バングラデシュは人口の9割をムスリムが占めている。同国の人口が1億6760万人(同国統計局による2020年度統計)であることを考えると、1億4000万人以上のムスリム人口をかかえていることとなり、実数でいえば、インドネシア、パキスタン、インドに次ぐ世界第4位のムスリム人口となる。そして、このような大多数のムスリム人口を背景とし、バングラデシュの国教はイスラームに規定されている。

現在バングラデシュでは、定数300名および、選出された議員の割合に応じて配分される女性留保議席50名の計350議席によって構成される、5年任期の一院制議会制度がとられている。しかし、議会制のもとでの民主主義の歴史は浅く、1975年から1990年までは、軍部出身の大統領に権限が集中し、国会が意味をなさない形骸化した議会制度、もしくは直接の軍政下にあった。バングラデシュ政治の実質的な民主化は、1990年にH・M・エルシャド政権が学生運動を主体とした民主化運動によって倒された後の憲法改正によって、大統領を元首とする議院内閣制度が確立した1991年になされたといえる。

現政権与党のアワミ連盟(Awami League)は2018年12月30日に実施された第11次国民議会選挙において、単独で全300議席中258議席を獲得し、民主化以降初の3期連続の政権党となった。しかしながら、野党支持者が暴力的に排除されたり、投票箱が持ち出されたりするなど、選挙の公正な実施に関しては疑問符がついた。以下に、現在のバングラデシュ政治体制に関する論点を整理したい。 

(1)政治体制・政治制度の概観

バングラデシュにおける現在の政治体制の柱は議院内閣制である。行政権は内閣総理大臣に与えられる。大統領は、国家の元首および軍の最高司令官として定められており、総理大臣、大臣、および最高裁判所裁判官の任命権を有する。しかし、大統領は首相の助言にしたがって行動しなければならない。また、交戦権の行使には議会の承認が必要である。

立法権は議会に属し、議会は任期5年の一院制である。内閣総理大臣は議会によって選出される。内閣総理大臣は内閣の人事権を有する。議席数は350議席で、直接選挙による300人定員の普通選挙に加えて、50人の女性留保議席がある。女性留保議席に関しては、普通選挙の得票率に従って政党ごとに割り当てられる。

司法権は、行政・立法権から独立する旨の憲法規定があるが、議会の3分の2以上の賛成で裁判官の罷免が可能である。裁判所は最高裁判所(Supreme Court)、高等裁判所(High Court)、下級裁判所(Subordinate Court)が憲法により定められている。これとは別に、軽度の民事訴訟においては村裁判によって裁判がおこなわれることもある。

(2)2大政党対立による政情不安

1991年の民主化以降、バングラデシュにおいては、アワミ連盟とBNPが交互に政権を担ってきた。そして、政権が交代する度に、野党側が「不正選挙」結果の取り消し要求、長期間にわたる議会ボイコットや政党傘下の学生組織を動員しての街頭デモやホルタル(ゼネスト)など、激しい反政府活動を展開し、国政を混乱させてきた。与党側も政策決定過程において実質的に野党を排除し、前政権の汚職の摘発や要職者の逮捕などをつうじて、野党の力を弱めようと画策した。また、中央から末端の地方行政、国立大学にまでおよぶ役職人事を政治的に任命し、影響力を強めてきた。2大政党のどちらが政権の座についても、同様のパターンが繰り返されており、今日までバングラデシュの政情混迷の主要因となっている。

国内で最も長い歴史を誇るアワミ連盟は、パキスタン時代にムジブル・ラフマン総裁を中心に自治権拡大運動を展開した。独立後、ムジブル・ラフマン総裁は初代首相(後に大統領)に就任したが、次第に強権的性格を強め、1975年の軍事クーデターによって暗殺された。後継者として、長女のシェイク・ハシナ(現首相)が総裁に就任した。

一方のBNPは、1975年の軍事クーデターの主導者の一人である、ジヤウル・ラフマン陸軍参謀長(77年に大統領)が、民政移管に備え1978年に結成した官製政党である。ジヤウル・ラフマン大統領もまた、1981年に軍内部の対立から暗殺され、その後はカレダ・ジア夫人が総裁に就任した。

このように、両党の現総裁は、過去に大統領であった近親者を軍事クーデターによって暗殺されている。特に、初代大統領のムジブル・ラフマン暗殺の際には、大統領本人だけでなく一族の大半が殺害された(ハシナ現総裁は外遊中で殺害を免れた)。そしてクーデターの後に、軍部内の権力闘争に勝ち抜いて、自らBNPを結成し政権の座についたのがジヤウル・ラフマンであったことから、両総裁の間には晴れることのない遺恨が存在する。 

