「中東」カテゴリーの記事一覧

2021年9月21日

リビア/現在の政治体制・政治制度

2011年の「アラブの春」にともなう内戦とカダフィ政権崩壊を経て、現在(2021年8月時点)のリビアでは議院内閣制が採用されている。その根拠は、「憲法宣言(Constitutional Declaration)」(2011年8月発表、その後随時修正)および「リビア政治合意(Libyan Political Agreement)」(2015年12月締結)である。ただし、2021年12月24日に予定される国政選挙(大統領・議会選挙)をめぐり、今後政治制度が大きく変更される可能性がある。

「リビア政治合意」にもとづき、2016年1月に「国民合意政府(Government of National Accord: GNA)」が発足した。その後、2020年1月の独ベルリンでのリビア安定化に関する国際会議(Berlin International Conference on Libya)、2020年11月に発足した「リビア政治対話フォーラム(LPDF)」での議論にもとづき、2021年3月に国民統一政府(Government of National Accord: GNU)が設立された。GNUはあくまでも暫定政権という位置づけであり、任期は2021年12月24日に予定される国政選挙(大統領・議会選挙)の完了までと定められている。同政府の体制はアブドゥルハミード・ドゥバイバ(ドベイバ)首相以下、副首相2名、閣僚35名(うち国務大臣6名)で構成される。国防相は政治対立を避ける意図から空席のまま発足した。また、大統領と同様の立場で外交・内政の儀礼的役割を担う首脳評議会(Presidential Council: PC)が存在し、議長と副議長2名が東・西・南の地域から1名ずつ選出される。

立法府は2014年7月の選挙によって選ばれ、リビア東部のトブルクに拠点を置く代表議会(House of Representatives: HOR)が担う。また、トリポリに拠点を置く高等国家評議会(High Council of State: HCS)は政府の諮問機関として、GNCが議決した重要法案を承認・拒否する権限を持ち、GNUが提出する法案や国際的合意に対しても法的拘束力のある意見を提示できる。

「憲法宣言」

「憲法宣言」は内戦中の2011年8月3日、反体制派勢力である国民暫定評議会(National Transitional Congress: NTC)によって締結、同月10日に発表された。同宣言はいわば草案であり、議会による修正および承認決議を経て、国民投票によって3分の2以上の承認を得れば正式な憲法として制定される。

同宣言が締結された時点では、2012年7月の国民議会(GNC)の設立後すみやかに憲法起草委員が任命され、正式な憲法の起草・制定が行われると見込まれていた。しかし、憲法起草委員を選挙によって選ぶこととなり、またリビアの政治情勢が混乱したことから、2021年8月に至るまで正式な憲法は制定されていない。代わりに、GNCやGNCは「憲法宣言」を修正することで政治プロセスを進めてきた。2021年12月に予定される国政選挙の後、憲法承認のための国民投票の実施が見込まれている。

「憲法宣言」第1条には、リビアが民主国家であること、首都はトリポリであること、国教はイスラームであり、イスラーム法(シャリーア)が法制度の根源であるが、国家は非ムスリムにも信仰の自由を保障すること、公用語はアラビア語であることが定められている。また、「少数民族」という言葉は用いられず、「リビア社会の構成要素(components of the Libyan society)」として示され、アマージグ(ベルベル)、トゥーブ、トゥアレグに対して言語的・文化的権利を保障するとされている。

第4条には、国家は、政治的多元主義と多党制に基づく政治的民主制の確立に努め、権力の平和的・民主的交代を実現すると定められている。

第9条には、祖国の防衛、国家の団結の維持、文民統治・憲法・民主的制度の維持、市民の価値観の順守、地域・部族・氏族にもとづく対立との戦いは、全国民の義務であると定められている。

カッザーフィー政権期の法制度について、第35条では、既存の法律は修正・廃止されるまで、「憲法宣言」の内容と矛盾しない限りにおいて有効であると定められている。前政権で定められた法律における政治機構への言及は、国民暫定評議会や今後の移行政府に置き換えられる。また、カッザーフィー政権期の正式な国名「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒーリーヤ国(Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya)」は、「リビア(State of Libya)」に置き換えられる。

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2021年9月21日

リビア/最近の政治変化

国民合意政府(2016年1月〜2021年3月)

カッザーフィー政権崩壊後、2012年7月の選挙を経て国民議会(GNC)と新内閣が発足したが、同議会の一部議員が2014年6月の代表議会(HOR)設立に抵抗し、傘下の民兵組織を動員してHORを攻撃した。このため、HORは首都トリポリから退避し、東部の都市トブルクに議会本部を設置した。これがいわゆる「東西対立」の発端である。GNCとHORの対立は行政の不機能や治安悪化、アルカーイダや「イスラーム国」などジハード主義組織の伸長につながったため、国連や欧米、周辺諸国が和平調停を進め、モロッコでのGNC・HOR間の協議によって2015年12月17日、「リビア政治合意」が締結された。

同合意は統一政府である国民合意政府(GNA)を樹立し、 HORを立法府として、GNCを高等国家(HCS)に改称して政府の諮問機関とすることを定めた。2016年1月に発足したGNAは、2021年3月のGNU発足まで「正式な政権」として国際的に承認されていた。同政府においてはファーイズ・サッラージュ首相が「首脳評議会(PC)」の議長を兼任し、PCは首相1名、副首相3名(東・西・南の地域から1名ずつ)、国務大臣2名で構成されていた。

「リビア政治合意」の狙いは、対立していたHORとGNCを新政府の下に統合し、国内対立を解消することであったが、今度はGNAとHORの対立が勃発した。HORはGNAの信任投票を行わなかったため、同政府の法的基盤は2021年3月の解散まで脆弱なままであった。また、HORは東部のトブルクに拠点を置いたまま、東部独自の内閣や中央銀行、石油公社、その他政府機関を設立してGNAに対抗した。これにより、東西政府機関の統合が政治プロセス進展や国民生活改善の障害となっている。さらに、HORがハリーファ・ハフタル率いる軍事組織「リビア国民軍(LNA、後述)」を支援したことで、国内の軍事対立が激化した。

大統領・議会選挙に向けた動き(2017~2019年)

2017年頃から、リビアの統治機構の再編と政治・治安の安定化を進めるため、選挙を求める声が主に国外で高まるようになった。 GNAは発足以来リビア全土を統治したことはなく、政治機構も脆弱で、リビアの安定化を主導することは難しいとみられていた。不安定なリビアが地中海を越える移民の玄関口となり、ジハード主義組織や武装勢力の拠点となり、治安悪化に伴う原油生産量の乱高下がグローバルな石油価格の変動要因となっている現状は、周辺国にとって大きな脅威だと認識されてきた。

さらに、GNAの任期の問題もあった。リビア政治合意には、GNAの任期は HORによる信任決議から1年間とされ、この間に憲法が制定されなければ1年のみ延長が認められると明記されている。また、憲法がGNA設立後2年以内に制定された場合は、その時点で任期が終了する。GNAが最初の会合を行ったのは2016年1月6日であり、これを起点とすれば2018年1月6日でGNAの任期は終了することになる(ただしHORはGNAの信任投票を行わなかったため、GNAの任期のカウントダウンはそもそも始まっていなかったというロジックも成り立つ)。

2017年9月20日、国連リビア支援ミッション(United Nations Support Mission in Libya: UNSMIL)のサラーマ代表は、リビアを安定化させるための「アクション・プラン」を発表した。それは、①全土での国民対話の実施、②リビア政治合意の修正とGNAの組織改革、③憲法制定のための国民投票、④大統領・議会選挙を行うための法制度の整備という4つの柱からなる。また、UNSMILは2017年末の時点で、リビアの移行期間は2018年で完了すると述べ、同年中に大統領選挙を予定していることを明らかにした。

2018年5月29日、フランス・パリにおいて、リビアの諸勢力を招いた会談が行われた。この会談で、遅くとも同年12月10日までの大統領・議会選挙の実施および9月16日までの憲法草案と選挙法案の制定で合意された。しかし、大統領制を導入するための準備は進まなかった。カッザーフィー政権崩壊後のリビアは議院内閣制を採用しており、大統領に付与される権限、大統領と軍、議会および内閣との関係、議会の規模などを取り決めるための法的枠組みは存在しなかった。また、国軍の最高指揮権や任命権、中央政府と地方政府の関係なども不透明なままであった。

これらを規定するのが憲法と選挙関連法案ということになるが、立法権を持つHORは憲法制定のための国民投票に関する法案審議を何度も延期してきた。このため、高等選挙委員会(HNEC)も法的・技術的な準備を進められず、選挙が2018年中に行われることはなかった。2019年2月のミュンヘン安全保障会議にて、サラーマUNSMIL代表は、大統領・議会選挙の実施は「2019年末が最も現実的だ」と述べた。そして、選挙プロセスを進めるために「国民対話」を行い、国内で対立する諸勢力の和平調停を行うと発表した。しかし、ハフタル司令官率いる「リビア国民軍(LNA)」が2019年4月からトリポリ侵攻を開始したことで、選挙や国民和解の動きは頓挫した(後述)。

トリポリ周辺での衝突(2019年4月~2020年10月)

2019年4月4日、ハフタルLNA総司令官は傘下の部隊にトリポリへの進軍を命じ、 LNAはリビア東部と南西部からトリポリに迫った。これをGNA傘下の軍や同政府を支援する民兵組織が迎え討ち、大規模な武力衝突に展開した。国連リビア支援ミッション(UNSMIL)は、2019年だけで戦闘による避難者が20万人を超えたと発表するなど、甚大な人道被害が発生した。

さらに、LNAをUAE、サウジアラビア、エジプトが、GNAをトルコが支援し、武器や戦闘員、軍事資金を提供したことで、紛争は国際化して「代理戦争」の様相を呈した。特に、ロシアは2019年9月頃からプーチン政権に近い民間軍事会社Wagnerの兵員を投入して、LNAへの軍事支援を強めた。サラーマUNSMIL代表は国連安保理にて人道状況の悪化に警鐘を鳴らし、同時に諸外国の軍事支援が戦況を激化させていると非難した。

戦況は膠着していたが、2019年11月のサッラージュGNA首相とエルドアン・トルコ大統領との会談で、両者は①両国間の安全保障協力、特にトルコからリビアへの軍事支援に関する覚書と、②東地中海における両国間の海洋境界設定に関する覚書に署名した。これを受けて、2020年初頭からトルコは軍事ドローンや装甲車とともにシリア人戦闘員のべ1万5千人以上を送り込み、GNAへの軍事支援を強化した。この結果、2020年6月上旬にGNA勢力がトリポリ周辺を制圧し、LNAは東部および南西部に撤退した。

