(1)議院内閣制から大統領制へ:体制変更が内包する危うさ

トルコの政治体制は、2018年6月24日の選挙を以って議院内閣制から大統領制に移行した。この体制変更は、従来の1982年憲法に変えて新憲法を制定するのではなく、1982年憲法の関連条項を変更することにより実施された。また、国会や市民社会での熟議を通して、何のためにどのような制度が必要であるかについて、国民的総意を時間をかけて醸成するという段階を踏むことなく、エルドアン大統領の旗振りの下、国会における与党の公正と発展党の多数を頼みにして実現された。大統領制移行を国民に問うた2017年国民投票でも、2018年6月に実施された大統領選挙でも、エルドアンは50%を辛うじて超える支持によって望みを果たした。ただし、「選挙」の項目で説明するように、2018年選挙での勝利は、公正と発展党が野党の民族主義行動党と選挙協力を行ったことにより可能になったものであり、与党単独での得票率と国会議席比率は過半数に届かなかった。対して、主要野党は議院内閣制に戻すことも含めて政治体制を再検討することを主要マニフェストに掲げて選挙を戦った。

結果的にはエルドアンの勝利となり、大統領制移行が実現したが、他方で、エルドアンはすでにこの数年の間に権威主義的な大統領制を事実上、実践していたとみることも可能である。実質的に大統領の一存で執政を行い、政治権力を牽制しうる政治・社会的権威(司法機関やメディア、大学)の人事や経営方針にも介入や弾圧を行使し、後で詳述するように、折からの国内外の危機的状況への対応のために非常事態的な政治手法に訴えてきた。その意味では、大統領制に移行したところで、この数年の統治のあり方が統治機構の再編を伴いながらも続くに過ぎない、という見方も可能であろう。しかし、エルドアンの執政手法に強く反発する批判的世論が過半数に迫る状況が2015年選挙以来、固定化しており、大統領制に関わる法的根拠が整えられたところで、エルドアンの執政手法の正当性を高めるとは限らないという不安感が残る。また、市民社会的な各種自由が制限されるだけでなく、ソーシャル・メディア上でのエルドアン批判者へのリンチや法的・社会的制裁が拡大してきたなかで、こうした状況が新体制下でも継続・悪化した場合、2013年6月にイスタンブルから全国各地に飛び火した反政府デモに類似する抗議運動が発生し、政治社会的混乱を招く可能性も十分に考えられる。

(2)議院内閣制時代の大統領と大統領公選制導入の経緯

2014年の大統領選挙までは、国家元首は大統領だったが、議員内閣制をとり、大統領は行政権を憲法規定上は持たなかったため、法律上は大統領制や半大統領制とはいえなかった。しかし、2014年8月の第一回公選大統領選挙の結果、普通選挙によって選ばれた大統領として、憲法上の大統領権限を最大限に行使して執政に関与することを正当化するエルドアンが当選したことによって、議員内閣制から事実上の半大統領制に移行した。後述のように、現行憲法は大統領の意向次第で権限を拡大解釈できる文言となっていたため、エルドアンは憲法の関連条文を全く変更することなく、大統領選出方法を国会での間接選挙から国民直接選挙へと変更しただけで、大統領制的な執政を事実上、実施してきたのである。さらには、2017年4月の憲法改正国民投票と2018年6月大統領選を経て、法的にも大統領制への移行を実現した。

2007年以前は、大統領は国会議員である必要はなく、議員総数の5分の1以上の書面による推薦を以て立候補でき、国会議員定数の3分の2以上の多数(秘密投票、第1回および第2回投票で決まらない場合、第3回投票は過半数)により選出されていた。2007年10月21日の憲法改正国民投票により、任期は従来の7年(再選不可)から5年(2選まで可)に変更された。いずれにしても、議員が大統領に選出された場合には、議員辞職と党籍離脱によって党派的に中立的立場をとることが求められていた。