現在では、両党の間には、支持基盤や理念に違いはみられるものの、政策的には大きな差異はなく、むしろ党首間の心情的確執や利権の争奪、権力への強い固執からくる泥仕合的な対立が目立っている(村山2012)。現段階では上記二大政党に割って入るだけの支持基盤と強いリーダーシップを持つ政党・政治家が存在しないことから、国民はどちらかに国政を託すしかないのが現状である。2008年総選挙実施にあたり、ノーベル平和賞受賞者であるグラミン銀行のムハマド・ユヌス総裁が新党立ち上げを画策したが、実現しなかった。また、国政・地方に関わらず、選挙の不正に関する報道はあとをたたず、バングラデシュの議会制民主主義は、民意を反映する仕組みとしてはいまだ未成熟であるといえる。

(3)軍の影響

1991年の民主化以降、軍の間にも二大政党の対立が浸透しているといわれているが、軍の中立的姿勢と実行力は、2007年から2008年にかけての非政党選挙管理内閣を経て、国民の高い支持を得るにいたった。

2006年10月、2001年より国政を担っていたBNP政権が任期満了で退陣し、解散後90日以内に国会選挙を実施するために設けられる、非政党選挙管理内閣が発足した。1996年の憲法改正で導入されたこの制度は、与野党どちらの側にも与しない中立的な立場の暫定内閣を組閣し、選挙管理委員会を支援・監視することにより、国会選挙の公正性を担保することを目的としている。しかし、内閣人事などを巡り政党間の対立が激化し、国内の治安が悪化したため、同内閣のイアデュッディン大統領は2007年1月11日、バングラデシュ全土に向けて非常事態宣言を発令するとともに、全土に夜間外出禁止令を出した。そして軍の後援のもと、翌12日にファクルッディン・アーメド元中央銀行総裁を首班とする非政党選挙内閣が再発足した。

ファクルッディン政権は、これまで2大政党のどちらもが自らの足下への波及を恐れて着手してこなかった政治改革を断行した。特に、汚職の一掃にむけた取り組みは、大々的に実施され、元閣僚を含む政治家や官僚、企業家を矢継ぎ早に逮捕した。その対象は政治の中枢にまでおよび、BNPのカレダ・ジア総裁、アワミ連盟のシェイク・ハシナ総裁も汚職容疑で逮捕される事態となった(08年6月にハシナ総裁は海外での病気治療を理由に仮釈放され、ジア総裁も08年9月に保釈された)。報道によれば、400人以上におよぶ汚職容疑者リストは軍部によって用意されたとされる。そのため、軍部は、汚職のない環境制度作りに寄与し、2大政党による利益誘導型の政治にメスを入れたとして国民の高い支持を受けた。一方で、選挙実施にむけたロードマップ作成の遅れから、アメリカをはじめとする欧米諸国から、軍の強い影響下にある非政党選挙管理内閣が長期化することへの危惧が示されたが、結果として2年後の2009年12月に議会選挙が実施され、無事民政移管が果たされた。

このように、バングラデシュ政治における軍部の影響力は、国民の支持を背景に決して小さくないが、現状では軍部が全面にでて長期間政治運営をおこなうことは困難であると思われる。一つには外国援助依存がきわめて高いバングラデシュにおいては、欧米のドナー諸国の意向、とりわけ民主化促進、基本的人権の擁護を求める外的圧力が働き、軍政をしくこと自体が難しくなっている。また、軍の関心は、機微な舵取りと利害調整が求められ、時として軍内部でのクーデターに発展する恐れのある国内政治への関与から、議会制民主主義のもと民主化が前提となっている国連平和維持軍の派遣によって得られる経済的利益に移行していると考えられる。バングラデシュは2018年5月の段階でPKOミッションに7099人を派遣しており、世界第2位の派遣国である。バングラデシュにとっては、外貨と軍組織の維持費獲得、そして国際的な地位向上という派遣へのインセンティブがある。また、将兵個々人の経済的メリットも大きく、派遣兵士の平均月給は約75、680TK(約1、100USドル)となっている。この額は少尉クラスの基本給10、000TK、准将クラスの基本給38、565TKに比べると格段に高い(IWGIA 2012)。軍のリクルートサイトには海外勤務での手厚い追加手当てがうたわれており、国軍兵士を目指す動機付けとなっている。

非政党選挙管理内閣を支援したモイーン・アフマド陸軍参謀長は、自身の回顧録において、国連の平和維持軍担当の事務次長から、すべての与野党が参加したもとでの公正な選挙が実施されない場合には、バングラデシュ軍を平和維持軍から外すことを検討するとの警告があったとしたうえで、平和維持軍への機会が奪われた場合、限られた収入しかない兵士たちの不満を抑えるのは難しいと指摘した(堀口2009)。実際、2009年2月には平和維持軍への参加資格のない準軍事的組織である国境警備隊(BDR)が、平和維持軍への参加を含めた待遇改善を求めて反乱をおこし、軍関係者57人が殺害される事件が発生している。