LNAの撤退による戦況変化を受けて、国際社会は停戦調停を強化させた。2020年8月21日、GNAとHORが停戦合意を発表し、すべての勢力に対する戦闘の即時停止を求め、2021年3月までの大統領・議会選挙実施を提案した。10月23日にはGNAとLNAの軍事代表団がスイス・ジュネーブにて停戦合意に署名し、両勢力の戦闘を即時停止し、3か月以内に全ての傭兵や外国人戦闘員をリビアから退去させることで合意した。

その後、UNSMILの主導により、停戦合意の確認や選挙実施に向けた政治協議「リビア政治対話フォーラム(LPDF)」が10月下旬にオンラインで、11月上旬にチュニジアで開催された。LPDFでは停戦の実現と持続、18か月以内(2022年5月まで)の選挙実施が合意された。同フォーラムに参加する75人の代表( UNSMILが選定)は、公平性を担保するために新政府において公職に就く権利を放棄した。

国民統一政府の発足と選挙に向けた動き(2021年3月~)

LPDFでの協議を受けて、2021年1月30日にUNSMILは新統一政府の首脳候補者45人を発表した。首相および「首脳評議会(PC)」の議長と副議長(2人)の選出に向けて4つの候補者リストが示され、LPDF参加者75人が投票する形を取った。2月5日の第1回投票、続く決選投票の結果、首相に実業家のアブドゥルハミード・ドベイバ、PC議長(大統領級)にギリシャ大使などを務めたムハンマド・ユーヌス・メンフィー、同副議長にトゥアレグ族出身の政治家ムーサー・クーニー、および代表議会(HOR)議員アブドゥッラー・ラーフィーが選出された。新政府の任期は、12月24日予定の大統領・議会選挙までとなる。

3月10日、リビアの立法機関であるHORは、新政府「国民統一政府(Government of National Unity: GNU)」およびダバイバ首相率いる新内閣を承認した。GNAも遅滞なく行政権を委譲した。HORの議員ほぼ全員の新政府承認決議への出席、トリポリ政府に反発し続けてきたサーリフHOR議長や東部政府による新内閣の承認、LPDFのスケジュールに概ね沿った形での新内閣承認は、いずれも大きな政治的成果である。国連の粘り強い働きかけに加え、国内外で政治プロセス進展への期待が高まったことが要因とされる。

GNUは発足後、UNSMILや国際社会の支援を受けながら、2021年12月の選挙に向けた政治プロセスや国内の和解・調整を進めているが、東西の政府機関や国軍の統合、外国軍・外国人戦闘員および外国人傭兵のリビアからの撤退、行政サービスや基礎インフラの復旧、民兵問題、移民問題等、対処すべき課題は山積している。このような中、治安問題、選挙法制定及び憲法基盤をめぐる合意形成の遅れ等を背景として、期日通りの選挙実施が危ぶまれる向きもある(選挙の項目で詳述)。

なお、日本政府は国連開発計画(UNDP)を通じた国政選挙支援(選挙機材の提供)、JICAを通じた司法や経済産業開発に関する技術協力、国連機関を通じた人道・社会安定化支援により、リビアの政治プロセスを支援している。

ハリーファ・ハフタル

内戦以降のリビアの政治プロセスに大きな影響を与えてきたのが、リビア東部を実効支配する軍事組織「リビア国民軍(Libyan National Army: LNA)」のハリーファ・ハフタル司令官である。

ハフタル(1943年生)はカッザーフィーによる1969年のクーデターの同志であり、1986年にリビア・チャド紛争(1978〜1987年)の司令官となるが、敗戦しチャドにて投獄された。その後は米国に約20年間在住したが、2011年のリビア政変時に帰国し、反カッザーフィー勢力を軍事的に指揮して台頭した。2014年5月にはリビア東部にてLNAを率い、国軍、部族勢力、民兵組織などの諸勢力と「尊厳作戦(Operation Dignity)」を立ち上げ、リビア国内のアルカーイダ系組織を含むイスラーム主義勢力への攻撃を開始した。また、2015年3月にはHORの軍総司令官に就任した。

LNAはジハード主義組織やイスラーム主義系の民兵組織に軍事的に対抗できるほぼ唯一の勢力であり、エジプトやUAE、サウジアラビアといった域内諸国だけでなく、欧米やロシアからも支援を受けた。しかし、ハフタルは2016年の「リビア政治合意」とGNA設立を外国の内政干渉として批判し、GNCの強硬派と連携してGNAに反発した。GNAの治安維持・法執行能力は脆弱であり、当時LNAは国軍や警察を凌ぐ軍事力を有していた。また、リビア東部地域を実効支配し、諸外国の支援を受けて支配圏を拡大した。

2019年1月、LNAはリビア南西部に進軍し、敵対する地元の民兵組織などを掃討して拠点を確保した。これによりハフタルの勢力圏は東部だけでなく南西部へと拡大され、主要な油田の大部分も同軍の支配下に入った。自信を高めたハフタルは2019年4月にLNAに対してトリポリ侵攻を命じる(前述)が失敗に終わり、2021年3月のGNU発足を受けて軍事力および政治力は大きく減衰した。しかし、2021年5月にはLNA設立7周年を祝う大規模な軍事パレードを東部で開催したり、東部や南西部で「対テロ作戦」を名目とした軍事活動を継続するなど、依然として一定程度の影響力を維持している。今後は12月に予定される大統領・議会選挙をめぐる動向が注目される。

他方で、ハフタルは高齢に加えて健康面でも不安を抱えており、その影響力は持続的ではないとの見方もある。現在は、長男サッダーム、次男ハーリドに加えて、同じファルジャーニ部族出身の2人を加えた4人のLNA高官が「ポスト・ハフタル」における重要人物だとみなされている。ただし、LNAはハフタル個人の圧倒的な影響力や諸外国とのネットワークによって存続しており、彼が病気や死亡によって不在になればLNAは求心力を失い、内部抗争が激化するという見方が強い。

国連リビア支援ミッション

国連リビア支援ミッション(UNSMIL)は内戦中の2011年9月に「国連安保理決議2009号」によって設立が承認された。その主な目的は以下の通りと定められている。

  • 公共の安全および秩序を回復し、また法の支配を促進すること
  • 包括的な政治的対話を行い、国民和解を促進し、また憲法起草と選挙プロセスを始めること
  • 説明責任のある制度と公共サービスの回復強化を含む、国の権限を拡大すること
  • 人権、特に脆弱な集団に属する者に対するものを促進し保護すること、および移行期司法を支援すること
  • 初期の経済回復のために要求される迅速な措置を講じること
  • 適切な場合には、他の多数の関係者および両関係者から要請される支援を調整すること

UNSMILはリビアの和平や国家建設に取り組み、全国・地方選挙、2016年リビア政治合意の締結、対立する諸勢力の調停、諸外国のリビア支援の調整などを行ってきた。しかし、米、露、仏といった国連安保理の常任理事国がリビアに対して独自の関与を続ける中で、UNSMILおよび国連はリビアの安定化に向けた取り組みを進めることができなかった。

2017年からUNSMIL代表の座についたレバノン人のガッサーン・サラーマはリビア安定化に向けた「アクション・プラン」を発表し、①全土での国民対話会議、②「リビア政治合意」の修正と GNAの組織改革、③憲法制定のための国民投票、④大統領・議会選挙を行うための法制度の整備を進めようとした。しかし、エジプト、UAE、フランス、イタリアが国連との十分な調整を行わないままに独自の「和平会議」を開催したことで、国連主導の政治プロセスは阻害された。さらに、2019年4月以降のトリポリ周辺での衝突を受けて国民対話会議や大統領・議会選挙が暗礁に乗り上げ、諸外国の利害対立によってリビア安定化のための国際的な協力も進まない中、2020年3月にサラーマ代表の辞職が発表された。

サラーマ代表の辞職以後、それまでUNSMIL副代表を務めていた米国人外交官のステファニー・ウィリアムズが代表代行に就任し、GNAとLNAの停戦、国内和解と政治プロセスの進展、諸外国の軍事介入の停止を精力的に進めた。この結果、LPDFでの議論を通じてGNUの設立や2021年12月24日を目標とする大統領・議会選挙の実施が合意された。2021年1月には在レバノン国連特別調整官や国連イラク支援ミッション(UNAMI)代表などを務めたジャン・クビシュが国連事務総長特使・UNSMIL代表として着任した。また、2020年12月からジンバブエ出身のライセドン・ゼネンガが副代表・ミッション調整官を、2021年1月からカナダ出身のジョルジェット・ギャノンが副代表・常駐調整官(人道・人権担当)を務めている。

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2021年9月21日

リビア/選挙

国民議会選挙(2012年7月)

2011年10月20日のムアンマル・カッザーフィー(カダフィ)殺害後、反体制派勢力である国民暫定評議会のムスタファー・アブドルジャリール議長は10月23日に「リビア全土の解放」を宣言した。「憲法宣言」第30条には、リビアの解放(カッザーフィー政権の崩壊)宣言後、国民暫定評議会は移行政府として再編成され、3ヶ月以内に①国民議会(GNC)選挙のための法案整備、②高等選挙委員会の任命、③GNC選挙への呼びかけを行うことが定められていた。また、リビアの解放後8ヶ月以内に国政選挙を行い、それから1年以内に議会と大統領選挙を実施すると定められていた。

2012年7月7日、GNC選挙が実施された。定数の200議席のうち80議席が政党別に選出される比例代表方式、残りの120議席が個人選出方式に割り当てられた。人口比などに基づき、国内主要3地域の議席配分は、首都トリポリを含めた西部100、東部60、南部40と定められた。女性や少数民族向けの議席割り当て(クォータ)はなかった。

選挙では、142の政党から合計で約3,700人(個人候補者約2,500人、比例代表候補者約1,200人)が立候補し、女性候補者も600人を超えた。選挙委員会の発表によれば、投票率は約60%(投票者170万人/登録有権者約280万人)という結果となった。

しかし、議席配分に不満をもつ東部地域では、連邦化や東部の自治権向上を主張する勢力がボイコットを呼びかけた。放火されたり、脅迫により閉鎖されたりした投票所もあった。

議席を獲得した政党は以下の通りである。

  • 国民勢力連合:39 議席(得票率 48.8%)
  • 公正発展党(ムスリム同胞団系):17 議席(21.3%)
  • 国民戦線党:3 議席(3.8%)
  • 民主主義と開発のための Wadi Al-Hayah 党:2 議席(2.5%)
  • 祖国のための連盟:2 議席(2.5%)
  • 国民中道潮流:2 議席(2.5%)
  • その他:15 議席(18.8%)

「憲法起草委員会」選挙(2014年2月)