現行の1982年憲法では、1980年以前に国会が混乱し、政治機能を発揮できなかったことを反省し、議院内閣制であるにもかかわず、国会に対する大統領の立場が強化されていた。大統領は首相の指名・任命権を持つ他、必要に応じて国会を招集し、国会の混乱に際しては解散総選挙を宣言する権限を付与された。また、国会が可決した法案の再審議を要求して国会に差し戻したり、再審議後にそのまま可決された法案を国民投票に付託したり、憲法違反の疑いがあると考える法律や政令については憲法裁判所に合憲性を審査させる権限も有した。行政や司法に対しても、大統領は国家監督委員会委員や各種上級裁判所の幹部裁判官および検事の一部を選任する権限を有してきた。軍に対しては、統帥権を有し、参謀総長の任命と軍の出動命令権を持つが、有事の際には参謀総長が指揮を執ることが定められている。以上のような大統領の権限がどれだけ実践されるかは、実際には個々の大統領がどのように行使するかにかかっており、その意味で、大統領の個性に大きく依存してきたといえる。国会の決定にあまり介入しない大統領もいれば、たとえば、2000年から2007年まで大統領を務めたセゼルのように、イデオロギー的に対立する政府の政策や人事に次々と干渉することも可能だった。

このような大統領の権限にかんする曖昧さがそもそも存在する上に、2007年5月に憲法の大統領選出条項が改正され、国会議員による間接選挙ではなく、国民の直接選挙によることになった。そのような憲法条項改正のきっかけになったのは、2002年総選挙以降、国会の過半数を優に上回る議席を得ていた公正と発展党から大統領が選出されることを阻止しようと、当時の唯一の院内野党だった共和人民党が軍部、憲法裁判所など、伝統的に世俗主義勢力を構成してきた国家機関と画策し、従来の法解釈に反する方法に訴えて、与党の大統領候補(当時のギュル外相)の選出を阻んだことである。公正と発展党の議席数は最初の2回の投票での選出に必要な議会定数の3分の2には達していなかったが、3回目の決選投票で単純過半数によって選出されることが確実視されていた。しかし、第1回投票をボイコットした共和人民党と、憲法裁判所出身の当時のセゼル大統領が、憲法裁判所に第1回投票の無効を訴え、憲法裁判所もそれを認める判決を下した。投票の定足数について特別の規定がないため、通常なら国会議員定数の3分の1のはずであるが、共和人民党らは国会議員定数の3分の2が定足数であると主張し、憲法裁判所もそれを認めたのである。つまり、共和人民党が投票をボイコットする限り、第1回投票は成立しないことになるため、新大統領選出はその状況では不可能となった。これを不当とする公正と発展党は、早期解散総選挙に打って出るとともに、大統領選の定足数を3分の1と明記する憲法条項改正を行い、さらに早期総選挙で再び国会過半数を制し、ギュル大統領の選出を達成した。その上で、国民の直接選挙で大統領が選出されるよう、憲法も改正した。こうして、憲法における大統領と三権、特に首相や政府との関係について一切の見直しや議論がされないまま、ギュル大統領が任期満了となる2014年をもって、公選大統領の時代に移行することとなった。

2014年大統領選で勝利したエルドアンは、そもそも半大統領制あるいは大統領制に前向きで、大統領として積極的に政治的リーダーシップを発揮したいとの意向をしばしば示してきた。大統領就任とともに法律上は党籍離脱し、議員辞職を強いられたが、大統領選出まで3期にわたり首相を務める間に、党組織人事と選挙候補者リスト選定を通じて党内で自派閥を形成していった。自身のライバル候補は結党以前から政治運動を共に作りあげてきた仲間であっても容赦なく排除していった。公正と発展党結成プロセス以来、トルコ政治を共に動かしてきたギュル元大統領や、公正と発展党政権期の外交政策の青写真を描き、自身が首相にまで抜擢したダウトオールは象徴的例である。しかし、その強権的で自己中心主義的な政治手法は全体としては、エルドアン首相期前半にトルコが経験した高度経済成長と生活水準の向上、国際社会での発言力向上といった、肯定的側面と結びつけて受け止められた。そうした手法に対して仲間や支持基盤から批判が漏れ聞こえては来るものの、トルコのさらなる発展や危機回避には彼のような強いリーダーが必要だと考える人々にとっては、エルドアン首相期後半以降の危機と権威主義化の時代において、彼を結局は支持する主要な理由になっている。

