国会議員選挙
インドネシアは独立以降(独立宣言1945年、(独立戦争の終結1949年)、1955、1971、1977、1982、1987、1992、1997、1999、2004、2009、2014、2019年と12度の総選挙を行った。このうちスカルノ初代大統領下の1955年は比較的自由な選挙であったが、スハルト大統領下における71年から97年までの6度の総選挙には政府による厳しい統制と介入があった。1973年にナショナリスト系諸政党がインドネシア民主党、イスラーム系諸政党が開発統一党に統合された(政党簡素化)。翼賛的なゴルカル(職能団体)がつねに60%以上の得票をし、独占的な立場にあった。
スハルト体制崩壊後に行われた1999年以降の総選挙においては、より民主的な手続きがとられるようになった。総選挙では、下院に当たる国会(DPR)と上院に当たる地方代表議会(DPD)、地方議会(州・県・市議会)選挙も同時に行われる。選挙のたびに細かな制度変更が行われており、国会の定数は500から、550、560、575へと増加した。選挙制度は、1955年の第1回総選挙以来つねに比例代表制が採用されてきたが、完全拘束名簿式、条件付非拘束名簿式と変わり、2009年総選挙では完全な非拘束名簿が導入された。非拘束名簿の採用によって、政党より候補者個人の人気に選挙の結果が左右される傾向が強まった。なお、この制度導入に当たっては、一時は国会が実質的な拘束名簿の採用を決めたが、憲法裁判所がこれを違憲とした経緯があった。
1999年総選挙以降、多党化の傾向が続いており、2014年選挙では議会獲得のための最低得票率が1%引き上げられて3.5%に、2019年選挙では4%に引き上げられた。政党数を削減による、議会運営の安定化を意図したものであった。しかしその効果は薄く、第1党でも得票率および議席占有率が2割を切る状態が続いている。その背景には、政党の支持基盤や組織の弱さ、政党不信から、支持政党を持たない有権者が増え続けている状況がある。このため、政党の分裂と新党結成が常態化している。
政党名( * がイスラーム系政党) | 1999年 | 2004 年 | 2009 年 | 2014 年 | 2019 年 | |||||
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闘争民主党 (PDI-P) | 33.7% | 153議席 | 18.6% | 109議席 | 14% | 94議席 | 19% | 109議席 | 19.3% | 128議席 |
グリンドラ党 | — | — | 4.5% | 26議席 | 11.8% | 73議席 | 12.6% | 78議席 | ||
ゴルカル党 | 22.4% | 120議席 | 21.6% | 127議席 | 14.5% | 106議席 | 14.8% | 91議席 | 12.3% | 85議席 |
民族覚醒党 (PKB) * | 12.6% | 51議席 | 10.6% | 52議席 | 4.9% | 28議席 | 9% | 47議席 | 9.7% | 58議席 |
国民民主党 (Nasdem) | — | — | — | 6.7% | 35議席 | 9.1% | 59議席 | |||
福祉正義党 (PKS) * | 1.4% | 7議席 | 7.3% | 45議席 | 7.9% | 57議席 | 6.8% | 40議席 | 8.2% | 50議席 |
民主主義者党 (PD) | — | 7.5% | 56議席 | 20.9% | 148議席 | 10.2% | 61議席 | 7.8% | 54議席 | |
国民信託党 (PAN) * | 7.1% | 34議席 | 6.4% | 53議席 | 6% | 46議席 | 7.6% | 49議席 | 6.8% | 44議席 |
開発統一党 (PPP) * | 10.7% | 58議席 | 8.1% | 58議席 | 5.3% | 38議席 | 6.5% | 39議席 | 4.5% | 19議席 |
ハヌラ党 | — | — | 3.8% | 17議席 | 5.3% | 16議席 | 1.5% | — | ||
イスラーム系政党合計 | 36.5% | 38.4% | 29.1% | 31.4% | 30.0% |
2019年総選挙の得票率順。記載政党は、2014年選挙の結果議席を獲得した政党のみ。*はイスラーム系政党(著者作成)
大統領選挙
大統領は従来国民協議会で選出されていたが、2004年から全国1区の直接投票となり、国会議員選挙と同時に行われるようになった。政党の支持を得た正副大統領のペアで立候補し、過半数票と全国の州の半分以上で20%以上の票を得られれば当選となる。この要件を満たす候補者がいなければ、上位2組で決選投票が行われる。候補者の擁立ができるのは国会議員選挙の得票率25%以上もしくは国会議席の20%以上を得た単独もしくは複数の政党である。この要件を単独の政党が満たすことは極めて難しく、大統領と国会の関係を安定化させるために、政党間の協力を促すことを意図している。
2004年選挙では5組が立候補し、上位2組による決選投票の結果スシロ・バンバン・ユドヨノ―ユスフ・カラ組が当選した。2009年選挙では3組が立候補し、スシロ・バンバン・ユドヨノ―ブディオノ組が第1回目の投票で過半数を占めて当選した。「継続」をキーワードに再選に挑んだユドヨノが負けたのはわずか5州、得票は60%を超える圧勝だった。2014年選挙はジョコウィ―ユスフ・カラ、プラボウォ・スビアント―ハッタ・ラジャサの2組で争われ、かつてない大接戦のうえ、53.15%を獲得したジョコウィ組が勝利した。ユスフ・カラは二度目の副大統領就任となった。2019年選挙は再びジョコウィとプラボウォの一騎打ち(副大統領候補はそれぞれマアルフ・アミン、サンディアガ・ウノ)となり、ジョコ・ウィドドが55.5%を獲得して再選された(「最近の政治変化」参照)。
参考文献
- 川村晃一「2014年選挙の制度と管理」川村晃一編『新興民主主義国インドネシア―ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の誕生―』アジア経済研究所、2015年、15-36ページ。
- 川村晃一・東方孝之「国会議員選挙―民主主義者党の勝利と業績投票の出現―」、本名純・川村晃一編『2009年インドネシアの選挙―ユドヨノ再選の背景と第2期政権の展望―』アジア経済研究所、2010年、13-37ページ。
- 川村晃一・見市建「大統領選挙―庶民派対エリートの大激戦―」川村晃一編『新興民主主義国インドネシア―ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の誕生―』アジア経済研究所、2015年、73-93ページ。
- 本名純「大統領選挙―ユドヨノ再選の権力政治と動員プロジェクト―」、本名純・川村晃一編『2009年インドネシアの選挙―ユドヨノ再選の背景と第2期政権の展望―』アジア経済研究所、2010年、39-55ページ。