2014年2月20日、憲法起草委員会(Constitutional Drafting Assembly)の選挙が実施された。「憲法宣言」ではGNCが60人の憲法起草委員を任命すると定められていたが、2012年7月の国民会議選挙の直前に、国民暫定評議会が同宣言を修正し、憲法起草委員会を国民投票によって選出すると決定した。そして、2013年4月にGNCが同委員会の選挙の実施を決議した。

「60人委員会」とも呼ばれる憲法起草委員会の60議席は西部、東部、南部の3地域に各20席に振り分けられ、そのうち女性に6議席、少数民族(ベルベル、トゥアレグ、トゥーブ)に2議席ずつが割り当てられた。GNC議員、国民暫定評議会議員、カッザーフィー政権の幹部、軍人、過去に有罪判決を受けた者には立候補資格は与えられなかった。すべての議席は個人選出方式に割り当てられた。

定員60名に対して立候補は649人(うち女性64人、少数民族20人)であった。選挙日が公式に発表されたのは2014年1月下旬(選挙日の約3週間)であり、有権者が候補者に関する情報を得る機会は限定的であったとの指摘もある。さらに、ベルベル(アマージグ)とトゥーブの人々が、少数民族向けの議席割当(2席ずつ)は過小であり、憲法にマイノリティの権利が反映されないとして本選挙をボイコットした。治安の悪化や地元住民の反発により、1,496の投票所のうち115か所では投票が実施されなかった(このうち一部では再選挙が実施された模様である)。

結果として、有権者登録は約110万人、そのうちの投票率は約46%(投票者約50万人/登録有権者約110万人)にとどまった。60議席のうち13議席は空席となった。

代表議会選挙(2014年6月)

2014年6月25日、代表議会(HOR)選挙が実施された。GNC選挙とは異なり、定数の200議席のすべてが個人選出方式に割り当てられた。これは、選挙運動が暴力化や政党間の抗争を防ぐためだとされる。32議席は女性に割り当てられた。

選挙では、1,714人(男性1,562人、女性152人)が立候補した。ただし、カッザーフィー政権の元職員が公職に就くことを禁止する「政治的隔離法」にもとづき、41人の候補者は資格をはく奪された。

GNCの機能不全やリビア全土での治安悪化などを受けて、政治に対する国民の信頼は低下しており、有権者登録数は約151万人、投票率は42%(投票者63万人/登録有権者約151万人)という結果となった。2012年のGNC選挙と比較すると、投票者は約110万人、登録有権者は約130万人減少した。投票所の閉鎖や候補者の不在といった理由から12の議席は埋まらなかったが、再選挙は実施されなかった。

あくまで暫定的立法府であったGNCとは異なり、GNCは正式な立法府と位置付けられた。しかし、GNCの発足をもって解散する予定であったGNCの一部の議員が、GNCの設立手続きが違法であるとしてGNCの存続を主張し、独自の内閣である「国民救済政府(National Salvation Government)」を形成した。ここにおいて、リビアの東西に2つの政府が並存する事態が発生した。GNC(在トリポリ)とGNC(在トブルク)の対立は全国に拡大し、リビア国内の治安悪化やジハード主義組織の伸長につながった。

次期大統領・議会選挙に向けて

暫定政権である国民統一政府(GNU)は2021年12月24日の選挙実施を最大のマンデートとしているが、HORやHCS(GNCを母体とする政府諮問機関)は政治的利権の維持など独自の思惑を持って動いており、選挙プロセスは難航している。HORは選挙法案の決議を先延ばしし続けているほか、選挙によって既得権益を失うことを恐れる政治勢力を中心に、国政選挙に先駆けて、時間がかかる国民投票を通じた憲法制定を行うべきとの主張が繰り返されている。また、国民の間では、大統領に強大な権力が付与されることによる独裁体制の復活や国内対立の激化を恐れる意見も根強い。

次期選挙の準備は過去の選挙と同様に、高等国家選挙委員会(High National Electoral Commission: HNEC)が進めている。2011年に設立されたHNECは国政選挙の運営・実施を任務とする独立機関であり、2012年から2014年にかけて2度の国政選挙を実施してきた。特定の省庁には属さず、議会(HOR)のみに報告義務を負う。2021年8月現在、25の地方事務所と約350人の職員を擁している。対立の激しい情勢下においても、中立で信頼できる独立機関としての立場を確立しており、HNECの現地事務所は東西双方の勢力から支援を受けていた。また、UNDPがPromoting Elections for the People of Libya (PEPOL)という事業を通じてHNECに対する技術支援を行っている。

次期の大統領・議会選挙に向けて、2021年7月4日から8月17日にかけて追加の有権者登録が行われ、HNECは登録者合計を286万人(有権者全体の約63%)と発表した。新規登録者は52万人であり、紛争の影響を受けて退避した2万5千人は不在者投票という扱いになる。これに若干の在外投票登録者が加算される見込みもある。

9月9日にはサーリフHORが承認・署名した大統領選挙法(後述)がHNECおよびUNSMILに送付され、直後にクビシュUNSMIL代表は同法を承認する声明を発出した。ただし、9月中旬時点では議会選挙法が未承認である。また、大統領選挙法はHORの承認決議を経たわけではなく、サーリフHOR議長が一方的に発表したものであるため、これをUNSMILが「承認」したことは反発を呼ぶ可能性がある。また、高等国家評議会(HCS)は選挙法の発効には同機関の承認が必要だと主張しており、今後拒絶すると見られている。そうなれば、HCSが影響力を持つリビア西部の勢力が選挙妨害に動く恐れもあり、依然として選挙プロセスは流動的である。

2021年8月時点で大統領選への出馬を表明している者は少数である。2018年3月、元UAE大使のアーリフ・ナイードが、大統領選への立候補を表明した。ナイードは1990年代後半からリビア通信公社に勤務し、現在はヨルダンに拠点を置くテレビ局を経営している。彼はエジプトとUAEから支援を受けているとされ、ハフタル支持を公言している。また、2021年7月末にはカッザーフィー前指導者の次男であるサイフ・イスラームが2011年の内戦終結後約10年ぶりに欧米メディアに登場し、大統領選への出馬や政界への再復帰を示唆した。ただし、サイフ・イスラームは国内および国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状を発行されており、出馬には多くの制限があると考えられている。

国際社会は一致して次期選挙を支援しているものの、その内実は多様である。米国は「リビア・トラップ(政府や議会の任期が切れ、正統性が失われた状態が継続すること)」による政治の不安定化を回避するために、スケジュールに沿った確実な選挙実施を最優先としており、リビア国内の主要アクター及び関連する諸外国に圧力をかけながら、積極的な働きかけを行っている。大統領選挙法が発表された直後には、米・英・仏・独・伊の在リビア大使館が合同で、期日通りの選挙実施を支援する共同声明を発出した。この背景には、トルコがGNAと結んだ安全保障協力を盾に自国軍の撤退を拒絶していることから、新政府の設立によってトルコとの合意を破棄し、リビア国内からの外国軍・傭兵の撤退を進めたい思惑がある。一方で、トルコやロシアは新政府の設立による自国の影響力低減を防ぐべく、選挙日程の後ろ倒しに向けて水面下で様々な働きかけを行っているとされる。また、上述の通り選挙実施に向けた法的な正統性が不十分であったり、大統領選における政治的暴力のリスクがあることから、国連や欧米諸国からも性急な選挙実施への懸念が指摘されている。

大統領選挙法(2021年9月9日発表)

選挙概要

(第5条)国家元首(大統領)の地位をめぐる選挙戦は、国全体を対象とした単一の小選挙区制に基づいて行われる。大統領候補者が有効投票総数の50%+1票を獲得した場合、当選者とみなされる。投票日に有効投票総数の50%+1票を獲得した候補者がいない場合は、最大の有効投票数を獲得した候補者が第2回投票に参加し、第2回投票で最大の得票数を獲得した候補者を当選者とする(注:決選投票に参加可能な候補者の人数は明示されていない)。

(第16条)大統領選出のための手続きの開始日、選挙日、決選投票日は、HNECの提案に基づいてHORによって決定される。

(第17条)立候補登録は、HNECが指定する期間内(登録開始日から10以上30日以内)に、指定された様式でHNECに提出する必要がある。この際、必要な資料を別添する必要がある。

(第19条)HNECは立候補者の申請を審査し、憲法宣言や選挙関連法で定められた条件の充足について確認し、登録期限の終了後5日以内に立候補可否を決定する。

(第34条)投票期間は特定の日の朝8時から夜8時までとし、投票センターの代表が同センター内で投票手続き終了を宣言する。ただしセンター内に未投票の投票者がいる場合は、所定期間後も投票手続きを継続するものとする。投票手続きの終了が宣言された後、投票センター代表及びスタッフ、オブザーバー、候補者代理人の立ち会いのもと、投票所内で直ちに票の選別および集計が開始される。

(第37条)投票手続きの終了後、HNECは10日以内に結果速報を発表する。

大統領の権限(第15条)

  1. 国の外交関係を代表する。
  2. 首相の選出、組閣の指示、解任。副大統領の選出。ただし副大統領と首相は、大統領の出身地域以外の出身であり、それぞれが異なる地域出身であること。
  3. リビア軍の最高司令官としての職務。
  4. HORの承認後、総合情報局長官(Head of the General Intelligence Service)の任命・解任。
  5. 内閣が提出した外務大臣の提案に基づく、大使及び国際機関への代表の任命。
  6. 外国及び国際機関の代表者の認定。
  7. HORで承認された法律の1か月以内の発行。法案は指定された期間内に議会に差し戻されない限り、法的に発行されたとみなされる。
  8. 国際協定や条約の締結。ただしHORで批准されるまで効力を持たない。
  9. 国家安全保障会議(National Security Council)の承認及びその後10日以内のHORの承認を経た、緊急事態の宣言。戒厳令はHORの承認が得られるまで宣言されない。
  10. 閣僚会議(内閣)に出席する際にはその議長を務める。
  11. 憲法宣言および法律に規定されたその他の権限。

候補者の要件(第9条)

  1. リビア人のムスリムであり、リビア人ムスリムの両親を持つこと。
  2. 立候補の時点で他国の国籍を有していないこと。
  3. 配偶者がリビア人であること。
  4. 出馬登録日において40歳以上(西暦)であること。
  5. 認定された大学における学士号またはそれに相当する学位を取得していること。
  6. リビアの市民権を得ていること。
  7. 裁判所の最終判決において、重罪または道徳的に不適切な軽犯罪に関する有罪判決を受けていないこと。
  8. 大統領の職務遂行に十分な健康状態であること。
  9. リビア国内外の本人、妻、未成年の子供の固定資産及び動産の申告書を提出すること。
  10. HNECや関連委員会の職員、または投票センターの委員でないこと。
  11. その他、法律で定められた要件を満たしていること。
  12. (第12条)候補者は民間人、軍人を問わず、選挙日の3か月前に職務を停止すること。選出されなかった場合は以前の仕事に戻り、職務停止中の全ての給与が支払われる。