 2014年の大統領就任以来、エルドアンは事実上の半大統領制を敷いて内政と外交を統率し、閣僚や党内の人事、選挙候補者リストもエルドアンのチェックと承認なしには首相は決定できないという状況だった。それは、かつて世俗主義派のセゼル大統領が公正と発展党政権の人事に介入したレベルをはるかに上回っていた。なによりもセゼルは裁判官出身であり、政党や議会に内側から働きかける権力基盤を有していなかった。エルドアンはその両者を有しており、しかもそれを独占しようとしてきた。例えば、ギュル大統領の任期満了に伴ってエルドアンが大統領に選出された際、世論調査でエルドアンを上回る人気を誇っていたギュルの党首と首相就任を妨げるために(http://www.internethaber.com/ankette-erdogan-ve-gul-soku-548550h.htm)、当時外相だったダウトオールを自ら首相(それゆえに党首)に抜擢した。しかし2年後にはそのダウトオールに対して首相辞任を強いた。ダウトオールは「清潔政治法」制定を公言して政治家の汚職疑惑解明に積極な見せることで、与党政治家の汚職疑惑に対して野党だけでなく与党支持基盤からも高まっていた反発に応えようとしていた。また、2015年6月国政選挙で得票率と議席比率の双方で過半数を割り込みながらも国会第1党の座を守った際には、長年の政治的・イデオロギー的ライバルである共和人民党との連立政権樹立に前向きだったとされる。エルドアンは、前者については自身や自身の家族への疑惑が取りざたされていたこともあって阻止し、後者については連立協議のイニシアチブを党首らに任せることなく連立不成立の機運へと導き、そのまま異例の早期解散総選挙へと持ち込んだ。2015年11月には公正と発展党は議席比率で過半数を回復し、単独政権を維持することに成功した。ダウトオールはある意味、選挙の洗礼を受けずにトップダウンで首相の座に座っていたが、この二つの選挙を通じて首相として国民の信任を得たはずであった。それにもかかわらず、2016年5月にエルドアンによって辞任を強いられたのである。

代わりに1990年代のイスタンブル市長時代から側近として彼を支え、公正と発展党政権下で長く交通・海運・通信大臣を務めてきたビナリ・ユルドゥルムが首相に据えられ、大統領制移行までの最後の首相を務めた。

2013年春以降、エルドアン政権は多くの国内外の政治的危機に直面してきた。2013年5月末からの反政府デモとそれへの過度な暴力的鎮圧政策に対する国内外からの批判、同年秋移行から年末にかけてのギュレン派との対立激化と政府要人やその親族の汚職疑惑、2014年秋のコバニの戦闘に象徴される、内戦中のシリアにおけるクルド自治地域宣言と連動したトルコ内でのクルド武装組織(PKK)の活動活発化やシリアで勢力拡大する「イスラム国」へのトルコ政府支援に関する国際的疑念の高まり、トルコ・ルートによるシリア難民の欧州流入をめぐるEUとの関係悪化、こうした過程全体を通じての、政府に批判的メディアや市民組織の弾圧・閉鎖、政治・市民活動家や学術研究者の不当な逮捕や長期拘留、パージが深刻化してきた。2016年5月にはクルド系左派の諸人民の民主党議員のパージを主目的として、当時、起訴されながらも不逮捕特権のゆえに裁判が行われていない議員について、その時点で起訴された案件を有する議員だけに限定して不逮捕特権を解除する時限憲法改正を実現した。この後、同党共同党首を始め多くの議員が逮捕され、有罪判決を受けて留置さることになる。2016年7月の失敗したクーデタはこうした流れをさらに加速させた。非常事態が宣言され、パージや政府批判への弾圧は空前の規模に達したこうした背景の下、2017年1月に大統領制移行のための憲法改正法案が国会で可決され、同年4月の国民投票によって僅差で承認された。