軍政を引くと紛争国として扱われ、PKOへの参加資格を失うことから、現状のバングラデシュにおいては、PKOミッションという国外での役割が軍部に国内で政治に干渉することを思いとどまらせているといえる。また、2011年の第15次憲法改正によって、軍による国家権力の掌握と憲法停止に対して、極刑を含む厳しい処罰に処することが規定された。これは、2007年から2008年の軍後援の非政党選挙管理内閣下において、両党総裁を含む政治家多数が汚職容疑で逮捕された経験から、軍の介入を警戒してアワミ連盟がうった布石である。これらのことからも、今後軍が積極的に政権運営に介入することの政治的合理性はないといえる。

(4)イスラームと政治

BNPを創設したジヤウル・ラフマン大統領は、憲法から政教分離を削除し、コーランの一文を挿入するなど、イスラームに対して寛容な姿勢をとった。そして、独立戦争時にパキスタンに与した政治家の起用や、イスラーム政党の解禁を通じて、イスラーム勢力を取り込む政治姿勢を示した。続くエルシャド政権は、休日を日曜日ら金曜日に変更し、1988年には、憲法改正によってイスラームを国教化した。このようなジヤウル・ラフマン、エルシャドの両軍人政権を通じて、イスラームへの配慮の姿勢を示すことが重要視される政治的土壌がつくられたといえる。

1991年の民主化以降は、イスラーム主義政党が2大政党の間でたびたびキャスティンボードをにぎることによって、その存在感を示すようになった。主な政党としてイスラーム協会(Jamaat-e-Islami、Bangladesh:以下JI)とイスラーム統一戦線(Islami Oikiya Jote)がある。これらの政党は、イスラーム国家の実現や市民法に代わってイスラーム法を導入することなどを主張しており、イスラーム原理主義的傾向が強い。二大政党の中では、近年BNPがイスラーム主義政党と共同戦線を張る傾向がみられる。1996年の総選挙では、BNPとJIの離反がアワミ連盟の勝利へと結びついた。一方で2001年の総選挙では、BNPがイスラーム主義政党と共闘することによってアワミ連盟に勝利し、イスラーム主義政党が政権与党の一角を占めるにいたった。

しかしながら、BNPとイスラーム主義政党の連立政権下においては、非合法イスラーム武装主義勢力による爆弾事件が頻発したことから、武装主義勢力との関係が噂されるイスラーム主義政党や、連立政権を組むBNPは国民の支持を得られなくなり、2008年の総選挙では惨敗した。

代わって政権を奪取したアワミ連盟は、独立戦争時の戦争犯罪を裁く国際戦争犯罪法廷を設置し、イスラーム主義政党への攻勢を強めた。1971年の独立戦争当時、パキスタン軍に協力して独立運動を弾圧したとされる「戦争犯罪者」の中にはJIのメンバーが多く含まれている。国際戦争犯罪法廷の目的がJI指導者を裁判にかけることにあり、総選挙を視野にいれた野党勢力の切り崩しであるとしてBNPやイスラーム主義政党は批判を強めた(補足参照 )。

参考文献

  • アジア経済研究所編『アジア動向年報(各年版)』アジア経済研究所.
  • 日下部尚徳「バングラデシュの政治情勢:国内で抗議デモが頻発、暴動も-JI副総裁に死刑判決-」『金融財政ビジネス』、10316号、pp.10-14、時事通信社
  • 日下部尚徳「バングラデシュ総選挙をめぐる情勢不安-民主的で穏健なイスラム国家の行方-」『金融財政ビジネス』、10386号、pp.16-19、時事通信社
  • 佐藤宏編著『バングラデシュ: 低開発の政治構造』アジア経済研究所.
  • 佐藤宏「国をめぐる模索」『バングラデシュを知るための60章』pp. 23-26、 明石書店.
  • 佐藤宏「議会制民主主義のゆくえ」『バングラデシュを知るための60章』pp. 40-43、 明石書店.
  • 高田峰夫『バングラデシュ民衆社会のムスリム意識の変動-デシュとイスラーム-』明石書店.
  • 村山真弓「憲法第15次改正で再選への布石」『アジア動向年報2012』pp. 440-464、アジア経済研究所
  • 堀口松城『バングラデシュの歴史』明石書店.
  • A. T. Rafiqur Rahman. 2008. “Bangladesh Election 2008 and Beyond: Reforming Institutions and Political Culture for a Sustainable Democracy”. The University Press Limited.  
  • IWGIA. 2012. “Militarization in the Chittagong Hill Tracts、Bangladesh”. IWGIA・Organising Commitee CHT Campaign・SHIMIN GAIKOU CENTRE.
  • Mudud Ahmed. 2012.“Bangladesh: A Study of the Democratic Regimes”. The University Press Limited.

※参考文献は全項目に共通