副大統領(第14条)

選出された大統領は、在任中に辞任、死亡、永続的に職務遂行が不可能になった等の理由で大統領の地位が空席になった場合に職務を遂行する、副大統領を任命する。(大統領の退任後)新しい大統領は3か月以内に選出される。副大統領の任命に際しては、大統領の選出と同じ条件(第9条)が適用される。

選挙監視・取材(第55条)

市民社会、関連する地域・国際機関、候補者の代理人は、HNECの承認を経て選挙手続きの監視に参加することができる。またメディアの代表者は、本法及び関連規則に従って、選挙を取材することができる。

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2021年9月21日

リビア/政党

筆者は2019年10~11月に1,200人以上のリビア国民を対象として世論調査を実施したが、支持政党についての質問では、「どの政党も支持しない」という回答が全国平均で92%(西部93%、東部92%、南部93%)と圧倒的であった。2%以上の支持を得たのは「リベラル」とされる「国民勢力連合(National Forces Alliance)」とムスリム同胞団系の「公正建設党(Justice and Construction Party)」のみであった。

政党に対する支持の低さは、リビアでは1951年の独立からカッザーフィー政権期崩壊まで政党活動が禁じられており、政治における政党の役割が限定的であることが要因だと考えられる。本稿執筆時点で、比例代表方式による選挙が行われたのは2012年のGNC選挙のみであり、政党政治はリビア国内に定着していないと指摘できる。「国民勢力連合」と「公正建設党」は、2012年のGNC選挙において第1党、第2党となり、国内における政治的影響力が大きいとみなされてきた。しかし、政変後のリビアで要人の暗殺・誘拐、政党と関わりを持つ民兵組織による政府機関やインフラ施設の襲撃などが頻発し、政策でなく暴力によって政治が決定されてきた経緯から、リビア国民の政治に対する期待感が低下したと指摘できるだろう。

2021年12月に実施予定の国政選挙を見据えて、全国で約130の小規模政党が設立されたと報じられるが、多くの政党が新設であり、政策でなく特定の地域や部族によって構成された組織が大半であると指摘される。

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2021年8月31日

レバノン/現在の政治体制・制度

シリアの西方、イスラエルの北方に位置するレバノンは、面積10,452平方キロメートル(日本の岐阜県ほど)、人口およそ600万人という小さなアラブ国家である。首都はベイルート。公用語はアラビア語であるが、英語やフランス語も多くの地域で通じる。

宗教とエスニシティの観点から見れば、レバノンは18の公認宗派、そして多様なエスニック・グループが共存するモザイク国家である。宗派毎に見ると、相対多数派としてマロン派キリスト教徒、スンナ派イスラーム教徒、シーア派イスラーム教徒が存在し、その他の少数派として、ギリシャ・カトリック、アルメニア教徒、ドゥルーズ派、アラウィー派などが存在する(宗派毎の人口比に関しては表1を参照)。エスニック・グループとしては、人口の約90%を占めるアラブ人がいて、これ以外にアルメニア人、クルド人、チェルケス人などの小さなエスニック・グループが存在している。

さらに、正確な数字は不明ではあるが、レバノン国外には国内のおよそ10倍ものレバノン人あるいはレバノン起源の移民が居住しているとされる。その多くはフランス、カナダ、オーストラリア、メキシコ、ブラジル、湾岸産油国、西アフリカ沿岸諸国、米国などに在住しており、なかにはそれぞれの国や地域でビジネスを成功させ、巨額の財を築いた者も少なくない。2019年末の国外逃亡劇で世間を騒がせた日産自動車のカルロス・ゴーン元会長などもブラジル出身でレバノンに起源を持つマロン派キリスト教徒である。

1943年11月に仏領委任統治からの独立を果たして以降、1970年代初頭に至るまで、レバノンはアジアとヨーロッパを繋ぐ中継地としての地政学的重要性、外国語を自由に操る国際的な貿易商の存在、レッセ・フェール(自由放任)を基礎とした政治経済体制、そして風光明媚な自然環境も相まって、金融・観光部門を中心に「中東のパリ」とも呼ばれるほどの栄華を誇った。だが、1975年から15年もの長きにわたって戦われた凄惨な内戦の影響で、国土は極度に荒廃、経済は完全に破綻し、知識や技術を持った貴重な人材の多くが国外へと去っていった。 

内戦終結以降から2005年までの期間、レバノンは隣国シリアによる実効支配を受けることになる。内戦初期の1976年、シリアはレバノンに対して大規模な軍事介入に踏み切っており、内戦終結以降もレバノンが国防能力と治安維持能力を回復するまでという名目で軍と治安部隊を引き続き駐留させ続け、レバノンに巨大な政治的影響力を行使し続けた。また、内戦の最中に台頭したシーア派政治組織/対イスラエル抵抗運動組織であり、シリア・イランと密接な同盟関係にあるヒズブッラー(ヒズボラ)は、イスラエルの脅威は依然として消えていないとの論理によって内戦終結以降も唯一武装解除を免れた(その軍事力は今では国軍を遥かに凌いでいる)。シリアによる実効支配はレバノンに一応の安定をもたらしたものの、隣国に対する長引く実効支配とヒズブッラーに対する援助は国際的な批判をうけることにもなった。

そうしたなかで2005年2月、レバノンの大富豪で元首相、同国復興の立役者でもあるラフィーク・ハリーリー氏が暗殺された(実行犯は未だに明らかとはなっていないが、シリア当局の関与が強く疑われている)ことを契機に、レバノン国内では反シリアを掲げる国民運動、いわゆる「杉の木革命」が急速な盛り上がりを見せた。そうした動きを受けて、同年5月、シリアはレバノンからの完全撤退を決断する。

しかしながら、シリアという「重石」が取り除かれたことで、レバノン政治は再び深刻な政情不安に陥ることになり、2008〜09年頃には再び内戦の足音が聞こえてくるまでに事態は悪化した。ただ、このときはシリアやサウジアラビアをはじめとする外国勢力が再びレバノン政局に介入し、一応の秩序をもたらすことに成功した。だが、2011年以降はシリア内戦や地域情勢の不安定化の影響を強く受けることとなり(レバノンには現在まででトルコに次いで2番目に多い約150万人ものシリア難民が押し寄せたといわれている)、同国はまたもや深刻な困難を背負うこととなってしまった。 

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2021年8月31日

レバノン/最近の政治変化

政治・社会

独立以降、現在に至るまで、レバノンの政治・社会は基本的に「宗派主義制度」と「パトロン・クライアント関係」(親分・子分関係)の二点によって特徴付けられてきた。 

第一の「宗派主義」に関して、レバノンが18もの公認宗派集団によって構成されるモザイク国家であることは既に述べた。そんなレバノンでは歴史的に、国民を識別する第一義的な要素を「宗派」とし、国家権力・利権はある特定の宗派集団によって独占されるのではなく主要宗派間で共有されなければならないとする考え方、つまり「宗派主義」が基本理念として保持されてきた。そして、この理念を制度化したものが「宗派主義制度」と呼ばれる現行の権力分有システムである。この制度の下では宗派は事実上の「利権集団」として扱われ、あらゆる公的機関のポストはあらかじめ各宗派に定数配分されることになっている。たとえば大統領はマロン派、首相はスンナ派、国会議長はシーア派とするといったように憲法には明記されている。また総議席128の国民議会議席数も宗派ごとにあらかじめ定数が割り当てられている(表を参照)。

また、レバノン政治においては、重要度の高い法案や政策の可決に議会や内閣における3分の2以上の賛成票が必要とされる(「拒否権を行使できる3分の1」条項)。だが、実際のところ、宗派ごと/派閥ごとに細切れにされた同国政治においては、3分の2以上の議席を1つの勢力が握ることはきわめて困難である。

このような各宗派/派閥の権力を均衡させ、多数決ではなく合議/談合によって意思決定を行うことを意図したこうした制度の下では、これまでに宗派間の利害が鋭く対立するような争点をめぐって政治過程はしばしば麻痺状態に陥った。また、宗派単位で細切れにされた行政機関はしばしばその非効率性・硬直性を露呈してきた。

ついで、第二の「パトロン・クライアント関係」とは、要するに日本の文脈における利益誘導政治の一種と考えて良い。つまり、レバノンにおいては宗派ごとに「ザイーム」と呼ばれる派閥領袖(親分)らが存在し、彼らは政治家として国家機構内外の権力を独占的に占有し続け、そこから得られた恩恵を自らの庇護下の人々に便宜供与というかたち(たとえば政策的な便宜を図る、就職先を斡旋する、ビジネスの機会を提供するなど)で提供する。他方、庇護下の人々(子分)は、その見返りとしてザイームに対する政治献金、選挙における投票、そして有事に際しては民兵としての奉仕などを求められる。こうした慣行は世界各国にある程度普遍的に見られる現象ではあるが、レバノンの場合はそうした「公的権力の私物化」(つまりは政治腐敗)があまりに度を越しており、ザイームたちは政治や公共政策をあたかも彼らのファミリー・ビジネスかのように扱ってきたとしばしば批判されてきた1

レバノンの公認18宗派の人口比と議席配分

 宗派名人口比議席数
1932年2010年1960~92年1992年~
キリスト教諸派マロン派28.218.253034
ギリシャ正教9.781114
ギリシャ・カトリック5.94.568
アルメニア正教3.22.7545
アルメニア・カトリック0.711
プロテスタント0.9111
マイノリティ
(アッシリア正教、カルディア正教、
ラテン教会、シリア教会、
シリア・カトリック、コプト教)
11
小計50.834.55464
イスラーム諸派スンナ派22.4292027
シーア派19.6331927
ドルーズ派6.85.6368
アラウィー派0.8902

1990〜2005年、すなわちシリア軍・治安機関がレバノンに駐留していた期間においては、シリア政府が権威主義的支配をレバノンにまで拡大し、レバノン政界における事実上の支配者として最終的な裁定を行ってきた。これによってレバノンでは一定の秩序が維持されたが、同時に多くの国際的批判を受けてきたことは上述の通りである。だが、シリア軍・治安機関が撤退して以降、上述の2つの政治・社会的特徴が急速に表面化し、様々な政治・社会・経済問題を引き起こすようになった。