(3)2017年憲法改正による大統領制の特徴

2017年国民投票により導入された大統領制の概要は次の通りである。具体的には2018年6月の大統領選挙後に、大統領令によって新しい体制が次第に整えられていくことになる。

大統領と国会議員の任期と選挙(詳しくは「選挙制度」の項を参照)

大統領(40歳以上の高等教育修了者)と国会議員(一院制、定数600名、18歳以上に被選挙権)は同日選を基本とし、任期5年とされる。国会には大統領や内閣不信任決議の権利がない代わりに、定数の3/5(360)以上の議員の賛成を以って早期解散総選挙を行い、任期途中の大統領に選挙を強いることができる。大統領は原則3選禁止であるが、2期目に国会の早期解散総選挙によって任期が短縮された場合に限って3期目に立候補することができる。逆に大統領は、いかなる理由であれ、何時でも大統領選挙を決断できる。例えば、国会における党勢の改善を試みるたの解散総選挙も可能である。

大統領の権能

大統領は国家元首であり執政府の長として以下の権限を有する。国会が可決した法律を公布したり、国会に再審議のために差し戻したり、国会内規や憲法に反しているとして憲法裁判所に廃止を求める裁判を起こすことができる。国会議員被選挙権を有する国民の間から副大統領や閣僚を任免する。幹部職官僚を任免する。国際条約を批准し公布する。国家安全保障政策を策定し、必要な対策をとる。トルコ国軍の出動を命じる。受刑者の病気や障害、高齢を理由として量刑を減免する。予算と決算の法案を国会に提出する。

また非常に重要な権限として、執政にかかわる大統領令を発布でき、そこには、省庁設立・廃止、目的と権限、組織構造、省庁の中央と地方の組織設立の決定も含まれる。大統領令は国会の承認を必要としないため、大統領は大統領令を以ってほとんどありとあらゆる執政を単独の意思で行うことができる。管見の限り、憲法による大統領令発布制限要件は以下のとおりである。憲法の人権や個人の権利義務にかかわる政治的権利義務と関連すること、特に法によって規定すると憲法が定めていること、既存の法律に明文規定があること、である。大統領令と法律が矛盾する場合、法律が優先する。大統領令の規定と同じ事柄について法律を制定した場合、法律が優先する。ただし、このような大統領令制限を要する条件が生起した場合に、どのような手続きで制限を実行するのかは憲法では定められていない。大統領が人権等にかかわる憲法上の規定に反する執政を許されるのは、非常事態宣言下で発令する大統領令によってである。ただし、そのような大統領令は、3か月以内に国会の承認を得る必要があり、さもなくば3か月をもって自動的に無効となる。換言すれば、3か月を上限とする人権侵害が大統領の単独の判断で可能となる。

司法との権力分立は以前に増して大統領の影響が大きくなった。判事と検事の人事を司る判事・検事高等会議の名称が判事・検事会議と改められ、委員数は22名から13名へと削減された。法務大臣と法務次官が職権の一部として会議構成員となることが規定されているが、この2名は大統領の政治任用による。その他、大統領は判事と検事の中から4名を選ぶことが規定された。直接的に選出できることになる。他方で、国会は4名を最高裁判所や行政最高裁の判事から、3名を大学の法学部教授と弁護士から、計7名を選ぶ。国会は当然ながら数的に勝る与党の意向が反映されやすく、大統領と同じイデオロギー的立場の委員や大統領が御しやすい委員が多数を占めやすい懸念がある。

