めるムハイミンが党内を掌握してきたが、2021年4月にはワヒドの娘イェニー・ワヒドを担ぐ動きがあることが明らかになった。
国民信託党(Partai Amanat Nasitional, 略称PAN)
NUに次ぐイスラーム団体ムハマディヤの元会長で1998年の民主化運動の指導者の一人アミン・ライスを中心に設立された政党。ロゴマークはムハマディヤのマークに類似しているが、「国民」を掲げ、結党当初はキリスト教徒も幹部に迎えた。総選挙では都市部を中心につねに得票率6〜7%台の安定的な支持を受けている。アミン・ライスは2004年大統領選挙に立候補したが、第1回投票で敗れた。ビジネス出身の現党首ハッタ・ラジャサは、2009年大統領選挙ではいち早く再選を目指すユドヨノを支持し、第二次ユドヨノ政権の経済担当調整大臣を務めた。ハッタ・ラジャサは2014年大統領選挙ではプラボウォの副大統領候補になったが、接戦の上、敗退した。ジョコ・ウィドド政権発足後、一時は与党連合入りを表明して大臣職も得たが、野党連合とも近い関係を維持、2019年大統領選ではプラボウォを支持した。選挙後はやはりジョコウィ政権に接近したものの態度ははっきりしていない。2021年8月現在、次期大統領選に向けた動向が活発化するなかで、正式な連立政権への加入と大臣職の配分が取り沙汰されている。
福祉正義党(Partai Keadilan Sejahtera, 略称PKS)
ムスリム同胞団をモデルとした大学キャンパスにおける宣教運動が発展して1998年に政党となった。正義党として結成されたが1999年総選挙で代表阻止条項の最低得票率(1.5%)を下回ったため、2004年総選挙前に福祉正義党が新たに結党された。2004年総選挙では、既存政党への不信感を背景に清廉潔白なイメージを売る福祉正義党への期待が高まり、都市部で躍進、ジャカルタ特別州では約23%を得票して第1党になった。2009年総選挙は微増、2014年総選挙では初めて得票率を減らした。そのイデオロギー的背景と組織的性格から、排他的との批判を受ける一方で、2004年以降は日和見主義的との評価もなされるようになった。10年間のユドヨノ体制下では3つの大臣ポストを維持した。とりわけ2005年に地方首長選挙が有権者の直接投票となると、多数派工作のためにあらゆる政党と連立を組んだ。2010年7月には「開かれた政党」となることを宣言し、さらに現実主義を強めている。しかし2013年には当時の党首が汚職で逮捕され、大きなイメージダウンになった。2014年大統領選挙では、プラボウォ陣営に付き、ジョコ・ウィドド体制下では下野した。2019年大統領選でもプラボウォを支持、第2次ジョコウィ政権では唯一明確な野党となった。
2015年8月に指導体制を一新し、ソヒブル・イマンが党首、サリム・セガフ・ジュフリが宗教評議会議長に就任した。ソヒブル・イマンは学部から博士課程まで日本で教育を受けている。他方のサリム・セガフはサウディアラビアのマディナ大学で博士号を得ている。理系と宗教エリートという福祉正義党特有の組み合わせである。2020年10月には、地方議会からの叩き上げであるアフマド・シャイフが党首に就任した。
国民民主党(Partai NasDem, 略称NasDem)
元ゴルカル党政治家でテレビ局MetroTVなどを所有するスルヤ・パロが2011年7月に設立した政党。2014年総選挙では唯一新党として参加が認められ、得票率6.7%の支持を得た。同年の大統領選挙ではいち早くジョコ・ウィドドへの支持を表明し、MetroTVも活用して当選に貢献した。内閣などの戦略的ポストに複数の党員を配置している。ジョコ・ウィドドの再選も一貫して支持、地方首長選挙でも大衆的人気が高い候補の擁立に貢献する戦略で、小党にも関わらず大きな影響力を持ってきた。2019年総選挙ではやはり効果的な候補者擁立で9%まで得票を伸ばした。
開発統一党(Partai Persatuan dan Pembangnan, 略称PPP)
スハルト時代の1973年に「政党簡素化」によって、イスラーム諸政党を統合して結成された。「開発」と「統一」という体制イデオロギーを政党名に背負わされ、また度重なる体制側の介入と内紛に悩まされた。他方、婚姻法の制定などイスラームに関係する議題で政府に反対して存在感を示すこともあった。1987年選挙に際しては党内最大勢力のNUが同党の公式な支持を取りやめ、得票が落ち込んだ。1998年以降、ロゴマークをカーバ神殿、党原則をイスラームに戻してイスラーム色を明確にした。NUの一部ウラマーなどから根強い支持がある。しかし、結党以来の派閥争いは解消されず、2004年選挙前に改革の星党と分裂した他、2009年大統領選挙でも候補擁立(ユドヨノかメガワティか)において二転三転した。2014年大統領選挙ではプラボウォを支持したが、ジョコウィ政権成立直前に与党連合へ加わり、二つの党執行部に分裂した。その後、政権支持側が裁判で勝ち、与党連合の一員となった。選挙直前に党首が逮捕された2019年総選挙では4.5%(前回6.5%)まで落ち込み、風前の灯である。