実際、2005年から2008年にかけては、シリア政府との関係をめぐってレバノン政局が「3月8日勢力」(ヒズブッラーなどによって構成される、いわゆる「親シリア派」)と「3月14日勢力」(ムスタクバル潮流などによって構成される、いわゆる「反シリア派」)という2つの勢力に分断され、政治の場や街頭において(内戦時代を想起させるような)激しい政治・武力闘争を繰り広げた。2008年5月にアラブ連盟とカタルの仲介によって「ドーハ合意」と呼ばれる和平合意が成立するも、両勢力間の対立の火種が解消したわけでは決してなかった。

2011年以降は内戦状況に陥ったシリア政府との関係をめぐってレバノン政局は再び深刻な分断・麻痺状況に陥り、政治的に重要な議案や争点はことごとく先送りされるようになっていった。たとえば2013年6月には国民議会議員(任期4年)の任期満了に伴う議会選挙が実施されるはずであったが、選挙制度に関する議論が最後までまとまらず、結局、任期切れの議員たちが2018年5月まで居座ることとなった。また、2014年5月にはミシェル・スライマーン大統領が任期満了で退任するも議会では後継大統領が決まらず、結局、2016年10月にミシェル・アウン氏が新大統領に選出されるまで大統領職は空位のままであった。こうした「憲政上の空白」とも呼びうる異常状態においては重要な意思決定を行うことなど到底不可能であり、実際、年度ごとの予算案などは2005年度以降12年間にわたって議会で可決されてこなかった。2016年頃から政治過程が僅かなりとも前に進むようになってきたのは、レバノンの根源的問題が解決されたからではなく、単にシリア情勢がバッシャール・アサド政権優位で終結の兆しを見せ始めたからに過ぎない。 

かねてより非効率性・硬直性が指摘され続けてきたレバノンの行政機構もまた、2011年以降はこうした政局の影響を大きく受け、まったくの機能不全に陥ってしまった。そもそもレバノンの行政機構に関する問題は数え上げればキリがないほどだが、たとえば2015年以降、政府が固形廃棄物の処理計画とその財源をいつまでも策定できなかったために国全体がゴミの山で溢れかえるようになった問題は、こうした状況を象徴していた。この問題はその後、放置されたゴミから放たれる悪臭と政治家たちの腐敗をかけた「おまえたちは臭う(You Stink)」という名の市民による抗議運動につながった。

2020年8月にはベイルート港湾部の倉庫が突如として爆発した。爆発はキノコ雲と数キロ先まで到達するほどの爆風を伴う大規模なもので、200人以上の死者、6,500人以上の負傷者、30万人もの避難者を出し、経済的損失も180〜200億ドルに上ると推計された。爆発したのは2013年9月に政府によって違法な貨物船から没収され保管されていたおよそ2,750トンもの硝酸アンモニウムであった。その直接的な原因(「事故」なのか「事件」なのか)は依然として調査中であるとはいえ、この危険な物質が2013年から6年にわたって杜撰な管理下で放置されてきたことは事実であり、その意味でこの爆発は間違いなく「人災」であった(少なくともレバノン国民からはそう認識された)。そして実際、事件から4日後にはベイルート中心部で政府の責任を追及する激しい抗議デモが発生し、暴徒化した市民が外務省ビルを占拠し「革命」を呼びかける事態となった。

加えて、次項で詳述するように、レバノンは現在、内戦後最悪とも言われるきわめて深刻な経済・財政危機に直面しており、それに対する政府の無策、そしてその背景にある深刻な腐敗問題に対して、2019年以降、レバノン各地で大規模な反政府デモが散発的に続いている。2020年3月には外貨建て国債の返済延期が表明され(同国による債務不履行〔デフォルト〕は今回が初めて)、同年4月には財政支援を受けるべくIMFとの協議に着手する旨が表明された。しかしながら、相変わらず腐敗と汚職が蔓延し、さらには(米国によって「国際テロ組織」に指定されている)ヒズブッラーが大きな発言権を持つレバノン政府に対してIMFが融資を躊躇していること、そしてヒズブッラーの側もIMFの介入を米国主導の「イラン/ヒズブッラー包囲網」と認識し、それに強い抵抗感を示していることから、レバノン政府とIMFとのあいだの交渉は依然として難航している。

経済・財政

2018年の世界銀行の調査によると、レバノンの経済規模はおよそ570億ドル、一人当たりGDPは9,251ドルと、経済規模は小さいながら中高位所得国に位置付けられている。2007年から2010年にかけては8~10%の経済成長を達成したが、2011年以降はシリア内戦や中東全域の混乱、そして海外からの資本流入の減少などにより急減速し、ここ数年は1~2%で推移した後、2019年はゼロ成長に落ち込んだ(図を参照)。2019年の時点で公的債務残高は国内総生産(GDP)の150%以上に達し、これは債務対GDP比で世界3番目に大きい数字である(なお、レバノンの上はギリシアと日本である)。また、経済格差という点で言えば、レバノンでは上位1%の最裕福層が GDPのおよそ25%を稼ぎだす一方、下位50%の人々の収入は合計してもGDPの10%足らずという、いわゆる「中間層」がすっぽり抜け落ちた、世界で最も不平等な国の一つとなっている。

レバノン経済の中心はサービス部門であり、とりわけ貿易・観光・金融部門はレバノンにおける最も重要な経済部門で主要な外貨獲得源となっている。2008年から2018年までの期間において、GDPに占めるこうしたサービス部門の割合は平均でおよそ73%であった一方、工業・建設業といった製造業と農業は合わせてもGDPの中で平均およそ19%を占めるに過ぎなかった。こうしたことからレバノンでは、経済成長を続けるにつれて輸入が増加するという構造にあり、加えて原油やガスといったエネルギー資源のすべて輸入に依存していることもあり、貿易収支は常に赤字基調にある(WTOのレポートによると、2017年の総輸出額は40.26億ドル、総輸入額は201.09億ドルであり、貿易収支は160.83億ドルの赤字となっている)。

こうした経常赤字はこれまで主として観光などを始めとするサービス業、および在外レバノン人からの送金や外国直接投資(FDI)によって補填されてきた。長期に渡った内戦を境に地域経済・金融のハブとしての地位を湾岸諸国へ譲り渡すことにはなったが、英・仏・アラビア語が通じ、美しい自然や様々な世界遺産、そして豊かな食文化とアルコール(この点は特に湾岸産油国の富豪たちにとって重要である)を楽しめるレバノンは、依然として多くの観光客を魅了し続けている。GDPに占める観光部門の割合は例年15~20%であり、2009年にはおよそ200万人の観光客を受け入れて戦前の最多記録を塗り替えた。

他方で、在外レバノン人からの国内への送金額は巨額に上り、2018年の世界銀行のデータによると、その額は年間でおよそ70億ドル(GDPのおよそ12.7%に相当)と推計されている。また、FDIに関しては、内戦終結以降、政府は国家再建のために非常に高い金利を設定し、為替売買や資本移動に関する規制をほとんど設けず、銀行の秘匿権を厳密に保証しており、これによって海外、とりわけ産油国からのオイルマネーを集めることに尽力した。内戦終結以降のベイルートにおける建設ブームと不動産価格の高騰とも相まって、こうした手法は短期的には功を奏した。以降、政府は同様の手法を続け、いわゆる「不労所得経済」に大きく依存する経済構造が確立していく。だが、こうして集められた外貨は結局、不透明なかたちで政治家の懐に入るだけで、政府によって有効に有用・投資されることはなかった。また、こうしたバブル的な経済構造は当然、大きなリスクをはらむものでもあった。

事実、シリア内戦をきっかけとして、2012〜13年頃からレバノン経済は深刻な財政危機に陥いるようになっていった。FDIに大きく依存するレバノンにおいては国外からの投資を積極的に呼び込むため極端に高い金利が設定され、これまで同国の商業銀行は大口預金者に対して法外な利息を約束し支払ってきたが、その元手は投資・運用によって得た利益ではなくあくまでリスクの低い政府への貸し付けで得た利息である場合が多く(ある報道によるとレバノンの商業銀行が中央銀行に預けた預金は2017年から2019年の間に70%以上増加しているともいわれる)、そのしわ寄せは当然納税者の国民に向かうことになる。「巨大なポンジ・スキーム」(いわゆる出資金詐欺)と揶揄されることも多いこうした金融システムにおいては、外貨が流入し続けているうちは良いが、一旦外貨引き上げの兆候が見られると途端に負債が雪だるま式に増大していく。ここ数年のレバノン経済はまさにこのような悪循環の只中にある。

加えて、レバノンの風土病とも言いうる腐敗も、経済システムの基本構造と指摘して良いだろう。たとえば「腐敗認知指数」2019年度版によるとレバノンの汚職度合いは180ヵ国中137位であり、また世界銀行の2020年の研究によると同国での「ビジネスのしやすさ」は190ヵ国中143位(他の中東諸国、たとえばトルコは33位、バハレーンは43位、サウジアラビアは62位)であった。そして、レバノンにおけるビジネス環境の順位を著しく落としている最大の要因が「非効率で腐敗にまみれた官僚機構」であるとされ、煩雑な手続きや腐敗があらゆる形態・場所で蔓延し、贈収賄、縁故・恩顧主義、談合などが日常的に観察されるとされている。

世銀による1995年の調査は、レバノンにおいてビジネスを行う際の困難さを、次のように的確に表現している。「国際的なビジネス社会には[レバノン経済に関して]、私的取引、贈収賄、恩顧、圧力のために、法を超越して、[既得権益]保護のネットワークにおいて腐敗が制度化されているとの認識が存在している。潜在的な投資家たちは、こうした状況が継続するならば、党派的・家族的な忠誠心が経済的参入や成功を独断的に決定するようになると予想している。結果として、国際的なビジネス社会は、法的要求や国家機構への信頼無しに、自分たちが知っており、出来事やアクターをコントロールできる範囲においてのみリスクを引き受けるようになる」2。 レバノンでは2019年10月中旬以降、悪化する一方の経済状況と、それに対して何らの対処策も打ち出せない無能で腐敗した政府に対して、大規模な抗議デモが続いている。2020年3月にはレバノン史上初となる債務不履行(デフォルト)が宣言され、その後も現在に至るまで深刻な債務危機は解決の見通しも立たないままである。そうしたなかでレバノン・リラ(LL)も急落し、1ドル1,500LLが正規レートであるにもかかわらず、現時点では街の両替商のレートは2,300LLで1ドルとなっている。外貨準備も極端に不足しており、ほとんどの銀行は1週間の引き出し上限を200ドルに制限するに至った。

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2021年8月31日

レバノン/選挙

上述のようにレバノンでは宗派主義制度に基づく特殊な形態の議会制民主主義が採用されており、立法府たる国民議会は一院制で総議席数は128(内戦以前は99)、議席配分は宗派ごとに予め設定されている(表を参照)。任期は4年である。内戦終結以降、これまでに6度の国政選挙が行われた(1992年、1996年、2000年、2005年、2009年、2018年)。