大統領制移行は2018年6月の大統領選挙を以って行われたが、大統領が選出後も党籍を維持することを認める改正は、2017年国民投票後に直ちに施行された。2014年の大統領当選に伴って党籍を離れていたエルドアンは、2017年5月に公正と発展党の党籍を回復し、同時に党首に就任した。

<国会の権能

国会は立法、予算と決算の法案の審議と承認、通貨発行、交戦権発動、国際条約批准の承認、定数の3/5以上の賛成による恩赦が特に憲法改正法案で明記されている。他方で、大統領令という立法に基づかない執政手法に広大な執政領域が付与されているために、立法府として行政上のルールを整え、執行府をチェックするという一般的な存在理由が事実上はどれだけあるのか疑問である。選挙制度の項目で説明するように、新体制においても従来通りのドント式の大選挙区制がとられており、議会の過半数が大統領の所属政党の議員で占められている場合、国会は形式的存在となる可能性が強い。また、民主的体制では国会には執政府のチェック機関としての役割が期待されるところであるが、前述のように大統領不信任決議の権限はなく、自らの任期を犠牲にして大統領選挙を前倒しさせる以外に大統領の政治責任を問う手段はない。

大統領に対する刑事的訴追権については以下の通りである。大統領が刑法上の犯罪を行ったとして国会の過半数が訴追を提案し、定数の3/5以上の秘密投票により可決した場合、会派勢力比に応じて訴追委員会が結成される。同委員会は2か月以内に訴追報告書を国会議長に提出する。訴追報告書は国会で審議されたのちに、定数の2/3以上の賛成(秘密投票)をもって弾劾法廷(実質は憲法裁判所)に送致される。訴追プロセス中の大統領は早期選挙決定権を行使できず、弾劾法廷で有罪となった大統領は失職する。大統領就任中に犯したとされる犯罪行為については、退任後も上記の訴追手続きが適用される。現行の制度では、大統領が党首として党内人事と国会議員候補者リスト選定の権力を一手に握っている。ために、大統領所属政党が2/5以上の議席を占める国会では、訴追による大統領解任はかなり困難である。ちなみに、副大統領と大臣についても職務に関連して行ったとされる犯罪の訴追については大統領と同じ手続きが適用される。職務と無関係の犯罪行為については議員の不逮捕特権規定が適用されるとされ、就任中の司法的処罰適用は国会の決定による。離任後は不逮捕特権は終了し、就任期間は時効期間に参入されないため、副大統領や大臣に対して任期後に刑事責任を問う可能性は広く開かれている。これに対して、職務関連かどうかにかかわりなく大統領の就任中のあらゆる犯罪行為について訴刑事責任を問うためにクリアーすべき条件はかなり厳しい。

2017年憲法改正案は大統領制への急な移行のために用意されたため、10年以上にわたって国会や市民社会で議論されてきた、軍事政権が制定した現行憲法を市民的かつ民主的な精神に基づいた新憲法に置き換えるという精神とは程遠い内容の、既存憲法の部分的変更にとどまった。しかも、大統領制移行による制度改編の全貌もはっきりしないままに、さらにいえば国家機構改編という強大な権限が一任された大統領に、権威主義化を強める現職大統領がが選出された。大統領をチェックするための権力分立の回避が意図された制度だとして、トルコ国内では「トルコ風大統領制」とも呼ばれるが、危機に際してトップダウンで迅速な執政を目指したものだとしても、国内外の危機や不安を長期的に収束するものとして機能するか、未知数である。

(4)大統領制による内閣発足後の動きについて

 エルドアン新体制は7月10日に最初の大統領令(Cumhurbaşkanlığı Kararnamesi)であるを発布(議会の承認不要)して始動した。これにより、旧来の26省体制を16省に整理するとともに、省以外の主要組織の位置づけや責任関係が明文化された。