選挙制度については宗派主義に基づく特殊な形態の大選挙区制(定数は2~10)が採用されており、議席は宗派ごとの定数内で相対多数を獲得した候補者に与えられる。有権者は候補者個人に投票し、定数の上限まで投票することができる。選挙区割りに関しては、「選挙区は県を単位とする」と明確に規定されているにもかかわらず、実際には有力者たち――シリア軍・治安部隊による実効支配期(1986~2005年)においてはシリア当局、それ以降はレバノン政界における有力政治家たち(派閥の領袖クラス)――にとって有利になるよう選挙ごとに恣意的に操作されてきた。特に2000年の第16期国民議会選挙における選挙法は「ガーズィー・カナアーン1の法」としばしば呼ばれ、これは操作次第では親シリアの政治家にとって極端に有利となり得る仕組みであった。

有権者(21歳以上)は各選挙区において、自らが属する宗派以外の候補者(25歳以上)を含む定数分の候補者に投票する権利を有している。例えば2009年選挙においては、ベイルート県第三区の定数は10(スンナ派5、シーア派1、ドルーズ派1、ギリシャ正教1、福音派1、マイノリティ1)であり、有権者は割当議席数分の投票権(同選挙区では10票)を持つ。なお有権者は、定数分の投票権を有するも、それに満たない数の票を投じることも可能となっている(例えば、どうしても他宗派の事情は分からないという有権者は、自宗派分の票のみを投ずるだけでも良い)。

投票の結果、各宗派内で相対多数の票を獲得した候補者が当選を果たす。これは換言すれば、候補者にとってライバルは他宗派にではなく自宗派内に存在することを意味する。こうしたことから、各候補者は当選を確実にするために自らの宗派を超え、同一選挙区で他宗派に属する有権者からの票をあまねく獲得する必要性が生じてくる。それゆえに各政治主体は、他宗派からの得票を目指し、しばしば政策やイデオロギーを無視したかたちで宗派横断的な選挙協力――ないしは「選挙前談合」――を企てるのである。この帰結が、選挙公示後に各選挙区で作成される選挙リストである。

選挙リストとは、各選挙区に割り当てられた総議席数分を、議席が配分されている各宗派の候補者を網羅するかたちである種の大連合を形成した、「セットメニュー」のようなものだと考えればよいだろう。

選挙前談合によってリストを作成するに際しては、政策的・イデオロギー的親和性とは全く無関係の次元、すなわち選挙に出馬する各ザイームが動員可能な票の数と資金力、ならびにザイーム同士で選挙戦以前に行っていた非公式・水面下の「約束」が鍵となる。前節で確認したように、レバノンにおけるザイーム支配は伝統的かつ非常に強固であり、こうした支配構造の下、有権者はもっぱら「政策」ではなく「人物」に票を投じる(より正確には、投じざるを得ない)。それゆえ、各選挙区の登録有権者数と照らし合わせることで、選挙時に各々のザイームが動員可能な票の数は事前に概ね予想がつく。そこで、派閥の領袖であるアクタブは、各選挙区の事情とそれぞれのザイームの集票能力等を勘案し、選挙前談合によって他のアクタブと取引・調整を行ったり、選挙後のブロック形成や組閣作業といった政治過程に関する非公式な水面下の「約束」を取り決めたりすることで、リストを作成していく。またその際に、事実として立証することは非常に困難ではあるものの、買収や賄賂といった形で多額の不透明な資金が流れていることは、選挙戦を実際に観察していれば容易に想像がつく。

こうした過程によってリストが作成されるため、各立候補者の当落は選挙前にほぼ予想でき、実際に、たとえば2009年選挙ではおよそ128議席中110議席は選挙前に予め結果が予想できた。それゆえ有力政治家たちは自身の当選の正当性を高めるべく「高い投票率」と「盛り上がり」を国内外に演出するために、ただ挑発的な言動で有権者の「宗派対立」を煽ったり巨額の資金をばらまいたりすることで、投票所や街頭に人を集めるだけでよいことになる。

なお、2018年選挙では選挙制度が改正され、それまでの大選挙区制・複数記入制から15選挙区での比例制に変更された。これによって事前の予測通り、ヒズブッラーと同党と連携する諸派の議席が伸び、他方でムスタクバル運動の議席が減少する結果となった。ただし、レバノンでは、結局、個々の候補者が属する政党、選挙の際に組まれる選挙リスト、そして選挙後の議会で編成される会派がそれぞれまったくの別物であり、政策やイデオロギーなどとは関係なくその時々の政局次第でいくらでも呉越同舟が成立する。ゆえに、選挙の結果を見ただけではその後の政治過程を予測することはほとんど不可能であると言える。

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2021年8月31日

イラン/現在の政治体制・制度

現在のイランの政治体制、すなわちイスラーム共和制の来歴は1979年の革命にさかのぼる。反王政運動は1960年代米国の提言を受けて始まった「白色革命」の影響を受けるとされるが、それは主に二つの主要アクターに影響を及ぼしたとされる。一つは労働者である。大地主所有者の解体と工業化を柱とする「白色革命」によって地方と都市、都市部の労働者の所得格差が拡大したことで1970年代に労働者による抗議運動が頻発するようになった(Parsa 1989:141-144)。所得格差の要因が米国による対外投資の増加にあるとの考えが市中に広まると「反米」が反王政運動のスローガンの一つとなったのである(Keddi 2006:148-169)。もう一つは宗教勢力である。近代教育制度の普及を目指す「白色革命」を受けてイランの宗教勢力は社会的役割が低下するとの懸念を抱くようになる(Brumberg 2001: 73)。それに対して宗教勢力は近代的な教養とイスラーム法学の両方を身につけた若年の知識人の育成に力を入れた(嶋本2011:52-55; Fischer 1980: 76-86)。この宗教学院での教育が後に新体制の創設において宗教勢力が他の勢力を制圧し権力の中枢を掌握する背景である[1]

イスラーム法学者が国を統治するイランの政治制度の根底には革命で指導的な役割を果たしたホメイニー師が唱えた「イスラーム法学者の統治(ヴェラーヤテ・ファギーフ)」論がある(Arjomand 1988: 177-188)。これはホメイニー師が革命前から提唱していた考えである。その論点は、第12代イマームがお隠れで不在の間、外国植民地主義による反イスラームの攻勢に直面するイスラーム世界を救済するためには、イスラーム法を正しく解釈し執行できる統治者が必要であるというものである(吉村2005: 80)。

イラン・イスラーム共和国憲法には「イスラーム法学者の統治」論を具現化するための様々な条項が盛り込まれている。憲法第1条は、イランの政体がイスラーム共和制であり、この体制には「全有権者の98.2%が」賛成票を投じたことを明記している。第2条は主権が神にあることを謳っており、第4条ではイスラーム共和国におけるあらゆる法律はイスラームの原理に基づくことが定められている。そして第5条では、イマームがお隠れでいる間は、「公正で徳高く実社会に関する知識を有し、勇敢で有能な」イスラーム法学者(ファギーフ)が、イスラーム共和国を指導するとされている。

憲法第56条によれば、主権は神にあるものの、その神は人間を、自らの社会的運命を決定する権利を持つ存在として創造した。よって何者も、神から人間に与えられたこの権利を奪うことはできない。そのように定めた上で憲法は、イラン・イスラーム共和国の統治権力は立法権、行政権および司法権からなり、相互に独立するこれらの三権はいずれも最高指導者の導きのもとに、憲法の諸原則に基づき行使されることを定めている。

以上の憲法の特徴を踏まえ、イランの政治体制は神権政治と共和制という一見相反する特徴を備えた政治体制だとする指摘がなされている(Ghobadzadeh and Rahim 2016; Abdolmohammadi and Cama 2015)。

以下、イスラーム共和制を構成する主要機関を紹介する。各機関の説明に入る前にイランの政治体制の二元構造について説明しておきたい。イランの国家機構には日々の行政を担当する大統領(1989年までは首相)と内閣を中心とする行政府が存在する[2]。民選機関である議会は行政府が執行するための法を制定し、行政府の活動を監視している。他方、イランには最高指導者を頂点とする宗教政治の構造が併存するという特徴がある。それには金曜礼拝指導者、さらには警察、革命防衛隊、社会福祉[3]、開発機関[4]、国営メディア、公立大学などにおける最高指導者名代が含まれる(Matsunaga 2009: 478-479)。選挙で政権の派閥が変わると政策選好も変化することが指摘されている(Randjbar-Daemi 2018)。しかしながら大統領が率いる機関と最高指導者が率いる機関の権力関係は制度的にも実践的にも不平等である(Abdolmohammadi and Cama 2015)ことに注意する必要がある。

なお本稿はイランの政治体制の制度的側面を解説することを目的とするため、最高指導者、および三権を担う機構に絞る。また以下の憲法とは1989年の改正憲法を意味する。

最高指導者

イラン・イスラーム共和国の最高指導者は、「宗教的かつ政治的」な統治権を有する(憲法第107条)。初代最高指導者は、カリスマ的な革命の指導者ホメイニー師が努めたが、ホメイニー師の亡き後、最高指導者は国民の直接投票により選ばれる専門家会議メンバーにより決定されることになっている。 初代最高指導者であるホメイニー師が1989年6月に逝去すると、当時大統領を務めていたアリー・ハーメネイー師が、専門家会議の決定により最高指導者に就任した。

(1) 最高指導者に求められる資質(憲法第109条)

イスラーム法学上の様々な問題にまつわる法判断に必要とされる学識

イスラーム共同体を導くのに必要とされる公正さと敬虔さ

指導者に必要とされる適切な政治的・社会的洞察力、慎重さ、勇気、権威、国家運営能力

(2) 最高指導者の権限(憲法第110条)

  • 体制利益判別評議会との協議をふまえたイラン・イスラーム共和国体制の施政方針の決定
  • 体制の施政方針の適正な遂行の監督
  • 国民投票の実施宣言
  • 統帥権
  • 宣戦布告、和平の受諾、軍の動員
  • 以下の者の任命、解任、辞任の受理
    • 監督者評議会メンバーのイスラーム法学者6名
    • 司法長官
    • イラン国営放送総裁
    • 全軍統合参謀長
    • イスラーム革命防衛隊総司令官
    • 国軍及び治安維持軍の総司令官
  • 三権間の対立の解消と調整
  • 通常の方法では解決が不可能な込み入った問題の体制利益判別評議会を通じた解決
  • 国民により選ばれた大統領の認証
  • 最高裁判所が大統領による違反行為を認定した場合、あるいは国会が大統領は不適格との決定を下した場合、これに基づく大統領の罷免
  • 司法長官の推薦を受けての恩赦および減刑の実施

立法府

イラン・イスラーム共和国において、立法権は国民による直接投票で選出された議員から構成される国会により行使される。憲法はまた、「非常に重要な経済的、政治的、社会的、文化的問題については」、国民投票により立法権が行使されることもあることを定めている。国民投票は、国会議員全員の3分の2の承認を得て実施される。

(1) 国会の構成

  • 任期4年
  • 定数290
    • 憲法憲法第 64 条は定数270と定めている。ただし1989年の国民投票以降、10 年毎に人口、政治、地理その他の要因を考慮に入れて、最大30名まで議員を増員できる。
    • この規定に基づき、2000年に実施された第6期国会選挙から、国会議員の定数は290名に増員された。
  • 宗教少数派5議席
    • ゾロアスター教徒は1名、ユダヤ教徒も1名、アッシリア系およびカルデア系キリスト教徒はあわせて1名、南部及び北部のアルメニア人キリスト教徒はそれぞれ1名の議員を選出することになっている(憲法第64条)。

(2)国会の権限

  • イスラーム教の原則及び憲法に違反しない範囲であらゆる問題に関わる法律を審議・制定できる(憲法第71条)。
  • 最小限15名の議員の賛同があれば法案を議会に上程できる(憲法第74条)。
  • 国際間の条約、議定書、協定及び同意書の承認(憲法第77条)
  • 政府が国内外の借款または無償の協力を受けるための承認(憲法第80条)
  • 大統領による内閣組閣後、行政権行使前の信任投票(憲法第87条)。信任には投票総数の過半数の賛成が必要。
  • 閣僚の罷免
    • 閣僚の喚問動議は最低10名の議員の署名により上程される。動議の対象となった閣僚は10日以内に議会に出席し、動議に対する答弁を行う。信任投票が得られなかった場合、閣僚は免職となる(憲法第89条)。
  • 大統領の罷免
    • 大統領の喚問動議は3分の1以上の議員の決議により行われる。大統領は1ヶ月以内に議会に出席し、動議に対する答弁を行う。3分の2以上の議員が大統領を無能と票決すれば、罷任の理由を最高指導者に通知する。
  • 行政府及び司法府の執行方法に対する苦情処理(憲法第90条)

(3) 監督者評議会による立法の監督

  • 監督者評議会の構成(憲法第91条)
    • 公正かつ時代の要請及び問題点に精通するイスラーム法学者6名(最高指導者が任命)
    • 法律の各分野に精通する法学者6名(最高指導者が任命する司法長官が指名し、国会が承認)
    • 任期6年(憲法第92条)
  • 監督者評議会の権限
    • 国会が可決する法律がイスラームの原則に適っているか否かは、監督者評議会が判定する。国会で可決された議事事項がイスラームの原則に抵触しないとの判定は監督者評議会中のイスラーム法学者の過半数により、また違憲性がないとの判定は監督者評議会メンバー全員の過半数による(憲法第96条)
    • 憲法の解釈権限。監督者評議会メンバーの4分の3の賛成により解釈が決定される(憲法第98条)

(4) 体制利益判別評議会による裁定(憲法第112条)

  • 体制利益判別評議会は1988年2月に設置された。メンバーは最高指導が任命する。
  • 国会で可決された法案を、監督者評議会が承認せず、その法案をめぐる国会と監督者評議会の間の対立が解消されない場合、法案は「体制の利益」という観点から最終的な判断を下す権限を有する。

行政府

イラン・イスラーム共和国において、大統領は最高指導者に次ぐ第2の権力者である。大統領の任期は4年であり、継続的な再選は1回に限り許される(第114条)。

(1) 大統領に求められる資質(憲法第115条)

  • 宗教的及び政治的に優れた人格を有する卓越した人物
  • 生粋のイラン人でイラン国籍を持ち、管理能力があり慎重で、評判がよく正直かつ敬虔で、イスラーム共和国の原則と国教を信じ、これに忠実である者

(2) 大統領の権限

  • 複数の副大統領の任命(憲法第130条)
  • 議会の決議事項に署名する(憲法第123条)。大統領に拒否権はない。
  • 閣僚の議会への紹介(憲法第133条)
  • 大臣の解任(憲法第136条)

司法府

イラン・イスラーム共和国において、司法権内で最高の地位を占める司法長官は最高指導者により任命される。司法長官は「公正で司法に通暁し、管理能力を有しており、かつ有能な」イスラーム法学者であることが求められ、その任期は5年である。司法府長官は検事総長と最高裁判所長官の任命権限を持つ(憲法第162条) 。またイランでは内閣任命は大統領の権限であるが法務大臣のみ司法長官が任命する(憲法第160条)。

イランの司法府は憲法では中立・独立機関と規定されている。しかし、司法長官は最高指導者により直接任命されるため、実際の法執行では最高指導者の提示する政治方針に従う傾向がある(Shambayati 2008: 301; Künkler 2009)。司法府の傘下には、最高裁判所、検察庁、軍事法廷、行政裁判所、各州司法局が置かれている。加えて、聖職者の政治犯を裁くための聖職者のための特別法廷や反体制的なジャーナリストを裁くための報道法廷も設置されている(Entessar 2002: 29-34)。

<注>

本稿は、坂梨祥「イラン・イスラーム共和国」松本弘編『中東・イスラーム諸国 民主化ハンドブック2014 第1巻 中東編』人間文化研究機構「イスラーム地域研究」東京大学拠点, 2015, pp. 37-54. を基にしている。

参考文献

Abdolmohammadi, Pejman and Cama Giampiero. 2015. “Iran as a Peculiar Hybrid Regime: Structure and Dynamics of the Islamic Republic,” British Journal of Middle Eastern Studies, 42(4): 558–578.

Abrahamian, Ervand. 1982. Iran between Two Revolutions, Princeton: Princeton University Press. Abrahamian, Ervand. 1989. Radical Islam: The Iranian Mojahedin, London: I.B. Tauris. Abrahamian, Ervand. 1999. Tortured Confessions: Prisons and Public Recantations in Modern Iran, Oakland: University of California Press.

Arjomand, Amir. 1988. The Turban for the Crown: The Islamic Revolution in Iran, Oxford: Oxford University Press.
Arjomand, Amir. 2009. After Khomeini: Iran under His Successor, Oxford: Oxford University Press. Bakhash, Shaul. 1984. The Reign of The Ayatollahs: Iran and The Islamic Revolution, New York: Basic Books, Inc.

Brumberg, Daniel. 2001. Reinventing Khomeini: The Struggle for Reform in Iran, Chicago: The University of Chicago Press.

Entessar, Nader. 2002. “Limits of Change: Legal Constraints to Political Reform in Iran,” Journal of Third World Studies, 19(1): 25-36.

Fairbanks, Stephen. 1998. “Theocracy versus Democracy: Iran Considers Political Parties,” The Middle East Journal, 52(1): 17-31.

Ghobadzadeh, Naser and Rahim Lily. 2016. “Electoral Theocracy and Hybrid Sovereignty in Iran,” Contemporary Politics, 22(4): 450–468.

Harris, Kevan. 2017. A Social Revolution: Politics and the Welfare State in Iran, Oakland, University of California Press.

Keddi, Nikki. 2006. Modern Iran: Roots and Results of Revolution. New Heaven: Yale University Press.

Künkler, Mirjam, The Special Court of the Clergy (Dādgāh-Ye Vizheh-Ye Ruhāniyat) and the Repression of Dissident Clergy in Iran (May 13, 2009). Available at SSRN: https://ssrn.com/abstract=1505542 or http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.1505542

Lob, Eric. 2018. “Construction Jihad: State-building and Development in Iran and Lebanon’s Shi’i Territories,” Third World Quarterly, 39(11): 2103-2125.

Matsunaga, Yasuyuki. 2009. “The Secularization of a Faqih-Headed Revolutionary Islamic State of Iran: Its Mechanisms, Processes, and Prospects,” Comparative Studies of South Asia, Africa and the Middle East, 29(3): 468-482.

Parsa, Misagh. 1989. Social Origins of the Iranian Revolution. New Brunswick: Rutgers University Press.

Randjbar-Daemi, Siavush. 2018. The Quest for Authority in Iran: A History of the Presidency from Revolution to Rouhani, London: I.B. Tauris.
Rasler, Karen. 1996. “Concessions, Repression, and Political Protest in the Iranian Revolution,” American Journal of Sociology, 61: 132-152.

Shambayati, Hootan. 2008. “Courts in Semi-Democratic/ Authoritarian Regimes: The Judicialization of Turkish (and Iranian) Politics,” in Tom Ginsburg and Tamir Moustafa eds., Rule by Law: The Politics of Courts in Authoritarian Regimes, Cambridge: Cambridge University Press, 283-303.

Taheri, Amir. The Spirit of Ayatollah: Khomeini and The Islamic Revolution. Bethesda. Adler and Adler Publisher.

嶋本隆光(2011)『イスラーム革命の精神』京都大学出版会

吉村慎太郎(2005)『イラン・イスラーム共和国体制とは何か:革命・戦争・改革の歴史から』書肆心水


[1] 革命成功の他の要因は、反王政勢力に対する妥協と抑圧を用いた王政の対応の一貫性の欠如(Rasler 1996)、米国で人権政策を重視するカーター政権の発足(Taheri 1986: 210-211)が指摘されている。また革命から1980年代初頭のホメイニー派の宗教勢力と他の勢力との権力闘争の歴史についてはBakhash(1986)、対MKOに着目する歴史研究はAbrahamian(1989)、80年代の各種法廷における政治犯の処罰の歴史はAbrahamian(1990)に詳しい。

[2] 1989年の憲法改正に伴いそれまで首相が掌握していた行政権が大統領に一本化された(Arjomand 2009: 38-39)。

[3] イスラーム共和制下のイランの社会福祉政策が王政期とは対照的に貧困層の救済に重点がおかれ国民を国家に包括する役割を担うという議論はHarris (2017)を参照。

[4] 革命防衛隊傘下の開発ジハードによるインフラ事業、それによる全国的な雇用機会の提供についてはLob(2018)を参照

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2021年8月30日

アラブ首長国連邦/現在の政治体制・制度

アラブ首長国連邦(UAE)は、7つの君主制の首長国から構成される連邦国家である。1971年12月2日に英国の保護領から独立し、現在に至る。政治体制は、UAE 恒久憲法(以下憲法)において規定されている。