主要閣僚の配置

同大統領令と同時に閣僚名簿も発表された。改選前の内務相、法務相、外相の留任、選挙前の国軍参謀総長の国防相就任という布陣から、国内外のクルド問題やシリア内戦をはじめとする外交政策での現状維持路線が予測される。また、国庫・財務大臣には、改選前にエネルギー相だった娘婿のべラット・アルバイラク(Berat Albayrak)が横滑りした。アルバイラクは経営学で博士号を取得し、エルドアン政権との結びつきの深さで知られるチャルク財閥(Çalık Holding)で経営責任者を務めるなど、経営畑を歩んできた。しかし、自らを抜擢してくれたカリスマ的な義父の意向に反した政策が財政政策的に不可欠と思われる場合に、エルドアンに意見することは恐らく困難である。エルドアンは、不況脱出という火急の問題への対応に加え、国家予算執行全般についても、自らの意向が最もスムーズに反映できる体制を整えたといえる。

軍に対する文民統制の完成

大統領制移行に伴う省庁再編は、エルドアンやトルコのイスラム復興勢力の多くにとって積年の課題だった、軍部に対する文民統制の完成という点でも、大きな意味をもった。まず、大統領令第4号により国防省の管轄下に軍が置かれることが明記された(第799条i項)。この大統領令以前には、トルコ国軍は多くの国に一般的な国防省の管轄下ではなく、議院内閣制における最高政治責任者としての首相に対して、内閣が策定した軍事政策の実施に関わる責任を負っていた。他方で2013年夏に「国軍内規に関する法」(Türk Silahlı Kuvvetleri İç Hizmet Kanunu)が改正されるまでは、対外脅威に対する国土防衛と並んで、「憲法が規定するトルコ共和国の守ること」が国軍の主要任務であった。これはイスラム復興運動やクルド民族主義運動が従来の政治体制の変更、つまり、世俗主義を放棄してイスラム的政策を容認したり、トルコ民族主義的中央集権体制を緩和して国民の多様なアイデンティティに応じた多元主義的・地方分権的統治システムを取り入れる、といった政治要求の高まりを阻止するために、内政に干渉し、場合によってはクーデタを実行して軍事政権を敷き、そうした「国内的脅威」を除去することも、軍の主要任務であることを意味する。実際、内政への軍の介入は様々な形で実施され、トルコの民主主義の成熟という点で、長く主要な課題とされてきた。

この内政に関わる任務が政権や国会に対する政治監督者の地位を意味したがゆえに、軍は政権や司法に対して事実上は高度な自律性を維持してきた。2002年以来続いた公正と発展党単独政権が一歩ずつ実現してきたのが、このような軍の高度な自律的地位をはく奪し、文民統制を法的にも実際的にも確立することだった。二つの象徴的変化を取り上げるとすれば、一つは、かつて軍が憲法上の多様なメカニズムを通じて「国内的脅威」の排除に務めてきたが、そのメカニズムを着実に切り崩してきたことである。高等教育や放送に関わる大枠を設定する会議体に憲法規定として配置されていた軍代表ポストが2004年にまず廃止された。上述の2013年の法改正では、「国内的脅威」から体制を守ることが軍の主要任務から削除された。

また、より短期的な安保・治安政策を策定する国家安全保障会議と、軍に関わる法規定やより中長期的安保政策について議論する高等軍事評議会は、かつては圧倒的に軍中心のメンバー構成だったが、文民優位の構成へと再編されてきた。特に後者については、思想・イデオロギー的理由から軍人のパージを決定する会議体としても長く機能してきたが、2016年クーデタ後の対応として組織改編がなされた際にようやくその機能は廃止された。同時に、かつては首相と国防相のみの文民委員に対して参謀総長以下、ジャンダルマを含む4軍司令官やその他の陸・海・空軍大将(orgeneral、oramiral)などが居並んでいたものを、クーデタ後に軍委員を削減し、代わりに外務や内務、法務など主要閣僚を配置して人員バランスを調整していたが、今回の大統領令ではさらに国庫・財務相、国民教育相が新たな常任委員に加わった。従来、軍は予算に関してもかなりの自律性を持っていたと言われるが、文民委員の布陣は、予算に関しても文民政権の切込みが始まる可能性を示唆している。