政治体制は憲法第1条において、「UAEは独立した、主権を有する、連邦制の国家」と定められている。連邦を構成する首長国は、アブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジュマーン、ウンム・アル=クワイン、ラアス・アル=ハイマ、フジャイラが列記されている。各首長国には、長年同地を支配してきた首長家が存在し、首長位は首長家内で移譲されてきた。また憲法第45条により、連邦機関は①連邦最高評議会(al-Majlis al-’U‘lā li-l-Ittiḥād/The Federal Supreme Council)、②連邦大統領および副大統領、③連邦閣僚評議会(Majlis Wuzarā’ al-Ittiḥād/The Council of Ministers of the Federation)、④連邦国民評議会(al-Majlis al-Waṭanī al-Ittiḥādī/The Federal National Council; FNC)、⑤連邦司法、の5つから構成されることが定められている。

連邦政府の最高意思決定機関は、7首長によって構成されている連邦最高評議会である。連邦最高評議会の互選により、国家元首である連邦の大統領と副大統領が一名ずつ選出される。アブダビ首長が連邦大統領を務め、ドバイ首長が連邦副大統領と首相を務めることが慣習となっている。また大統領は首相を任命し、首相が組閣する。首相や閣僚の就任については、議会の承認を必要としていない。制度的には各首長国は対等な地位にあるものの、実態としては政治・経済の面でUAEの建国や発展を主導してきたアブダビとドバイが優位である体制が続いている。

UAEにおいて三権は分立されておらず、立法権と行政権は形式的に連邦最高評議会の監督・承認を受けるものとされている。

立法権は憲法第110条によって「閣僚評議会が法律案を起草し、連邦国民評議会に提出する。閣僚評議会は法律案を大統領および最高評議会に提出する。連邦大統領は、連邦最高評議会による承認を経たのち、法律に署名し、公布する」と定められている。閣僚評議会で起草された法案はFNCで審議・承認を受け、審議結果や勧告は閣僚評議会に提出される。ただし、閣僚評議会の決定はFNCの審議に左右されない。法律は最終的に大統領が署名し、その後公布される。

行政権は憲法第60条によって「閣僚評議会は、その連邦の行政機関としての資格並びに連邦大統領及び最高評議会の最高の監督に基づいて、この憲法及び連邦法に従い、連邦の権限内にあるすべての対内および対外事項を処理する責任を負うものとする」と規定されている。

司法権については、「司法は、統治の基礎である。裁判官は、独立であって、その職務遂行にあたり、法律および良心以外のいかなる権威にも服さない」(第94条)と規定される。また、最高裁判所の裁判官は、最高評議会の同意を得たのちに大統領命令によって任命される(第96条)。

連邦政府

UAEは連邦体制をとっており、連邦政府と首長国政府の間では行政上の管轄が分かれている。憲法第120条では、連邦政府が外交や軍事、治安、連邦財政、教育、公衆衛生などの管轄権を保持することが定められており、第122条によって首長国政府がそれ以外の管轄権を保持することが定められている。なお、天然資源に関する管轄権・処分権は憲法第23条によって各首長国が保持することになっている。またアブダビやドバイなど財政力のある首長国政府は、例えば教育など連邦政府の管轄分野であっても、独自の政策を実施することが少なくない。

UAEの最高意思決定機関は連邦最高評議会である。歴史的には7首長が一堂に会して重要な政策について議論していた時期もあったが、次第に形骸化するようになった。今日では、連邦最高評議会はほとんど開かれておらず、12月2日の建国記念日やイードなどの祝賀行事、5年に一回の大統領改選の際に7首長が集まる程度である。したがって、閣僚評議会(内閣)が実質的な最高意思決定機関となっている。閣僚評議会は首相と副首相、各省庁の大臣(閣僚)、国務大臣、事務局長らから構成されている。

連邦財政については、憲法によって各首長国の規模に応じた分担が定められている。しかしながら、北部首長国には財政を負担する能力がないため、豊富な石油資源を有するアブダビ首長国が大部分を負担してきた。また財源多角化のために2018年1月から5%の付加価値税(VAT)が導入されており、その30%は連邦財政に組み込まれる。連邦政府は国内資源の再配分機能を有しており、とりわけ北部首長国の基幹インフラの整備や教育政策、保健政策などにおいては中心的役割を担っている。

首長国政府

各首長国は世襲の首長によって統治されている。首長、副首長、皇太子が政治の中心となり、また他の首長家メンバーも首長国政府機関の要職に就くことが多い。首長府や執行評議会と呼ばれる機関が意思決定と政策の中心となり、その下に連邦政府の省庁に相当する専門部局が設置されている。またアブダビとシャルジャにはそれぞれ諮問評議会が設置されており、地元住民の意見を吸い上げる仕組みがある。

首長国政府財政は独立しており、基本的に独自の財源で賄われている。上述の通り、天然資源は各首長国が管轄しているため、UAEの原油埋蔵量の9割を保持するアブダビが必然的に豊かになる。ただし、北部首長国は天然資源に乏しく財政基盤が脆弱なため、独自で債権を発行して資金調達を行ったり、何らかの形でアブダビからの支援を受けたりしていると考えられる。また、2018年に導入されたVATの70%は徴収した首長国の財政に組み込まれている。

連邦国民評議会

UAEの議会にあたる連邦国民評議会(FNC)は1972年に設立された。議会制度は憲法第4章「連邦国民評議会」(憲法第68条~第93条)によって明文化されている。政府に対する諮問的な役割を担っており、政府から提出された法案を審議したり、各種政策について担当大臣や省庁関係者を喚問し議論することができる。しかしながら、連邦国民評議会には立法権が認められていない。

FNCは全40議席からなっており、アブダビおよびドバイは各8議席、シャルジャおよびラアス・アル=ハイマは各6議席、アジュマーン、ウンム・アル=クワイン、フジャイラは各4議席が割り当てられている。議員の任期は4年(2008年の憲法改正により、それまでの2年から延長)で、会期は10月第3週からの7か月間と定められている。

議員は、長らく首長による勅選が行われてきた。その後、2005年にハリーファ大統領が翌2006年にFNC選挙を実施することを発表した。これにより、全議席の半数にあたる20議席は、選挙による選出へと変更された。2001年の米国同時多発テロ事件以降、湾岸諸国は欧米からの民主化・改革圧力がかかっていた。また指導者層のなかには現状を政治的な「遅れ」と見る向きもあり、ある程度の政治改革の必要性は自覚されていたと言えるだろう。

参考文献

  • 堀拔功二 2011. 「アラブ首長国連邦」松本弘(編)『中東・イスラーム諸国民主化ハンドブック』明石書店, pp. 338-353.
  • 堀拔功二 2020. 「アラブ首長国連邦」日本エネルギー経済研究所中東研究センター(編)『JIME中東基礎講座2020年版』, pp. 44-50. 
  • UAE Cabinet “The Constitution” <https://uaecabinet.ae/en/the-constitution>
  • UAE Ministry of Justice “Laws and Legislation Portal” <https://elaws.moj.gov.ae/engLEGI.aspx>
  • UAE Ministry of State for Federal National Council Affairs <https://www.mfnca.gov.ae/en/>
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2021年8月30日

アラブ首長国連邦/最近の政治変化

UAE建国の父であるザーイド・ビン・スルターン・アール・ナヒヤーン大統領が2004年11月に死去すると、息子のハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン・アブダビ皇太子が首長に就任し、連邦最高評議会で大統領に選出された。また2006年にはムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームが連邦副大統領兼首相に就任した。ハリーファ期には政治改革が漸進的に進められ、2006年にはFNC選挙が初めて実施された。またムハンマド・ビン・ラーシド首相の下で行政改革や政府の効率化が進められた。不定期に新内閣の立ち上げおよび内閣改造が行われており、首長国政府や政府系企業で頭角を現してきた人材がテクノクラートとして登用されるようになっている。2016年と2020年に省庁再編・政府機構改革が実施され、それに伴い新内閣の立ち上げも行われた。寛容・共生相や幸福担当国務相、青少年担当国務相など、国内の政治的・社会的課題に対応するためのポストも新設されている。

2010年末から翌年にかけて、中東で「アラブの春」が起こると、UAEでも政治改革を求める人々が声を上げた。2011年3月、UAE国内のリベラル派とイスラーム主義者から成る政治改革派が大統領および首長らに対して、包括的な政治改革を求める建白書を提出したのである。しかしながら、改革を求める声は体制に受け入れられず、建白書の取りまとめやインターネット上で政治活動を行っていた5人が逮捕された。当局による改革派への取り締まりは翌年以降も続き、ムスリム同胞団系組織「イスラーハ」のメンバーやその家族など200人以上が逮捕された。国民の多くは政治的関心が低く、また当局による厳しい言論監視も続いたため、改革派に対する支持は広がらなかった。

2014年頃から、国内政治にも新たな変化が見られた。同年、ハリーファ・ビン・ザーイド大統領が脳卒中で倒れ、政治の表舞台には顔を見せなくなった。その後、アブダビ皇太子であるムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンが、アブダビ首長国だけでなく連邦政府においても政治的影響力を行使するようになった。現在、ムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子がUAEの事実上の指導者であると見なされている。内政面では、ムハンマド・ビン・ラーシド首相は内閣改造の人事案についてムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子と相談するようになった。また両者は定期的に会談し、国家運営について意見交換を行っている。

ムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子の影響力は、外交・安全保障分野においても拡大している。UAEは近年、国際社会において外交的・経済的な存在感を強めており、ある種の大国意識を持つようになった。UAEの外交・安全保障戦略も、従来の国際協調路線から、次第に自国の戦略的利益を優先する拡張主義的なものへと変化している。その結果、UAEと域内諸国との対立も生じている。また、ムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子の「反イラン」「反イスラーム主義」という脅威認識も、安全保障戦略に色濃く反映されている。UAEは同盟国のサウジアラビアとともに、対イラン封じ込めやイエメン内戦への介入、対カタル断交などで連携した。また2020年のイスラエルとの国交正常化についても、ムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子のイニシアチブによって実現したと言えるだろう。

参考文献

  • 堀拔功二 2011. 「アラブ首長国連邦」松本弘(編)『中東・イスラーム諸国民主化ハンドブック』明石書店, pp. 338-353.
  • 堀拔功二 2012. 「UAEにおける政治改革運動と体制の危機認識――2011年の建白書事件を事例に――」アジア経済研究所機動研究報告『アラブの春とアラビア半島の将来』, pp. 1-14.
  • 堀拔功二 2016. 「ポスト・ハリーファ期を見据えるアブダビ政治の動向――ムハンマド皇太子の研究――」『中東動向分析』15(4): 1-16.
  • 堀拔功二 2018. 「MbZの外交:カタル危機をめぐるUAEの対米アプローチを事例に」『中東動向分析』16(11): 1-15. 
  • 堀拔功二 2020. 「アラブ首長国連邦」日本エネルギー経済研究所中東研究センター(編)『JIME中東基礎講座2020年版』, pp. 44-50. 
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