軍部の政府との責任関係という観点からいえば、大統領令第4号により参謀本部が国防省所管となったことは述べたが、参謀本部だけでなく、陸・海・空軍司令部(komutanlıklar)はそれぞれが個別に(つまり参謀本部とも別個に)国防省所管となり、それぞれのトップは個別に(つまり参謀総長経由ではなく、直接的に)国防相に対して責任を負うことが規定された。ジャンダルマは2016年クーデタ後にすでに内務省所管になっていたため、今回のこの組織関係再編によって、軍全体の文民政府に対する一体としての自律性が法的には解体されることになった。人事権も、幹部階級の将官(general、amiral)については大統領の(大統領令第3号第9条)、その下の階級の士官(subay)については国防相の権限となった。従来、NATOの首脳会議や国防相会議に参謀総長はプロトコルの上下関係が曖昧だったために参加しなかったが、こうして文民統制の組織間関係が確定したことに伴い、今後は文民政治家を背後から補佐する役割で参加するとみられる。参照

もう一つの文民統制強化への変化としては、軍を司法的にも文民システムに組み込むことが目指された。1961年以降、トルコでは軍関連の裁判所が複数設立され、いわゆる軍内部の規律に関わる案件以外についても、何らかの点で軍に関わる限り、全てこれらの裁判所で扱われてきた。例えば、軍の敷地で発生したが、他国であれば一般の刑事事件として文民裁判所で扱われる案件であっても、軍内部の裁判所の管轄とされた。つまり、軍関連の裁判所の管轄は非常に広範で、文民裁判所はその軍関連裁判所の管轄事項について別途、審理を進めることはできなかった。しかし、2004年の国家治安裁判所廃止を皮切りに、2010年には軍幹部が憲法裁判所における弾劾法廷で裁かれる道が開かれ、軍内部司法機関の管轄から民間人の関与する案件が除外されることになるなど、軍の司法的自律性は浸食されてきた。2017年の大統領制移行に関する憲法改正案には、残る軍関連裁判所にかかるすべての憲法規定が削除される条項が盛り込まれており、しかも国民投票により承認されたのちには直ちに適用される条項とされたため、国民投票の承認後に軍関連裁判所は早速、廃止されている。

こうした文民統制の確立期に政府と軍部の結節点である国防相人事は大統領と軍の双方に信頼関係があり、経験に依拠した権威を示せる人物である必要がある。その要職には前参謀総長のフルスィ・アカル(Hulusi Akar)が任命された。トルコ国軍は世俗主義の擁護者を自任し、しばしば内政や組閣人事に介入し、文民政権からほとんど独立して作戦を実行する伝統を有していたが、エルゲネコン裁判による軍幹部パージ以降、政権とイデオロギー的に近い軍幹部が登用されてきた。アカルもそうした一人であるが、2016年クーデタを起こした組織のトップとしての責任追及を免れていた。それは逆に言えば、政権とイデオロギー的に近い幹部の手薄さを示すとも言えよう。当面は、エルドアン大統領を前参謀総長の新国防相が補佐しながら、人事面でも精査しながら新しいトルコ国軍の再編的立て直しが進められていくことになる。

非常事態宣言の終了

選挙後の7月21日をもって非常事態は終了した。2016年7月の失敗したクーデタ後に非常事態宣言が発布されて以降、政権は3か月ごとに更新してきたが、新体制発足後に政権がその更新手続きを取らなかったことによる自動的な終了であった。選挙までと比べて、治安に関わる状況が大きく変わったわけでは特になく、むしろ選挙戦を非常事態宣言下で行うことが政権の有利に働くために、漫然と延長し続けたという見方もできよう。他方で、クーデタやクルド問題にかかわる警察の取り締まりや司法手続き・判断に非常事態宣言終了が大きな意味をもつかもはっきりしない。新体制下で政府批判勢力に対してどのような対応がとられていくのか、現段階で見通すのは難しい。

参考文献